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第1巻 理を識る者たち
第16章 灰と花
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森を抜けると、風の匂いが変わった。
土と葉の湿りに、油と焼きパン、鉄の粉の匂いが重なる。白い石壁の街――レナードが、朝の光に四角く切り取られている。
「ひと、いっぱい」
フードの影から、リュミナが目を丸くする。
「王都へ行く荷が集まる。混んでいる方が、紛れやすい」
アーレンは低く言って、行列の最後尾に並んだ。
街門の前では、槍を立てた兵が通行証を確かめている。
列が進む。アーレンは外套の袖に忍ばせた銀貨を一枚、静かに手渡した。兵は視線だけで重さを測り、無言で頷く。
「口は少なめに。目を合わせるな」
「うん」
リュミナは彼の袖を指先でつまむ。小さな仕草。兵の視線は通り過ぎていった。
門をくぐる。石畳が足裏に硬い。
声、声、声。売り声、笑い声、軋む車輪の音。
世界が広がって、音で満ちる。その真ん中に、二人は吸い込まれた。
宿は商業通りから一本外れた路地にあった。
木の看板に「月影亭」。干したハーブの束が軒先で揺れる。
「ここで一泊。長居はしない」
「ここ、あたたかい匂い」
「油とスープだ」
銀貨を払い、二階の端の部屋を受け取る。窓がひとつ。鍵は古いが生きている。
荷を置くと、アーレンはすぐに外へ出た。
宿の角を曲がると、旅人用の掲示板がある。仕事、行方不明、荷運び――紙が重なって風に鳴る。
その中に、一枚だけ色の薄い紙。
《学院関係者に告ぐ。禁忌研究の断片に関する情報を求む。報奨金支給。王都・灰の塔調査室》
アーレンは一瞬だけ指を止め、何事もなかったように紙を撫でて離した。
背後でリュミナが小声で問う。
「よんだ?」
「風の噂だ」
「かぜ、こわい?」
「目に見えないから厄介だ」
通りの向こうでは、旅芸人が小太鼓を叩いていた。
子どもが輪になり、笑い声が夜気に溶ける。
リュミナが半歩、そちらに足を向ける。
「あとで、すこしだけ」
「うん」
アーレンは笑ったが、その目の奥にわずかなざらつきが残った。
この街は明るい。理が安定し、人が暮らせる。
だが、その安定の下に、どんな理が沈んでいるのか――誰も考えない。
掲示板の風に揺れる紙が一枚、彼の足元に転がった。
〈灰の塔調査室〉の文字が、月明かりに淡く光る。
彼は拾わず、ただ見下ろした。
「……風の噂は、いつも灰の匂いがする」
つぶやきは、リュミナの耳には届かなかった。
夕刻のレナードは、空気に油と香辛料の匂いが混じっていた。
喧騒を抜け、アーレンとリュミナは人の流れを逆に歩いた。
辿り着いたのは、通りの裏側――目立たぬ木戸に「古書」とだけ刻まれた看板。
路地の入口で、アーレンはリュミナの肩に手を置いた。
「ここで待っていろ。昔の知り合いに会う。人が多い場所は避けたい」
「うん」
彼女は壁の影に身を寄せ、手のひらで石を撫でた。
「すこし冷たい」
「冷たいくらいが丁度いい。目立たない」
そう言って、アーレンは古びた木戸を押した。
鈍い鐘の音が鳴り、男の声が闇の奥から響く。
「……生きてやがったか」
ランプの火が揺れ、黒い眼帯の男が顔を上げる。
モルン・カーネル。
王立学院書庫の元司書。かつて、アーレンの研究班に禁書を融通してくれた協力者だ。
「久しいな」
「久しくもねえ。学院が燃えたのは何年前だ?」
「五年になるな」
「そうか。灰になるには、ちょうどいい年月だ」
モルンは口角をわずかに歪め、奥の机から束を取り出した。
灰色に煤けた羊皮紙。端に、見覚えのある印章。
〈再現体α/灰核共鳴試案〉――アーレン班の符号。
「……どこで、これを」
「王都行きの商隊が運んできた。灰の塔の新しい研究資料と一緒にな」
「灰の塔が――まだ動いているのか」
「動いてるどころじゃない。王家の資金も学院の残党も、全部そこに集まってる。
“再現体の完成は近い”ってな。名目は違うが、使われてる理屈は……おまえの灰核理論だ」
アーレンは紙の端を指でなぞった。
墨の筆跡は、彼が書いた数式の線と酷似していた。
胸の奥が冷たくなる。
「俺の理は、人を救うための仮説だった。魂を写す術じゃない」
「だが、使う奴が変われば理も変わる。おまえが離れたあと、誰かが拾ったんだろ」
モルンは机に両肘をつき、灰の指先で頬を掻いた。
「理屈なんざ、毒にも薬にもなる。止めたいなら、自分で飲み干すしかねえ」
アーレンは返す言葉を持たなかった。
紙の上に、ミリアの名を書きかけて消した昔の記憶が蘇る。
救うために創った理が、また命を弄ぶ手に渡っている――。
「……王都へ行く」
低い声で告げた。
モルンは笑わなかった。ただ、古びたランプを灯し直した。
「そう言うと思ってた。灰の鬼(アーレン)が火を止めに戻るなんざ、皮肉だな」
「火を止めるんじゃない。灰の中から、何を燃やすべきか確かめるだけだ」
「好きにしな。だが、あの塔はもう“おまえの塔”じゃねえ」
店を出ると、夕陽が沈みきっていた。
通りの角で、リュミナが猫を撫でていた。
「ねこ、あたたかい」
「おまえの手の方が、きっとあたたかい」
「アーレンの手も、すこしあたたかい」
彼女の言葉に、わずかに息が詰まる。
人通りの少ない裏通りを歩いていると、
路地の隅で、小さな鳴き声がした。
灯を向けると、黒い猫が足を引きずっていた。
後ろ足に細い針金が絡まっている。
リュミナがしゃがみ込んだ。
「いたい、の」
「触るな。噛まれるぞ」
「だいじょうぶ」
彼女の指先が針金に触れた瞬間、淡い灰の光がにじむ。
針金が静かにほどけ、傷口が塞がった。
猫は一声だけ鳴いて、路地の奥に消えていった。
リュミナは手のひらを見つめ、首をかしげる。
「……ねこ、なおった」
アーレンは息を飲んだ。
「今の……」
光はもう消えている。
だが確かに、“理”が反応した感覚があった。
治癒ではない。再構成――命そのものを編み直す理。
「いたいの、いやだから」
「……そうか」
言葉が乾いて出た。
風の中で、灰の匂いがした。
それは遠い塔の呼吸のようだった。
モルンの言葉が脳裏に蘇る。
「止めたいなら、自分で飲み干すしかねえ」
彼は拳を握った。
自分の作った理が、いま命を救った。
だがその理が、再び命を奪う日も遠くない。
リュミナは何も知らず、手を見つめていた。
「これ、へん?」
「……いや。おまえが触れたから、痛みが消えた。それでいい」
「アーレン、すこし顔、こわい」
「気のせいだ」
風が吹き抜け、灰の匂いが残った。
それは遠い塔の残り香のようだった。
人を癒す手。人を創った手。どちらも同じ温度だ。
遠くで鐘が鳴った。
灰の帳が街を覆い、夜が始まる。
夜の風は冷たく、街の明かりが丘の下に沈んでいた。
月影亭の窓から見えた崩れた屋根――
それが、レナード郊外の古い教会の跡だった。
「行ってみようか」
「うん」
アーレンが灯を持ち、リュミナが袖をつまんで歩く。
丘を登るたび、街の喧騒が遠ざかっていく。
教会の中は静かだった。
壁の半分が崩れ、床石の間から雑草が伸びている。
その中央に、円を描くような刻印が残っていた。
古い符文――錬成陣の痕。
もう誰も祈らない場所に、灰の筋だけが微かに残っている。
「昔、ここにも“理”を信じる者がいた」
アーレンは跪き、指で灰の跡をなぞる。
「神ではなく、理そのものに祈った。
――命を創れると信じてな」
「ねむってる匂い」
リュミナが言った。
「ねむってる……理の匂い」
彼女はゆっくりと膝をつき、掌を符文に重ねた。
石の間から、小さな白花が覗いている。
その茎が折れていた。
リュミナが無意識に指先で触れると、
花の輪郭が淡く光り、折れた茎が静かに繋がっていった。
息を呑む音があった。
アーレンはその光を凝視した。
癒しではない。再構成――。
理が、彼女の中で反応している。
「……アーレン、なにか、あつい」
リュミナの胸の奥が、かすかに光を帯びていた。
その瞬間、空気が軋み、灯が一瞬だけ吹き消えた。
灰の粉が見えない風に乗り、空間が裏返る。
――見えた。
円環状の白い部屋。
液体に沈む無数の器。
心臓のような光が脈打ち、
研究者たちの声がこだまする。
「再現体反応、安定。灰核、共鳴開始。」
「成功だ……理が、動いた!」
どれも、目を開けることなく崩れ落ちていく。
その中のひとつが、ほんの一瞬だけ光を放ち、リュミナの胸の奥が共鳴した。
世界が弾け、光が消えた。
ーーー次に目を開けたとき、アーレンの腕の中だった。
「見たのか」
「うん。しろい部屋……いっぱい、わたし、いた」
「……そうか」
アーレンの声は低かった。
“灰の塔計画”はまだ続いている。
自分が生み出した理が、いまも命を造り続けている。
「いく?」
リュミナが問いかける。
声がかすかに震えていた。
「こわい。でも、しりたい」
「……ああ。怖いままでいい」
アーレンはそっと彼女の肩を支えた。
「おまえが感じたものを、俺も確かめたい」
丘の上から見下ろす街は、無数の灯で瞬いていた。
そのさらに向こう――雲間から、白い尖塔の影が浮かぶ。
王都アルマ=シェル。灰の塔のある場所。
「逃げるだけでは終われない」
アーレンは静かに言った。
「王都へ行こう。奪われた理を、取り戻す」
その背後、瓦屋根の上でアルテアが夜風に髪をなびかせていた。
灰青の瞳に二人の影を映し、懐中時計を指で閉じる。
「……やっぱり、動き出したか」
呟きは風に溶け、月が雲間から顔を出した。
ーー第1巻 【完】
土と葉の湿りに、油と焼きパン、鉄の粉の匂いが重なる。白い石壁の街――レナードが、朝の光に四角く切り取られている。
「ひと、いっぱい」
フードの影から、リュミナが目を丸くする。
「王都へ行く荷が集まる。混んでいる方が、紛れやすい」
アーレンは低く言って、行列の最後尾に並んだ。
街門の前では、槍を立てた兵が通行証を確かめている。
列が進む。アーレンは外套の袖に忍ばせた銀貨を一枚、静かに手渡した。兵は視線だけで重さを測り、無言で頷く。
「口は少なめに。目を合わせるな」
「うん」
リュミナは彼の袖を指先でつまむ。小さな仕草。兵の視線は通り過ぎていった。
門をくぐる。石畳が足裏に硬い。
声、声、声。売り声、笑い声、軋む車輪の音。
世界が広がって、音で満ちる。その真ん中に、二人は吸い込まれた。
宿は商業通りから一本外れた路地にあった。
木の看板に「月影亭」。干したハーブの束が軒先で揺れる。
「ここで一泊。長居はしない」
「ここ、あたたかい匂い」
「油とスープだ」
銀貨を払い、二階の端の部屋を受け取る。窓がひとつ。鍵は古いが生きている。
荷を置くと、アーレンはすぐに外へ出た。
宿の角を曲がると、旅人用の掲示板がある。仕事、行方不明、荷運び――紙が重なって風に鳴る。
その中に、一枚だけ色の薄い紙。
《学院関係者に告ぐ。禁忌研究の断片に関する情報を求む。報奨金支給。王都・灰の塔調査室》
アーレンは一瞬だけ指を止め、何事もなかったように紙を撫でて離した。
背後でリュミナが小声で問う。
「よんだ?」
「風の噂だ」
「かぜ、こわい?」
「目に見えないから厄介だ」
通りの向こうでは、旅芸人が小太鼓を叩いていた。
子どもが輪になり、笑い声が夜気に溶ける。
リュミナが半歩、そちらに足を向ける。
「あとで、すこしだけ」
「うん」
アーレンは笑ったが、その目の奥にわずかなざらつきが残った。
この街は明るい。理が安定し、人が暮らせる。
だが、その安定の下に、どんな理が沈んでいるのか――誰も考えない。
掲示板の風に揺れる紙が一枚、彼の足元に転がった。
〈灰の塔調査室〉の文字が、月明かりに淡く光る。
彼は拾わず、ただ見下ろした。
「……風の噂は、いつも灰の匂いがする」
つぶやきは、リュミナの耳には届かなかった。
夕刻のレナードは、空気に油と香辛料の匂いが混じっていた。
喧騒を抜け、アーレンとリュミナは人の流れを逆に歩いた。
辿り着いたのは、通りの裏側――目立たぬ木戸に「古書」とだけ刻まれた看板。
路地の入口で、アーレンはリュミナの肩に手を置いた。
「ここで待っていろ。昔の知り合いに会う。人が多い場所は避けたい」
「うん」
彼女は壁の影に身を寄せ、手のひらで石を撫でた。
「すこし冷たい」
「冷たいくらいが丁度いい。目立たない」
そう言って、アーレンは古びた木戸を押した。
鈍い鐘の音が鳴り、男の声が闇の奥から響く。
「……生きてやがったか」
ランプの火が揺れ、黒い眼帯の男が顔を上げる。
モルン・カーネル。
王立学院書庫の元司書。かつて、アーレンの研究班に禁書を融通してくれた協力者だ。
「久しいな」
「久しくもねえ。学院が燃えたのは何年前だ?」
「五年になるな」
「そうか。灰になるには、ちょうどいい年月だ」
モルンは口角をわずかに歪め、奥の机から束を取り出した。
灰色に煤けた羊皮紙。端に、見覚えのある印章。
〈再現体α/灰核共鳴試案〉――アーレン班の符号。
「……どこで、これを」
「王都行きの商隊が運んできた。灰の塔の新しい研究資料と一緒にな」
「灰の塔が――まだ動いているのか」
「動いてるどころじゃない。王家の資金も学院の残党も、全部そこに集まってる。
“再現体の完成は近い”ってな。名目は違うが、使われてる理屈は……おまえの灰核理論だ」
アーレンは紙の端を指でなぞった。
墨の筆跡は、彼が書いた数式の線と酷似していた。
胸の奥が冷たくなる。
「俺の理は、人を救うための仮説だった。魂を写す術じゃない」
「だが、使う奴が変われば理も変わる。おまえが離れたあと、誰かが拾ったんだろ」
モルンは机に両肘をつき、灰の指先で頬を掻いた。
「理屈なんざ、毒にも薬にもなる。止めたいなら、自分で飲み干すしかねえ」
アーレンは返す言葉を持たなかった。
紙の上に、ミリアの名を書きかけて消した昔の記憶が蘇る。
救うために創った理が、また命を弄ぶ手に渡っている――。
「……王都へ行く」
低い声で告げた。
モルンは笑わなかった。ただ、古びたランプを灯し直した。
「そう言うと思ってた。灰の鬼(アーレン)が火を止めに戻るなんざ、皮肉だな」
「火を止めるんじゃない。灰の中から、何を燃やすべきか確かめるだけだ」
「好きにしな。だが、あの塔はもう“おまえの塔”じゃねえ」
店を出ると、夕陽が沈みきっていた。
通りの角で、リュミナが猫を撫でていた。
「ねこ、あたたかい」
「おまえの手の方が、きっとあたたかい」
「アーレンの手も、すこしあたたかい」
彼女の言葉に、わずかに息が詰まる。
人通りの少ない裏通りを歩いていると、
路地の隅で、小さな鳴き声がした。
灯を向けると、黒い猫が足を引きずっていた。
後ろ足に細い針金が絡まっている。
リュミナがしゃがみ込んだ。
「いたい、の」
「触るな。噛まれるぞ」
「だいじょうぶ」
彼女の指先が針金に触れた瞬間、淡い灰の光がにじむ。
針金が静かにほどけ、傷口が塞がった。
猫は一声だけ鳴いて、路地の奥に消えていった。
リュミナは手のひらを見つめ、首をかしげる。
「……ねこ、なおった」
アーレンは息を飲んだ。
「今の……」
光はもう消えている。
だが確かに、“理”が反応した感覚があった。
治癒ではない。再構成――命そのものを編み直す理。
「いたいの、いやだから」
「……そうか」
言葉が乾いて出た。
風の中で、灰の匂いがした。
それは遠い塔の呼吸のようだった。
モルンの言葉が脳裏に蘇る。
「止めたいなら、自分で飲み干すしかねえ」
彼は拳を握った。
自分の作った理が、いま命を救った。
だがその理が、再び命を奪う日も遠くない。
リュミナは何も知らず、手を見つめていた。
「これ、へん?」
「……いや。おまえが触れたから、痛みが消えた。それでいい」
「アーレン、すこし顔、こわい」
「気のせいだ」
風が吹き抜け、灰の匂いが残った。
それは遠い塔の残り香のようだった。
人を癒す手。人を創った手。どちらも同じ温度だ。
遠くで鐘が鳴った。
灰の帳が街を覆い、夜が始まる。
夜の風は冷たく、街の明かりが丘の下に沈んでいた。
月影亭の窓から見えた崩れた屋根――
それが、レナード郊外の古い教会の跡だった。
「行ってみようか」
「うん」
アーレンが灯を持ち、リュミナが袖をつまんで歩く。
丘を登るたび、街の喧騒が遠ざかっていく。
教会の中は静かだった。
壁の半分が崩れ、床石の間から雑草が伸びている。
その中央に、円を描くような刻印が残っていた。
古い符文――錬成陣の痕。
もう誰も祈らない場所に、灰の筋だけが微かに残っている。
「昔、ここにも“理”を信じる者がいた」
アーレンは跪き、指で灰の跡をなぞる。
「神ではなく、理そのものに祈った。
――命を創れると信じてな」
「ねむってる匂い」
リュミナが言った。
「ねむってる……理の匂い」
彼女はゆっくりと膝をつき、掌を符文に重ねた。
石の間から、小さな白花が覗いている。
その茎が折れていた。
リュミナが無意識に指先で触れると、
花の輪郭が淡く光り、折れた茎が静かに繋がっていった。
息を呑む音があった。
アーレンはその光を凝視した。
癒しではない。再構成――。
理が、彼女の中で反応している。
「……アーレン、なにか、あつい」
リュミナの胸の奥が、かすかに光を帯びていた。
その瞬間、空気が軋み、灯が一瞬だけ吹き消えた。
灰の粉が見えない風に乗り、空間が裏返る。
――見えた。
円環状の白い部屋。
液体に沈む無数の器。
心臓のような光が脈打ち、
研究者たちの声がこだまする。
「再現体反応、安定。灰核、共鳴開始。」
「成功だ……理が、動いた!」
どれも、目を開けることなく崩れ落ちていく。
その中のひとつが、ほんの一瞬だけ光を放ち、リュミナの胸の奥が共鳴した。
世界が弾け、光が消えた。
ーーー次に目を開けたとき、アーレンの腕の中だった。
「見たのか」
「うん。しろい部屋……いっぱい、わたし、いた」
「……そうか」
アーレンの声は低かった。
“灰の塔計画”はまだ続いている。
自分が生み出した理が、いまも命を造り続けている。
「いく?」
リュミナが問いかける。
声がかすかに震えていた。
「こわい。でも、しりたい」
「……ああ。怖いままでいい」
アーレンはそっと彼女の肩を支えた。
「おまえが感じたものを、俺も確かめたい」
丘の上から見下ろす街は、無数の灯で瞬いていた。
そのさらに向こう――雲間から、白い尖塔の影が浮かぶ。
王都アルマ=シェル。灰の塔のある場所。
「逃げるだけでは終われない」
アーレンは静かに言った。
「王都へ行こう。奪われた理を、取り戻す」
その背後、瓦屋根の上でアルテアが夜風に髪をなびかせていた。
灰青の瞳に二人の影を映し、懐中時計を指で閉じる。
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ーー第1巻 【完】
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