刻限

都丸譲二

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第16話 突入

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 午前六時。
 国木市の中心街は、東の空の光を受けて灰色に染まっていた。
 だがその光景は、夜よりも不気味だった。
 無人の道路、止まった信号、閉ざされたシャッター。
 すべてが静まり返り、まるで時間が街ごと止まったようだった。

 九重誠治郎は行政ビルの前に立っていた。
 佐伯係長と二人の若手刑事が背後に続く。

「……ここが中枢か」
 佐伯が低く言った。

 ビルは市の象徴だった。
 十数階建ての庁舎は、普段なら職員や市民で賑わっている。
 だが今は完全に閉鎖され、無人の砦と化していた。
 風に揺れる国旗だけが、かすかに生命を主張している。

 九重は空を仰いだ。
 屋上は霞んだ光の中に浮かんでいる。
 そこから街全体を一望できる。
 信号を一斉に流す起爆装置を置くには、これ以上ない場所だった。

 ⸻

「突入するぞ」
 佐伯の声が響いた。

 四人は正面の扉に回り込み、工具を使って封鎖を外した。
 金属が軋む音が静寂に響き、扉は重々しく開いた。

 中は暗かった。
 非常灯が点滅を繰り返し、白い光が廊下を切り裂いている。
 書類の山が散乱し、机や椅子は荒れたまま放置されていた。

 九重は慎重に進みながら、耳を澄ました。
 風の音、電源の唸り……そして、かすかな機械音。

「……聞こえるか」
 九重がつぶやく。

「……ああ」
 佐伯も頷いた。
 低い機械音が、上の階から微かに響いていた。

 ⸻

 階段を駆け上がる。
 靴音がコンクリートに反響し、埃が舞った。
 途中のフロアには人の気配はなかった。
 だが壁の一部に新しい傷跡があり、何かを運び込んだ痕跡が残っていた。

「……間違いないな」
 佐伯が息をついた。

 九重は無言でうなずき、さらに上を目指した。

 ⸻

 十階、十一階。
 空気は次第に重くなり、機械音ははっきりと耳に届くようになった。
 心臓の鼓動と同じリズムで響いているようにさえ思えた。

 そして屋上に続く鉄の扉の前にたどり着いた。
 扉には頑丈な錠前がかけられ、赤い塗料で「立入禁止」と書かれている。

 九重は一歩前に出た。
「ここだ」

 佐伯が若手刑事に目配せし、工具を取り出させた。
 錠前に火花が散り、金属が軋む。
 やがて重々しい音を立てて外れた。

 ⸻

 扉を押し開けると、冷たい風が吹き抜けた。
 屋上は広く、鉄柵に囲まれている。
 その中央に――異様な物体があった。

 黒い金属の箱。
 周囲には無数のケーブルが伸び、屋上のアンテナや配管に接続されている。
 箱の表面には赤いランプが点滅し、低い電子音が響いていた。

 九重は息を詰めた。
「……起爆装置だ」

 頭上に浮かぶ数字が、冷たく減っていく。

 〈13h 00m〉

 街の心臓に、死の鼓動が刻まれていた。

 屋上に吹き込む風は冷たかった。
 東の空は白み始め、国木市の街並みを灰色に染めている。
 その中心で、黒い金属の箱が不気味に点滅を続けていた。

 九重誠治郎は膝をつき、装置に懐中電灯を向けた。
 箱は腰ほどの大きさ。
 表面には無数の傷が走り、ところどころに油と埃がこびりついている。
 だが目を引いたのは、そこから伸びる無数のケーブルだった。

「……全部、街に繋がってるな」
 佐伯係長が低く唸った。

 ケーブルは屋上のアンテナへ、給水塔へ、電線へと伸び、さらに外壁を伝って地下へ消えていた。
 まるで街全体が、この箱に縛られているかのようだった。

 ⸻

「起爆装置というより……制御中枢ですね」
 若手刑事の一人が声を震わせた。

 九重は頷いた。
「街に仕掛けられた装置を一斉に作動させる。
 ここが信号の発信源だ」

 佐伯が箱に近づき、指で表面をなぞった。
「市販の部品を寄せ集めたものじゃない。軍用並みの精度だ」

「犯人グループに、専門の技術者がいる」
 九重は即座に言った。
「しかもただの爆破じゃない。
 ガス管、電力網、水道、すべてを連動させる。
 街そのものを爆薬に変える仕組みです」

 ⸻

 装置のランプが赤く点滅するたび、電子音が低く響いた。
 まるで心臓の鼓動のように規則正しく。

 九重は背筋に冷たい汗を感じた。
 その音に合わせるかのように、頭上の数字も刻一刻と減り続けている。

 〈12h 55m〉
 〈12h 54m〉

 街全体が、この装置のリズムに従って死へ向かっているようだった。

 ⸻

「……解除できるのか」
 佐伯が問う。

 若手刑事は首を振った。
「専門の爆発物処理班でも難しいかと。
 信号を遮断しても、他の経路から流れる可能性があります」

「つまり、外すことも破壊することもできない……」
 佐伯の声は低く沈んだ。

 九重は黙って装置を見つめた。
 ケーブルの一本一本が、街へと伸びている。
 まるで巨大な蜘蛛の巣に囚われた獲物のように、街が箱に絡め取られていた。

(……これを止めるには、“犯人そのもの”を捕らえるしかない)

 ⸻

 そのとき、装置の側面に刻まれた文字が目に入った。
『CENTRAL LINK SYSTEM』

「……中央リンクシステム」
 九重が読み上げる。

 佐伯の眉が動いた。
「“中央”……やはり中心街だな」

 九重は唇を噛んだ。
(封鎖で無人にした中心街に、この装置を持ち込み……ここから街全体を制御する。
 封鎖は、やつらの計画の一部だったんだ)

 ⸻

 無線が鳴った。
「こちら繁華街班! 配管に異常を確認、同じ装置が……!」
「行政ビルにもあった! 電力室のケーブルが……!」

 次々に飛び込む報告。
 どれもが「中央」に繋がっていることを示していた。

 佐伯は顔を上げ、九重に言った。
「本部に知らせるか?」

 九重は首を振った。
「いいえ。本部は封鎖を維持するだけでしょう。
 それでは奴らの思う壺です」

 赤い数字が頭上に脈打つ。

 〈12h 40m〉

「……ここから、俺たちが奴らを追い詰めるしかありません」

 九重の声は、冷たい夜明けの風に溶けた。


 午前七時。
 太陽が昇り始めた。
 国木市の高層ビルの壁面に淡い光が反射し、中心街は灰色から薄金色へと色を変えつつあった。

 だが、その光景に生命の匂いはなかった。
 人影の消えた道路、閉ざされたシャッター街、沈黙する横断歩道。
 すべてが無人の舞台と化し、ただ赤い刻限だけが街を支配していた。

 〈12h 20m〉
 〈12h 19m〉

 九重誠治郎は行政ビル屋上の中央に立ち、装置を睨みつけていた。
 冷たい金属の箱からは、規則正しい電子音が鳴り続けている。
 そのリズムはまるで死の心拍。
 街全体の刻限が、それに従って進んでいるかのようだった。

 ⸻

 佐伯係長は膝をつき、配線の一本を慎重に手繰った。
「見ろ、ここだ。地下のガス管へ直結している」

 若手刑事が別のケーブルを指した。
「こっちは電力網です。……配電盤を通さず、直接繋いである」

 九重は無言で観察した。
 蜘蛛の巣のように広がるケーブル。
 その先には、街を形作る血管――ガス、電気、水道――すべてが繋がっている。

「……この装置が信号を発すれば、街全体が一斉に爆ぜる」
 九重の声は低かった。

 佐伯が歯を食いしばる。
「解除は?」

 若手刑事は首を振った。
「装置は多重回線です。一本切っても、他が作動します」

「つまり……外部から止めるのは不可能か」
 佐伯の声が沈む。

 ⸻

 九重は黙り込み、風に晒された屋上を見渡した。
 視線の先に広がる街――行政ビルを中心にして広がる道路、駅、繁華街。
 その頭上に浮かぶ数字は一斉に減っている。

 〈12h 10m〉

(……奴らはまだ近くにいる。
 この装置を作動させる“起爆者”がいなければ、ただの箱だ)

 九重は確信していた。
 犯人グループは必ず、この近くで時を待っている。

 ⸻

 そのとき、かすかな物音が耳に届いた。
 風が鉄柵を揺らす音とは違う。
 コツ、コツ、と規則正しい足音。

 九重は身を固め、銃を抜いた。
 佐伯も即座に反応し、部下を背後に下がらせる。

「……来たか」

 屋上の入口。
 鉄の扉の隙間から、黒い影が覗いた。
 ゆっくりと、だがためらいなく足を踏み入れる。

 ⸻

 現れたのは、黒いフードを被った三人組だった。
 全員が同じ作業服に身を包み、顔はマスクで覆われている。
 手にはそれぞれ、大きなケースを抱えていた。

 九重の心臓が強く跳ねた。
(……起爆装置の追加か。あるいは、最終的な“キー”そのものか)

 男たちの頭上にも、赤い数字が浮かんでいた。

 〈12h 05m〉

 街と同じ刻限。
 つまり、彼らも運命を共有している。

 ⸻

「止まれ!」
 佐伯が叫んだ。

 だが三人は止まらなかった。
 その動きには、恐怖もためらいもなかった。
 まるで死を恐れていないかのように。

 九重は銃口を向け、指に力を込めた。
 だが、その瞬間――彼らの一人がケースを開いた。
 中には複雑なケーブルと小型の端末。
 赤いランプが瞬き、低い電子音が屋上に重なった。

「……やめろ!」

 九重の声が冷たい朝の空気を裂いた。

 ⸻

 頭上の数字が、ひときわ強く点滅した。

 〈12h 00m〉

 決戦の幕は、確実に切って落とされようとしていた。

 午前七時十分。
 朝日は高く昇り、行政ビルの屋上を真っ白に照らしていた。
 だがそこに広がっていたのは、朝の平穏から最も遠い光景だった。

 黒いフードの男たち三人が、ケースを開き、銀色のケーブルと端末を取り出していた。
 彼らの手つきは迷いがなく、まるで日常の作業のように滑らかだった。
 黒い金属箱――街の中枢を支配する装置の周囲にしゃがみ込み、次々とコードを差し込んでいく。

 ランプが一つ点灯するたび、低い電子音が鳴り響いた。
 その規則的なビープ音は、屋上全体を脈動させているように聞こえた。

 九重誠治郎は銃を構え、声を張り上げた。
「止まれ!」

 風に乗って鋭い声が広がった。
 佐伯係長と二人の若手刑事もすぐさま銃を抜き、三人を包囲する形で散開する。

 しかし男たちは、こちらを振り返りもしなかった。
 ひとりが冷たい声でつぶやいた。
「止まるのはお前らだ。街はもう、死ぬ」

 ⸻

 次の瞬間、火花が走った。

 一人の男が腰から拳銃を抜き、ためらいなく発砲したのだ。
 乾いた銃声が屋上に反響し、弾丸が鉄柵に当たり、火花を散らした。
 金属の匂いが風に混じり、九重の頬をかすめる。

「伏せろ!」
 佐伯の怒声が飛び、若手刑事がしゃがみ込む。

 九重はすでに照準を合わせていた。
 引き金を絞る――
 轟音。
 弾丸が男の腕をかすめ、黒いケースが床に転がった。

 金属がコンクリートにぶつかり、乾いた衝撃音が響く。
 ケースの中で端末が点滅し、赤い光が乱反射した。

「それ以上はやめろ!」
 九重の声が鋭く響く。
「繋げば、この街は終わる!」

 だが男は嗤った。
「終わらせるためにやってるんだよ!」

 ⸻

 銃撃戦が始まった。

 佐伯が鉄柵の影に身を隠しながら、冷静に一発を放つ。
 弾丸が床を弾き、敵の足元に火花を散らす。
 若手刑事は息を殺して横へ回り込み、撃ち返して牽制する。

 銃声が幾度も響き、金属を撃ち抜く音、砕けた破片が飛び散る音が重なる。
 朝の空気は硝煙の匂いに満ち、肺を焼くように熱くなった。

 九重は冷静さを失わなかった。
 呼吸を整え、敵の動きを見極める。
 頭上には、冷たい数字が赤く浮かんでいる。

 〈11h 55m〉

(残り十一時間五十五分……だが、ここで止めなければ一瞬で終わる)

 ⸻

 その時、一人の男が素早く動いた。
 ケーブルを掴み、装置に差し込もうとしたのだ。

「やめろッ!」
 九重は叫び、銃を向けた。

 だが別の男が背後から飛びかかってきた。
 鉄の棒――おそらくアンテナの一部を引き抜いたもの――が振り下ろされる。

 九重は腕をかざして受け止めた。
 骨に響く鈍痛。
 視界が一瞬白く弾ける。

「誠治郎!」
 佐伯の声が飛んだ。

 九重は反射的に棒を掴み、力任せにねじり上げた。
 金属が軋む音とともに棒を奪い取り、男の脇腹に叩きつける。
 呻き声が上がり、男は膝を折って崩れ落ちた。

 だが残る二人は止まらない。
 なおもケースを装置に繋げようとしていた。

 ⸻

「係長! 左を!」
 九重が叫んだ。

 佐伯が即座に銃を放つ。
 乾いた轟音。
 弾丸は左の男の肩を撃ち抜き、血しぶきが朝日に光った。
 男は呻き、ケースを落として倒れ込む。

 だが右側の男は、なおもケーブルを握り、金属の箱に差し込もうとしていた。

「……させるか!」
 九重は全身の力を込め、駆け出した。

 風を切り裂き、肩で男の胸を強打する。
 二人は絡み合いながら床に転がり、鉄柵に激しくぶつかった。
 衝撃で肺の空気が押し出され、視界が一瞬揺れる。

 ⸻

 九重は必死に男の手首を掴んだ。
 ケーブルの先端は装置の端子に届く寸前。
 指先が震え、汗がにじむ。

「……この街は渡さない!」
 九重の喉から、声というより唸りが漏れた。

 男は狂気の目で九重を睨み返し、血走った声をあげる。
「死ぬのはお前らだ! もう止められねえ!」

 拳が飛び、九重の頬に直撃する。
 口の中に血の味が広がった。
 だが九重は離さない。
 膝で男の腹を押さえ込み、腕をねじり上げる。

 骨の軋む感触。
 男が呻き、ケーブルが床に落ちた。

 ⸻

 その瞬間――金属箱のランプが、さらに激しく点滅を始めた。
 電子音が屋上に充満し、街全体が震えているかのように感じられる。

 頭上に浮かぶ赤い数字が、一斉に点滅した。

 〈11h 50m〉

 九重は荒い息を吐きながら、男を押さえつけた。
 全身は汗にまみれ、腕は震えていた。
 だがその瞳は鋭く、街全体を背負う覚悟を宿していた。

(……ここで倒れるわけにはいかない。
 彩音も、この街も、必ず守り抜く!)

 ⸻

 銃声と怒号と電子音が入り混じり、
 行政ビルの屋上は、死と生の境界線に変わっていた。
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