刻限

都丸譲二

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第11話 合同捜査本部

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 炎の柱が夜空を焦がしていた。
 廃ビルの窓から黒煙が噴き出し、粉々になったガラスが道路一帯に降り注いでいる。
 消防車のホースから放たれる水が火柱に飲み込まれ、蒸気が白く立ち上がった。
 サイレンと怒号、カメラのシャッター音、野次馬のざわめき――現場は混乱の坩堝だった。

 九重誠治郎は道路脇の縁石に腰を下ろし、息を荒げていた。
 左腕には裂傷が走り、血がじわじわと袖を濡らしていく。
 全身に爆風の衝撃が残り、肺が焼けるように痛む。

 隣では救急隊員が女に酸素マスクを当てていた。
 彼女は毛布に包まれ、体を小刻みに震わせながらも、かすれた声で「生きてる……」と繰り返していた。
 指先は真っ青で、爪の隙間にはロープで擦れた跡が赤黒く残っている。
 その姿を見て、九重は胸の奥が締めつけられた。

(……数字は、消えた。ゼロになる前に救えたんだ)

 確かに女の頭上に浮かんでいた赤い数字は、霧のように消えていた。
 救った――その実感が、痛みに霞む意識をかろうじて支えていた。

 ⸻

「九重巡査部長」

 背後から低い声がかかった。
 振り返ると、灰色のスーツに身を包んだ二人組が立っていた。
 腕章には〈監察〉の文字。
 無機質な眼鏡の男が、冷たい視線を投げてくる。

「説明を願おう。なぜ単独で現場に突入した? 応援要請は? 発砲の許可は?」

 九重は立ち上がり、煤で汚れた制服の胸を正した。
「人質を救うためです。それ以外に理由はありません」

「救うため?」
 男は眉ひとつ動かさず問い返した。
「結果を見ろ。建物は半壊し、爆発物は残存。死者が出てもおかしくなかった」

 九重の奥歯がきしむ。
「……だが、彼女は生きている」

「結果論だ」
 監察の声は冷たい。
「規律を守らなければ組織は崩壊する。君の行動は独断専行。処分に値する」

 ⸻

 その言葉に、九重の胸の奥で何かが軋んだ。
 頭の中に、赤く点滅する数字が甦る。
 秒ごとに削られていく命。
 ゼロになれば、女は死に、街も吹き飛んだ。

(……秩序を守るために、人を見殺しにしろというのか)

 言い返したい衝動を抑え、九重は唇を噛んだ。
 監察に数字の話をしても、狂人扱いされるだけだ。

 ⸻

 その時、声が割り込んだ。
「九重!」

 国木署の同僚、佐伯が駆け寄ってきた。
 煤に汚れた顔に汗が滲み、息を切らせている。
「無事か……! 第一発見者がお前だって聞いたぞ。何があったんだ?」

 監察の男が横から遮った。
「事情聴取中だ。下がってもらおう」

 佐伯は睨み返す。
「状況が状況だろう。今は人命と情報が最優先だ」

 監察と佐伯の視線がぶつかり、空気が一瞬凍りついた。
 だが監察は冷ややかに言い放った。
「……後で必ず報告を提出してもらう。忘れるな」
 背を向け、群衆の中へと消えていった。

 ⸻

 佐伯が肩を叩いた。
「まったく……お前は昔から無茶をする。けど、人を助けた。それで十分だ」

 九重はわずかに笑みを浮かべた。
 だが胸の奥では、男の最期の声が木霊していた。

 ――これは前哨にすぎん。本番は街の中心で。

 炎に包まれるビルを見つめ、九重は拳を握り締めた。
 煙の向こうに、街全体の頭上に浮かぶ〈2d〉の数字が見える気がした。

 刻限は、まだ終わっていない。
 むしろ、ここからが始まりだった。


 翌朝。
 桐ノ宮県警本部の大会議室には、重苦しい空気が漂っていた。
 壁一面のスクリーンには昨夜の爆発現場の映像が映し出され、炎に包まれた廃ビルの姿が会議室を赤く照らしている。

 ここはすでに一週間前、「7日後に市中心部を爆破する」という犯行声明を受けて設置された合同捜査本部の拠点だった。
 刑事部捜査一課、公安、警備部、爆発物処理班。
 各部署から幹部と精鋭が集まり、追加の緊急会議が開かれていた。

 ⸻

 冒頭、捜査一課長が立ち上がった。
「昨夜、国木市の廃ビルで発生した爆発について報告する。
 幸いにも完全な起爆には至らず、死者は出なかった。
 だが不完全とはいえ爆風は凄まじく、周辺住民十数名が負傷、建物は半壊した」

 スクリーンには、崩れた鉄骨と煙を上げるドラム缶の写真が映し出された。
 室内に低いざわめきが広がる。

「現場に残された装置は、市販の化学肥料をベースにした即席爆弾だった。
 もし全てが誘爆していれば、推定半径五百メートルが壊滅していた可能性がある」

 刑事たちが息を呑んだ。

 ⸻

 公安部の課長が腕を組み、険しい声を上げた。
「奴らは“犯行声明”で七日後の市中心部を狙うと明言している。
 今回の廃ビルは、そのための予行演習あるいは陽動だと見るべきだ」

 警備部の幹部が続けた。
「声明から残り二日。中心街ではすでに交通規制を検討中だが、範囲をどこまで広げるか判断が難しい。
 下手に規制を広げれば市民生活は麻痺し、パニックを誘発しかねない」

 会議室の空気が一層重くなった。
 だが、皆の視線はある一点に集まった。

 ⸻

「現場に唯一突入し、人質を救出した刑事がいる。――九重巡査部長、前へ」
 捜査一課長の声に促され、九重は立ち上がった。

 全身の痛みを押し殺し、壇上に立つ。
 会議室に並んだ公安や警備の幹部たちの視線が突き刺さった。

 公安の一人が口を開く。
「君が現場に突入した際、状況はどうだった?」

 九重は短く息を整え、言葉を選びながら報告した。
「内部には化学薬品の入ったドラム缶が十数本。
 その中央に、安物の時計を使ったタイマー式の即席爆弾が設置されていました。
 タイマーの残りは数分。人質の女性は椅子に縛られ、爆弾の“運び屋”として利用されていたようです」

 会議室にざわめきが走った。

 ⸻

 警備部の幹部が眉をひそめる。
「なぜ単独で突入した? 応援を待つ判断もあったはずだ」

 九重は視線を逸らさず答えた。
「時間がなかった。もし待っていれば、人質も周囲の住民も全員吹き飛んでいた」

 公安の課長が机を指で叩きながら冷ややかに言った。
「独断専行の結果、建物は半壊し、容疑者は死亡。組織の秩序を乱す行為だと自覚はあるか?」

 胸の奥で怒りが膨らむ。
 だが九重は抑え、低く答えた。
「……それでも、人命は救われました」

 室内の空気が揺れた。
 誰もすぐには言葉を返せなかった。

 ⸻

 捜査一課長が会議を戻した。
「重要なのは、これが“前哨戦”に過ぎないということだ。
 奴らは声明通り、二日後の市中心部で本命の爆発を企図している可能性が高い」

 スクリーンには押収されたメモの画像が映し出された。
 赤い文字で殴り書きされた一文――〈中央計画〉。

 公安課長が静かに言った。
「時間は残りわずかだ。中心街をどう守るか――それが我々の任務だ」

 ⸻

 壇上に立ったまま、九重は拳を握り締めた。
 脳裏に蘇るのは、街で見た群衆の頭上に浮かんだ〈2d〉の数字。
 ゼロに収束する未来。

(あと二日……必ず止める。だがどうやって――)

 会議室の視線は依然冷ややかだった。
 九重は孤立していた。
 それでも、彼の心の奥には一つの確信が燃えていた。

 刻限は迫っている。
 街の命を守れるのは、自分しかいない。

 会議室の空気は重く、誰もが次の一言を探していた。
 スクリーンには廃ビルから押収された資料が映し出されている。
 赤いインクで乱雑に書かれた〈中央計画〉の文字。

 公安の課長が指を組み、低く言った。
「声明通り、狙いは市中心部だろう。
 ただし日時は特定できていない。
 奴らが“七日後”と宣言したのは確かだが、あれが虚偽の可能性もある」

 警備部の幹部が眉をひそめた。
「規模を考えれば、声明通り二日後に実行すると見るべきでは? むしろ陽動を仕掛ける余裕はないはずだ」

 捜査一課長が机を叩いた。
「いずれにせよ、市中心部の警戒を最優先とする。
 交通規制、警備員の増派、監視カメラの解析を即時に開始しろ」

 一斉に「了解」と声が重なった。

 ⸻

 壇上の九重は、拳を握り締めたまま黙っていた。
 脳裏に蘇るのは街の雑踏。
 無数の人々の頭上に浮かんでいた〈2d〉の数字。
 ゼロに収束する光景が、鮮烈に焼き付いていた。

(奴らは二日後に動く……確実に)

 だが証拠はない。
「数字が見える」という自分だけの感覚を口にできるはずがなかった。

 ⸻

 公安の課長が九重に視線を向けた。
「九重巡査部長。現場で容疑者が何か言い残さなかったか?」

 一瞬、昨夜の光景が蘇る。
 炎の中で笑いながら呟いた男の声。
 ――〈本番は街の中心で〉。

 九重は迷ったが、言葉を選んだ。
「……断片的に、“街の中心”という言葉を口にしました。
 しかし、時期までは明言していません」

 室内に小さなどよめきが走る。
「街の中心、か……」
「やはり声明通りなのか?」

 だが公安の課長は冷静だった。
「それは状況証拠に過ぎない。奴らの真意を読み違えれば、逆に翻弄される」

 ⸻

 九重は唇を噛んだ。
(違う……奴らは本当に二日後を狙っている……)

 だが声に出せば、誰も信じはしない。
 彼が“数字”を見ていることを、誰一人理解してくれないのだ。

 ⸻

 会議の議題は現実的な対策に移っていった。
 警備部は市中心部での交通規制を発表。
 繁華街への車両進入を制限し、駅周辺には臨時検問を設ける。
 爆発物処理班は倉庫や工場を中心に、化学薬品の流通経路を洗い直す。

 次々と決まっていく対応。
 だがそれらは、刻限の秒針に比べればあまりに悠長に見えた。

(あと二日しかない……)

 九重の胸の奥で、焦燥が燃え広がった。

 ⸻

 会議の最後、捜査一課長が全員を見渡した。
「繰り返す。狙いは市中心部だ。声明通り二日後か、あるいはそれ以前か。
 我々は最悪の事態を想定して動く。以上だ」

 解散の声がかかり、椅子が軋む音が響いた。
 刑事たちは資料を抱えて次々と会議室を出て行く。

 壇上に残った九重は、誰よりも遅れて歩き出した。
 その背中に、公安の課長の冷たい視線が突き刺さっていた。

 ⸻

 廊下に出ると、佐伯が追いかけてきた。
「おい、九重。大丈夫か?」

 九重は短く頷いた。
「……まだ、終わってない」

 その声は低く、誰にも届かない決意を秘めていた。
 数字は残酷に進んでいる。
 〈1d 23:59:59〉――残り時間は、確実に減っていた。


 会議室を出た途端、九重誠治郎は人の波に押し流された。
 公安、刑事、警備部――それぞれの部署の人間が一斉に廊下を行き来し、資料を抱えて指示を飛ばし合っている。
 だがそのざわめきの中で、九重の姿に注がれる視線はどこか冷ややかだった。

「無茶をするやつだ」
「規律を乱す」
「独断専行……」

 ひそひそ声が背後に残る。
 昨夜の突入がどれほど危険な賭けだったか、誰もが理解している。
 だが、その“危険”を恐れる声が、九重をさらに孤独へ追いやっていた。

 ⸻

 控室に戻った九重は、壁際の椅子に腰を下ろした。
 机の上には煙の匂いが染みついたコートが置かれている。
 手を伸ばすと、袖口に乾いた血の感触が残っていた。

 目を閉じれば、爆発寸前の赤い数字が浮かぶ。
 〈00h 00:01〉。
 あの瞬間の焦燥、女の絶望の叫び、自分の頭上に現れた刻限。
 すべてが脳裏に焼き付いて離れなかった。

(……やはり二日後だ。奴らは必ず市の中心を狙う)

 確信はある。
 だが証拠はない。
 数字の存在を誰にも説明できない。
 この能力は理解されないまま、ただ九重自身を孤立させていく。

 ⸻

「……九重」

 声に顔を上げると、佐伯が控室に入ってきた。
 手にはコーヒーの紙カップを二つ持っている。
 一つを無言で差し出した。

「……飲め。顔色が死人みたいだ」

 九重は受け取り、一口だけ口にした。
 冷えた胃に苦味が落ち、少しだけ意識が覚醒する。

「皆、お前を責めてる。けどな……俺は分かる。
 あの状況で突入しなきゃ、人質は確実に死んでた」

 佐伯の言葉に、九重はわずかに目を細めた。
「……ありがとな」

「ただ――お前は危うい。何かを隠してる顔をしてる」
 佐伯は真剣な目で続けた。
「もし本当に何か掴んでるなら、全部は言えなくてもいい。
 せめて俺には少しだけ教えてくれ。そうじゃないと、お前一人が潰れる」

 九重は言葉を飲み込んだ。
 数字のことを言えればどれほど楽か。
 だが、それを口にすれば狂人扱いされ、現場から外されるだろう。

 沈黙が二人の間を流れた。

 ⸻

 佐伯はため息をつき、肩をすくめた。
「まあいい。無理にとは言わん。ただ――一人で抱え込むな」

 そう言い残し、部屋を出て行った。
 その背中が消えた後も、九重は紙カップを見つめ続けた。
 冷めきったコーヒーが、胸の奥の孤立感をさらに際立たせた。

 ⸻

 窓の外に視線を向ける。
 朝日が市の中心部を照らしていた。
 ガラス張りのビル群、駅前広場、繁華街の雑踏。
 その頭上に――赤い数字が重なる幻が見えた。

 〈1d 23:12:47〉

 秒針は、確実に刻まれている。
 街全体が、死へと導かれるタイマーを背負っていた。

 九重は立ち上がった。
 孤立しても構わない。
 信じられなくても構わない。

 ――刻限を止められるのは、自分しかいない。

 拳を固め、彼は中心街へと向かう決意を胸に刻んだ。
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