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第13話 決戦前夜
しおりを挟む午後七時。
市中心部は、普段の華やかさを失い、異様な緊張に覆われていた。
駅前のロータリーは封鎖され、タクシーもバスも一台もいない。
大通りに並ぶ商店のシャッターは下り、コンビニの入口には「臨時休業」の貼り紙。
開いているのは数軒の飲食店だけで、店内の客はまばら、テレビのニュースを凝視している。
パトカーの赤色灯が断続的に明滅し、無線の雑音が風に乗って広場に流れていた。
報道クルーがバリケード越しにカメラを回し、上空ではヘリが旋回し続ける。
SNSでは「街が封鎖された」「戒厳令だ」と騒ぎ立てる投稿が拡散され、現場の不安をさらに煽っていた。
⸻
九重誠治郎は、バリケードの外れに立ち尽くしていた。
刑事であることを隠すため、腕章は外し、私服の上着のポケットに押し込んでいる。
群衆の表情は、不安と苛立ちで歪んでいた。
検問で止められた会社員、泣き叫ぶ子を抱える母親、立ち尽くす老人。
だが九重の目に映るのは――彼らの頭上に浮かぶ赤い数字だった。
〈20h 55m〉
〈20h 56m〉
〈20h 55m〉
(……揃いすぎている)
⸻
本来なら数字は散らばって見えるはずだった。
一年以内に死ぬ人間しか見えないのだから、〈3d〉もいれば〈200d〉もいる。
だが今、この場にいるほとんどが同じ「二十時間台」を背負っている。
赤い数字が脈打つように光り、秒針が揃って落ちていく。
それは一人ひとりの寿命ではなく、街全体の寿命のように思えた。
九重は背筋に冷たいものを感じ、無意識に拳を握った。
⸻
視線を巡らせる。
駅ビルのガラス越しに見える買い物客。
地下街に吸い込まれる人波。
繁華街のアーケードに残る観光客。
少し離れた工場地帯のガスタンクの影。
どこを見ても、頭上の数字は揃っていた。
(……一箇所じゃない。駅も地下も繁華街も、すべてが爆心地になる)
前哨戦の廃ビル爆破は、実験にすぎなかった。
本命は――街全体を呑み込む広域同時爆発。
⸻
「九重」
低い声に振り向くと、佐伯係長が立っていた。
黒いスーツの上着は皺だらけで、肩には資料の束。
ネクタイは緩められ、ワイシャツの袖口には汗染みが広がっている。
長時間の現場指揮で、疲労は隠せなかった。
「……顔色が悪いな」
短い言葉に、上司としての鋭い視線が宿っていた。
九重は短く答えた。
「……街全体が、爆弾になる」
佐伯の眉がわずかに動いた。
「根拠は?」
「……言えません」
佐伯は数秒黙し、やがて小さく頷いた。
「無理はするな。だが、お前がそう言うなら――動け。責任は俺が持つ」
それだけ言い残し、現場の指揮へ戻っていった。
⸻
九重は一人、再び街を見渡す。
街頭ビジョンには速報ニュースが流れていた。
「市中心部 厳戒態勢続く」
「警察は“二日後”を想定」
その下で立ち止まる群衆。
頭上に浮かぶ数字は一斉に――
〈20h 00m〉
街そのものが、ひとつの時限爆弾になっていた。
午後八時を回っていた。
臨時詰所のテントの中、蛍光灯の光が机上の地図を白々と照らしていた。
赤いマーカーで印をつけられた地点が十数箇所。
駅ビル、地下街、ガスタンク、繁華街の大型商業施設――いずれも人が集まり、かつ被害が拡大する場所ばかりだった。
「……爆破の可能性がある場所を洗い出すだけで、これだけだ」
佐伯係長がペンを置き、眉間を押さえた。
黒いスーツの袖は皺だらけで、ネクタイは緩んだままだった。
長時間の緊張で疲労は色濃いが、声には張りがあった。
九重はその地図に目を凝らした。
頭の中では、さきほど広場で見た赤い数字が重なっていた。
〈20h〉。
群衆の頭上に一斉に浮かんでいた刻限。
駅でも、地下でも、繁華街でも、同じ時刻に収束していた。
(街全体に仕掛けがある……。一つではない。同時に爆発する)
⸻
「九重。お前の言う“前倒し”が正しいとすれば、残り二十時間を切ってる」
佐伯は資料を閉じ、低く言った。
「だが本部は“二日後”に縛られて動かない。なら、俺たちで探すしかない」
九重は頷いた。
「人を動かすにしても、少人数がいい。大規模に動けば目立つし、犯人に気づかれる」
「分かってる。俺とお前、それに数人の信頼できる刑事だけだ」
⸻
詰所を出ると、夜の街は赤色灯に照らされていた。
道路は封鎖され、検問で行列ができている。
怒鳴り声と泣き声が交錯し、報道ヘリの轟音が空を震わせていた。
九重と佐伯は数人の刑事を伴い、まず駅ビルへ向かった。
人気の消えたコンコースには警官が立ち、シャッターが降りている。
空気には鉄と油の匂いが混じっていた。
「配電盤、換気口、ゴミ置き場……。怪しい箇所は片っ端から見ろ」
佐伯の指示に、刑事たちが散開する。
九重は耳を澄ませながら、数字を探した。
利用客の頭上に浮かぶ刻限は――やはり揃っていた。
〈19h 42m〉
〈19h 42m〉
(……やはり駅全体が巻き込まれる。ここだけじゃない)
⸻
次に向かったのは地下街だった。
雑踏はすでになく、店のシャッターが並ぶ通路に警官の靴音が響く。
換気口の奥に埃が溜まり、蛍光灯がジジ、と点滅していた。
九重は立ち止まり、頭上を見た。
少数の通行人――その全員の数字が赤く点滅していた。
〈19h 30m〉
息苦しさを覚え、喉を押さえた。
(地下も同じ……。駅、繁華街、ガスタンク……全てが同時に“ゼロ”になる)
九重は背筋に冷たい汗を流しながら、地図の全体像を思い浮かべた。
街全体に散らばる仕掛け。
それが一斉に作動したとき、この街は跡形もなく消える。
⸻
「……どうだった」
戻ってきた佐伯が低く問う。
九重は短く答えた。
「全部、繋がっています」
佐伯の目が鋭く光った。
「となると、本部が想定している規模とは比べものにならん」
「……ええ」
九重は唇をかみ、周囲の赤い数字を見つめた。
〈19h 00m〉。
刻限は刻一刻と迫っていた。
午後九時。
市中心部の騒ぎはさらに拡大していた。
検問の列は途切れることなく伸び、苛立った怒号と警察官の制止の声が夜気を震わせる。
上空を旋回する報道ヘリのサーチライトが街を照らし、街頭ビジョンには「厳戒態勢続く」の字幕が流れていた。
九重誠治郎はビルの陰に身を寄せ、携帯を取り出した。
ためらいが胸を渦巻く。
だが親指は通話ボタンを押していた。
⸻
「……もしもし?」
少し緊張を含んだ結衣の声が受話口から響いた。
背後にはテレビの音。ニュースキャスターが市の混乱を告げている。
「誠治郎? 無事なの?」
「……ああ。まだ生きてる」
かすれた声で答える。
「彩音がね、ずっと泣きそうで。ニュースを見て不安になってるの」
その名を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられた。
⸻
「……パパ?」
小さな声が割り込んだ。
布団から顔を出した彩音の声だ。
甘えと不安が入り混じった響きが、受話器越しに広がる。
九重は返事をしようとした。
だが――その瞬間、視界がぐらりと揺れた。
声の向こうに、赤い数字がくっきりと浮かんだのだ。
〈19h 08m〉
⸻
九重の呼吸が止まった。
携帯を落としそうになり、慌てて握り直す。
(……どういうことだ。会ってもいない。声だけで、なぜ見える……?)
耳鳴りが強まり、鼓動が乱れる。
これまで寿命の数字は“目の前にいる人間”にしか見えなかった。
距離も映像も関係なく、対面していなければ現れなかった。
なのに今――電話越しに、彩音の刻限がはっきり見えた。
⸻
「パパ、明日来る? 一緒に朝ごはん……」
無邪気な言葉が胸を刺す。
その声の上に、残酷な数字が脈打っている。
九重は声を失った。
喉が焼けつくように乾き、携帯が汗で滑りそうになる。
(……街全体が死を共有しているからか……?
いや、それとも俺の能力が広がった……?)
答えのない疑問が渦を巻き、頭がくらくらした。
⸻
「もう寝なさい」
結衣の声が優しく重なる。
布団の擦れる音、彩音の「うん」という小さな返事。
それが遠ざかるのと同時に、数字が一拍ごとに減っていく。
〈19h 05m〉
〈19h 04m〉
九重は壁に手をつき、喉を押さえた。
全身から冷や汗が噴き出し、視界の端が赤に滲む。
⸻
「……誠治郎」
結衣の声が再び届く。
「無茶はしないで。彩音は……あなたが無事でいると信じてる」
九重は短く息を吐き、目を閉じた。
「……分かってる」
それだけを答え、通話を切った。
⸻
夜風が頬を刺した。
携帯を握る手が震え、赤い数字が脳裏に焼き付いている。
(……電話越しにすら刻限が見える。
彩音も、この街も。すべてが同じ死に縛られている)
街頭ビジョンに映る群衆の映像。
画面越しに見ても、彼らの頭上にも赤い数字が浮かんでいた。
〈19h 00m〉
残酷な現実が、距離を超えて押し寄せていた。
午後十時を回った。
合同捜査本部の臨時詰所は、昼間以上の熱気と疲労に満ちていた。
長机の上には地図や資料が折り重なり、蛍光灯の光に汗とインクが照り返っている。
無線機はひっきりなしに雑音を吐き出し、電話のベルが鳴り、刑事たちの声が交錯していた。
「駅ビル地下、異常なし!」
「商業施設倉庫、異常なし!」
「ガスタンク周辺、警備完了!」
報告の声が飛び交うたびに、机の上の地図には赤いバツ印が増えていく。
だが、それは“成果”ではなかった。
爆弾は、どこにも見つからない。
⸻
「徹底的に洗え! ひとつ残らずだ!」
佐伯係長の怒声がテント内に響いた。
黒いスーツの襟は皺だらけで、ネクタイは緩み、額の汗が滴っている。
それでも声にはまだ力があった。
刑事たちは無言で動き続ける。
コピー機が唸り、靴音が床を打ち、地図の上に赤い丸が次々書き込まれていく。
だが空気は重かった。
全員が分かっていたのだ。成果が出ていないことを。
⸻
九重誠治郎は、その隅で無線のやりとりを黙って聞いていた。
指先は震えていた。
冷たい汗が背を伝い、ワイシャツにじっとりと染みていく。
(……見つからないのは当然だ。奴らの仕掛けは、こんな探し方では見つかるはずがない)
脳裏に浮かんだのは、数時間前の光景。
駅前広場、地下街、繁華街、工場地帯。
人々の頭上に浮かんだ赤い数字が、揃って同じ刻限を示していた。
〈18h 50m〉
〈18h 49m〉
街全体が、一つのカウントダウンを共有している。
その光景が焼き付いて離れなかった。
⸻
九重は机上の地図に目を落とした。
赤いマーカーで囲まれた十数箇所。
駅ビル、地下街、商業施設、ガスタンク……。
だが、それは点でしかない。
じっと見つめていると、ふと頭の中でそれらが線で結ばれていく。
(……そうだ。点じゃない。線だ)
脳裏に地下の配管図が浮かんだ。
ガス管、電力網、上下水道。
街を支える巨大な血管が地下を縦横に走っている。
そこに一つでも細工があれば、連鎖的に爆ぜる。
⸻
「……爆発物なんて、最初から存在しない」
九重の口から声が漏れた。
「何だと?」
佐伯が顔を上げた。
九重は低く言った。
「奴らが狙っているのは、市のインフラそのものです。
駅や繁華街に小細工はあるでしょう。だが本命は……ガス管や変電施設、上下水道です」
「……」
佐伯は眉をひそめた。
「根拠は?」
九重は唇を噛んだ。
刻限の異常――説明できるはずがない。
だが言わなければ街が消える。
「……どの場所でも、人々の寿命が同じ時刻に揃っている。
偶然ではありません。街そのものが仕掛けられているからです」
⸻
沈黙。
テント内の喧騒が遠のいたように感じられた。
佐伯はやがて、深く息を吐いた。
「……確かに、ガス管や電力なら、外からは分からん。
点検しても“異常なし”で返されるだろう。
しかも全域を同時に仕掛けられていたら……」
九重は頷いた。
「普通の爆弾探しでは何も出ません。街そのものが爆弾だから」
⸻
外からサイレンの音が押し寄せてきた。
テントの壁が震え、群衆のざわめきが夜風に乗って届く。
九重は立ち上がり、外を見た。
バリケードの向こうで、報道カメラのライトに照らされる人々の顔。
泣き叫ぶ子ども、怒鳴る男、立ち尽くす老人。
その頭上に――
〈18h 30m〉
赤い数字が一斉に浮かんでいた。
⸻
「係長……」
九重は佐伯を振り返った。
「このままでは、明日の朝には街が消えます」
佐伯は拳を握りしめ、地図を睨んだ。
「……ならば、俺たちで突き止めるしかない」
九重は答えなかった。
ただ街を覆う赤い光を見据えた。
〈18h 00m〉
数字は無慈悲に進み続けていた。
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