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第2巻 理に堕つる者たち
第10章 理災
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最初に異変が起きたのは、夜明け前だった。
王都リゼノスの空に、灰の光が走った。
雷にも似た閃光――だが音はない。
塔の頂から放たれた光は静かに広がり、
雲を透かし、街全体を灰色に染めていった。
誰もそれを災いとは思わなかった。
その光は美しく、どこか神聖で、
長い夜明けのように見えたのだ。
⸻
「塔が……光ってる……?」
学院の高台で、見習いの少年が呟いた。
彼の背後で、仲間たちが立ちすくんでいる。
塔の光が王都全体に広がり、
空がまるで硝子のように透けていく。
やがて、風が止んだ。
世界が息を潜めた。
そして――灰が降り始めた。
⸻
最初は、薄い雪のようだった。
手のひらに落ちたそれは、柔らかく、光を放っている。
人々は戸惑いながらも笑い、手を伸ばした。
しかしすぐに、笑い声は消えた。
肌に触れた灰が、熱を持つ。
次の瞬間、白い光が爆ぜ、
触れた指先から、皮膚が透けていった。
「……なに、これ……!」
「灰が……溶けて……!」
悲鳴が上がる。
家々の屋根が崩れ、石畳が灰に変わっていく。
人の声が、姿が、記録のように歪んで消えていく。
⸻
一方その頃、塔の内部。
アーレンは腕を押さえ、膝をついた。
理の流れが暴走している。
空間の形が崩れ、上も下も区別がなくなっていた。
「塔の制御が……完全に外れた……!」
額に汗が滲む。
符を展開しようとしても、灰の干渉で形を保てない。
「アーレン、外が……!」
リュミナが叫ぶ。
彼女の瞳に映るのは、塔の壁に浮かぶ王都の光景。
そこでは灰が降り、人々が光の粒となって消えていた。
「理が……世界を書き換えてる……!」
「止められないの?」
「理核を破壊するしかない!」
アーレンは立ち上がる。
だが、その瞬間、床から無数の手が伸びた。
灰の番人たち。
塔の意思が、彼を止めようとしている。
『――記録ハ進行中。
干渉ヲ排除スル。』
冷たい声が響く。
番人たちの手がアーレンの脚を掴み、灰へと引きずり込もうとする。
「くそっ……!」
足元で符を展開し、衝撃波を放つ。
灰が爆ぜ、番人の腕が千切れる。
だが次の瞬間には、再構成されていた。
⸻
リュミナが前に出る。
彼女の髪が淡く光を放ち、灰をはじく。
その光は、塔の理と同じ波長を持っていた。
『――媒介体、リュミナ。
あなたの存在を確認。
同調を開始します。』
「待って……! そんなつもりじゃ――」
灰の光が彼女の身体を包み込む。
彼女の輪郭が揺らぎ、肌が透けていく。
塔の意志が、彼女を“記録”として取り込もうとしている。
「リュミナ!」
アーレンが叫ぶ。
伸ばした手が、彼女の光をすり抜ける。
「……アーレン、怖い……
世界が、わたしの中に入ってくる……!」
彼女の声が震える。
目の前の空間に、幾千もの映像が浮かび上がる。
命の誕生、戦争、祈り、そして滅び。
それは世界の記録、すなわち“理”のすべて。
塔が、リュミナの中に世界を流し込んでいる。
⸻
「やめろ! それ以上やったら――!」
アーレンは叫びながら、最後の符を放つ。
光が奔り、塔の壁を焼いた。
だが、塔はまるで笑うように再生した。
『人ハ記録サレル側。
理ハ観測スル側。
秩序ハ、誤差ヲ許サナイ。』
灰の風が吹いた。
塔の外、王都全体で同じ言葉が響いていた。
――理災。
世界を壊す、理の記録。
⸻
その瞬間、空が裂けた。
灰が滝のように降り注ぎ、
王都アルマ=シェルが光の海に沈んでいく。
⸻
「アーレン……見える?
これが、理の終わり……」
リュミナの声が、光の中に溶けた。
そして塔が、爆ぜた。
――空が、流れ落ちていた。
王都を覆っていた光の層が崩れ、灰の雨が滝のように降り注いでいる。
屋根も、石畳も、人の肌も――すべて灰に変わっていく。
それは破壊ではなく、“記録”だった。
灰は、触れたものの形を正確に写し取る。
街並みが、音もなく凍りついていく。
鳥の翼、倒れかけた屋根、逃げ惑う影。
すべてが灰の層となって積み重なり、
王都は“静止した記録”へと変わっていった。
⸻
塔の中層。
アーレンは灰の風の中に立っていた。
壁も床も流体のようにうねり、形を保てない。
符を展開しても、灰がそれを飲み込む。
「塔の構造が――裏返ってる……!」
視界が歪む。
重力が失われ、空間がぐにゃりと回転した。
上と下が入れ替わる。
床が天井になり、天井が床へ落ちてくる。
全ての方向が“中心”へと引かれていた。
「リュミナ!」
彼は叫んだ。
見上げた先――いや、もはや上下の区別もない空間の中に、
光の渦があった。
そこに、彼女の姿が見えた。
リュミナは光に包まれ、
塔の中心へとゆっくりと吸い込まれていく。
髪が舞い、指先から灰の粒がこぼれる。
その姿は、まるで塔に“還っていく”ようだった。
⸻
「やめろ……!」
アーレンは符を組み、灰を切り裂いて跳躍した。
だが空間が反転し、視界がひっくり返る。
身体が宙に投げ出され、
上も下もない灰の渦に飲まれていった。
足場を求めても、灰が指先からすり抜ける。
世界が、情報として解体されていく感覚。
「くそっ……どこが上だ!」
そのとき、空間の奥――遠く離れた“中心”で光が閃いた。
巨大な球体、塔の心臓部。
それはまるで星のように脈打ち、
リュミナの身体を包み込んでいた。
「……あれが、理核……!」
声は届かない。
灰の奔流が押し寄せ、アーレンを飲み込む。
それでも彼は手を伸ばした。
「リュミナ――ッ!」
その叫びが届いたのか、
光が一瞬、脈を止めた。
塔の中心で、リュミナの瞳がゆらめいた。
まるで、彼の声を“記録”しようとするかのように。
⸻
次の瞬間、塔が震えた。
灰の壁が砕け、
重力が再び方向を変える。
すべての流れが“中心”へと吸い込まれていく。
「――っ!」
アーレンの身体が宙を舞った。
抵抗する間もなく、光の奔流が彼を包み込む。
リュミナの姿が遠ざかる。
光が彼女を覆い、
その中心に――“理の心臓”があった。
⸻
『記録ヲ完遂スル。
全情報ノ還元ヲ開始。』
塔の声が響く。
そして、アーレンの視界は白に塗り潰された。
⸻
『――干渉を検知。矛盾発生。』
塔の声が震えた。
光の心臓に亀裂が走る。
灰の粒が流れを変え、リュミナの身体を包む。
「アーレン……もう、だめ」
「まだだ!」
「もし止めたら……世界が、壊れる」
「そんな世界なら、最初から間違ってる!」
彼の叫びに、塔の光が爆発的に明滅した。
リュミナの身体が揺らぎ、瞳が彼を見つめる。
そして――微笑んだ。
「なら、あなたと一緒に、壊す」
⸻
理核が砕けた。
閃光が空間を満たし、灰が上昇する。
光と灰が混ざり合い、世界そのものが裏返る。
塔が崩れ、王都の空が白く塗りつぶされた。
⸻
最後に、リュミナの声が聞こえた。
「アーレン――
もし理がまた目を覚ましたら、その時は……あなたが、わたしを止めて」
そして、光が消えた。
⸻
灰だけが残った。
世界の音も、色も、息づかいも消えた。
ただ、静かに降り積もる灰の中で――
アーレンは、彼女の名を呼び続けた。
学長室 ― アストレア・ヴェイル
王都アルマ=シェルの空が割れた。
リゼノス王立学院の最上階。
アストレア・ヴェイルは、崩れゆく塔を見下ろしていた。
穏やかな笑みを浮かべながら。
机上の符盤が唸りを上げる。
灰理塔の出力値は、観測範囲を超えて久しい。
もはや数値の記録も意味をなしていなかった。
「……来たか、理災。
君はついに“理そのもの”へ干渉してしまったな、アーレン」
彼の声には怒りも驚きもなかった。
ただ、静かな歓喜と、僅かな誇りが滲んでいた。
窓の外で、塔が白く光る。
灰が舞い、王都が静止していく。
街はまるで、巨大な記録紙のように染め上げられていった。
「理は人を拒まぬが、人は理を拒む……
この言葉を、君がどんな顔で思い出すか――」
彼はペンを取り、記録帳の最後の頁に一行を記した。
『第零記録:理災発生。
人が理に届き、世界がそれを拒んだ日。』
部屋の壁が光に包まれた。
彼は微笑んだまま、灰の海に消えた。
⸻
観測塔 ― アルテア・クローデル
塔の中層、監察区画。
アルテアは観測符を抱え、膝をついていた。
符盤が熱を帯び、指先を焼く。
警告音が途切れ途切れに鳴り響き、
塔の壁が波打つように崩壊していく。
「……理流量、計測不能。
構造反転、確認。塔内空間……変位率一二〇%……!」
声が震えた。
その先に映るのは、崩壊する学院の街並み。
仲間の声も届かない。灰が全てを呑み込んでいく。
「これが……“理”の意思……?」
幼いころ憧れた「真理」は、いまや化け物のようだった。
人を救うための学問が、人を消していく。
彼女の視界に、塔の内部で光る影が映った。
あの光――アーレン。
彼女は呟いた。
「先生……もし今でも、あなたが“人の理”を信じているなら――」
その声が終わるより早く、光が塔を貫いた。
灰の風が吹き荒れ、
観測塔ごと、空に飲み込まれた。
⸻
塔内部 ― バルク・イェルド
灰の海を、重い足音が進む。
灰の犬《ハウンド・オブ・アッシュ》――隊長、バルク・イェルド。
任務はひとつ。
禁を破った錬金術師、アーレン・グレイヴの排除。
視界は灰の霧に覆われ、
光も音も遠い。
それでも彼は迷わない。命令がある限り、進むだけだ。
しかし、塔の中心――
光の奔流の中に、彼は“それ”を見た。
少女。
理の光を纏う存在――リュミナ。
視界が歪む。
思考が焼ける。
胸の奥で、かすかな声が響いた。
『あなたは、命令で動いているの?』
答えようとした瞬間、
符術強化の刻印が灰に侵食された。
符が崩れ、血が溢れる。
「命令……は……もう、ない」
その言葉と同時に、理の光が彼を包んだ。
鎧が崩れ、肌が灰へと変わる。
それでも、瞳だけは人のままだった。
その瞳が最後に映したのは――
崩れ落ちる塔の中心で、
アーレンを庇うように伸ばした自分の手だった。
⸻
静寂。
灰が降る音だけが、世界を満たしていた。
アーレンは瓦礫の中で目を覚ました。
塔の上層は消え失せ、
ただ灰の空と、白く光る大地だけが残っている。
手の中には、砕けた仮面の破片。
犬の刻印――《灰の犬》の紋章。
灰が指先から零れ落ちる。
そこに、誰かの声が重なった。
「……生きて……」
リュミナの声だった。
アーレンは目を閉じ、
静かに呟いた。
「――生きるとも。
灰に還っても、理は終わらせない」
風が吹いた。
灰が舞い、世界を覆う。
その空の向こうに、わずかに光が残っていた。
ーー第2巻 【完】
王都リゼノスの空に、灰の光が走った。
雷にも似た閃光――だが音はない。
塔の頂から放たれた光は静かに広がり、
雲を透かし、街全体を灰色に染めていった。
誰もそれを災いとは思わなかった。
その光は美しく、どこか神聖で、
長い夜明けのように見えたのだ。
⸻
「塔が……光ってる……?」
学院の高台で、見習いの少年が呟いた。
彼の背後で、仲間たちが立ちすくんでいる。
塔の光が王都全体に広がり、
空がまるで硝子のように透けていく。
やがて、風が止んだ。
世界が息を潜めた。
そして――灰が降り始めた。
⸻
最初は、薄い雪のようだった。
手のひらに落ちたそれは、柔らかく、光を放っている。
人々は戸惑いながらも笑い、手を伸ばした。
しかしすぐに、笑い声は消えた。
肌に触れた灰が、熱を持つ。
次の瞬間、白い光が爆ぜ、
触れた指先から、皮膚が透けていった。
「……なに、これ……!」
「灰が……溶けて……!」
悲鳴が上がる。
家々の屋根が崩れ、石畳が灰に変わっていく。
人の声が、姿が、記録のように歪んで消えていく。
⸻
一方その頃、塔の内部。
アーレンは腕を押さえ、膝をついた。
理の流れが暴走している。
空間の形が崩れ、上も下も区別がなくなっていた。
「塔の制御が……完全に外れた……!」
額に汗が滲む。
符を展開しようとしても、灰の干渉で形を保てない。
「アーレン、外が……!」
リュミナが叫ぶ。
彼女の瞳に映るのは、塔の壁に浮かぶ王都の光景。
そこでは灰が降り、人々が光の粒となって消えていた。
「理が……世界を書き換えてる……!」
「止められないの?」
「理核を破壊するしかない!」
アーレンは立ち上がる。
だが、その瞬間、床から無数の手が伸びた。
灰の番人たち。
塔の意思が、彼を止めようとしている。
『――記録ハ進行中。
干渉ヲ排除スル。』
冷たい声が響く。
番人たちの手がアーレンの脚を掴み、灰へと引きずり込もうとする。
「くそっ……!」
足元で符を展開し、衝撃波を放つ。
灰が爆ぜ、番人の腕が千切れる。
だが次の瞬間には、再構成されていた。
⸻
リュミナが前に出る。
彼女の髪が淡く光を放ち、灰をはじく。
その光は、塔の理と同じ波長を持っていた。
『――媒介体、リュミナ。
あなたの存在を確認。
同調を開始します。』
「待って……! そんなつもりじゃ――」
灰の光が彼女の身体を包み込む。
彼女の輪郭が揺らぎ、肌が透けていく。
塔の意志が、彼女を“記録”として取り込もうとしている。
「リュミナ!」
アーレンが叫ぶ。
伸ばした手が、彼女の光をすり抜ける。
「……アーレン、怖い……
世界が、わたしの中に入ってくる……!」
彼女の声が震える。
目の前の空間に、幾千もの映像が浮かび上がる。
命の誕生、戦争、祈り、そして滅び。
それは世界の記録、すなわち“理”のすべて。
塔が、リュミナの中に世界を流し込んでいる。
⸻
「やめろ! それ以上やったら――!」
アーレンは叫びながら、最後の符を放つ。
光が奔り、塔の壁を焼いた。
だが、塔はまるで笑うように再生した。
『人ハ記録サレル側。
理ハ観測スル側。
秩序ハ、誤差ヲ許サナイ。』
灰の風が吹いた。
塔の外、王都全体で同じ言葉が響いていた。
――理災。
世界を壊す、理の記録。
⸻
その瞬間、空が裂けた。
灰が滝のように降り注ぎ、
王都アルマ=シェルが光の海に沈んでいく。
⸻
「アーレン……見える?
これが、理の終わり……」
リュミナの声が、光の中に溶けた。
そして塔が、爆ぜた。
――空が、流れ落ちていた。
王都を覆っていた光の層が崩れ、灰の雨が滝のように降り注いでいる。
屋根も、石畳も、人の肌も――すべて灰に変わっていく。
それは破壊ではなく、“記録”だった。
灰は、触れたものの形を正確に写し取る。
街並みが、音もなく凍りついていく。
鳥の翼、倒れかけた屋根、逃げ惑う影。
すべてが灰の層となって積み重なり、
王都は“静止した記録”へと変わっていった。
⸻
塔の中層。
アーレンは灰の風の中に立っていた。
壁も床も流体のようにうねり、形を保てない。
符を展開しても、灰がそれを飲み込む。
「塔の構造が――裏返ってる……!」
視界が歪む。
重力が失われ、空間がぐにゃりと回転した。
上と下が入れ替わる。
床が天井になり、天井が床へ落ちてくる。
全ての方向が“中心”へと引かれていた。
「リュミナ!」
彼は叫んだ。
見上げた先――いや、もはや上下の区別もない空間の中に、
光の渦があった。
そこに、彼女の姿が見えた。
リュミナは光に包まれ、
塔の中心へとゆっくりと吸い込まれていく。
髪が舞い、指先から灰の粒がこぼれる。
その姿は、まるで塔に“還っていく”ようだった。
⸻
「やめろ……!」
アーレンは符を組み、灰を切り裂いて跳躍した。
だが空間が反転し、視界がひっくり返る。
身体が宙に投げ出され、
上も下もない灰の渦に飲まれていった。
足場を求めても、灰が指先からすり抜ける。
世界が、情報として解体されていく感覚。
「くそっ……どこが上だ!」
そのとき、空間の奥――遠く離れた“中心”で光が閃いた。
巨大な球体、塔の心臓部。
それはまるで星のように脈打ち、
リュミナの身体を包み込んでいた。
「……あれが、理核……!」
声は届かない。
灰の奔流が押し寄せ、アーレンを飲み込む。
それでも彼は手を伸ばした。
「リュミナ――ッ!」
その叫びが届いたのか、
光が一瞬、脈を止めた。
塔の中心で、リュミナの瞳がゆらめいた。
まるで、彼の声を“記録”しようとするかのように。
⸻
次の瞬間、塔が震えた。
灰の壁が砕け、
重力が再び方向を変える。
すべての流れが“中心”へと吸い込まれていく。
「――っ!」
アーレンの身体が宙を舞った。
抵抗する間もなく、光の奔流が彼を包み込む。
リュミナの姿が遠ざかる。
光が彼女を覆い、
その中心に――“理の心臓”があった。
⸻
『記録ヲ完遂スル。
全情報ノ還元ヲ開始。』
塔の声が響く。
そして、アーレンの視界は白に塗り潰された。
⸻
『――干渉を検知。矛盾発生。』
塔の声が震えた。
光の心臓に亀裂が走る。
灰の粒が流れを変え、リュミナの身体を包む。
「アーレン……もう、だめ」
「まだだ!」
「もし止めたら……世界が、壊れる」
「そんな世界なら、最初から間違ってる!」
彼の叫びに、塔の光が爆発的に明滅した。
リュミナの身体が揺らぎ、瞳が彼を見つめる。
そして――微笑んだ。
「なら、あなたと一緒に、壊す」
⸻
理核が砕けた。
閃光が空間を満たし、灰が上昇する。
光と灰が混ざり合い、世界そのものが裏返る。
塔が崩れ、王都の空が白く塗りつぶされた。
⸻
最後に、リュミナの声が聞こえた。
「アーレン――
もし理がまた目を覚ましたら、その時は……あなたが、わたしを止めて」
そして、光が消えた。
⸻
灰だけが残った。
世界の音も、色も、息づかいも消えた。
ただ、静かに降り積もる灰の中で――
アーレンは、彼女の名を呼び続けた。
学長室 ― アストレア・ヴェイル
王都アルマ=シェルの空が割れた。
リゼノス王立学院の最上階。
アストレア・ヴェイルは、崩れゆく塔を見下ろしていた。
穏やかな笑みを浮かべながら。
机上の符盤が唸りを上げる。
灰理塔の出力値は、観測範囲を超えて久しい。
もはや数値の記録も意味をなしていなかった。
「……来たか、理災。
君はついに“理そのもの”へ干渉してしまったな、アーレン」
彼の声には怒りも驚きもなかった。
ただ、静かな歓喜と、僅かな誇りが滲んでいた。
窓の外で、塔が白く光る。
灰が舞い、王都が静止していく。
街はまるで、巨大な記録紙のように染め上げられていった。
「理は人を拒まぬが、人は理を拒む……
この言葉を、君がどんな顔で思い出すか――」
彼はペンを取り、記録帳の最後の頁に一行を記した。
『第零記録:理災発生。
人が理に届き、世界がそれを拒んだ日。』
部屋の壁が光に包まれた。
彼は微笑んだまま、灰の海に消えた。
⸻
観測塔 ― アルテア・クローデル
塔の中層、監察区画。
アルテアは観測符を抱え、膝をついていた。
符盤が熱を帯び、指先を焼く。
警告音が途切れ途切れに鳴り響き、
塔の壁が波打つように崩壊していく。
「……理流量、計測不能。
構造反転、確認。塔内空間……変位率一二〇%……!」
声が震えた。
その先に映るのは、崩壊する学院の街並み。
仲間の声も届かない。灰が全てを呑み込んでいく。
「これが……“理”の意思……?」
幼いころ憧れた「真理」は、いまや化け物のようだった。
人を救うための学問が、人を消していく。
彼女の視界に、塔の内部で光る影が映った。
あの光――アーレン。
彼女は呟いた。
「先生……もし今でも、あなたが“人の理”を信じているなら――」
その声が終わるより早く、光が塔を貫いた。
灰の風が吹き荒れ、
観測塔ごと、空に飲み込まれた。
⸻
塔内部 ― バルク・イェルド
灰の海を、重い足音が進む。
灰の犬《ハウンド・オブ・アッシュ》――隊長、バルク・イェルド。
任務はひとつ。
禁を破った錬金術師、アーレン・グレイヴの排除。
視界は灰の霧に覆われ、
光も音も遠い。
それでも彼は迷わない。命令がある限り、進むだけだ。
しかし、塔の中心――
光の奔流の中に、彼は“それ”を見た。
少女。
理の光を纏う存在――リュミナ。
視界が歪む。
思考が焼ける。
胸の奥で、かすかな声が響いた。
『あなたは、命令で動いているの?』
答えようとした瞬間、
符術強化の刻印が灰に侵食された。
符が崩れ、血が溢れる。
「命令……は……もう、ない」
その言葉と同時に、理の光が彼を包んだ。
鎧が崩れ、肌が灰へと変わる。
それでも、瞳だけは人のままだった。
その瞳が最後に映したのは――
崩れ落ちる塔の中心で、
アーレンを庇うように伸ばした自分の手だった。
⸻
静寂。
灰が降る音だけが、世界を満たしていた。
アーレンは瓦礫の中で目を覚ました。
塔の上層は消え失せ、
ただ灰の空と、白く光る大地だけが残っている。
手の中には、砕けた仮面の破片。
犬の刻印――《灰の犬》の紋章。
灰が指先から零れ落ちる。
そこに、誰かの声が重なった。
「……生きて……」
リュミナの声だった。
アーレンは目を閉じ、
静かに呟いた。
「――生きるとも。
灰に還っても、理は終わらせない」
風が吹いた。
灰が舞い、世界を覆う。
その空の向こうに、わずかに光が残っていた。
ーー第2巻 【完】
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