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第12話 中心街
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午前九時、平日のはずの市中心街は、異様な空気に包まれていた。
駅前広場の噴水は止められ、周囲をぐるりと警察車両が取り囲んでいる。
白バイが数台、ロータリーをゆっくりと巡回し、青いランプが無機質に点滅していた。
大型の検問テントが設けられ、通勤客や買い物客が荷物検査を受けている。
金属探知機を通され、カバンの中を一つひとつ確認されるたび、列はどんどん伸びていた。
「急いでるんだよ!」
「会社に遅れるじゃないか!」
苛立った声が飛ぶ。
子どもを連れた母親が不安げに係員に質問し、観光客らしき若者はスマートフォンを掲げて実況配信をしていた。
報道クルーも詰めかけ、リポーターがマイクを握って緊迫感を煽るようにしゃべっている。
巨大ビジョンには「市中心部でテロ警戒 犯行声明から二日」とのテロップ。
繰り返し流れる映像は、廃ビル爆発の火柱と黒煙。
昨日の事件が、街全体に影を落としていた。
⸻
九重誠治郎は雑踏の端に立ち、静かに人の流れを観察していた。
刑事課の腕章は外している。
制服姿の警官があちこちで検問をしている中、彼だけは目立たぬよう市民に紛れていた。
目を凝らす。
人々の頭上に――淡く赤い数字が浮かんでいる。
〈23h 59m〉
〈23h 57m〉
〈23h 58m〉
数字はわずかに前後しながらも、すべて「一日以内」に収束していた。
老いた商店主も、学生も、会社員も、子どもも。
皆が等しく、刻限を背負っている。
(やはり……明日だ)
脳裏に爆発の光景がよみがえる。
ドラム缶の炎、建物が崩れ落ちる音、女の悲鳴。
あれがこの中心街で起きれば、街全体が死に覆われる。
⸻
だが、警察の警備は「声明通り二日後」を前提にしていた。
機動隊員は要所要所に立っているが、表情にはまだ余裕がある。
交通規制も部分的にしか敷かれておらず、繁華街の通りには車が普通に流れていた。
「こんなに大げさにやる必要あるのか?」
通行人の男がぼやく。
「どうせ脅迫状の類だろ。警察の見せしめだ」
隣の女が相槌を打つ。
「でも昨日の爆発、ニュースで見たわよ。あれ、本物じゃない?」
人々の不安と不信が入り交じり、空気はざらついていた。
九重は無言で人波を見つめながら、拳を固めた。
(声明通りなら二日後……だが数字は一日を切っている。奴らは“前倒し”する気だ)
⸻
「九重」
声をかけられ振り向くと、公安部の刑事が立っていた。
黒いスーツに冷たい目。
「君の独断はもう許されない。昨夜の件で上層部は苛立っている」
その声音には、威圧と警告が滲んでいた。
九重は表情を変えずに答えた。
「……承知しています」
公安刑事は短く頷き、人混みに消えていった。
だが最後まで、その視線は氷のように九重の背に突き刺さっていた。
⸻
九重は再び街頭ビジョンを見上げた。
画面の下に集まる群衆の頭上に浮かぶ数字は――残酷なまでに揃っていた。
〈23h 45m〉
〈23h 46m〉
秒針が揃ってゼロへと向かう光景は、まるで街そのものが巨大な時限爆弾に変わったかのようだった。
(……間違いない。明日、ここで何かが起きる)
胸の奥に冷たい焦燥が広がった。
それでも九重はただ一人、数字を見つめ続けるしかなかった。
昼近く、駅前交差点は混乱の度を増していた。
警察の検問に列を成す通行人。
イライラを募らせたドライバーがクラクションを鳴らし、機動隊員に制止されている。
報道ヘリが低空を旋回し、騒音がビルの谷間に響いていた。
九重誠治郎は雑踏の外れに立ち、冷静に群衆を観察していた。
頭上に浮かぶ赤い数字は、相変わらず揃っている。
〈23h 21m〉
〈23h 20m〉
(やはり全員、同じ刻限を背負っている……。この街全体が“ひとつの爆弾”になっている)
背筋に冷たいものが走った。
⸻
「……九重巡査部長」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、監察課の腕章をつけた二人組が立っていた。
昨日も現場で追及してきた男たちだ。
眼鏡の奥の視線は相変わらず冷たく、氷のように感情がない。
「昨夜の独断専行について、再度説明を求める」
「合同捜査本部は君を注視している。二度と勝手な真似は許されない」
九重は黙ったまま睨み返した。
言葉を返せば、さらに突っ込まれるだけだ。
監察の一人が低く続ける。
「忘れるな。組織は秩序で動く。君のような暴走は、最も危険だ」
背後にいた通行人が立ち止まり、何事かとこちらを振り返った。
監察はそれ以上は言わず、足早に去っていった。
残された九重の胸に、暗い孤立感が広がった。
⸻
「おい、大丈夫か」
聞き慣れた声に顔を上げると、佐伯が立っていた。
手にコンビニの袋をぶら下げ、苦笑を浮かべている。
「さっきの、監察だろ。あいつら、お前にばっか突っかかってくるな」
九重は短く頷いた。
「……昨日の突入の件だ」
「分かってる。だが、お前が突入しなきゃ女は死んでた。俺はそう思う」
佐伯はコンビニ袋からペットボトルの水を取り出し、九重に差し出した。
「飲め。顔が死人みたいだ」
九重は無言で受け取り、一口だけ喉を潤した。
乾いた胃に冷たさが染み込む。
⸻
「なあ、九重」
佐伯は声を落とした。
「お前、何か掴んでるんだろ。昨日の現場でも、会議でも、言葉を飲み込んでた顔をしてた」
九重の視線が揺れた。
だが何も答えられない。
数字のことを話せば、彼まで危険に巻き込むだけだ。
「……言えないのか」
佐伯はため息をつき、肩をすくめた。
「いいさ。ただ、一人で抱え込むな。お前が倒れたら、それこそ終わりだ」
九重はわずかに頷いた。
言葉は交わせなくても、その真剣な眼差しにだけは救われる気がした。
⸻
街頭ビジョンにはニュース速報が流れていた。
「市中心部、警戒強化 警察が記者会見」
リポーターが緊迫した声で読み上げる。
「合同捜査本部は、市中心部での交通規制をさらに強化すると発表しました。
市民には冷静な行動を求めています――」
九重はその画面を見上げながら、頭上に浮かぶ数字を再び確認した。
〈23h 10m〉
〈23h 09m〉
刻限は静かに、確実に迫っていた。
午後二時。
駅前広場は人で溢れていた。
警備用のバリケードが歩道を区切り、検問を受ける列は角を曲がって伸びている。
観光客が苛立ってスマートフォンを掲げ、サラリーマンは腕時計を見ながら舌打ちをした。
拡声器からは機動隊員の声が響き、報道ヘリの轟音が空を震わせていた。
九重誠治郎はその人波を、ただじっと見つめていた。
目を凝らせば――頭上に浮かぶ赤い数字が見える。
⸻
本来なら、その数字はもっと多様であるはずだった。
数日の者もいれば、数ヶ月の者もいる。
「一年以内の余命を持つ人間」だけが見えるはずで、数字の散らばりは無数にあって当然だ。
〈2d〉、〈45d〉、〈180d〉……それが自然な光景だった。
だが今――広場に集まる群衆のほとんどが、同じ数字を背負っていた。
〈23h 07m〉
〈23h 06m〉
〈23h 07m〉
わずかな誤差を除けば、ほぼ一斉に「一日以内」。
⸻
母親に手を引かれる幼児。
買い物袋を下げた主婦。
制服姿の学生。
会社員、老人、観光客。
頭上に浮かぶ数字は、どれも赤く揃いすぎていた。
秒単位で同じ方向へ進み、ゼロに収束していく。
九重は思わず息を止めた。
喉が焼けつくように乾き、背筋に冷たい汗が伝った。
(……こんな揃い方、ありえない)
⸻
かつて九重は、駅のホームで事故死する老人の数字を目にしたことがある。
病室で余命を刻む患者を見たこともある。
人の寿命は個別で、偶然の重なりはあっても、これほど大規模に“同じ刻限”で揃うことなどなかった。
だが今、数百人の寿命が同じ明日へと収束している。
(これは……個々の寿命じゃない。街全体を巻き込む“死”が、ここに仕掛けられている)
⸻
「おい、どうした?」
隣にいた佐伯が怪訝そうに覗き込む。
九重は答えられず、雑踏を指差した。
「……見ろ」
佐伯は群衆を見渡したが、ただの人混みしか映らない。
「何をだ? 人が多いってだけだろ」
九重は唇を噛んだ。
数字のことを話せるはずがない。
「……奴らは、一斉に仕掛けている」
低く、吐き出すようにつぶやいた。
⸻
その時、甲高いサイレンが鳴り響いた。
機動隊の車両が広場に入り、拡声器が頭上から降り注ぐ。
「繰り返す! 駅前広場は規制中だ! 立ち止まらず速やかに移動せよ!」
人々が押し合い、怒号と悲鳴が入り混じる。
子どもが泣き、誰かが転んで係員に抱き起こされた。
九重は混乱の群衆を見上げる。
〈23h 05m〉
〈23h 05m〉
〈23h 05m〉
一斉に減っていく赤い刻限。
その光景は、街そのものが巨大な時限爆弾に変わったかのようだった。
⸻
九重の呼吸が荒くなる。
視界の端が赤く滲み、耳鳴りが鼓動をかき消した。
(……これは“テロ”じゃない。“大量死”そのものだ。明日、この中心街で)
だがその直感を、誰にも伝えられなかった。
数字は、彼にしか見えない。
刻限は静かに、残酷に揃い続けていた。
夕暮れが迫り、街は朱色に染まっていた。
繁華街のネオンが灯り始めても、明るさは不安を隠すどころか逆に際立たせていた。
駅前広場では警察車両が何重にも停められ、検問の列は長蛇となり、人々の怒声と泣き声が入り混じっていた。
その一角、立入禁止テープで囲まれた仮設のテント。
臨時詰所と化したそこは、無線機がひっきりなしに雑音を吐き、地図や資料が机に散乱していた。
出入りする刑事や警備部員の表情には、疲労と焦燥が濃く刻まれている。
九重誠治郎はその隅の椅子に腰を下ろしていた。
全身の疲労が骨にまで沈み込み、額からは冷たい汗が流れている。
視線を窓の外に移せば、群衆の頭上に揃った赤い数字が見えた。
〈22h 41m〉
〈22h 40m〉
街全体が、同じ「死」を待っている。
それを知っているのは自分だけ――その孤独が胸を締め付けた。
⸻
「九重」
低く、だが確かな声がかかった。
顔を上げると、佐伯係長が立っていた。
刑事課の係長であり、九重の直属の上司。
目の下には隈が刻まれ、背広の肩は埃で白く汚れていた。
長時間の警戒で、誰よりも疲れているはずだ。
「まだ何も口にしてないだろう」
佐伯は机にコンビニの袋を置き、無造作にサンドイッチを取り出した。
「食え。腹が減ってりゃ判断を誤る」
九重は小さく頷き、受け取った。
味を感じる余裕はなかったが、上司の心遣いに胸の奥がわずかに和らぐ。
⸻
「本部の方針は聞いたな」
佐伯は低い声で続けた。
「声明通り“二日後”を前提にしてる。明日までは警戒強化、明後日には中心街を封鎖するつもりだ。
だが――」
言葉を切り、九重の目をじっと見た。
「お前は違う顔をしている」
九重は一瞬、視線を逸らした。
窓の外には、赤い数字を頭上に掲げた群衆が歩いている。
〈22h 12m〉
〈22h 11m〉
全員が同じ刻限に引き寄せられている光景。
(……言えるはずがない。だが、黙っていては全てが終わる)
⸻
佐伯は椅子を引き、身を乗り出した。
「九重。お前が何を隠しているかまでは分からん。
だが一つだけ分かる。昨日も今日も、命を張って人を救ったのはお前だ。
その判断が間違っていたとは思わない」
九重の胸に熱いものが込み上げた。
だが同時に苦しさも増した。
数字のことを打ち明けたい衝動と、それが許されない現実。
「……奴らは前倒しで仕掛ける。明日だ」
九重は短く、だが確信を込めて言った。
佐伯は目を細め、しばらく黙考した。
やがて深く息を吐き、静かに頷いた。
「分かった。上は“二日後”に縛られて動けん。だが俺がいる。お前の動きは、俺が責任を持つ」
⸻
その言葉に、九重の胸に小さな炎が灯った。
孤立していた自分に、背を預けられる者がいた。
外から怒声が聞こえた。
検問を突破しようとした車が取り押さえられ、群衆が騒然となっている。
その頭上にも、同じ赤い数字が瞬いていた。
九重は拳を握り、地図に視線を落とした。
市中心部に散らばる赤い×印――それが一斉にゼロへ向かう未来を示しているかのようだった。
「佐伯係長。これからは水面下で動きます。本部を通す暇はない。
俺たちだけで“仕掛け”を見つけ出す」
佐伯は静かに頷いた。
「いいだろう。だが覚えておけ。お前はもう独りじゃない。俺が必ず横にいる」
⸻
詰所を出ると、街はすでに夜の顔を見せ始めていた。
ネオンが煌々と輝き、人々の影が地面に長く伸びている。
その頭上には、変わらず赤い数字が浮かんでいた。
〈21h 59m〉
秒針は無慈悲に進み続けている。
決戦前夜の街は、爆弾の鼓動を隠そうともせずに脈打っていた。
駅前広場の噴水は止められ、周囲をぐるりと警察車両が取り囲んでいる。
白バイが数台、ロータリーをゆっくりと巡回し、青いランプが無機質に点滅していた。
大型の検問テントが設けられ、通勤客や買い物客が荷物検査を受けている。
金属探知機を通され、カバンの中を一つひとつ確認されるたび、列はどんどん伸びていた。
「急いでるんだよ!」
「会社に遅れるじゃないか!」
苛立った声が飛ぶ。
子どもを連れた母親が不安げに係員に質問し、観光客らしき若者はスマートフォンを掲げて実況配信をしていた。
報道クルーも詰めかけ、リポーターがマイクを握って緊迫感を煽るようにしゃべっている。
巨大ビジョンには「市中心部でテロ警戒 犯行声明から二日」とのテロップ。
繰り返し流れる映像は、廃ビル爆発の火柱と黒煙。
昨日の事件が、街全体に影を落としていた。
⸻
九重誠治郎は雑踏の端に立ち、静かに人の流れを観察していた。
刑事課の腕章は外している。
制服姿の警官があちこちで検問をしている中、彼だけは目立たぬよう市民に紛れていた。
目を凝らす。
人々の頭上に――淡く赤い数字が浮かんでいる。
〈23h 59m〉
〈23h 57m〉
〈23h 58m〉
数字はわずかに前後しながらも、すべて「一日以内」に収束していた。
老いた商店主も、学生も、会社員も、子どもも。
皆が等しく、刻限を背負っている。
(やはり……明日だ)
脳裏に爆発の光景がよみがえる。
ドラム缶の炎、建物が崩れ落ちる音、女の悲鳴。
あれがこの中心街で起きれば、街全体が死に覆われる。
⸻
だが、警察の警備は「声明通り二日後」を前提にしていた。
機動隊員は要所要所に立っているが、表情にはまだ余裕がある。
交通規制も部分的にしか敷かれておらず、繁華街の通りには車が普通に流れていた。
「こんなに大げさにやる必要あるのか?」
通行人の男がぼやく。
「どうせ脅迫状の類だろ。警察の見せしめだ」
隣の女が相槌を打つ。
「でも昨日の爆発、ニュースで見たわよ。あれ、本物じゃない?」
人々の不安と不信が入り交じり、空気はざらついていた。
九重は無言で人波を見つめながら、拳を固めた。
(声明通りなら二日後……だが数字は一日を切っている。奴らは“前倒し”する気だ)
⸻
「九重」
声をかけられ振り向くと、公安部の刑事が立っていた。
黒いスーツに冷たい目。
「君の独断はもう許されない。昨夜の件で上層部は苛立っている」
その声音には、威圧と警告が滲んでいた。
九重は表情を変えずに答えた。
「……承知しています」
公安刑事は短く頷き、人混みに消えていった。
だが最後まで、その視線は氷のように九重の背に突き刺さっていた。
⸻
九重は再び街頭ビジョンを見上げた。
画面の下に集まる群衆の頭上に浮かぶ数字は――残酷なまでに揃っていた。
〈23h 45m〉
〈23h 46m〉
秒針が揃ってゼロへと向かう光景は、まるで街そのものが巨大な時限爆弾に変わったかのようだった。
(……間違いない。明日、ここで何かが起きる)
胸の奥に冷たい焦燥が広がった。
それでも九重はただ一人、数字を見つめ続けるしかなかった。
昼近く、駅前交差点は混乱の度を増していた。
警察の検問に列を成す通行人。
イライラを募らせたドライバーがクラクションを鳴らし、機動隊員に制止されている。
報道ヘリが低空を旋回し、騒音がビルの谷間に響いていた。
九重誠治郎は雑踏の外れに立ち、冷静に群衆を観察していた。
頭上に浮かぶ赤い数字は、相変わらず揃っている。
〈23h 21m〉
〈23h 20m〉
(やはり全員、同じ刻限を背負っている……。この街全体が“ひとつの爆弾”になっている)
背筋に冷たいものが走った。
⸻
「……九重巡査部長」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、監察課の腕章をつけた二人組が立っていた。
昨日も現場で追及してきた男たちだ。
眼鏡の奥の視線は相変わらず冷たく、氷のように感情がない。
「昨夜の独断専行について、再度説明を求める」
「合同捜査本部は君を注視している。二度と勝手な真似は許されない」
九重は黙ったまま睨み返した。
言葉を返せば、さらに突っ込まれるだけだ。
監察の一人が低く続ける。
「忘れるな。組織は秩序で動く。君のような暴走は、最も危険だ」
背後にいた通行人が立ち止まり、何事かとこちらを振り返った。
監察はそれ以上は言わず、足早に去っていった。
残された九重の胸に、暗い孤立感が広がった。
⸻
「おい、大丈夫か」
聞き慣れた声に顔を上げると、佐伯が立っていた。
手にコンビニの袋をぶら下げ、苦笑を浮かべている。
「さっきの、監察だろ。あいつら、お前にばっか突っかかってくるな」
九重は短く頷いた。
「……昨日の突入の件だ」
「分かってる。だが、お前が突入しなきゃ女は死んでた。俺はそう思う」
佐伯はコンビニ袋からペットボトルの水を取り出し、九重に差し出した。
「飲め。顔が死人みたいだ」
九重は無言で受け取り、一口だけ喉を潤した。
乾いた胃に冷たさが染み込む。
⸻
「なあ、九重」
佐伯は声を落とした。
「お前、何か掴んでるんだろ。昨日の現場でも、会議でも、言葉を飲み込んでた顔をしてた」
九重の視線が揺れた。
だが何も答えられない。
数字のことを話せば、彼まで危険に巻き込むだけだ。
「……言えないのか」
佐伯はため息をつき、肩をすくめた。
「いいさ。ただ、一人で抱え込むな。お前が倒れたら、それこそ終わりだ」
九重はわずかに頷いた。
言葉は交わせなくても、その真剣な眼差しにだけは救われる気がした。
⸻
街頭ビジョンにはニュース速報が流れていた。
「市中心部、警戒強化 警察が記者会見」
リポーターが緊迫した声で読み上げる。
「合同捜査本部は、市中心部での交通規制をさらに強化すると発表しました。
市民には冷静な行動を求めています――」
九重はその画面を見上げながら、頭上に浮かぶ数字を再び確認した。
〈23h 10m〉
〈23h 09m〉
刻限は静かに、確実に迫っていた。
午後二時。
駅前広場は人で溢れていた。
警備用のバリケードが歩道を区切り、検問を受ける列は角を曲がって伸びている。
観光客が苛立ってスマートフォンを掲げ、サラリーマンは腕時計を見ながら舌打ちをした。
拡声器からは機動隊員の声が響き、報道ヘリの轟音が空を震わせていた。
九重誠治郎はその人波を、ただじっと見つめていた。
目を凝らせば――頭上に浮かぶ赤い数字が見える。
⸻
本来なら、その数字はもっと多様であるはずだった。
数日の者もいれば、数ヶ月の者もいる。
「一年以内の余命を持つ人間」だけが見えるはずで、数字の散らばりは無数にあって当然だ。
〈2d〉、〈45d〉、〈180d〉……それが自然な光景だった。
だが今――広場に集まる群衆のほとんどが、同じ数字を背負っていた。
〈23h 07m〉
〈23h 06m〉
〈23h 07m〉
わずかな誤差を除けば、ほぼ一斉に「一日以内」。
⸻
母親に手を引かれる幼児。
買い物袋を下げた主婦。
制服姿の学生。
会社員、老人、観光客。
頭上に浮かぶ数字は、どれも赤く揃いすぎていた。
秒単位で同じ方向へ進み、ゼロに収束していく。
九重は思わず息を止めた。
喉が焼けつくように乾き、背筋に冷たい汗が伝った。
(……こんな揃い方、ありえない)
⸻
かつて九重は、駅のホームで事故死する老人の数字を目にしたことがある。
病室で余命を刻む患者を見たこともある。
人の寿命は個別で、偶然の重なりはあっても、これほど大規模に“同じ刻限”で揃うことなどなかった。
だが今、数百人の寿命が同じ明日へと収束している。
(これは……個々の寿命じゃない。街全体を巻き込む“死”が、ここに仕掛けられている)
⸻
「おい、どうした?」
隣にいた佐伯が怪訝そうに覗き込む。
九重は答えられず、雑踏を指差した。
「……見ろ」
佐伯は群衆を見渡したが、ただの人混みしか映らない。
「何をだ? 人が多いってだけだろ」
九重は唇を噛んだ。
数字のことを話せるはずがない。
「……奴らは、一斉に仕掛けている」
低く、吐き出すようにつぶやいた。
⸻
その時、甲高いサイレンが鳴り響いた。
機動隊の車両が広場に入り、拡声器が頭上から降り注ぐ。
「繰り返す! 駅前広場は規制中だ! 立ち止まらず速やかに移動せよ!」
人々が押し合い、怒号と悲鳴が入り混じる。
子どもが泣き、誰かが転んで係員に抱き起こされた。
九重は混乱の群衆を見上げる。
〈23h 05m〉
〈23h 05m〉
〈23h 05m〉
一斉に減っていく赤い刻限。
その光景は、街そのものが巨大な時限爆弾に変わったかのようだった。
⸻
九重の呼吸が荒くなる。
視界の端が赤く滲み、耳鳴りが鼓動をかき消した。
(……これは“テロ”じゃない。“大量死”そのものだ。明日、この中心街で)
だがその直感を、誰にも伝えられなかった。
数字は、彼にしか見えない。
刻限は静かに、残酷に揃い続けていた。
夕暮れが迫り、街は朱色に染まっていた。
繁華街のネオンが灯り始めても、明るさは不安を隠すどころか逆に際立たせていた。
駅前広場では警察車両が何重にも停められ、検問の列は長蛇となり、人々の怒声と泣き声が入り混じっていた。
その一角、立入禁止テープで囲まれた仮設のテント。
臨時詰所と化したそこは、無線機がひっきりなしに雑音を吐き、地図や資料が机に散乱していた。
出入りする刑事や警備部員の表情には、疲労と焦燥が濃く刻まれている。
九重誠治郎はその隅の椅子に腰を下ろしていた。
全身の疲労が骨にまで沈み込み、額からは冷たい汗が流れている。
視線を窓の外に移せば、群衆の頭上に揃った赤い数字が見えた。
〈22h 41m〉
〈22h 40m〉
街全体が、同じ「死」を待っている。
それを知っているのは自分だけ――その孤独が胸を締め付けた。
⸻
「九重」
低く、だが確かな声がかかった。
顔を上げると、佐伯係長が立っていた。
刑事課の係長であり、九重の直属の上司。
目の下には隈が刻まれ、背広の肩は埃で白く汚れていた。
長時間の警戒で、誰よりも疲れているはずだ。
「まだ何も口にしてないだろう」
佐伯は机にコンビニの袋を置き、無造作にサンドイッチを取り出した。
「食え。腹が減ってりゃ判断を誤る」
九重は小さく頷き、受け取った。
味を感じる余裕はなかったが、上司の心遣いに胸の奥がわずかに和らぐ。
⸻
「本部の方針は聞いたな」
佐伯は低い声で続けた。
「声明通り“二日後”を前提にしてる。明日までは警戒強化、明後日には中心街を封鎖するつもりだ。
だが――」
言葉を切り、九重の目をじっと見た。
「お前は違う顔をしている」
九重は一瞬、視線を逸らした。
窓の外には、赤い数字を頭上に掲げた群衆が歩いている。
〈22h 12m〉
〈22h 11m〉
全員が同じ刻限に引き寄せられている光景。
(……言えるはずがない。だが、黙っていては全てが終わる)
⸻
佐伯は椅子を引き、身を乗り出した。
「九重。お前が何を隠しているかまでは分からん。
だが一つだけ分かる。昨日も今日も、命を張って人を救ったのはお前だ。
その判断が間違っていたとは思わない」
九重の胸に熱いものが込み上げた。
だが同時に苦しさも増した。
数字のことを打ち明けたい衝動と、それが許されない現実。
「……奴らは前倒しで仕掛ける。明日だ」
九重は短く、だが確信を込めて言った。
佐伯は目を細め、しばらく黙考した。
やがて深く息を吐き、静かに頷いた。
「分かった。上は“二日後”に縛られて動けん。だが俺がいる。お前の動きは、俺が責任を持つ」
⸻
その言葉に、九重の胸に小さな炎が灯った。
孤立していた自分に、背を預けられる者がいた。
外から怒声が聞こえた。
検問を突破しようとした車が取り押さえられ、群衆が騒然となっている。
その頭上にも、同じ赤い数字が瞬いていた。
九重は拳を握り、地図に視線を落とした。
市中心部に散らばる赤い×印――それが一斉にゼロへ向かう未来を示しているかのようだった。
「佐伯係長。これからは水面下で動きます。本部を通す暇はない。
俺たちだけで“仕掛け”を見つけ出す」
佐伯は静かに頷いた。
「いいだろう。だが覚えておけ。お前はもう独りじゃない。俺が必ず横にいる」
⸻
詰所を出ると、街はすでに夜の顔を見せ始めていた。
ネオンが煌々と輝き、人々の影が地面に長く伸びている。
その頭上には、変わらず赤い数字が浮かんでいた。
〈21h 59m〉
秒針は無慈悲に進み続けている。
決戦前夜の街は、爆弾の鼓動を隠そうともせずに脈打っていた。
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