刻限

都丸譲二

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第17話 起動

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 午前七時三十分。
 行政ビル屋上の空気は、火薬と汗と鉄の匂いで濁っていた。

 銃撃戦は収まりつつあった。
 佐伯係長が撃ち抜いた男は肩を押さえて呻き、もう立ち上がる力はない。
 もう一人は九重誠治郎に組み伏せられ、鉄柵に顔を押しつけられていた。
 残る一人は、倒れたケースの横で血を流し、意識を失っている。

 風が強く吹き抜け、朝日の中に硝煙の匂いが漂った。

「……捕まえたな」
 佐伯が低くつぶやいた。
 スーツの袖は汚れ、額には汗がにじんでいた。

 九重は荒い息を吐きながら、押さえつけた男の手首に手錠を掛けた。
 金属が噛み合う音が、決着を告げた。

 ⸻

「話せ」
 九重は低く言った。

 男は荒い息を繰り返し、血の滲む唇で笑った。
「……もう遅えよ」

「何が遅い」
 九重は声を押し殺した。

「街はもう死んでる。俺らはただ……“起動キー”を持ち込んだだけだ」

 その言葉に、九重の背筋が冷たくなった。
「起動キー……?」

 佐伯が鋭く男を睨む。
「どういう意味だ。ここにある装置が本体じゃないのか」

 男は唇を歪め、笑った。
「本体は街そのものだ。ガスも電気も水も、ぜんぶ仕込んである。
 ここはただの“スイッチ”だ。
 ……押せば、街が燃える」

 ⸻

 九重の視線は、黒い金属箱に吸い寄せられた。
 ランプが規則正しく点滅し、電子音が心臓の鼓動のように鳴り続けている。
 そのリズムに合わせるかのように、頭上の数字も脈打っていた。

 〈11h 40m〉

(……あと十一時間四十分。
 だが、“スイッチ”が作動すれば一瞬で終わる。
 時間はただの猶予じゃない。敵の手で奪われる)

 九重は拳を握った。

 ⸻

 佐伯が男の胸ぐらを掴み、揺さぶった。
「起爆の方法は! どうやって作動させる!」

 男は苦しげに笑った。
「……“中央”に残った仲間がいる。
 俺らはそのための道を作っただけだ」

「仲間……?」

「そうだ。封鎖で人がいなくなったから、中央は空っぽだろ。
 だから“起動役”が自由に動ける。
 もうとっくに仕込んでるさ」

 ⸻

 九重の脳裏に、無人となった中心街の光景が蘇った。
 シャッターの下りた商店街、誰もいない駅前広場。
 そこに潜む影――まだ姿を見せていない“起動役”。

(……奴らの狙いはここじゃない。
 本命は、まだ中心街のどこかにいる)

 九重は男の顔を見下ろした。
「……起動役は誰だ」

 男は答えなかった。
 ただ血に濡れた口元を歪め、笑みだけを浮かべた。

 ⸻

 そのとき、無線が鳴った。
「こちら繁華街班! 至急報告! 不審なバンを確認、荷物を搬入中!」

 九重の心臓が強く跳ねた。

「……来たか」
 佐伯が低く言う。

 九重は立ち上がり、銃を握り直した。
 東の空は明るさを増し、街を白金に染めていた。
 だがその光景は、死の刻限を告げる鐘のように冷たく輝いていた。

 〈11h 30m〉

 街はまだ、死へ向かって進んでいた。

 午前八時前。
 行政ビルを飛び出した九重誠治郎は、無人の大通りを全力で駆けていた。
 無線からは繁華街班の緊迫した声が響く。

「黒のバンを確認! ナンバー不明、後部に大きなケースを搬入中!」

 その一言で、九重の胸は冷たく締めつけられた。
(……主犯が動き出した)

 屋上で捕らえた男の言葉が甦る。
 ──“俺らはスイッチを運んだだけだ。本命は別にいる”

 佐伯係長が九重の隣に並び、険しい声を洩らした。
「……ついに本命か」

 ⸻

 逃げ去る黒いバンが視界の端に映った。
 荷台には銀色のケースが固定され、赤いランプが脈打っている。
 エンジン音が無人の街に不気味に響き渡った。

「追え!」
 佐伯の号令と同時に、若手刑事たちが散開して追跡に入る。
 九重も銃を握りしめ、走り出した。

 その瞬間だった。

 視界に異変が走る。
 街中の人間の頭上に浮かんでいた赤い数字が、一斉に点滅を強め――そして書き換わった。

 〈11h 30m〉 → 〈3h 00m〉

 息が止まる。
「……馬鹿な」

 群衆の頭上も、遠くのビルの窓に映る自分の姿の上にも、
 すべて同じ数字が浮かんでいた。

 〈2h 59m〉
 〈2h 58m〉

 街全体の寿命が、一気に三時間へと縮んだのだ。

 ⸻

 佐伯が横目で九重を見た。
「……どうした、九重。顔色が悪いぞ」

 九重は呼吸を整え、敬語で答えた。
「刻限が……一斉に変わりました。残り三時間です」

「三時間?」
 佐伯の声は低く鋭い。
「根拠はなんだ」

 九重は短く息を吐き、言葉を絞り出した。
「以前、工場が爆発した時と同じ現象です。
 あの時も直前に、一斉に寿命が縮みました……。
 主犯が仲間の失敗に気づき、計画を前倒しにしたと考えられます」

 佐伯は数秒沈黙し、眉間に皺を寄せた。
「……お前の“見える”ってやつか」
 そして短く頷く。
「根拠はどうあれ、前倒しと見て動くべきだな」

 九重は力強く頷いた。
「はい」

 ⸻

 繁華街の入り口で、黒いバンが停車した。
 後部の扉が開き、一人の男が姿を現した。

 背の高い影。
 黒いコートにフードを深くかぶり、顔の下半分をマスクで隠している。
 その手にはタブレット端末。
 指が滑るたびに、周囲の街灯が一斉に点滅し、低い電子音が街に響いた。

「……あれが主犯か」
 佐伯の声が低く唸った。

 九重は銃を握り直し、呼吸を整えた。
 頭上の数字が脈打つように強く点滅する。

 〈2h 50m〉

(……ここから先は、逃さない)

 街の刻限は、ついに最終局面へ突入していた。

 午前八時十分。
 繁華街の大通りは、朝日に照らされ白く光っていた。
 だがそこに人影はなく、並ぶのはシャッターを下ろした店ばかり。
 風が紙屑を転がし、誰もいない路地に虚ろな音を立てた。

 黒いバンが停まり、後部から一人の男が降り立つ。
 黒いコートのフードを深くかぶり、マスクで顔を隠している。
 その手にはタブレット端末。
 指先が画面を滑るたび、街灯や信号機が不気味に明滅した。

「……あれが主犯か」
 佐伯係長の声が低く響く。

 九重誠治郎は銃を握り、鋭い息を吐いた。
 視界の端で赤い数字が強く脈打っている。

 〈2h 50m〉

 ⸻

「追え!」
 佐伯の号令。刑事たちが一斉に走り出す。

 主犯は彼らに気づくと、すぐにタブレットを操作した。
 次の瞬間、黒いバンの荷台から小型ドローンが数機飛び出した。

「ドローンだ!」
 若手刑事の叫び。

 金属の羽音が甲高く響き、ドローンは四方八方に散開する。
 それぞれに小型の爆発物らしきパックを抱え、低空で旋回しながら刑事たちを威嚇した。

 ⸻

 九重は反射的に引き金を絞った。
 乾いた銃声。
 一機が火花を散らし、煙を引いて墜落した。

「……あと四発」
 冷たい計算が頭をよぎる。
 拳銃に残る弾数を意識しないわけにはいかなかった。

 別の一機が急降下してきた。
 九重は狙いを定め、呼吸を止めて一発。
 命中。羽根が吹き飛び、ドローンは壁に激突した。

 だが残りはまだ三機。
 迂闊に撃てばすぐ弾切れになる。

 ⸻

「散開しろ!」
 佐伯が叫び、刑事たちは左右に飛び込んだ。
 銃声が交錯し、ガラスが割れて破片が舞う。

 ドローンの一つが無線機に干渉したのか、甲高いノイズが耳を刺した。
 その瞬間、別の一機が自爆し、壁が爆ぜて火花と煙が広がる。

「くっ……!」
 九重は腕で顔をかばい、爆風を抜けて前へ出た。

 残る一機は、若手刑事が至近距離から撃ち抜き、ようやく沈黙した。

 煙が立ち込める中、主犯は悠然と背を向け、大通りを走り出していた。

 ⸻

「逃がすな!」
 佐伯の声が響く。

 九重は煙を突き抜け、全力で駆け出した。
 靴音が舗道を叩き、心臓の鼓動が耳を打つ。
 呼吸が荒く、額に汗がにじむ。

 残弾は三発。
 腰のケースにスピードローダーが一つ。
 使える弾は限られている。

(……ここで仕留めるしかない)

 頭上の数字が再び点滅した。

 〈2h 45m〉

 街も、彩音も、死のカウントダウンに縛られていた。

 ⸻

 主犯は路地に入り込み、再びタブレットを操作した。
 信号機が一斉に点滅し、赤と青の光が乱舞する。
 まるで街そのものが彼に従っているかのようだった。

 九重は銃を握り直し、呼吸を整えた。
(……待て。必ず捕らえる)

 前方に伸びる大通りの先、行政ビルの影がそびえていた。
 街の心臓部。
 主犯の狙いは明白だった。

 九重は歯を食いしばり、全身で走った。

 〈2h 30m〉

 刻限は、確実にゼロへ迫っていた。

 午前八時二十五分。
 繁華街の路地は、煙と硝煙の匂いで満ちていた。
 爆発で割れたガラス片が朝日に光り、舗道に散らばっている。
 無人の街は、まるで廃墟の戦場だった。

 九重誠治郎は全力で駆けながら、逃げる主犯の背を睨み続けた。
 黒いコートの裾が風に翻り、長い影がアスファルトに伸びる。
 その背には妙な確信めいた余裕が漂っていた。

(……まだ焦っていない。追いつかれることを計算に入れているのか?)

 視界の端で赤い数字がまた脈打った。

 〈2h 20m〉

 刻限は確実に削れていく。

 ⸻

 角を曲がった瞬間、閃光が走った。
 主犯がタブレットを操作したのだ。
 ビルの外壁に取り付けられた非常灯が一斉に点滅し、目が焼けるほどの光を放つ。

「くっ……!」
 九重は腕で目を覆い、足を止めざるを得なかった。
 その隙に、主犯はさらに奥の路地へ消えていく。

 佐伯係長が低く唸った。
「街そのものを盾にしているな……」

 九重は唇を噛んだ。
「……はい。電力網も信号系統も、全部掌握されています」

 ⸻

 若手刑事が路地を駆け抜け、主犯を追い詰めようとした。
 だがその頭上で、再びドローンが飛び立った。
 今度は二機。
 低い羽音を響かせ、若手に迫る。

「下がれ!」
 九重が叫ぶと同時に、一発撃ち込んだ。
 乾いた銃声。弾丸は一機のボディを貫き、火花を散らして墜落させた。

 残弾、二発。

 もう一機が急降下する。
 九重は狙いをつけたが、トリガーにかけた指を止めた。
 弾を残さなければ、この先で確実に詰む。

 次の瞬間、佐伯が横合いから撃った。
 弾丸がドローンを撃ち抜き、金属の塊が地面に叩きつけられる。

「助かりました、係長!」
「余計な礼はいらん。走れ!」

 ⸻

 路地を抜けた先は、かつて繁華街でも最も人が集まった広場だった。
 今は無人で、ガラスの破片とゴミが風に舞うばかり。
 その中央に、主犯が立ち止まっていた。

 男はゆっくりと振り返った。
 フードの影から覗く瞳が九重を射抜く。
 氷のように冷たい光。
 そして、唇がわずかに動いた。

「……刑事」

 かすれた声が風に溶けた。
 だが、それは九重の耳に確かに届いた。

 ⸻

「……お前、なぜ俺のことを」
 九重は足を止めた。

 主犯の目がかすかに笑ったように見えた。
 その声は低く、抑揚なく響く。

「“刻限”を見ているのは、お前だけじゃない」

 九重の胸が凍りついた。
 背筋を走る悪寒。
 頭上の数字が強く点滅する。

 〈2h 10m〉

(……まさか、こいつも……!?)

 佐伯が横に立ち、低く問いただす。
「どういう意味だ。お前は誰だ」

 だが主犯は答えなかった。
 フードをさらに深くかぶり、背を向ける。
 そして広場の出口へ向かって走り出した。

 ⸻

「待てッ!」
 九重は叫び、全力で追った。

 銃を構える手は震えている。
 残弾は二発。
 それでも引き金を引けば、命を奪うだけだ。
 “刻限を見ている”という言葉が、頭から離れなかった。

(……奴は、俺と同じ目を持っているのか?
 それとも、ただ挑発しているだけなのか?)

 風が吹き抜け、灰色の街に朝の光が差し込む。
 だがその光景のどこにも、安らぎはなかった。

 〈2h 00m〉

 街は死の境界線へと、刻一刻と近づいていた。
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