刻限

都丸譲二

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第12話 中心街

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午前九時、平日のはずの市中心街は、異様な空気に包まれていた。

駅前広場の噴水は止められ、周囲をぐるりと警察車両が取り囲んでいる。
白バイが数台、ロータリーをゆっくりと巡回し、青いランプが無機質に点滅していた。
大型の検問テントが設けられ、通勤客や買い物客が荷物検査を受けている。
金属探知機を通され、カバンの中を一つひとつ確認されるたび、列はどんどん伸びていた。

「急いでるんだよ!」
「会社に遅れるじゃないか!」

苛立った声が飛ぶ。
子どもを連れた母親が不安げに係員に質問し、観光客らしき若者はスマートフォンを掲げて実況配信をしていた。
報道クルーも詰めかけ、リポーターがマイクを握って緊迫感を煽るようにしゃべっている。

巨大ビジョンには「市中心部でテロ警戒 犯行声明から二日」とのテロップ。
繰り返し流れる映像は、廃ビル爆発の火柱と黒煙。
昨日の事件が、街全体に影を落としていた。



九重誠治郎は雑踏の端に立ち、静かに人の流れを観察していた。
刑事課の腕章は外している。
制服姿の警官があちこちで検問をしている中、彼だけは目立たぬよう市民に紛れていた。

目を凝らす。
人々の頭上に――淡く赤い数字が浮かんでいる。

〈23h 59m〉
〈23h 57m〉
〈23h 58m〉

数字はわずかに前後しながらも、すべて「一日以内」に収束していた。
老いた商店主も、学生も、会社員も、子どもも。
皆が等しく、刻限を背負っている。

(やはり……明日だ)

脳裏に爆発の光景がよみがえる。
ドラム缶の炎、建物が崩れ落ちる音、女の悲鳴。
あれがこの中心街で起きれば、街全体が死に覆われる。



だが、警察の警備は「声明通り二日後」を前提にしていた。
機動隊員は要所要所に立っているが、表情にはまだ余裕がある。
交通規制も部分的にしか敷かれておらず、繁華街の通りには車が普通に流れていた。

「こんなに大げさにやる必要あるのか?」
通行人の男がぼやく。
「どうせ脅迫状の類だろ。警察の見せしめだ」
隣の女が相槌を打つ。
「でも昨日の爆発、ニュースで見たわよ。あれ、本物じゃない?」

人々の不安と不信が入り交じり、空気はざらついていた。
九重は無言で人波を見つめながら、拳を固めた。

(声明通りなら二日後……だが数字は一日を切っている。奴らは“前倒し”する気だ)



「九重」

声をかけられ振り向くと、公安部の刑事が立っていた。
黒いスーツに冷たい目。
「君の独断はもう許されない。昨夜の件で上層部は苛立っている」

その声音には、威圧と警告が滲んでいた。
九重は表情を変えずに答えた。
「……承知しています」

公安刑事は短く頷き、人混みに消えていった。
だが最後まで、その視線は氷のように九重の背に突き刺さっていた。



九重は再び街頭ビジョンを見上げた。
画面の下に集まる群衆の頭上に浮かぶ数字は――残酷なまでに揃っていた。

〈23h 45m〉
〈23h 46m〉

秒針が揃ってゼロへと向かう光景は、まるで街そのものが巨大な時限爆弾に変わったかのようだった。

(……間違いない。明日、ここで何かが起きる)

胸の奥に冷たい焦燥が広がった。
それでも九重はただ一人、数字を見つめ続けるしかなかった。

昼近く、駅前交差点は混乱の度を増していた。
警察の検問に列を成す通行人。
イライラを募らせたドライバーがクラクションを鳴らし、機動隊員に制止されている。
報道ヘリが低空を旋回し、騒音がビルの谷間に響いていた。

九重誠治郎は雑踏の外れに立ち、冷静に群衆を観察していた。
頭上に浮かぶ赤い数字は、相変わらず揃っている。

〈23h 21m〉
〈23h 20m〉

(やはり全員、同じ刻限を背負っている……。この街全体が“ひとつの爆弾”になっている)

背筋に冷たいものが走った。



「……九重巡査部長」

不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、監察課の腕章をつけた二人組が立っていた。
昨日も現場で追及してきた男たちだ。
眼鏡の奥の視線は相変わらず冷たく、氷のように感情がない。

「昨夜の独断専行について、再度説明を求める」
「合同捜査本部は君を注視している。二度と勝手な真似は許されない」

九重は黙ったまま睨み返した。
言葉を返せば、さらに突っ込まれるだけだ。

監察の一人が低く続ける。
「忘れるな。組織は秩序で動く。君のような暴走は、最も危険だ」

背後にいた通行人が立ち止まり、何事かとこちらを振り返った。
監察はそれ以上は言わず、足早に去っていった。

残された九重の胸に、暗い孤立感が広がった。



「おい、大丈夫か」

聞き慣れた声に顔を上げると、佐伯が立っていた。
手にコンビニの袋をぶら下げ、苦笑を浮かべている。

「さっきの、監察だろ。あいつら、お前にばっか突っかかってくるな」

九重は短く頷いた。
「……昨日の突入の件だ」

「分かってる。だが、お前が突入しなきゃ女は死んでた。俺はそう思う」

佐伯はコンビニ袋からペットボトルの水を取り出し、九重に差し出した。
「飲め。顔が死人みたいだ」

九重は無言で受け取り、一口だけ喉を潤した。
乾いた胃に冷たさが染み込む。



「なあ、九重」
佐伯は声を落とした。
「お前、何か掴んでるんだろ。昨日の現場でも、会議でも、言葉を飲み込んでた顔をしてた」

九重の視線が揺れた。
だが何も答えられない。
数字のことを話せば、彼まで危険に巻き込むだけだ。

「……言えないのか」
佐伯はため息をつき、肩をすくめた。
「いいさ。ただ、一人で抱え込むな。お前が倒れたら、それこそ終わりだ」

九重はわずかに頷いた。
言葉は交わせなくても、その真剣な眼差しにだけは救われる気がした。



街頭ビジョンにはニュース速報が流れていた。
「市中心部、警戒強化 警察が記者会見」

リポーターが緊迫した声で読み上げる。
「合同捜査本部は、市中心部での交通規制をさらに強化すると発表しました。
 市民には冷静な行動を求めています――」

九重はその画面を見上げながら、頭上に浮かぶ数字を再び確認した。

〈23h 10m〉
〈23h 09m〉

刻限は静かに、確実に迫っていた。


午後二時。
駅前広場は人で溢れていた。
警備用のバリケードが歩道を区切り、検問を受ける列は角を曲がって伸びている。
観光客が苛立ってスマートフォンを掲げ、サラリーマンは腕時計を見ながら舌打ちをした。
拡声器からは機動隊員の声が響き、報道ヘリの轟音が空を震わせていた。

九重誠治郎はその人波を、ただじっと見つめていた。
目を凝らせば――頭上に浮かぶ赤い数字が見える。



本来なら、その数字はもっと多様であるはずだった。

数日の者もいれば、数ヶ月の者もいる。
「一年以内の余命を持つ人間」だけが見えるはずで、数字の散らばりは無数にあって当然だ。
〈2d〉、〈45d〉、〈180d〉……それが自然な光景だった。

だが今――広場に集まる群衆のほとんどが、同じ数字を背負っていた。

〈23h 07m〉
〈23h 06m〉
〈23h 07m〉

わずかな誤差を除けば、ほぼ一斉に「一日以内」。



母親に手を引かれる幼児。
買い物袋を下げた主婦。
制服姿の学生。
会社員、老人、観光客。

頭上に浮かぶ数字は、どれも赤く揃いすぎていた。
秒単位で同じ方向へ進み、ゼロに収束していく。

九重は思わず息を止めた。
喉が焼けつくように乾き、背筋に冷たい汗が伝った。

(……こんな揃い方、ありえない)



かつて九重は、駅のホームで事故死する老人の数字を目にしたことがある。
病室で余命を刻む患者を見たこともある。
人の寿命は個別で、偶然の重なりはあっても、これほど大規模に“同じ刻限”で揃うことなどなかった。

だが今、数百人の寿命が同じ明日へと収束している。

(これは……個々の寿命じゃない。街全体を巻き込む“死”が、ここに仕掛けられている)



「おい、どうした?」

隣にいた佐伯が怪訝そうに覗き込む。
九重は答えられず、雑踏を指差した。
「……見ろ」

佐伯は群衆を見渡したが、ただの人混みしか映らない。
「何をだ? 人が多いってだけだろ」

九重は唇を噛んだ。
数字のことを話せるはずがない。
「……奴らは、一斉に仕掛けている」
低く、吐き出すようにつぶやいた。



その時、甲高いサイレンが鳴り響いた。
機動隊の車両が広場に入り、拡声器が頭上から降り注ぐ。

「繰り返す! 駅前広場は規制中だ! 立ち止まらず速やかに移動せよ!」

人々が押し合い、怒号と悲鳴が入り混じる。
子どもが泣き、誰かが転んで係員に抱き起こされた。

九重は混乱の群衆を見上げる。

〈23h 05m〉
〈23h 05m〉
〈23h 05m〉

一斉に減っていく赤い刻限。
その光景は、街そのものが巨大な時限爆弾に変わったかのようだった。



九重の呼吸が荒くなる。
視界の端が赤く滲み、耳鳴りが鼓動をかき消した。

(……これは“テロ”じゃない。“大量死”そのものだ。明日、この中心街で)

だがその直感を、誰にも伝えられなかった。
数字は、彼にしか見えない。

刻限は静かに、残酷に揃い続けていた。

夕暮れが迫り、街は朱色に染まっていた。
繁華街のネオンが灯り始めても、明るさは不安を隠すどころか逆に際立たせていた。
駅前広場では警察車両が何重にも停められ、検問の列は長蛇となり、人々の怒声と泣き声が入り混じっていた。

その一角、立入禁止テープで囲まれた仮設のテント。
臨時詰所と化したそこは、無線機がひっきりなしに雑音を吐き、地図や資料が机に散乱していた。
出入りする刑事や警備部員の表情には、疲労と焦燥が濃く刻まれている。

九重誠治郎はその隅の椅子に腰を下ろしていた。
全身の疲労が骨にまで沈み込み、額からは冷たい汗が流れている。
視線を窓の外に移せば、群衆の頭上に揃った赤い数字が見えた。

〈22h 41m〉
〈22h 40m〉

街全体が、同じ「死」を待っている。
それを知っているのは自分だけ――その孤独が胸を締め付けた。



「九重」

低く、だが確かな声がかかった。
顔を上げると、佐伯係長が立っていた。
刑事課の係長であり、九重の直属の上司。
目の下には隈が刻まれ、背広の肩は埃で白く汚れていた。
長時間の警戒で、誰よりも疲れているはずだ。

「まだ何も口にしてないだろう」
佐伯は机にコンビニの袋を置き、無造作にサンドイッチを取り出した。
「食え。腹が減ってりゃ判断を誤る」

九重は小さく頷き、受け取った。
味を感じる余裕はなかったが、上司の心遣いに胸の奥がわずかに和らぐ。



「本部の方針は聞いたな」
佐伯は低い声で続けた。

「声明通り“二日後”を前提にしてる。明日までは警戒強化、明後日には中心街を封鎖するつもりだ。
 だが――」

言葉を切り、九重の目をじっと見た。
「お前は違う顔をしている」

九重は一瞬、視線を逸らした。
窓の外には、赤い数字を頭上に掲げた群衆が歩いている。
〈22h 12m〉
〈22h 11m〉

全員が同じ刻限に引き寄せられている光景。

(……言えるはずがない。だが、黙っていては全てが終わる)



佐伯は椅子を引き、身を乗り出した。
「九重。お前が何を隠しているかまでは分からん。
 だが一つだけ分かる。昨日も今日も、命を張って人を救ったのはお前だ。
 その判断が間違っていたとは思わない」

九重の胸に熱いものが込み上げた。
だが同時に苦しさも増した。
数字のことを打ち明けたい衝動と、それが許されない現実。

「……奴らは前倒しで仕掛ける。明日だ」
九重は短く、だが確信を込めて言った。

佐伯は目を細め、しばらく黙考した。
やがて深く息を吐き、静かに頷いた。
「分かった。上は“二日後”に縛られて動けん。だが俺がいる。お前の動きは、俺が責任を持つ」



その言葉に、九重の胸に小さな炎が灯った。
孤立していた自分に、背を預けられる者がいた。

外から怒声が聞こえた。
検問を突破しようとした車が取り押さえられ、群衆が騒然となっている。
その頭上にも、同じ赤い数字が瞬いていた。

九重は拳を握り、地図に視線を落とした。
市中心部に散らばる赤い×印――それが一斉にゼロへ向かう未来を示しているかのようだった。

「佐伯係長。これからは水面下で動きます。本部を通す暇はない。
 俺たちだけで“仕掛け”を見つけ出す」

佐伯は静かに頷いた。
「いいだろう。だが覚えておけ。お前はもう独りじゃない。俺が必ず横にいる」



詰所を出ると、街はすでに夜の顔を見せ始めていた。
ネオンが煌々と輝き、人々の影が地面に長く伸びている。
その頭上には、変わらず赤い数字が浮かんでいた。

〈21h 59m〉

秒針は無慈悲に進み続けている。
決戦前夜の街は、爆弾の鼓動を隠そうともせずに脈打っていた。
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