創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第2巻 理に堕つる者たち

第4章 理は、目覚めを待つ

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 夜明け前、王都の空がうすく明るみ始めた。
 灰の塔は眠りから覚めるように、壁のすき間から淡い光をこぼしていた。
 塔が息をしている――アストレアにはそう見えた。

 机の上では報告符がゆっくりと光を消していく。
 そこに記されたのは、短い一文だった。

「再現体、覚醒段階へ移行。」

 たったそれだけで十分だった。
 長年追い続けた理が、ようやく“返事”をしたのだ。

 アストレアは報告符を指でなぞる。
 指先の熱が紙を通して塔に伝わっていくような錯覚があった。
 そして、思わずつぶやく。

「……理が、応えている」

 壁を走る導管が、ゆっくりと明滅した。
 まるで塔自身がその言葉にうなずいたかのようだ。
 アーレン・グレイヴ――あの男が、とうとう理の扉を開いた。
 それとも、理のほうが彼を選んだのか。

 真相はどうでもよかった。
 重要なのは、“理が動いた”という事実だ。

 窓辺に立つ。
 王都の屋根が霧の底に沈み、街のあちこちで火を灯す音がする。
 すべての命が、この塔から始まり、この塔に還る。
 それが王都の在り方であり、彼の人生だった。

 アストレアは、手にしていた懐中時計を開く。
 表蓋に刻まれた小さな言葉が、朝の光を反射する。

《観測せよ、断ずるな》

 ――アーレンが、まだ若かった頃に残した言葉。
 その文字を見た瞬間、胸の奥で何かが疼いた。

「おまえは理に情を混ぜた。
 それでも、結果はおまえが正しかったのかもしれんな」

 塔の中心から、低い音が響く。
 それは鐘のようでいて、どこか生き物の鼓動に似ていた。
 理が塔を通して世界へ呼吸している。

 アストレアは目を閉じ、静かに命じた。

「……迎えの支度を。
 アーレン・グレイヴを、そして“彼女”を塔へ導け」

 部屋の扉の外で、控えていた助手が短くうなずく気配がする。
 彼は振り返らない。
 ただ、朝日が昇るのを待ちながら呟いた。

「理は、人の手を離れた。
 だが、まだ人の言葉を理解している――
 だからこそ、観測を続けよう」

 塔の外壁が淡く光り、王都の空に灰の輝きが広がった。
 理の目覚めは、もう始まっていた。


 森の奥で、夜が少しずつ形を失っていく。
 木々の間から薄い光がこぼれ、濡れた草に細い影を描いていた。
 灰を含んだ風がゆるやかに流れ、遠くで鳥が一声鳴く。
 世界が、ようやく呼吸を取り戻すような朝だった。

 アーレンは焚き火の残り火を棒でつつき、赤い芯を確かめる。
 そのすぐそばで、リュミナが小さな寝息を立てていた。
 肩までかけた外套の下、彼女の胸がゆっくりと上下する。
 そのたびに灰の粒がふわりと舞い、朝の光を受けて淡く輝いた。

 昨夜のことが、夢のように遠い。
 灰の犬との戦い。
 リュミナの放った光。
 あの一瞬だけ、世界そのものが息を潜めていた。

「……まるで、理が震えたみたいだったな」
 小さく呟いても、誰も答えない。
 それでいい。答えの出せる問いではない。

 アーレンは懐から古びたノートを取り出した。
 表紙には薄く灰が積もっている。
 開くと、細い文字がびっしりと並んでいた。
 実験式、符文、推測。
 どれも、かつて“塔の中”で書き続けたものだ。

 その端に、消えかけた文字が一つ残っている。
 《理は、命の影である》
 若い頃の自分が書いた言葉。
 あの頃は、理を人間の外に置いていた。
 だが、今は違う。
 リュミナを見れば分かる。理は人の中にある。

 ふと視線を向けると、リュミナが目を覚ました。
 薄く光を含んだ灰色の瞳が、ぼんやりと空を見つめている。

「……おはよう、アーレン」
「目覚めたか。体はどうだ?」
「だいじょうぶ。ちょっと、寒いだけ」

 アーレンは頷き、焚き火に新しい枝を足した。
 ぱち、と火が弾け、橙の光が二人を包む。

「……昨日のこと、覚えてる?」
 彼女は少しだけ考え込むように首をかしげた。
「光ったのは、わたし。
 でも、なにをしたかは分からない。
 ただ、守らなきゃって思った」
「それで充分だ」

 アーレンは、彼女の髪についた灰を指で払った。
 その仕草はどこか優しく、けれど迷いを含んでいた。

「俺たちは、塔に向かう」
「……塔に?」
「おまえが何者なのか、確かめるためだ。
 あそこに、すべての答えがある」

 リュミナは少しの間、黙っていた。
 風が吹き、髪が頬をかすめる。
 そのあと、彼女は小さく微笑んだ。

「……こわいけど、行くね。
 だって、アーレンが行くんでしょ?」
「ああ」
「なら、わたしも」

 その言葉に、アーレンはほんの少しだけ目を細めた。
 自分の選んだ道が、どんな結末を連れてくるのか分からない。
 けれど――この朝だけは、彼女の笑顔に救われた気がした。

 空の端に、光の塔が見える。
 白く、細く、まるで遠い星のように。
 そこから響くかすかな音が、風を渡って耳に届いた。
 ――理の脈動。

「行こう、リュミナ」
「うん」

 二人は焚き火を消し、静かな森を歩き出した。
 草の露が靴を濡らし、鳥の声が遠くでこだまする。
 夜の名残が薄れ、世界がまたひとつ目を開けていく。

 その中心にある塔が、
 朝陽を受けて、ゆっくりと輝きを増していた。




 朝の王都は、まだ半分眠っていた。
 市場の露店が開くには早く、石畳を行くのは牛車と水汲みの女くらい。
 霧の残る街路に、灰の塔の影がのびていた。

 アルテア・クローデルはその影の中を歩いていた。
 外套の裾を押さえ、吐く息を確かめる。
 夜の冷気が、まだ街の肌を離れない。

 頭の奥がざわめいていた。
 寝不足ではない。
 もっと別の、説明のつかない感覚――
 “世界がほんの少しだけ音を立てて動いた”ような、そんな違和感。

 足を止め、視線を上げる。
 灰の塔が、いつもより強く光を帯びている。
 朝日を受けて輝くには、まだ角度が浅い。
 それでも壁面が脈打つように淡く明滅していた。

 まるで塔が息をしている。

 アルテアは息を詰め、懐から小さな符を取り出した。
 掌の上でそれを広げると、符面が淡く光を放つ。
 灰色の線が走り、空気の流れを映す――はずだった。
 けれど今朝は違った。
 光は乱れ、空の上へと吸い上げられていく。
 符の端がひとりでに焦げ、薄い煙を上げた。

「……異常反応」
 呟いた声が、霧に溶ける。
 符を閉じても、胸の鼓動は速いままだ。
 何かが起きている。
 理そのものが、塔の外にまで漏れ出している。

 彼女は塔を見上げた。
 上層の窓に、一瞬だけ人影が動く。
 学長――アストレア。
 あの男はすでに知っている。
 知っていて、動かしている。

 アルテアは拳を握りしめた。
 自分が何を信じるべきか、まだ決められない。
 理か、人か。
 だが、ただ見ているだけの観測者ではいられないと分かっていた。

「……アーレン、あなたはどこまで見ているの?」

 その名を口にした瞬間、
 風が吹いた。
 街の屋根の上を、灰が舞う。
 雪のように白く、だが触れれば冷たい粉。
 塔から放たれた、理の残響。

 それを見上げながら、アルテアは小さく息を吐いた。
 美しくも、不吉な光景だった。
 理が人の世界に降り始めた朝――
 それを目撃したのは、彼女ただひとりだった。

 灰が頬に触れる。
 冷たいはずなのに、かすかに温かい。

 彼女は微笑んだ。
 それは祈りのようで、警告のようでもあった。

「……目を覚ましたのね。
 理は、人を待たなかった」

 灰の塔が低く鳴り、
 王都の空にひとすじの光が走る。
 そして、世界が静かに動き出した。


第1巻  終
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