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第1巻 理を識る者たち
第15章 影の街
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王都アルマ=シェル。
その中心にそびえる王立学院は、いまも白い煙を吐いていた。
錬金術の蒸気塔――通称“灰の塔”。
知を掲げる象徴であり、同時に、過去の罪を封じた場所でもある。
塔の最上階。
朝の光は窓硝子を通って、机上の書類を照らしていた。
学院長アストレア=ヴァルハルドは、一本の報告書を読み終えると、静かに息を吐いた。
筆跡は軍務局のもの。
内容は――“アーレン・グレイ、生存確認”。
薄い笑みが、皺の間にわずかに刻まれた。
「……やはり、死んではおらなんだか」
机の端には、一枚の古い写真。
数人の若い研究者が並ぶ中、中央に立つ黒髪の青年。
その隣に、まだ若かった自分――アストレアが写っている。
彼は窓の外を見やった。
王都の上空には、無数の気球船が浮かび、錬金蒸気の白煙が空を覆っている。
人は理を掴み、空までをも支配した――そう思い込んでいる。
ノックの音。
「学院長、報告に参りました」
入ってきたのは副学院長のドレイデン。
恰幅のいい中年で、軍と学院の橋渡し役を務める男だ。
「例の件、どうやら本物のようです」
「本物……というのは?」
「地下の研究室で、錬成痕が発見されました。
通常の陣式ではありません。生命反応を伴っていました」
アストレアは椅子を離れ、ゆっくりと立ち上がる。
窓辺に歩み寄り、朝光を背にして言った。
「……やはり、“彼女”を創ったか」
「“彼女”?」
「アーレンが追い続けていたものだ。
完全な“理”を持つ命。魂のない肉体ではなく、魂に形を与える術式」
ドレイデンは目を細める。
「つまり――ホムンクルス?」
「世間でそう呼ばれているが、我々の言葉では“再現体”だ」
アストレアは報告書を机に戻し、静かに手を組んだ。
「禁忌に指定された研究の果てに、彼だけが生き残った。
ならば、あの命もまた“禁忌の子”ということになる」
「学院としては……処理を?」
「いや、まだだ」
アストレアは目を細める。
その瞳は、琥珀のように冷たく、どこまでも透き通っていた。
「彼はまだ“理”を探している。
ならば、観察する価値がある。
……アーレン・グレイが何を創り、何に辿り着くのか」
ドレイデンはわずかに頷き、敬礼した。
「監視任務を継続させます。」
「よろしい。」
副院長が去ると、室内には静寂だけが残った。
アストレアは再び窓の外を見やり、低く呟いた。
「神が人に与えなかった“理”……
あの愚か者が、もう一度それに手を伸ばすというのなら」
朝日が窓を照らす。
その光の中、アストレアの横顔には、
微笑とも、諦めともつかぬ影が浮かんでいた。
「――奪い取るのは、今度は我々の方だ」
森を抜けると、風の匂いが変わった。
湿った土と草の匂いに、鉄と油と、焼いたパンの匂いが混じっている。
人の気配だ。
レナードの街は、王都へ続く街道の中継地にあたる。
朝の光が石畳を照らし、露店の布が風に揺れていた。
行き交う馬車、香辛料を売る声、笑う子ども。
そのざわめきは、アーレンの耳には少し遠いものに聞こえた。
リュミナは立ち止まり、目を丸くして人の群れを見つめている。
「……ひと、いっぱい」
「そうだ。ここでは誰も、誰を見ていない。紛れるにはいい」
「でも、うるさい」
「慣れれば気にならなくなる」
アーレンは肩にかけた鞄を下ろし、
街門近くの掲示板をざっと見上げた。
旅人用の仕事依頼、行方不明者、物資輸送の募集――
だがその中に、一枚だけ色の違う紙があった。
“学院関係者に告ぐ。禁忌研究に関する協力情報を求む。報奨金支給あり。”
アーレンは一瞬、視線を止めたが、何事もなかったように顔をそらした。
「……行こう」
「なにか、みつけた?」
「いや。どうでもいいことだ」
リュミナは首を傾げたが、すぐに焼き菓子の匂いに目を奪われた。
「これ、たべもの?」
「そうだ。だが買う金がない」
「じゃあ、みるだけ」
そう言って、露店の列を覗き込む。
陽の光が彼女の髪に反射して、通りすがりの客が振り向いた。
アーレンは素早く外套のフードを深くかぶせた。
「目立つな」
「……ごめん」
「謝ることじゃない。おまえはそういう“光”だからな」
リュミナはうつむいたまま、小さく笑った。
「アーレンの、かげ」
「ん?」
「アーレンがひかり、わたしが、かげ」
アーレンは一瞬、返す言葉を見失った。
その言葉は、あまりにも自然に響いた。
⸻
その頃、通りの反対側。
小さなカフェの二階、窓辺の席。
淡い灰青の瞳が、二人の姿を静かに追っていた。
アルテア・ルヴァン。
フードの影に隠れた彼女の表情に、感情らしいものは見えない。
手元の懐中時計を一度開き、指先で文字盤をなぞる。
「観測地点、レナード。対象、生存確認。
行動……通常。警戒レベル、低」
声は誰にも聞こえない。
通信の魔石が淡く光り、返答がないまま沈黙した。
学院からの監視命令。
ただそれだけの、無機質な任務。
だが、視線の先でリュミナが笑った瞬間、
アルテアの瞳に、わずかに波が走った。
その微細な変化を、自分自身も理解できないまま、
彼女は報告書を閉じ、立ち上がった。
「……“理”が形を持つとは、こういうことなのね」
通りのざわめきの中に、彼女の声は溶けた。
灰青の瞳が、一瞬だけ陽の光を映し、
その姿は群衆の中へ消えた。
レナードの街に、夜が降りていた。
昼間の喧騒は薄れ、街路に並ぶランタンが静かに揺れる。
油の匂いと、焼き立てのパンの残り香。
人の声は遠くでまだ途切れず、どこか温かかった。
アーレンは、宿の一室で窓の外を眺めていた。
古びた木造の宿。
壁には年代物の地図が貼られ、机の上には安いランプ。
だが屋根と鍵のかかる扉があるだけ、森よりはましだった。
ベッドではリュミナが丸くなり、毛布を胸まで引き寄せている。
昼間の人混みで疲れたのだろう。
しかし、その瞳はまだ眠ってはいなかった。
「アーレン」
「なんだ」
「ひと、いっぱいいた。
みんな、いろんな顔してた」
「ああ。人間はたくさんの“理”でできている」
「みんな、わらってたけど……こわい顔も、した」
「それが普通だ。笑うのも、怒るのも、生きてる証拠だ」
リュミナはしばらく黙り、毛布の中から顔を出した。
「わたしも、笑う?」
「笑ってるさ。たまに」
「……どんな?」
アーレンは少し考え、
「人を見て、心が動いたときの顔だ」と答えた。
リュミナはその言葉を飲み込み、目を閉じた。
呼吸がゆっくりと整っていく。
彼女の胸の奥の光が、ランプの炎と呼応するように静かに脈を打っていた。
アーレンは机に向かい、古びた地図を広げた。
街の外れ、北の丘に廃坑跡がある。
“採掘場跡、立入禁止”と書かれた印。
その印の隣には、手書きで薄く残された古い印章。
見覚えがある――学院時代の調査印。
「……まだ、ここにも残っているのか」
彼は小さく呟き、地図を折りたたんだ。
そして、窓を閉める。
外の風が油の匂いを運び、ランプの炎がふっと揺れた。
⸻
その頃、宿の向かいの建物の屋上。
アルテアは瓦の上に腰を下ろし、夜空を見上げていた。
雲の切れ間から、青白い月がのぞいている。
彼女の足元では、通信石が淡く光っていた。
「監視継続。対象は宿屋“月影亭”に滞在中。行動、安定。
危険なし。……追跡を続行します」
返答はない。
代わりに、通信石が一度だけ明滅し、光を失った。
アルテアは小さく息を吐き、
屋根の縁から街を見下ろした。
窓辺に灯るランプの光――
そこにいるはずの二人の姿は見えない。
けれど、確かに感じる。
あの部屋の奥に、“理の残響”がある。
「……本当に、禁忌なの?」
その言葉は夜風に溶け、
灰青の瞳が月を映した。
アルテアは懐中時計を取り出し、針を指で止める。
止まった時間の中に、
彼女の心のどこかもまた、静かに揺れていた。
その中心にそびえる王立学院は、いまも白い煙を吐いていた。
錬金術の蒸気塔――通称“灰の塔”。
知を掲げる象徴であり、同時に、過去の罪を封じた場所でもある。
塔の最上階。
朝の光は窓硝子を通って、机上の書類を照らしていた。
学院長アストレア=ヴァルハルドは、一本の報告書を読み終えると、静かに息を吐いた。
筆跡は軍務局のもの。
内容は――“アーレン・グレイ、生存確認”。
薄い笑みが、皺の間にわずかに刻まれた。
「……やはり、死んではおらなんだか」
机の端には、一枚の古い写真。
数人の若い研究者が並ぶ中、中央に立つ黒髪の青年。
その隣に、まだ若かった自分――アストレアが写っている。
彼は窓の外を見やった。
王都の上空には、無数の気球船が浮かび、錬金蒸気の白煙が空を覆っている。
人は理を掴み、空までをも支配した――そう思い込んでいる。
ノックの音。
「学院長、報告に参りました」
入ってきたのは副学院長のドレイデン。
恰幅のいい中年で、軍と学院の橋渡し役を務める男だ。
「例の件、どうやら本物のようです」
「本物……というのは?」
「地下の研究室で、錬成痕が発見されました。
通常の陣式ではありません。生命反応を伴っていました」
アストレアは椅子を離れ、ゆっくりと立ち上がる。
窓辺に歩み寄り、朝光を背にして言った。
「……やはり、“彼女”を創ったか」
「“彼女”?」
「アーレンが追い続けていたものだ。
完全な“理”を持つ命。魂のない肉体ではなく、魂に形を与える術式」
ドレイデンは目を細める。
「つまり――ホムンクルス?」
「世間でそう呼ばれているが、我々の言葉では“再現体”だ」
アストレアは報告書を机に戻し、静かに手を組んだ。
「禁忌に指定された研究の果てに、彼だけが生き残った。
ならば、あの命もまた“禁忌の子”ということになる」
「学院としては……処理を?」
「いや、まだだ」
アストレアは目を細める。
その瞳は、琥珀のように冷たく、どこまでも透き通っていた。
「彼はまだ“理”を探している。
ならば、観察する価値がある。
……アーレン・グレイが何を創り、何に辿り着くのか」
ドレイデンはわずかに頷き、敬礼した。
「監視任務を継続させます。」
「よろしい。」
副院長が去ると、室内には静寂だけが残った。
アストレアは再び窓の外を見やり、低く呟いた。
「神が人に与えなかった“理”……
あの愚か者が、もう一度それに手を伸ばすというのなら」
朝日が窓を照らす。
その光の中、アストレアの横顔には、
微笑とも、諦めともつかぬ影が浮かんでいた。
「――奪い取るのは、今度は我々の方だ」
森を抜けると、風の匂いが変わった。
湿った土と草の匂いに、鉄と油と、焼いたパンの匂いが混じっている。
人の気配だ。
レナードの街は、王都へ続く街道の中継地にあたる。
朝の光が石畳を照らし、露店の布が風に揺れていた。
行き交う馬車、香辛料を売る声、笑う子ども。
そのざわめきは、アーレンの耳には少し遠いものに聞こえた。
リュミナは立ち止まり、目を丸くして人の群れを見つめている。
「……ひと、いっぱい」
「そうだ。ここでは誰も、誰を見ていない。紛れるにはいい」
「でも、うるさい」
「慣れれば気にならなくなる」
アーレンは肩にかけた鞄を下ろし、
街門近くの掲示板をざっと見上げた。
旅人用の仕事依頼、行方不明者、物資輸送の募集――
だがその中に、一枚だけ色の違う紙があった。
“学院関係者に告ぐ。禁忌研究に関する協力情報を求む。報奨金支給あり。”
アーレンは一瞬、視線を止めたが、何事もなかったように顔をそらした。
「……行こう」
「なにか、みつけた?」
「いや。どうでもいいことだ」
リュミナは首を傾げたが、すぐに焼き菓子の匂いに目を奪われた。
「これ、たべもの?」
「そうだ。だが買う金がない」
「じゃあ、みるだけ」
そう言って、露店の列を覗き込む。
陽の光が彼女の髪に反射して、通りすがりの客が振り向いた。
アーレンは素早く外套のフードを深くかぶせた。
「目立つな」
「……ごめん」
「謝ることじゃない。おまえはそういう“光”だからな」
リュミナはうつむいたまま、小さく笑った。
「アーレンの、かげ」
「ん?」
「アーレンがひかり、わたしが、かげ」
アーレンは一瞬、返す言葉を見失った。
その言葉は、あまりにも自然に響いた。
⸻
その頃、通りの反対側。
小さなカフェの二階、窓辺の席。
淡い灰青の瞳が、二人の姿を静かに追っていた。
アルテア・ルヴァン。
フードの影に隠れた彼女の表情に、感情らしいものは見えない。
手元の懐中時計を一度開き、指先で文字盤をなぞる。
「観測地点、レナード。対象、生存確認。
行動……通常。警戒レベル、低」
声は誰にも聞こえない。
通信の魔石が淡く光り、返答がないまま沈黙した。
学院からの監視命令。
ただそれだけの、無機質な任務。
だが、視線の先でリュミナが笑った瞬間、
アルテアの瞳に、わずかに波が走った。
その微細な変化を、自分自身も理解できないまま、
彼女は報告書を閉じ、立ち上がった。
「……“理”が形を持つとは、こういうことなのね」
通りのざわめきの中に、彼女の声は溶けた。
灰青の瞳が、一瞬だけ陽の光を映し、
その姿は群衆の中へ消えた。
レナードの街に、夜が降りていた。
昼間の喧騒は薄れ、街路に並ぶランタンが静かに揺れる。
油の匂いと、焼き立てのパンの残り香。
人の声は遠くでまだ途切れず、どこか温かかった。
アーレンは、宿の一室で窓の外を眺めていた。
古びた木造の宿。
壁には年代物の地図が貼られ、机の上には安いランプ。
だが屋根と鍵のかかる扉があるだけ、森よりはましだった。
ベッドではリュミナが丸くなり、毛布を胸まで引き寄せている。
昼間の人混みで疲れたのだろう。
しかし、その瞳はまだ眠ってはいなかった。
「アーレン」
「なんだ」
「ひと、いっぱいいた。
みんな、いろんな顔してた」
「ああ。人間はたくさんの“理”でできている」
「みんな、わらってたけど……こわい顔も、した」
「それが普通だ。笑うのも、怒るのも、生きてる証拠だ」
リュミナはしばらく黙り、毛布の中から顔を出した。
「わたしも、笑う?」
「笑ってるさ。たまに」
「……どんな?」
アーレンは少し考え、
「人を見て、心が動いたときの顔だ」と答えた。
リュミナはその言葉を飲み込み、目を閉じた。
呼吸がゆっくりと整っていく。
彼女の胸の奥の光が、ランプの炎と呼応するように静かに脈を打っていた。
アーレンは机に向かい、古びた地図を広げた。
街の外れ、北の丘に廃坑跡がある。
“採掘場跡、立入禁止”と書かれた印。
その印の隣には、手書きで薄く残された古い印章。
見覚えがある――学院時代の調査印。
「……まだ、ここにも残っているのか」
彼は小さく呟き、地図を折りたたんだ。
そして、窓を閉める。
外の風が油の匂いを運び、ランプの炎がふっと揺れた。
⸻
その頃、宿の向かいの建物の屋上。
アルテアは瓦の上に腰を下ろし、夜空を見上げていた。
雲の切れ間から、青白い月がのぞいている。
彼女の足元では、通信石が淡く光っていた。
「監視継続。対象は宿屋“月影亭”に滞在中。行動、安定。
危険なし。……追跡を続行します」
返答はない。
代わりに、通信石が一度だけ明滅し、光を失った。
アルテアは小さく息を吐き、
屋根の縁から街を見下ろした。
窓辺に灯るランプの光――
そこにいるはずの二人の姿は見えない。
けれど、確かに感じる。
あの部屋の奥に、“理の残響”がある。
「……本当に、禁忌なの?」
その言葉は夜風に溶け、
灰青の瞳が月を映した。
アルテアは懐中時計を取り出し、針を指で止める。
止まった時間の中に、
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