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第4話 兆し
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金曜の朝、国木署の庁舎前には黒塗りの公用車が列を成していた。
エンジンの熱気と冷たい風が入り混じり、普段の所轄署とはまるで違う空気を漂わせている。
玄関前には報道関係者の姿もあり、フラッシュを浴びながらスーツ姿の本部刑事たちが足早に中へと消えていく。
前夜、国木市の駅前地下道で小規模な爆発があった。
ゴミ箱の中に仕掛けられていた即席の爆発物。
深夜で人通りが少なかったため、負傷者は軽傷一名にとどまった。
だがあと数時間早ければ、通勤客で混雑する時間帯だった。
被害は比べものにならない規模になっていただろう。
規制線の向こうで見た光景を、九重誠治郎は思い出していた。
煙の匂い。焼け焦げたプラスチックの残骸。
避難を促す駅員の怒鳴り声と、取材に駆け寄る記者たち。
その群衆の頭上に、同じ数字が浮かんでいた。
〈9d xx:xx:xx〉
時間の表記はばらついていたが、日数は揃っていた。
赤い光が群衆の頭上で無数に灯り、まるで死の雨のように降り注いでいた。
⸻
国木署の会議室は、朝から異様な熱気に包まれていた。
机を埋め尽くす刑事たち。壁際には県警本部の幹部、捜査一課の精鋭。
壁に貼られた大きな地図には、赤いピンがいくつも突き立てられている。
桜井警部が前に立ち、低く通る声を響かせた。
「これまで県内で確認された爆発未遂は五件。昨夜の国木市での件を含む」
ホワイトボードに書かれたリスト。
・桐ノ宮市 送電施設 小規模爆発
・南条市 高速道路下 ガス管損傷
・東雲市 工業団地 爆発未遂
・久世市 下水処理場 不審火
・国木市 駅前地下道 小型爆発
「いずれも公共性の高い施設だ。死者が出なかったのは偶然にすぎない。
犯行には一貫した意図が見える。組織的な犯行である可能性が高い」
⸻
所轄の刑事たちは緊張した面持ちでメモを取っていた。
一方、本部の刑事たちは淡々と議論を重ねる。
「爆発物の製造知識がある」「複数犯の可能性」「模倣犯の線も消せない」……
言葉は冷静だが、その奥には焦りがにじんでいた。
九重は資料を握りしめ、指先が汗で湿るのを感じていた。
紙の端がわずかに歪み、にじんだインクが視界に広がる。
頭の中では、昨夜の光景と重なっていた。
群衆の頭上で輝いていた赤い数字。
そして今、会議室に並ぶ刑事たちの中にも――確かに浮かんでいる。
〈9d ~〉
桜井警部も、隣に座る若手刑事も。
皆が同じ「九日後」を背負っていた。
(……やはり全員が巻き込まれる。八日後か九日後、何かが起きる)
背中を冷たいものが伝った。
誰も気づかない。だが、自分には見えてしまう。
⸻
「以上だ。各署は情報を共有し、今後の動きに備えろ」
桜井警部の言葉で会議は一区切りついた。
ざわめきの中、佐伯警部補が九重の肩を叩いた。
「おい、大事件に巻き込まれるのは骨が折れるが……国木市で起きた以上、俺たちが前に出るしかない。腹を括れ」
「……ええ」
短い返答しかできなかった。
資料に記された爆発物やタイマーの説明よりも、鮮烈に残っているのは人々の頭上で揺らめく赤い数字だった。
九重は深く息を吐き、資料を握る手に力を込めた。
(俺だけが知っている。九日後に訪れる未来を)
その孤独は、鉄のように重く、鋭かった。
―煙の中で、数人だけに浮かんでいた赤い数字。
――そして今、この会議室でも。
ふと視線を上げると、同僚刑事の頭上に淡い赤が揺らめいていた。
〈9d ~〉
全員ではない。
だが複数の人間が、同じ「九日後」を背負っていた。
(……やはり偶然じゃない。八日後か九日後、この県で大規模な何かが起きる)
背中を冷たい汗が伝った。
だが、誰にも話せない。
数字の存在を口にしたところで、正気を疑われるだけだ。
⸻
休憩時間。
廊下に出ると、佐伯警部補が肩を叩いてきた。
「九重、大事件に巻き込まれるのは骨が折れるが……国木市で起きた以上、俺たちが前に出るしかない」
「……ええ」
短い言葉しか返せなかった。
数字の残像が視界に焼き付いて離れない。
資料に並ぶ爆発物の名称よりも、捜査本部の空気よりも――人々の頭上に浮かぶ赤い刻限が、何より鮮烈だった。
九重は深く息を吐き、資料を握る手に力を込めた。
(俺だけが知っている……九日後に訪れる未来を)
孤独はますます重さを増していた。
土曜の午後、国木署の無線が一斉に鳴り響いた。
「――至急応援要請! 桐ノ宮市中央区の商業施設で不審火発生!」
慌ただしく立ち上がる刑事たち。
合同捜査本部が設置されて二日、初めての大規模出動だった。
九重誠治郎も上着を羽織り、車に飛び乗った。
パトカーのサイレンが街に響き渡る。
国木市から桐ノ宮市までは車で三十分足らず。
車窓の景色が流れゆく中、九重は胸の奥で数字のことを考えていた。
(あと八日。確実に減っている……)
昨日、駅前で見た数人の頭上の数字は〈9d〉だった。
今朝、鏡に映った自分自身の数字も〈9d〉に変わっていた。
そして今日――確実に一日が削られている。
⸻
現場は桐ノ宮市の中心部にある大型商業ビルだった。
到着したときには、すでに消防隊がホースを伸ばし、建物の一角から白煙が立ちのぼっていた。
施設の利用客が外に誘導され、広場には人だかりができている。
泣き出す子供を抱えた母親、携帯で撮影する若者、ざわつく声。
九重は視線を上げた。
人波の中に、いくつか赤い光があった。
〈8d xx:xx:xx〉
胸がざわめいた。
全員ではない。
だが、炎に怯えて避難する人々の中に、確かに数人が「八日後」を示していた。
昨日は九日。今日は八日。
刻限は確実に迫っている。
「……っ」
思わず歯を食いしばる。
⸻
署員たちと共に避難誘導を手伝いながらも、九重の視線は群衆の中を彷徨っていた。
数字が浮かぶのは、一人、二人……十人に一人もいない。
だが、偶然にしては多すぎる。
それぞれの表示は違う時間を刻んでいるのに、日数だけは揃っている。
(これはやはり――個人の死ではなく、大きな出来事に結びついた刻限だ)
煙を吸い込んで咳き込む人々の背後で、消防車のサイレンが響く。
遠巻きに見守る人々の中にも、また一つ、赤い数字が浮かんでいた。
〈8d 04:12:33〉
九重は喉の奥が冷たくなるのを感じた。
⸻
火はすぐに鎮火した。
燃え広がる前に発見されたのが幸いだった。
現場検証が始まり、鑑識が写真を撮り、テープで囲まれた現場を刑事たちが歩き回る。
「ガソリンの臭いがするな」
「着火剤か……。やっぱり放火か」
所轄署員と本部の刑事が言葉を交わす。
被害は小さい。だが、これで六件目。
偶然とは到底思えなかった。
⸻
夕刻。
国木署に戻った九重は、捜査会議で共有される資料を前にしていた。
火災の発生場所と時刻。
使われた燃料の種類。
不審な目撃証言。
桜井警部が冷ややかな声で言う。
「今回も被害は軽微にとどまった。しかし、手口の一貫性を考えると、やはり同一犯の可能性が高い」
会議室の空気が張りつめる。
だが九重には、別の意味で背筋の冷たさが広がっていた。
数字が示す未来と、現実に進行する事件が、確実に重なり始めている。
(八日後――大規模な何かが起きる。それだけは間違いない)
ペンを持つ手に汗が滲む。
孤独な確信を抱えたまま、九重は前を見据えていた。
日曜の朝。
合同捜査本部の空気は、これまで以上に張りつめていた。
電話が絶え間なく鳴り、机の上には飲みかけの缶コーヒーが散らばっている。
刑事たちの目は赤く、疲労が隠せなかった。
連続する爆発未遂と不審火の捜査は、県警全体を消耗させていた。
九重誠治郎は資料を広げながら、胸の奥で赤い数字を意識していた。
〈7d xx:xx:xx〉
昨日まで〈8d〉だった数字は、きっちり一日減っていた。
鏡に映る自分も、街で見かけた人々の一部も、同じ「七日後」を背負っていた。
(刻限は確実に迫っている。秒針が一つずつ未来を削っていくみたいに……)
⸻
昼前、捜査員が慌ただしく会議室に駆け込んだ。
「桜井警部! 本部サーバー宛に爆破予告メールが届きました!」
会議室が一斉にざわめいた。
刑事たちが顔を上げ、紙をかき集める。
桜井警部が険しい表情で指示を飛ばした。
「内容をモニターに映せ」
スクリーンに現れたメールは、乱雑な英数字の羅列と、不気味な宣言だった。
『我らは腐敗した国家を罰する。七日後、桐ノ宮の街は炎に包まれる』
⸻
一瞬、会議室が静まり返った。
「……七日後?」
誰かが呟く。
「偶然にしては出来すぎているな」
佐伯警部補が低い声で言った。
「事件が立て続けに起きている矢先に“七日後”。計画的だと見るべきだろう」
若手刑事が追い打ちをかける。
「日付を指定するのは、犯人にとってリスクが高い。だがあえて明言している。実行計画が固まっている証拠だ」
会議室の刑事たちは「出来すぎ」と口にするが、それは捜査上の直感に基づくものだった。
⸻
しかし九重にとって、その言葉の重みは別次元だった。
(偶然じゃない。俺が見ている数字と一致している……)
昨夜、群衆の中で浮かんでいた〈7d〉。
今朝、鏡に映った自分の頭上の〈7d〉。
そして、このメール。
――「七日後」
三つが重なった瞬間、九重は背筋に氷を押し当てられたような感覚に襲われた。
普通なら、犯人が勝手に宣言した日付など虚勢の可能性もある。
だが、自分には分かる。
数字は常に現実と結びついてきた。
子供を救ったときも、乱闘を止めたときも。
未来は数字通りに動いてきた。
その数字と、犯人の言葉が――完全に一致している。
⸻
会議は続いた。
「差出人は匿名、海外のサーバーを経由している。追跡は難航しそうだ」
「七日後と言っても、具体的な場所は“桐ノ宮の街”だけ。範囲が広すぎる」
「市全体をカバーするのは不可能だ」
刑事たちの議論が飛び交う。
だが九重には、彼らの声が遠くに感じられた。
(七日後――俺も死ぬ。
だが、ただ待つつもりはない。防がなきゃならない)
数字は偶然ではない。
必然だ。
この街に迫る大災厄を告げる冷酷なカウントダウンだ。
それを唯一知る者は、自分しかいない。
⸻
夜。
自宅の机に資料を広げ、九重は赤ペンで地図に印をつけていた。
爆発が起きた場所、不審火の現場。
線で結ぶと、不気味に桐ノ宮市を中心に収束していく。
ふと鏡に目を向ける。
そこに映る自分の頭上には――
〈7d 23:11:32〉
数字は冷酷に光り続けていた。
ペンを握る手に力が入り、芯が折れて赤いインクが地図ににじんだ。
「……出来すぎなんかじゃない。必然だ」
九重の呟きは、部屋の冷気に吸い込まれていった。
日曜の夜。
国木署の合同捜査本部は、深夜になっても明かりが落ちることはなかった。
会議室には空き缶や紙コップが散乱し、ホワイトボードにはマーカーで書き込まれたメモが幾重にも重なっている。
刑事たちの目の下には濃い隈が刻まれていたが、誰一人椅子を立とうとはしなかった。
「……七日後か」
ある刑事が低く呟いた。
爆破予告メールに記されたその一文は、まるで呪いのように本部全体に重くのしかかっていた。
「日付を指定してくるなんて、挑発以外の何ものでもない」
「だが、これまでの犯行を考えれば、虚勢とは思えない」
「場所が“桐ノ宮の街”だけでは広すぎる。どう絞り込むつもりだ」
意見が飛び交う。
所轄の刑事たちは疲れと不安を隠せず、声を荒げる者もいた。
一方、本部の刑事たちは冷静を装いながらも、額には汗がにじんでいた。
⸻
九重誠治郎は黙ってそのやり取りを聞いていた。
頭の奥では、赤い数字がちらついている。
〈7d xx:xx:xx〉
自分も、街で見かける数人の人々も、皆が同じ「七日後」を背負っていた。
(これは犯人の虚勢なんかじゃない。必ず起きる……未来の刻限だ)
そう確信しながらも、口にすることはできなかった。
「頭の上に数字が見える」などと告げれば、正気を疑われるのがオチだ。
信じてもらえないことは分かりきっている。
だが、黙っていることもまた、苦痛で仕方がなかった。
⸻
休憩に入った廊下。
佐伯警部補が声をかけてきた。
「九重。最近、やけに神経質じゃないか? 顔色も悪いし」
「……そう見えますか」
「見える。俺だって予告メールなんて初めてだ。だが、捜査員全員が同じだ。お前だけが背負い込む必要はない」
佐伯は肩を叩いて励ました。
だが、その言葉は九重の胸には届かなかった。
(違う……俺だけが知ってしまったんだ。七日後に、この街に何が降りかかるのかを)
喉までこみ上げる言葉を飲み込む。
吐き出すことはできない。
孤独が、胸の奥をじわじわと締めつけていった。
⸻
深夜、署を出ると、国木市の街は静まり返っていた。
街灯に照らされた歩道。
酔客を乗せたタクシーが走り去り、居酒屋の前ではサラリーマンが同僚と別れていた。
その中に、ちらほらと赤い数字が浮かんでいた。
〈7d 14:22:08〉
〈7d 09:47:55〉
数は多くない。
だが、確かに存在する。
笑い合うカップルの片方に。
タクシーの運転席に座る男に。
誰も気づかず、平然と日常を過ごしている。
(七日後――街が炎に包まれる。俺も、その中にいる)
胸の奥が冷たくなる。
だが同時に、静かな炎が灯るのを感じていた。
⸻
自宅に戻ると、九重は机に資料を広げた。
事件現場の地図、捜査報告書、そして爆破予告メールのコピー。
赤いマーカーで線を引き、発生場所を結ぶ。
すべてが桐ノ宮市を中心に収束していく。
(偶然じゃない。七日後、ここが狙われる)
鏡を覗いた。
映る自分の頭上には、冷酷な数字が浮かんでいた。
〈7d 23:11:32〉
秒ごとに未来を削り取っていくその数字は、死刑執行の鐘のようだった。
九重は拳を固く握りしめ、低く呟いた。
「誰も信じなくてもいい。……俺が防ぐ」
孤独と恐怖は確かにあった。
だが、それ以上に確かなものが胸に芽生えていた。
残された時間は七日。
街を、人々を、そして自分自身を救うための戦いが、静かに始まっていた。
エンジンの熱気と冷たい風が入り混じり、普段の所轄署とはまるで違う空気を漂わせている。
玄関前には報道関係者の姿もあり、フラッシュを浴びながらスーツ姿の本部刑事たちが足早に中へと消えていく。
前夜、国木市の駅前地下道で小規模な爆発があった。
ゴミ箱の中に仕掛けられていた即席の爆発物。
深夜で人通りが少なかったため、負傷者は軽傷一名にとどまった。
だがあと数時間早ければ、通勤客で混雑する時間帯だった。
被害は比べものにならない規模になっていただろう。
規制線の向こうで見た光景を、九重誠治郎は思い出していた。
煙の匂い。焼け焦げたプラスチックの残骸。
避難を促す駅員の怒鳴り声と、取材に駆け寄る記者たち。
その群衆の頭上に、同じ数字が浮かんでいた。
〈9d xx:xx:xx〉
時間の表記はばらついていたが、日数は揃っていた。
赤い光が群衆の頭上で無数に灯り、まるで死の雨のように降り注いでいた。
⸻
国木署の会議室は、朝から異様な熱気に包まれていた。
机を埋め尽くす刑事たち。壁際には県警本部の幹部、捜査一課の精鋭。
壁に貼られた大きな地図には、赤いピンがいくつも突き立てられている。
桜井警部が前に立ち、低く通る声を響かせた。
「これまで県内で確認された爆発未遂は五件。昨夜の国木市での件を含む」
ホワイトボードに書かれたリスト。
・桐ノ宮市 送電施設 小規模爆発
・南条市 高速道路下 ガス管損傷
・東雲市 工業団地 爆発未遂
・久世市 下水処理場 不審火
・国木市 駅前地下道 小型爆発
「いずれも公共性の高い施設だ。死者が出なかったのは偶然にすぎない。
犯行には一貫した意図が見える。組織的な犯行である可能性が高い」
⸻
所轄の刑事たちは緊張した面持ちでメモを取っていた。
一方、本部の刑事たちは淡々と議論を重ねる。
「爆発物の製造知識がある」「複数犯の可能性」「模倣犯の線も消せない」……
言葉は冷静だが、その奥には焦りがにじんでいた。
九重は資料を握りしめ、指先が汗で湿るのを感じていた。
紙の端がわずかに歪み、にじんだインクが視界に広がる。
頭の中では、昨夜の光景と重なっていた。
群衆の頭上で輝いていた赤い数字。
そして今、会議室に並ぶ刑事たちの中にも――確かに浮かんでいる。
〈9d ~〉
桜井警部も、隣に座る若手刑事も。
皆が同じ「九日後」を背負っていた。
(……やはり全員が巻き込まれる。八日後か九日後、何かが起きる)
背中を冷たいものが伝った。
誰も気づかない。だが、自分には見えてしまう。
⸻
「以上だ。各署は情報を共有し、今後の動きに備えろ」
桜井警部の言葉で会議は一区切りついた。
ざわめきの中、佐伯警部補が九重の肩を叩いた。
「おい、大事件に巻き込まれるのは骨が折れるが……国木市で起きた以上、俺たちが前に出るしかない。腹を括れ」
「……ええ」
短い返答しかできなかった。
資料に記された爆発物やタイマーの説明よりも、鮮烈に残っているのは人々の頭上で揺らめく赤い数字だった。
九重は深く息を吐き、資料を握る手に力を込めた。
(俺だけが知っている。九日後に訪れる未来を)
その孤独は、鉄のように重く、鋭かった。
―煙の中で、数人だけに浮かんでいた赤い数字。
――そして今、この会議室でも。
ふと視線を上げると、同僚刑事の頭上に淡い赤が揺らめいていた。
〈9d ~〉
全員ではない。
だが複数の人間が、同じ「九日後」を背負っていた。
(……やはり偶然じゃない。八日後か九日後、この県で大規模な何かが起きる)
背中を冷たい汗が伝った。
だが、誰にも話せない。
数字の存在を口にしたところで、正気を疑われるだけだ。
⸻
休憩時間。
廊下に出ると、佐伯警部補が肩を叩いてきた。
「九重、大事件に巻き込まれるのは骨が折れるが……国木市で起きた以上、俺たちが前に出るしかない」
「……ええ」
短い言葉しか返せなかった。
数字の残像が視界に焼き付いて離れない。
資料に並ぶ爆発物の名称よりも、捜査本部の空気よりも――人々の頭上に浮かぶ赤い刻限が、何より鮮烈だった。
九重は深く息を吐き、資料を握る手に力を込めた。
(俺だけが知っている……九日後に訪れる未来を)
孤独はますます重さを増していた。
土曜の午後、国木署の無線が一斉に鳴り響いた。
「――至急応援要請! 桐ノ宮市中央区の商業施設で不審火発生!」
慌ただしく立ち上がる刑事たち。
合同捜査本部が設置されて二日、初めての大規模出動だった。
九重誠治郎も上着を羽織り、車に飛び乗った。
パトカーのサイレンが街に響き渡る。
国木市から桐ノ宮市までは車で三十分足らず。
車窓の景色が流れゆく中、九重は胸の奥で数字のことを考えていた。
(あと八日。確実に減っている……)
昨日、駅前で見た数人の頭上の数字は〈9d〉だった。
今朝、鏡に映った自分自身の数字も〈9d〉に変わっていた。
そして今日――確実に一日が削られている。
⸻
現場は桐ノ宮市の中心部にある大型商業ビルだった。
到着したときには、すでに消防隊がホースを伸ばし、建物の一角から白煙が立ちのぼっていた。
施設の利用客が外に誘導され、広場には人だかりができている。
泣き出す子供を抱えた母親、携帯で撮影する若者、ざわつく声。
九重は視線を上げた。
人波の中に、いくつか赤い光があった。
〈8d xx:xx:xx〉
胸がざわめいた。
全員ではない。
だが、炎に怯えて避難する人々の中に、確かに数人が「八日後」を示していた。
昨日は九日。今日は八日。
刻限は確実に迫っている。
「……っ」
思わず歯を食いしばる。
⸻
署員たちと共に避難誘導を手伝いながらも、九重の視線は群衆の中を彷徨っていた。
数字が浮かぶのは、一人、二人……十人に一人もいない。
だが、偶然にしては多すぎる。
それぞれの表示は違う時間を刻んでいるのに、日数だけは揃っている。
(これはやはり――個人の死ではなく、大きな出来事に結びついた刻限だ)
煙を吸い込んで咳き込む人々の背後で、消防車のサイレンが響く。
遠巻きに見守る人々の中にも、また一つ、赤い数字が浮かんでいた。
〈8d 04:12:33〉
九重は喉の奥が冷たくなるのを感じた。
⸻
火はすぐに鎮火した。
燃え広がる前に発見されたのが幸いだった。
現場検証が始まり、鑑識が写真を撮り、テープで囲まれた現場を刑事たちが歩き回る。
「ガソリンの臭いがするな」
「着火剤か……。やっぱり放火か」
所轄署員と本部の刑事が言葉を交わす。
被害は小さい。だが、これで六件目。
偶然とは到底思えなかった。
⸻
夕刻。
国木署に戻った九重は、捜査会議で共有される資料を前にしていた。
火災の発生場所と時刻。
使われた燃料の種類。
不審な目撃証言。
桜井警部が冷ややかな声で言う。
「今回も被害は軽微にとどまった。しかし、手口の一貫性を考えると、やはり同一犯の可能性が高い」
会議室の空気が張りつめる。
だが九重には、別の意味で背筋の冷たさが広がっていた。
数字が示す未来と、現実に進行する事件が、確実に重なり始めている。
(八日後――大規模な何かが起きる。それだけは間違いない)
ペンを持つ手に汗が滲む。
孤独な確信を抱えたまま、九重は前を見据えていた。
日曜の朝。
合同捜査本部の空気は、これまで以上に張りつめていた。
電話が絶え間なく鳴り、机の上には飲みかけの缶コーヒーが散らばっている。
刑事たちの目は赤く、疲労が隠せなかった。
連続する爆発未遂と不審火の捜査は、県警全体を消耗させていた。
九重誠治郎は資料を広げながら、胸の奥で赤い数字を意識していた。
〈7d xx:xx:xx〉
昨日まで〈8d〉だった数字は、きっちり一日減っていた。
鏡に映る自分も、街で見かけた人々の一部も、同じ「七日後」を背負っていた。
(刻限は確実に迫っている。秒針が一つずつ未来を削っていくみたいに……)
⸻
昼前、捜査員が慌ただしく会議室に駆け込んだ。
「桜井警部! 本部サーバー宛に爆破予告メールが届きました!」
会議室が一斉にざわめいた。
刑事たちが顔を上げ、紙をかき集める。
桜井警部が険しい表情で指示を飛ばした。
「内容をモニターに映せ」
スクリーンに現れたメールは、乱雑な英数字の羅列と、不気味な宣言だった。
『我らは腐敗した国家を罰する。七日後、桐ノ宮の街は炎に包まれる』
⸻
一瞬、会議室が静まり返った。
「……七日後?」
誰かが呟く。
「偶然にしては出来すぎているな」
佐伯警部補が低い声で言った。
「事件が立て続けに起きている矢先に“七日後”。計画的だと見るべきだろう」
若手刑事が追い打ちをかける。
「日付を指定するのは、犯人にとってリスクが高い。だがあえて明言している。実行計画が固まっている証拠だ」
会議室の刑事たちは「出来すぎ」と口にするが、それは捜査上の直感に基づくものだった。
⸻
しかし九重にとって、その言葉の重みは別次元だった。
(偶然じゃない。俺が見ている数字と一致している……)
昨夜、群衆の中で浮かんでいた〈7d〉。
今朝、鏡に映った自分の頭上の〈7d〉。
そして、このメール。
――「七日後」
三つが重なった瞬間、九重は背筋に氷を押し当てられたような感覚に襲われた。
普通なら、犯人が勝手に宣言した日付など虚勢の可能性もある。
だが、自分には分かる。
数字は常に現実と結びついてきた。
子供を救ったときも、乱闘を止めたときも。
未来は数字通りに動いてきた。
その数字と、犯人の言葉が――完全に一致している。
⸻
会議は続いた。
「差出人は匿名、海外のサーバーを経由している。追跡は難航しそうだ」
「七日後と言っても、具体的な場所は“桐ノ宮の街”だけ。範囲が広すぎる」
「市全体をカバーするのは不可能だ」
刑事たちの議論が飛び交う。
だが九重には、彼らの声が遠くに感じられた。
(七日後――俺も死ぬ。
だが、ただ待つつもりはない。防がなきゃならない)
数字は偶然ではない。
必然だ。
この街に迫る大災厄を告げる冷酷なカウントダウンだ。
それを唯一知る者は、自分しかいない。
⸻
夜。
自宅の机に資料を広げ、九重は赤ペンで地図に印をつけていた。
爆発が起きた場所、不審火の現場。
線で結ぶと、不気味に桐ノ宮市を中心に収束していく。
ふと鏡に目を向ける。
そこに映る自分の頭上には――
〈7d 23:11:32〉
数字は冷酷に光り続けていた。
ペンを握る手に力が入り、芯が折れて赤いインクが地図ににじんだ。
「……出来すぎなんかじゃない。必然だ」
九重の呟きは、部屋の冷気に吸い込まれていった。
日曜の夜。
国木署の合同捜査本部は、深夜になっても明かりが落ちることはなかった。
会議室には空き缶や紙コップが散乱し、ホワイトボードにはマーカーで書き込まれたメモが幾重にも重なっている。
刑事たちの目の下には濃い隈が刻まれていたが、誰一人椅子を立とうとはしなかった。
「……七日後か」
ある刑事が低く呟いた。
爆破予告メールに記されたその一文は、まるで呪いのように本部全体に重くのしかかっていた。
「日付を指定してくるなんて、挑発以外の何ものでもない」
「だが、これまでの犯行を考えれば、虚勢とは思えない」
「場所が“桐ノ宮の街”だけでは広すぎる。どう絞り込むつもりだ」
意見が飛び交う。
所轄の刑事たちは疲れと不安を隠せず、声を荒げる者もいた。
一方、本部の刑事たちは冷静を装いながらも、額には汗がにじんでいた。
⸻
九重誠治郎は黙ってそのやり取りを聞いていた。
頭の奥では、赤い数字がちらついている。
〈7d xx:xx:xx〉
自分も、街で見かける数人の人々も、皆が同じ「七日後」を背負っていた。
(これは犯人の虚勢なんかじゃない。必ず起きる……未来の刻限だ)
そう確信しながらも、口にすることはできなかった。
「頭の上に数字が見える」などと告げれば、正気を疑われるのがオチだ。
信じてもらえないことは分かりきっている。
だが、黙っていることもまた、苦痛で仕方がなかった。
⸻
休憩に入った廊下。
佐伯警部補が声をかけてきた。
「九重。最近、やけに神経質じゃないか? 顔色も悪いし」
「……そう見えますか」
「見える。俺だって予告メールなんて初めてだ。だが、捜査員全員が同じだ。お前だけが背負い込む必要はない」
佐伯は肩を叩いて励ました。
だが、その言葉は九重の胸には届かなかった。
(違う……俺だけが知ってしまったんだ。七日後に、この街に何が降りかかるのかを)
喉までこみ上げる言葉を飲み込む。
吐き出すことはできない。
孤独が、胸の奥をじわじわと締めつけていった。
⸻
深夜、署を出ると、国木市の街は静まり返っていた。
街灯に照らされた歩道。
酔客を乗せたタクシーが走り去り、居酒屋の前ではサラリーマンが同僚と別れていた。
その中に、ちらほらと赤い数字が浮かんでいた。
〈7d 14:22:08〉
〈7d 09:47:55〉
数は多くない。
だが、確かに存在する。
笑い合うカップルの片方に。
タクシーの運転席に座る男に。
誰も気づかず、平然と日常を過ごしている。
(七日後――街が炎に包まれる。俺も、その中にいる)
胸の奥が冷たくなる。
だが同時に、静かな炎が灯るのを感じていた。
⸻
自宅に戻ると、九重は机に資料を広げた。
事件現場の地図、捜査報告書、そして爆破予告メールのコピー。
赤いマーカーで線を引き、発生場所を結ぶ。
すべてが桐ノ宮市を中心に収束していく。
(偶然じゃない。七日後、ここが狙われる)
鏡を覗いた。
映る自分の頭上には、冷酷な数字が浮かんでいた。
〈7d 23:11:32〉
秒ごとに未来を削り取っていくその数字は、死刑執行の鐘のようだった。
九重は拳を固く握りしめ、低く呟いた。
「誰も信じなくてもいい。……俺が防ぐ」
孤独と恐怖は確かにあった。
だが、それ以上に確かなものが胸に芽生えていた。
残された時間は七日。
街を、人々を、そして自分自身を救うための戦いが、静かに始まっていた。
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