創られし命と灰の研究者

都丸譲二

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第2巻 理に堕つる者たち

第8章 理の門

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 王都の外縁――灰をかぶった街道は、
 まるで死んだ川のように静まり返っていた。

 空は曇りも晴れもしない灰色。
 風はほとんど吹かず、
 ただ理の気配だけが空気を満たしている。

 アーレンとリュミナはゆっくりと歩いていた。
 周囲の建物は崩れ、石畳の隙間から灰が噴き出している。
 遠く、塔の根元に白く輝く円陣が見えた。
 それが“封鎖陣”――理の門だった。

「……これが、塔を囲う防壁か」
 アーレンは小さく息を呑んだ。
 それはかつて自分が設計の一部に関わった陣だ。
 本来は理の流出を防ぐために作られたはずだった。

 だが今、陣の紋様は明滅を繰り返し、
 まるで何かを拒むように光を放っていた。
 灰が渦を巻き、
 円陣の中心からは低い音――心臓の鼓動にも似た響きが広がっている。

「アーレン……あれ、息してる」
 リュミナが呟く。
 その声には、ほんの少し怯えが混じっていた。

「ああ。理が暴走してる。
 本来の流れを維持できず、自分を保とうとしているんだ」
「止められないの?」
「理は、生き物じゃない……はずだった。
 だが今は、そう言い切れない」

 アーレンは足元の灰を手に取り、符を描く。
 符面に灰が吸い込まれ、淡い光を帯びる。

「灰を媒体に……干渉を試す」
 彼は低く呟き、符を前方へ放った。

 符が空中で弾ける。
 光が陣と接触した瞬間、
 空気が跳ね、耳鳴りが走った。

 灰が弾け、リュミナが思わず目を閉じる。
 だが次の瞬間――。

 円陣の光が静まり、
 まるで目を開けるように、中心がわずかに開いた。

「……通った?」
「いや、ほんの一瞬だけだ。
 理の層が反応した。外からの符を“認識”したんだ」

 アーレンは符の残骸を見下ろし、
 その紙片に残る焼け跡を指でなぞった。
 そこには、人の文字ではない何かが刻まれていた。

 それは――形になりかけた“理の文”。
 まるで、世界そのものが語ろうとしているようだった。

「アーレン……いま、陣の声が聞こえた」
 リュミナが囁く。
「なんて?」
「『戻れ』って。……でも、少し優しかった」

 アーレンは沈黙した。
 灰の風が吹く。
 光る陣の向こうで、塔が脈を打っている。

「……理が“守っている”のか。
 それとも、“迎えようとしている”のか」

 リュミナはそっと彼の袖を掴んだ。
「どっちでも、行くんでしょ?」
「行くさ。もう引き返せない」

 アーレンは符束を握りしめ、
 封鎖陣の中央へと歩み出した。
 灰が舞い、空が震える。
 理の門が、ゆっくりと彼らを試すように開いていく。



灰の塔の観測層。
 壁を這う導管が淡く光り、
 空気がひずむように揺れていた。

 アルテア・クローデルは符盤の上に手を置いた。
 指先から伝わる脈動――塔の理核の鼓動が、
 いつもと違う速さで脈を打っている。

「外部反応……強度三、距離、王都外縁……」
 補助員が震える声で報告する。
 符盤の針が大きく揺れ、
 塔の光が一瞬だけ明滅した。

 アルテアの視線が、計測器の中央で止まる。
 そこには、明らかに“外からの信号”があった。
 符構造の波形――それは、彼女のよく知る“筆跡”をしていた。

 ――アーレン。

 胸の奥で、何かが静かに燃えた。
 驚きよりも、納得が先に来た。
 やはり、彼は戻ってきたのだ。

「封鎖陣の外側で符干渉を確認。
 理反応の層が一時的に開きました!」
「開いた?」
「はい、しかしすぐに閉じました。
 門が自律的に“修復”しています」

 アルテアは小さく息を吐いた。
 塔の理が自ら傷を癒す――
 それは、もはや構造物ではない。
 ひとつの生き物の反応だった。

「……彼は門を叩いた」
「学長、どうされますか? 塔心の再封鎖を?」
「いいえ」
 アルテアは静かに首を振る。

「――このまま、見届けます。
 彼が何を持ち、何を求めて戻ってきたのか」

 補助員たちは顔を見合わせた。
 だが誰も、彼女の指示に逆らわなかった。
 塔の光が再び強まり、
 観測層の壁がかすかに震えた。

 アルテアは窓の外を見た。
 灰の雲の向こうに、わずかに動く影――
 塔へと近づく二人の姿が、灰の風の中に溶けていく。

 そしてその胸の奥で、
 長い間押し殺してきた感情が静かに目を覚ます。

「……アーレン、あなたは“理の門”を越える覚悟をしたのね」

 彼女の手の中の符が淡く光る。
 その符には、
 消えかけた文字が一行だけ刻まれていた。

“もし彼が帰ってきたら、塔は答える”

 アーレンが学院を去る前夜、
 残していった言葉だった。

 灰の光が観測室を満たし、
 塔が静かに呼吸を始める。


 封鎖陣の中心は、静かに脈を打っていた。
 灰が風もないのに舞い上がり、
 光と混じり合って薄い膜を作っている。
 それはまるで、水のように揺らめく“空気の皮膚”だった。

 アーレンは一歩、足を踏み出した。
 靴底が灰を押し、微かな音を立てる。
 指先が痺れ、脳の奥で低い音が響く。
 ――理の流れに、触れた。

「アーレン……こわい」
 リュミナの声が震えた。
 彼女の髪が灰の光を吸い込み、白く輝いている。
 その身体の輪郭が、少しずつ霞み始めていた。

「離れるな。どんなに眩しくても、目を閉じるな」
「うん」

 二人は並んで歩みを進めた。
 灰の膜に近づくたび、空気が濃くなる。
 呼吸が重い。
 肺の奥まで“別の世界”が入り込んでくるような感覚。

 アーレンは手の中の符を握りしめ、
 短く印を描いた。
 防護符が光を放ち、空間のひずみが一瞬だけ静まる。

 だが、すぐに再び脈動が始まった。
 ――まるで門のほうが、彼らの存在を“調べている”かのように。

「ねえ、アーレン。
 門が、わたしたちを見てる」
「分かってる」
「名前を、呼ばれた気がする」
「……なんて?」
「“ルーメン”って」

 アーレンの背筋が凍った。
 門の光が、わずかに形を変えた。
 円陣の紋様が崩れ、
 代わりに浮かび上がったのは――人の瞳のような模様だった。

「……理が“個”を識別してるのか」
「アーレン……これ、痛い」
 リュミナが胸を押さえた。
 皮膚の下で、理がうずまいている。
 光の線が脈を打ち、心臓と同じリズムで輝いていた。

 アーレンは彼女の肩を抱き、叫ぶ。
「耐えろ! おまえは“理”そのものだ!
 ――なら、門に飲まれるな!」

 その瞬間、世界が音を失った。
 風が止み、灰が空中で凍りつく。
 リュミナの髪がふわりと浮かび、
 彼女の瞳の奥に、青白い光が灯った。

『……通るの?』

 声が響いた。
 リュミナの口ではない。
 門そのものが、語っていた。

「……通る。理を確かめに」
 アーレンの答えに、門の光が静かに揺れた。

『ならば――見よ』

 灰の膜が破れた。
 光が走り、
 世界がひとつ、裏返る。



 目の前に、何もなかった。
 空も地も、ただ光の粒だけ。
 それぞれが漂い、淡く震え、
 ゆっくりと形を作りはじめていた。

 アーレンは息を飲んだ。
 塔の内部――いや、理そのものの“内側”にいる。
 ここでは重力も音も、意味を持たない。

 リュミナが手を伸ばす。
 指先が一つの光に触れると、
 そこに映像が浮かび上がった。

 無数の記憶。
 笑う子ども、倒れる兵士、祈る女。
 それらが灰に溶け、ひとつの川になって流れていく。

「……これが、理の流れ」
「人の想いが……世界を動かしてる」

 アーレンは震える声で言った。
 目の前の光景は、美しくも恐ろしかった。
 人の理が積み重なり、
 その果てに“命の模倣”が生まれる――その過程を、
 彼は自らの研究で確かめてきたのだ。

 だが今、ようやく理解した。

 ――理は記録ではなく、意志だ。



 リュミナが振り返った。
 その瞳の奥で、もうひとつの光が瞬いている。
 それは、彼女の中に眠る“別の存在”。

『リュミナ……わたしを忘れないで』

 微かな声が響く。
 彼女は目を見開いた。
 その声は、あの日の夢と同じ――“ルーメン”の声だった。

「……アーレン!」
「分かってる。――ここは“理の門”じゃない。
 おそらく、“理の記憶”だ!」

 灰が舞い上がり、
 光の粒が急速に収束していく。
 塔の内部へ、さらに深く――。




――そこは、静寂の海だった。

 音も風もない。
 だが、確かに“流れ”がある。
 目に見えぬ何かが、ゆっくりと形を変えながら漂っていた。

 灰と光が混じり合い、
 その一粒一粒が“記憶”を映している。
 空間の奥に、塔の心臓のような光球が脈を打っていた。

 アーレンはその中心を見つめ、
 思わず息を呑んだ。
 理核――塔の心臓。
 自らも研究の末に、再現を試みた“理の源”が、
 今ここで、まるで生きているように呼吸している。

「……これが、塔の中枢」
「きれい……」
 リュミナが小さく呟く。
 その声は震えていた。

「灰が、泣いてるみたい」

 言葉の意味を理解するより先に、
 アーレンの胸に痛みが走った。
 この光――これが、世界を支える理の集合。
 だが同時に、幾千もの命が崩れた“痕跡”でもある。

「リュミナ……おまえは感じるか。
 この中に、“人”の気配を」
「うん。たくさん。
 でも……全部、寂しそう」

 リュミナはそっと手を伸ばした。
 指先が灰の流れに触れた瞬間、
 空間がざわめいた。

 光の粒が一斉に弾け、
 視界の中に映像が溢れ出す。



 ――無数の人影。
 実験台の上で倒れる者、
 祈りを捧げる者、
 命の理を記そうとする者。

 彼らは皆、何かを求めていた。
 “失われたもの”を取り戻そうとし、
 理の形を人の手で再現しようとした。

 アーレンは息を呑む。
 それは彼自身の願いでもあった。

「……俺たちは、同じ過ちを繰り返してきたのか」

 灰の海の中で、声が答えた。

『違う。
 人は繰り返してなどいない。
 進んでいる。――わたしたちが、証』

 リュミナが振り返る。
 その瞳の奥に、別の光が宿っていた。
 リュミナの声と重なるように、もうひとつの声が響く。

『わたしはルーメン。
 灰の中で壊れた、最初の理。
 あなたたちの“はじまり”を見ていた』

 アーレンの喉が詰まる。
 リュミナの身体を通して、
 別の意識が語っている。

「……理が、話しているのか」
『理は言葉を知らない。
 けれど、人がわたしに“名”を与えた。
 だから、こうして語れる』

 その言葉に、アーレンは息を詰めた。
 名――それは命の印。
 人が理を呼ぶことで、理が“個”となる。

「……ルーメン。
 おまえたちは、なぜ生まれた」

『失われたものを、還すため。
 でも、“還す”ことと“創る”ことの違いを、
 人はまだ知らなかった』

 灰が光を帯び、空間全体が震えた。
 理の流れが再び動き出す。

 リュミナは膝をつき、胸を押さえた。
 アーレンは駆け寄る。
 だが、彼女の顔は苦しさよりも、何かを理解したような穏やかさに満ちていた。

「アーレン……“わたし”って、ずっと続いてるのかもしれない」
「どういうことだ?」
「壊れても、終わらないの。
 灰になるたび、誰かの理の中で形を変える。
 ――だから、灰は“終わり”じゃない」

 アーレンはその言葉に何も返せなかった。
 ただ、灰の光を見上げた。

 塔の心臓が脈を打つ。
 まるで、答えを肯定するように。



 そのとき、空間の奥から別の声が響いた。
 低く、冷たい声。
 だがその響きには、明確な“意志”があった。

『……侵入者を確認。
 塔心への接続、許可されていない。』

 アーレンは顔を上げた。
 灰の奥に、金色の光が集まり始める。
 その形は、人のようで人ではない。
 “理が形を持った番人”――灰の守り人だった。

 灰の海がうねる。
 光が強まり、
 塔が、ようやく目を覚ました。
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