創られし命と灰の研究者

都丸譲二

文字の大きさ
28 / 65
第2巻 理に堕つる者たち

第10章 理災

しおりを挟む
最初に異変が起きたのは、夜明け前だった。

 王都リゼノスの空に、灰の光が走った。
 雷にも似た閃光――だが音はない。
 塔の頂から放たれた光は静かに広がり、
 雲を透かし、街全体を灰色に染めていった。

 誰もそれを災いとは思わなかった。
 その光は美しく、どこか神聖で、
 長い夜明けのように見えたのだ。



「塔が……光ってる……?」

 学院の高台で、見習いの少年が呟いた。
 彼の背後で、仲間たちが立ちすくんでいる。
 塔の光が王都全体に広がり、
 空がまるで硝子のように透けていく。

 やがて、風が止んだ。
 世界が息を潜めた。
 そして――灰が降り始めた。



 最初は、薄い雪のようだった。
 手のひらに落ちたそれは、柔らかく、光を放っている。
 人々は戸惑いながらも笑い、手を伸ばした。

 しかしすぐに、笑い声は消えた。

 肌に触れた灰が、熱を持つ。
 次の瞬間、白い光が爆ぜ、
 触れた指先から、皮膚が透けていった。

「……なに、これ……!」
「灰が……溶けて……!」

 悲鳴が上がる。
 家々の屋根が崩れ、石畳が灰に変わっていく。
 人の声が、姿が、記録のように歪んで消えていく。



 一方その頃、塔の内部。

 アーレンは腕を押さえ、膝をついた。
 理の流れが暴走している。
 空間の形が崩れ、上も下も区別がなくなっていた。

「塔の制御が……完全に外れた……!」
 額に汗が滲む。
 符を展開しようとしても、灰の干渉で形を保てない。

「アーレン、外が……!」
 リュミナが叫ぶ。
 彼女の瞳に映るのは、塔の壁に浮かぶ王都の光景。
 そこでは灰が降り、人々が光の粒となって消えていた。

「理が……世界を書き換えてる……!」
「止められないの?」
「理核を破壊するしかない!」

 アーレンは立ち上がる。
 だが、その瞬間、床から無数の手が伸びた。
 灰の番人たち。
 塔の意思が、彼を止めようとしている。

『――記録ハ進行中。
 干渉ヲ排除スル。』

 冷たい声が響く。
 番人たちの手がアーレンの脚を掴み、灰へと引きずり込もうとする。

「くそっ……!」
 足元で符を展開し、衝撃波を放つ。
 灰が爆ぜ、番人の腕が千切れる。
 だが次の瞬間には、再構成されていた。



 リュミナが前に出る。
 彼女の髪が淡く光を放ち、灰をはじく。
 その光は、塔の理と同じ波長を持っていた。

『――媒介体、リュミナ。
 あなたの存在を確認。
 同調を開始します。』

「待って……! そんなつもりじゃ――」

 灰の光が彼女の身体を包み込む。
 彼女の輪郭が揺らぎ、肌が透けていく。
 塔の意志が、彼女を“記録”として取り込もうとしている。

「リュミナ!」
 アーレンが叫ぶ。
 伸ばした手が、彼女の光をすり抜ける。

「……アーレン、怖い……
 世界が、わたしの中に入ってくる……!」

 彼女の声が震える。
 目の前の空間に、幾千もの映像が浮かび上がる。
 命の誕生、戦争、祈り、そして滅び。
 それは世界の記録、すなわち“理”のすべて。

 塔が、リュミナの中に世界を流し込んでいる。



「やめろ! それ以上やったら――!」
 アーレンは叫びながら、最後の符を放つ。
 光が奔り、塔の壁を焼いた。
 だが、塔はまるで笑うように再生した。

『人ハ記録サレル側。
 理ハ観測スル側。
 秩序ハ、誤差ヲ許サナイ。』

 灰の風が吹いた。
 塔の外、王都全体で同じ言葉が響いていた。

 ――理災。

 世界を壊す、理の記録。



 その瞬間、空が裂けた。
 灰が滝のように降り注ぎ、
 王都アルマ=シェルが光の海に沈んでいく。



「アーレン……見える?
 これが、理の終わり……」

 リュミナの声が、光の中に溶けた。
 そして塔が、爆ぜた。



 ――空が、流れ落ちていた。

 王都を覆っていた光の層が崩れ、灰の雨が滝のように降り注いでいる。
 屋根も、石畳も、人の肌も――すべて灰に変わっていく。
 それは破壊ではなく、“記録”だった。

 灰は、触れたものの形を正確に写し取る。
 街並みが、音もなく凍りついていく。
 鳥の翼、倒れかけた屋根、逃げ惑う影。
 すべてが灰の層となって積み重なり、
 王都は“静止した記録”へと変わっていった。



 塔の中層。

 アーレンは灰の風の中に立っていた。
 壁も床も流体のようにうねり、形を保てない。
 符を展開しても、灰がそれを飲み込む。

「塔の構造が――裏返ってる……!」
 視界が歪む。
 重力が失われ、空間がぐにゃりと回転した。

 上と下が入れ替わる。
 床が天井になり、天井が床へ落ちてくる。
 全ての方向が“中心”へと引かれていた。

「リュミナ!」
 彼は叫んだ。
 見上げた先――いや、もはや上下の区別もない空間の中に、
 光の渦があった。

 そこに、彼女の姿が見えた。

 リュミナは光に包まれ、
 塔の中心へとゆっくりと吸い込まれていく。
 髪が舞い、指先から灰の粒がこぼれる。
 その姿は、まるで塔に“還っていく”ようだった。



「やめろ……!」
 アーレンは符を組み、灰を切り裂いて跳躍した。
 だが空間が反転し、視界がひっくり返る。
 身体が宙に投げ出され、
 上も下もない灰の渦に飲まれていった。

 足場を求めても、灰が指先からすり抜ける。
 世界が、情報として解体されていく感覚。

「くそっ……どこが上だ!」

 そのとき、空間の奥――遠く離れた“中心”で光が閃いた。
 巨大な球体、塔の心臓部。
 それはまるで星のように脈打ち、
 リュミナの身体を包み込んでいた。

「……あれが、理核……!」

 声は届かない。
 灰の奔流が押し寄せ、アーレンを飲み込む。
 それでも彼は手を伸ばした。

「リュミナ――ッ!」

 その叫びが届いたのか、
 光が一瞬、脈を止めた。

 塔の中心で、リュミナの瞳がゆらめいた。
 まるで、彼の声を“記録”しようとするかのように。



 次の瞬間、塔が震えた。
 灰の壁が砕け、
 重力が再び方向を変える。
 すべての流れが“中心”へと吸い込まれていく。

「――っ!」
 アーレンの身体が宙を舞った。
 抵抗する間もなく、光の奔流が彼を包み込む。

 リュミナの姿が遠ざかる。
 光が彼女を覆い、
 その中心に――“理の心臓”があった。



『記録ヲ完遂スル。
 全情報ノ還元ヲ開始。』

 塔の声が響く。
 そして、アーレンの視界は白に塗り潰された。







『――干渉を検知。矛盾発生。』

 塔の声が震えた。
 光の心臓に亀裂が走る。
 灰の粒が流れを変え、リュミナの身体を包む。

「アーレン……もう、だめ」
「まだだ!」
「もし止めたら……世界が、壊れる」

「そんな世界なら、最初から間違ってる!」

 彼の叫びに、塔の光が爆発的に明滅した。
 リュミナの身体が揺らぎ、瞳が彼を見つめる。

 そして――微笑んだ。

「なら、あなたと一緒に、壊す」



 理核が砕けた。

 閃光が空間を満たし、灰が上昇する。
 光と灰が混ざり合い、世界そのものが裏返る。
 塔が崩れ、王都の空が白く塗りつぶされた。



 最後に、リュミナの声が聞こえた。

「アーレン――
 もし理がまた目を覚ましたら、その時は……あなたが、わたしを止めて」

 そして、光が消えた。



 灰だけが残った。
 世界の音も、色も、息づかいも消えた。
 ただ、静かに降り積もる灰の中で――
 アーレンは、彼女の名を呼び続けた。



学長室 ― アストレア・ヴェイル

 王都アルマ=シェルの空が割れた。

 リゼノス王立学院の最上階。
 アストレア・ヴェイルは、崩れゆく塔を見下ろしていた。
 穏やかな笑みを浮かべながら。

 机上の符盤が唸りを上げる。
 灰理塔の出力値は、観測範囲を超えて久しい。
 もはや数値の記録も意味をなしていなかった。

「……来たか、理災。
 君はついに“理そのもの”へ干渉してしまったな、アーレン」

 彼の声には怒りも驚きもなかった。
 ただ、静かな歓喜と、僅かな誇りが滲んでいた。

 窓の外で、塔が白く光る。
 灰が舞い、王都が静止していく。
 街はまるで、巨大な記録紙のように染め上げられていった。

「理は人を拒まぬが、人は理を拒む……
 この言葉を、君がどんな顔で思い出すか――」

 彼はペンを取り、記録帳の最後の頁に一行を記した。

『第零記録:理災発生。
 人が理に届き、世界がそれを拒んだ日。』

 部屋の壁が光に包まれた。
 彼は微笑んだまま、灰の海に消えた。



観測塔 ― アルテア・クローデル

 塔の中層、監察区画。
 アルテアは観測符を抱え、膝をついていた。

 符盤が熱を帯び、指先を焼く。
 警告音が途切れ途切れに鳴り響き、
 塔の壁が波打つように崩壊していく。

「……理流量、計測不能。
 構造反転、確認。塔内空間……変位率一二〇%……!」

 声が震えた。
 その先に映るのは、崩壊する学院の街並み。
 仲間の声も届かない。灰が全てを呑み込んでいく。

「これが……“理”の意思……?」

 幼いころ憧れた「真理」は、いまや化け物のようだった。
 人を救うための学問が、人を消していく。

 彼女の視界に、塔の内部で光る影が映った。
 あの光――アーレン。
 彼女は呟いた。

「先生……もし今でも、あなたが“人の理”を信じているなら――」

 その声が終わるより早く、光が塔を貫いた。
 灰の風が吹き荒れ、
 観測塔ごと、空に飲み込まれた。



塔内部 ― バルク・イェルド

 灰の海を、重い足音が進む。
 灰の犬《ハウンド・オブ・アッシュ》――隊長、バルク・イェルド。

 任務はひとつ。
 禁を破った錬金術師、アーレン・グレイヴの排除。

 視界は灰の霧に覆われ、
 光も音も遠い。
 それでも彼は迷わない。命令がある限り、進むだけだ。

 しかし、塔の中心――
 光の奔流の中に、彼は“それ”を見た。

 少女。
 理の光を纏う存在――リュミナ。

 視界が歪む。
 思考が焼ける。
 胸の奥で、かすかな声が響いた。

『あなたは、命令で動いているの?』

 答えようとした瞬間、
 符術強化の刻印が灰に侵食された。
 符が崩れ、血が溢れる。

「命令……は……もう、ない」

 その言葉と同時に、理の光が彼を包んだ。
 鎧が崩れ、肌が灰へと変わる。
 それでも、瞳だけは人のままだった。

 その瞳が最後に映したのは――
 崩れ落ちる塔の中心で、
 アーレンを庇うように伸ばした自分の手だった。






 静寂。
 灰が降る音だけが、世界を満たしていた。

 アーレンは瓦礫の中で目を覚ました。
 塔の上層は消え失せ、
 ただ灰の空と、白く光る大地だけが残っている。

 手の中には、砕けた仮面の破片。
 犬の刻印――《灰の犬》の紋章。

 灰が指先から零れ落ちる。
 そこに、誰かの声が重なった。

「……生きて……」

 リュミナの声だった。

 アーレンは目を閉じ、
 静かに呟いた。

「――生きるとも。
 灰に還っても、理は終わらせない」

 風が吹いた。
 灰が舞い、世界を覆う。
 その空の向こうに、わずかに光が残っていた。





ーー第2巻  【完】

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

正しい聖女さまのつくりかた

みるくてぃー
ファンタジー
王家で育てられた(自称)平民少女が、学園で起こすハチャメチャ学園(ラブ?)コメディ。 同じ年の第二王女をはじめ、優しい兄姉(第一王女と王子)に見守られながら成長していく。 一般常識が一切通用しない少女に友人達は振り回されてばかり、「アリスちゃんメイドを目指すのになぜダンスや淑女教育が必要なの!?」 そこには人知れず王妃と王女達によるとある計画が進められていた! 果たしてアリスは無事に立派なメイドになれるのか!? たぶん無理かなぁ……。 聖女シリーズ第一弾「正しい聖女さまのつくりかた」

企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する 

namisan
ファンタジー
数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。  転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。  しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。  凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。  詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。  それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。  「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」  前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。  痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。  そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。 これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

【完結】ご都合主義で生きてます。-商売の力で世界を変える。カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく-

ジェルミ
ファンタジー
28歳でこの世を去った佐藤は、異世界の女神により転移を誘われる。 その条件として女神に『面白楽しく生活でき、苦労をせずお金を稼いで生きていくスキルがほしい』と無理難題を言うのだった。 困った女神が授けたのは、想像した事を実現できる創生魔法だった。 この味気ない世界を、創生魔法とカスタマイズ可能なストレージを使い、美味しくなる調味料や料理を作り世界を変えて行く。 はい、ご注文は? 調味料、それとも武器ですか? カスタマイズ可能なストレージで世の中を変えていく。 村を開拓し仲間を集め国を巻き込む産業を起こす。 いずれは世界へ通じる道を繋げるために。 ※本作はカクヨム様にも掲載しております。

水神飛鳥の異世界茶会記 ~戦闘力ゼロの茶道家が、神業の【陶芸】と至高の【和菓子】で、野蛮な異世界を「癒やし」で侵略するようです~

月神世一
ファンタジー
「剣を下ろし、靴を脱いでください。……茶が入りましたよ」 ​ 猫を助けて死んだ茶道家・水神飛鳥(23歳)。 彼が転生したのは、魔法と闘気が支配する弱肉強食のファンタジー世界だった。 ​チート能力? 攻撃魔法? いいえ、彼が手にしたのは「茶道具一式」と「陶芸セット」が出せるスキルだけ。 ​「私がすべき事は、戦うことではありません。一服の茶を出し、心を整えることです」 ​ゴブリン相手に正座で茶を勧め、 戦場のど真ん中に「結界(茶室)」を展開して空気を変え、 牢屋にぶち込まれれば、そこを「隠れ家カフェ」にリフォームして看守を餌付けする。 ​そんな彼の振る舞う、異世界には存在しない「極上の甘味(カステラ・羊羹)」と、魔法よりも美しい「茶器」に、武闘派の獣人女王も、強欲な大商人も、次第に心を(胃袋を)掴まれていき……? ​「野暮な振る舞いは許しません」 ​これは、ブレない茶道家が、殺伐とした異世界を「おもてなし」で平和に変えていく、一期一会の物語。

異世界転移物語

月夜
ファンタジー
このところ、日本各地で謎の地震が頻発していた。そんなある日、都内の大学に通う僕(田所健太)は、地震が起こったときのために、部屋で非常持出袋を整理していた。すると、突然、めまいに襲われ、次に気づいたときは、深い森の中に迷い込んでいたのだ……

【完結】異世界で神の元カノのゴミ屋敷を片付けたら世界の秘密が出てきました

小豆缶
ファンタジー
父の遺したゴミ屋敷を片付けていたはずが、気づけば異世界に転移していた私・飛鳥。 しかも、神の元カノと顔がそっくりという理由で、いきなり死刑寸前!? 助けてくれた太陽神ソラリクスから頼まれた仕事は、 「500年前に別れた元恋人のゴミ屋敷を片付けてほしい」というとんでもない依頼だった。 幽霊になった元神、罠だらけの屋敷、歪んだ世界のシステム。 ポンコツだけど諦めの悪い主人公が、ゴミ屋敷を片付けながら異世界の謎を暴いていく! ほのぼのお仕事×異世界コメディ×世界の秘密解明ファンタジー

第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。

黒ハット
ファンタジー
 前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。  

処理中です...