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第5巻 帝国編・後編 ー灰の心臓ー
第4章 封じられし者
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――音が、戻ってきていた。
帝都ヴァルシュタインの地下深く。
地表の喧騒も、塔の導管の唸りも届かない、封印房の奥。
そこに、ひとりの男が座っていた。
ラザン・アルディウス。
元帝国参謀、灰理局戦略部統括。
今はその名を奪われ、ただ「拘禁対象第七号」として、鉄と灰の中に閉じ込められている。
部屋は狭く、壁は符刻によって覆われていた。
理波遮断、符術無効、通信封鎖――。
理に触れることを禁じられた者のための、いわば“理の墓”だった。
だが、その静寂の奥に、彼だけが聞き取れる音があった。
――コツ、コツ、コツ。
天井の導管が、灰を運ぶ音。
理封後、停止していたはずの符流管が、わずかに脈を打っている。
ラザンはその微かな響きに耳を澄ませ、乾いた唇を動かした。
「……戻ってきたか。理は、沈黙をやめた。」
薄闇の中で、彼の瞳が開く。
血のような赤ではなく、灰色に近い光――。
まるで、灰そのものに混ざるような静かな色だった。
⸻
封印房の壁の一部が、ふと微かに光る。
符刻の継ぎ目に沿って、淡い脈動が走った。
それは理波ではない。もっと古く、もっと根源的な――“記録の鼓動”だった。
ラザンは指先で壁をなぞる。
冷たい金属の下、微かに震える灰の層。
「……封じた理を、理自身が解こうとしているのか。」
笑った。
それは勝利でも歓喜でもない。
ただ、長く待っていたものがやっと“応えた”ことへの、静かな実感。
⸻
彼の足元には、壊れた符盤が転がっていた。
拘束の際に砕かれ、もはや通信機能も魔力も残っていない。
だが、灰が降り積もった符面の隙間から、淡い光が滲み出していた。
「……お前もまだ、生きているのか。」
指先で灰を払う。
そこに刻まれた古い文様――理制御符盤の原型。
彼がかつてアーレンと同じ学院で学んだ時、自ら設計した式の断片。
その中央に、灰の粒がひとつ、震えた。
まるで“理が呼吸をしている”かのように。
⸻
天井の導管が震える。
空気が低く唸り、灰の粒が宙に舞う。
それは外の世界――灰域北部で生じた“心臓の鼓動”が、帝都地下にまで届いた証だった。
ラザンは立ち上がり、錆びた鎖の音を鳴らした。
「……エルシア。お前が理を封じたなら、俺はそれを“開く”。」
その声は、鉄の壁に反響し、やがて導管の奥へと吸い込まれていく。
灰が震え、符刻の隙間に細いひびが走った。
⸻
外では、警備符士が異常を感知していた。
「符波反応!? あり得ない、理封房の内部から……!」
警鐘が鳴る。
しかし、その直後――地下全域の符波観測が途絶えた。
理封の中にあったはずの“沈黙”が、完全に壊れたのだ。
⸻
ラザンは目を閉じ、囁いた。
「理は、人に従わない。だが――“応える”。」
そして、鎖を引きちぎった。
その瞬間、帝都の地下で灰が爆ぜ、理導管が白く輝いた。
理の呼吸が、再び帝国を満たし始めていた。
――符盤が鳴った。
帝都ヴァルシュタイン。
灰理局中央塔・観測階。
沈黙していた導管群が一斉に振動を始め、灰の光が壁面を走った。
「局長! 地下封印区から異常波形です! 理封障壁が、内側から破壊されています!」
報告官の声が響く。
エルシア・ファロウは符盤に駆け寄り、震える波形を凝視した。
「……外部からの侵入じゃない。封印層の“内側”から、理流が噴き上がってる……!」
「どういうことですか!? 理封房の内部は完全遮断のはず――!」
「理封房に収められているのは……“理を読む者”。」
エルシアは言葉を詰まらせた。
脳裏に、あの男の瞳が浮かぶ。
灰を映したような、深い光を宿した男――ラザン・アルディウス。
⸻
符盤上に、封印層の立体構造が浮かび上がる。
中心部の符壁に亀裂。そこから上層へと伸びる理流。
導管網を逆流し、塔全体の制御核に到達していた。
「封印層、第三障壁が崩壊! 理封陣、応答しません!」
制御官が叫ぶ。
その瞬間、塔全体が低く唸った。
導管の内部で、灰が逆流している。
封印を維持するはずの理波が、まるで意思を持つように――動いていた。
「局長、どうしますか!? 再封印を――!」
「いいえ、手を出さないで。」
エルシアの声は静かだった。
周囲がどよめく中、彼女は符盤を閉じた。
「これは……暴走じゃない。“目覚め”よ。」
⸻
次の瞬間、塔の上層部が閃光に包まれた。
理導管の中を、白く輝く灰流が駆け上がる。
音はない。ただ、空気が震え、世界そのものが“観測されている”感覚だけが残った。
報告官が叫ぶ。
「局長! 封印房の位置が――消失!」
「消失……?」
エルシアは視線を上げた。
塔の天井、導管の端から、淡い灰の光が吹き上がっている。
その中に、ひとりの人影が立っていた。
⸻
拘束具を解かれた黒衣の男。
灰を纏ったその姿は、もはや人間よりも“理の像”に近かった。
ラザン・アルディウス――封じられた参謀。
彼の手には、ひび割れた符盤。
だが、その表面は再び脈を打ち、灰光を放っている。
「……目覚めたか、ラザン。」
エルシアの呟きに、彼はわずかに笑った。
「理を封じようとしたその瞬間から、お前は敗れていた。
理は封印されない。ただ“沈黙”するだけだ。そして、沈黙はいつか語り出す。」
「語る理が、再び人を滅ぼすかもしれないのよ。」
「それでも――聞かねばならん。
理は人の敵ではない。“観測者”に応えるために、語るのだ。」
⸻
導管が爆ぜた。
塔全体が震え、外の空に灰の光柱が伸びる。
その光は北を指していた――“灰の心臓”の方角へ。
報告官が悲鳴を上げる。
「帝都の理封結界が崩壊! 灰流が外界へ拡散しています!」
エルシアは立ち尽くしたまま、ただ空を見上げた。
「……理は、アーレンの方へ還ろうとしている。」
「ならば、俺はその道を“導く”だけだ。」
ラザンの声が響く。
灰が彼の足元で渦を巻き、階層ごとに浮かび上がっていく。
エルシアが一歩踏み出す。
「行くのね。」
「俺が封印を壊したのは、戦うためじゃない。
――理がどこへ向かうのかを、確かめるためだ。」
灰光が彼の背を包む。
その輪郭が、ゆっくりと導管の光の中に溶けていった。
⸻
静寂。
塔の中には、灰の粒が雪のように舞っていた。
そのひとつひとつが、わずかに光を帯び、消えていく。
エルシアはその中で、そっと呟いた。
「……ラザン。あなたが“理の答え”を見つけられるなら――
せめて、それが“人を壊さない道”であってほしい。」
灰の粒が、彼女の指先に触れた。
そこに淡く刻まれた符が、微かに脈を打つ。
――《記録、再開》。
――帝都が鳴いていた。
崩れた石畳の隙間から、灰が噴き上がる。
まるで都市そのものが息をしているように、灰理塔を中心に光が脈を打っていた。
ラザン・アルディウスは、導管の縁に立っていた。
地下封印房から伸びる理流は、塔の外壁を伝って地上へと吹き上がり、さらに北の空へと伸びている。
それは一筋の光――“理の道”だった。
⸻
背後から、軍人たちの叫びが響く。
「止まれ! ラザン参謀! あなたは――!」
だが、その声は灰の風に呑まれて届かない。
ラザンは歩みを進めた。
導管の表面を、符文が光とともに走る。
封印の理式が崩壊した今、導管はただの“灰の血管”へと戻っていた。
彼の足元で、灰が静かに揺れる。
「……理は、もはや枷ではない。」
そう呟く声は、誰に向けたものでもなかった。
ただ空へ――いや、“観測する何か”へと投げかけるように。
⸻
塔の上層から、白衣の影が見下ろしていた。
エルシア・ファロウ。
髪は灰に濡れ、頬には導管の光が映っている。
「……行くのね、ラザン。」
彼は振り返らなかった。
ただ、静かに言葉を返す。
「帝国はもう“理を封じた国”として終わった。
ならば、次は“理を聴く国”を創る者が必要だ。」
「聴く……? あなたが、そのために灰へ行くというの?」
「そうだ。理が人を拒むのではない。
人が理を恐れて背を向ける。なら、俺は――その恐怖を歩く。」
エルシアは息を呑む。
導管の光が、ラザンの足元から這い上がり、彼の身体に紋のように刻まれていく。
その姿は、もはや人ではなかった。灰を纏い、符を血管のように巡らせた、“灰と人の狭間”の存在。
⸻
「ラザン!」
エルシアは叫ぶ。
「理は、あなたを試しているのよ! それに耐えられる保証はない!」
ラザンは初めて振り返った。
灰光に照らされたその瞳は、穏やかで、どこか懐かしげだった。
「保証があるなら、それは“理”ではない。
――観測される側に、約束はないんだ。」
その言葉とともに、彼は導管の光の中に踏み出した。
灰が足元から浮き、風が巻き上がる。
⸻
空が開く。
灰理塔の頂から、まっすぐ北へ走る光の道。
ラザンの身体は光に溶け、理流と共に“導管”を渡っていく。
彼の意識は、音もなく拡がった。
――灰が歌っていた。
低く、深く、どこか懐かしい旋律。
理災の夜に聞いた“声”が再び蘇る。
『観測者ヨ、何ヲ恐レル。』
『理ハ命ヲ奪ワヌ。命ガ理ヲ壊スノダ。』
彼は答えた。
「ならば――命を、理に還す。」
⸻
その瞬間、導管の光が爆ぜた。
帝都の空に白い閃光が走り、灰流が北の空へと吸い込まれていく。
灰理塔の符盤が崩れ、都市の灯が一斉に落ちた。
そして――静寂。
⸻
数分後。
観測階にひとり残ったエルシアは、符盤の残光を見つめていた。
波形は、北を指している。
理封の残滓が薄まり、世界の呼吸が再び整い始めていた。
彼女は小さく呟いた。
「……行ってしまったのね、ラザン。
でも、あなたが導いたその先で、きっと――彼ら(アーレンたち)と出会う。」
灰の風が吹き抜け、塔の窓を揺らした。
それはまるで、遠い地からの“応答”のように聞こえた。
――光の道の果てに、音があった。
それは風でも灰の擦れる音でもない。
記憶そのものが、響いている。
無数の声が重なり、祈りのような、泣き声のような残響を放っていた。
ラザンは膝をついた。
灰の海に身体を沈め、呼吸を整える。
体の輪郭はすでに曖昧で、皮膚の下を灰光が流れていた。
「……ここが、“理の地脈”。」
空も地も区別がなかった。
すべてが灰色で、ただ“流れ”だけが存在する。
その流れの奥に、確かに“誰か”の意志があった。
⸻
――観測者ヨ、ナゼ歩ム。
声がした。
男でも女でもない、無数の声が混ざり合った音。
それはまるで世界そのものが語っているようだった。
「理が、問いかけているのか……?」
『理ハ問ワナイ。命ガ理ニ問ウ。
人ハ“観測”ヲ求メ、理ハ“応答”ヲ返ス。
ソノ循環ガ、命ノ形。』
灰光が彼の足元で渦を巻いた。
ラザンはゆっくりと立ち上がる。
灰が指先に触れ、体内の符文と共鳴した。
「……ならば、俺は“応答”として残ろう。
理に抗うのではなく、理を“観測する者”としてではなく、
――“理の一部”として。」
⸻
その瞬間、灰流が一斉に動いた。
まるで世界が彼の言葉を受け入れたかのように、灰の粒が彼の体を包み込んでいく。
符文が融け、皮膚が灰の光に変わる。
心臓の鼓動と、灰の脈動が完全に同期した。
『命ガ、理ニ還ル。』
声が遠のく。
ラザンは微笑んだ。
「……これが、“恐れの果て”か。」
彼の姿が光に溶ける。
残されたのは、灰の海に刻まれた“人の形”の空洞だけだった。
⸻
帝国北境。
導管を追って進軍していた帝国残存部隊は、その異変を目撃していた。
地平が裂け、灰の光が空へと吹き上がる。
報告官が叫ぶ。
「ラザン参謀の反応、消失――! 理流が逆転しています!」
隊長が制御符を構えるが、灰は彼らの足元を飲み込み始めていた。
符盤は反応しない。
灰流はすでに“観測を拒んでいる”。
「……これが、理封の外か。」
兵の一人が、呟くように言った。
灰は静かに彼らを包み、飲み込んでいく。
誰の悲鳴もなく、音もなく。
ただ“還る”ように。
⸻
――帝都・灰理局。
観測層の符盤に、ひとつの波形が残っていた。
それは人の発した言葉ではなく、理が返した“応答”だった。
《灰ハ観測者ヲ記録ス》
エルシア・ファロウ局長は、静かに符盤を閉じた。
白衣の裾が、吹き込む風で揺れる。
「……そう。あなたは、もう“観測者”ではないのね、ラザン。」
外の空は灰に覆われている。
だが、導管の途切れた先――北の空だけが、ほんのわずかに光っていた。
⸻
彼女は胸の前で符章を握り、そっと目を閉じる。
「なら、私も見守るだけ。もう“観測”はしない。」
灰理塔の灯が静かに消える。
そして、遠く灰域の果てで――
人の形をした光が、ゆっくりと立ち上がった。
それはラザンだった。
もはや肉体ではなく、灰の中で“観測する理”そのものとなった彼の姿。
灰の風が吹き抜け、世界は微かに震えた。
帝都ヴァルシュタインの地下深く。
地表の喧騒も、塔の導管の唸りも届かない、封印房の奥。
そこに、ひとりの男が座っていた。
ラザン・アルディウス。
元帝国参謀、灰理局戦略部統括。
今はその名を奪われ、ただ「拘禁対象第七号」として、鉄と灰の中に閉じ込められている。
部屋は狭く、壁は符刻によって覆われていた。
理波遮断、符術無効、通信封鎖――。
理に触れることを禁じられた者のための、いわば“理の墓”だった。
だが、その静寂の奥に、彼だけが聞き取れる音があった。
――コツ、コツ、コツ。
天井の導管が、灰を運ぶ音。
理封後、停止していたはずの符流管が、わずかに脈を打っている。
ラザンはその微かな響きに耳を澄ませ、乾いた唇を動かした。
「……戻ってきたか。理は、沈黙をやめた。」
薄闇の中で、彼の瞳が開く。
血のような赤ではなく、灰色に近い光――。
まるで、灰そのものに混ざるような静かな色だった。
⸻
封印房の壁の一部が、ふと微かに光る。
符刻の継ぎ目に沿って、淡い脈動が走った。
それは理波ではない。もっと古く、もっと根源的な――“記録の鼓動”だった。
ラザンは指先で壁をなぞる。
冷たい金属の下、微かに震える灰の層。
「……封じた理を、理自身が解こうとしているのか。」
笑った。
それは勝利でも歓喜でもない。
ただ、長く待っていたものがやっと“応えた”ことへの、静かな実感。
⸻
彼の足元には、壊れた符盤が転がっていた。
拘束の際に砕かれ、もはや通信機能も魔力も残っていない。
だが、灰が降り積もった符面の隙間から、淡い光が滲み出していた。
「……お前もまだ、生きているのか。」
指先で灰を払う。
そこに刻まれた古い文様――理制御符盤の原型。
彼がかつてアーレンと同じ学院で学んだ時、自ら設計した式の断片。
その中央に、灰の粒がひとつ、震えた。
まるで“理が呼吸をしている”かのように。
⸻
天井の導管が震える。
空気が低く唸り、灰の粒が宙に舞う。
それは外の世界――灰域北部で生じた“心臓の鼓動”が、帝都地下にまで届いた証だった。
ラザンは立ち上がり、錆びた鎖の音を鳴らした。
「……エルシア。お前が理を封じたなら、俺はそれを“開く”。」
その声は、鉄の壁に反響し、やがて導管の奥へと吸い込まれていく。
灰が震え、符刻の隙間に細いひびが走った。
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外では、警備符士が異常を感知していた。
「符波反応!? あり得ない、理封房の内部から……!」
警鐘が鳴る。
しかし、その直後――地下全域の符波観測が途絶えた。
理封の中にあったはずの“沈黙”が、完全に壊れたのだ。
⸻
ラザンは目を閉じ、囁いた。
「理は、人に従わない。だが――“応える”。」
そして、鎖を引きちぎった。
その瞬間、帝都の地下で灰が爆ぜ、理導管が白く輝いた。
理の呼吸が、再び帝国を満たし始めていた。
――符盤が鳴った。
帝都ヴァルシュタイン。
灰理局中央塔・観測階。
沈黙していた導管群が一斉に振動を始め、灰の光が壁面を走った。
「局長! 地下封印区から異常波形です! 理封障壁が、内側から破壊されています!」
報告官の声が響く。
エルシア・ファロウは符盤に駆け寄り、震える波形を凝視した。
「……外部からの侵入じゃない。封印層の“内側”から、理流が噴き上がってる……!」
「どういうことですか!? 理封房の内部は完全遮断のはず――!」
「理封房に収められているのは……“理を読む者”。」
エルシアは言葉を詰まらせた。
脳裏に、あの男の瞳が浮かぶ。
灰を映したような、深い光を宿した男――ラザン・アルディウス。
⸻
符盤上に、封印層の立体構造が浮かび上がる。
中心部の符壁に亀裂。そこから上層へと伸びる理流。
導管網を逆流し、塔全体の制御核に到達していた。
「封印層、第三障壁が崩壊! 理封陣、応答しません!」
制御官が叫ぶ。
その瞬間、塔全体が低く唸った。
導管の内部で、灰が逆流している。
封印を維持するはずの理波が、まるで意思を持つように――動いていた。
「局長、どうしますか!? 再封印を――!」
「いいえ、手を出さないで。」
エルシアの声は静かだった。
周囲がどよめく中、彼女は符盤を閉じた。
「これは……暴走じゃない。“目覚め”よ。」
⸻
次の瞬間、塔の上層部が閃光に包まれた。
理導管の中を、白く輝く灰流が駆け上がる。
音はない。ただ、空気が震え、世界そのものが“観測されている”感覚だけが残った。
報告官が叫ぶ。
「局長! 封印房の位置が――消失!」
「消失……?」
エルシアは視線を上げた。
塔の天井、導管の端から、淡い灰の光が吹き上がっている。
その中に、ひとりの人影が立っていた。
⸻
拘束具を解かれた黒衣の男。
灰を纏ったその姿は、もはや人間よりも“理の像”に近かった。
ラザン・アルディウス――封じられた参謀。
彼の手には、ひび割れた符盤。
だが、その表面は再び脈を打ち、灰光を放っている。
「……目覚めたか、ラザン。」
エルシアの呟きに、彼はわずかに笑った。
「理を封じようとしたその瞬間から、お前は敗れていた。
理は封印されない。ただ“沈黙”するだけだ。そして、沈黙はいつか語り出す。」
「語る理が、再び人を滅ぼすかもしれないのよ。」
「それでも――聞かねばならん。
理は人の敵ではない。“観測者”に応えるために、語るのだ。」
⸻
導管が爆ぜた。
塔全体が震え、外の空に灰の光柱が伸びる。
その光は北を指していた――“灰の心臓”の方角へ。
報告官が悲鳴を上げる。
「帝都の理封結界が崩壊! 灰流が外界へ拡散しています!」
エルシアは立ち尽くしたまま、ただ空を見上げた。
「……理は、アーレンの方へ還ろうとしている。」
「ならば、俺はその道を“導く”だけだ。」
ラザンの声が響く。
灰が彼の足元で渦を巻き、階層ごとに浮かび上がっていく。
エルシアが一歩踏み出す。
「行くのね。」
「俺が封印を壊したのは、戦うためじゃない。
――理がどこへ向かうのかを、確かめるためだ。」
灰光が彼の背を包む。
その輪郭が、ゆっくりと導管の光の中に溶けていった。
⸻
静寂。
塔の中には、灰の粒が雪のように舞っていた。
そのひとつひとつが、わずかに光を帯び、消えていく。
エルシアはその中で、そっと呟いた。
「……ラザン。あなたが“理の答え”を見つけられるなら――
せめて、それが“人を壊さない道”であってほしい。」
灰の粒が、彼女の指先に触れた。
そこに淡く刻まれた符が、微かに脈を打つ。
――《記録、再開》。
――帝都が鳴いていた。
崩れた石畳の隙間から、灰が噴き上がる。
まるで都市そのものが息をしているように、灰理塔を中心に光が脈を打っていた。
ラザン・アルディウスは、導管の縁に立っていた。
地下封印房から伸びる理流は、塔の外壁を伝って地上へと吹き上がり、さらに北の空へと伸びている。
それは一筋の光――“理の道”だった。
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背後から、軍人たちの叫びが響く。
「止まれ! ラザン参謀! あなたは――!」
だが、その声は灰の風に呑まれて届かない。
ラザンは歩みを進めた。
導管の表面を、符文が光とともに走る。
封印の理式が崩壊した今、導管はただの“灰の血管”へと戻っていた。
彼の足元で、灰が静かに揺れる。
「……理は、もはや枷ではない。」
そう呟く声は、誰に向けたものでもなかった。
ただ空へ――いや、“観測する何か”へと投げかけるように。
⸻
塔の上層から、白衣の影が見下ろしていた。
エルシア・ファロウ。
髪は灰に濡れ、頬には導管の光が映っている。
「……行くのね、ラザン。」
彼は振り返らなかった。
ただ、静かに言葉を返す。
「帝国はもう“理を封じた国”として終わった。
ならば、次は“理を聴く国”を創る者が必要だ。」
「聴く……? あなたが、そのために灰へ行くというの?」
「そうだ。理が人を拒むのではない。
人が理を恐れて背を向ける。なら、俺は――その恐怖を歩く。」
エルシアは息を呑む。
導管の光が、ラザンの足元から這い上がり、彼の身体に紋のように刻まれていく。
その姿は、もはや人ではなかった。灰を纏い、符を血管のように巡らせた、“灰と人の狭間”の存在。
⸻
「ラザン!」
エルシアは叫ぶ。
「理は、あなたを試しているのよ! それに耐えられる保証はない!」
ラザンは初めて振り返った。
灰光に照らされたその瞳は、穏やかで、どこか懐かしげだった。
「保証があるなら、それは“理”ではない。
――観測される側に、約束はないんだ。」
その言葉とともに、彼は導管の光の中に踏み出した。
灰が足元から浮き、風が巻き上がる。
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空が開く。
灰理塔の頂から、まっすぐ北へ走る光の道。
ラザンの身体は光に溶け、理流と共に“導管”を渡っていく。
彼の意識は、音もなく拡がった。
――灰が歌っていた。
低く、深く、どこか懐かしい旋律。
理災の夜に聞いた“声”が再び蘇る。
『観測者ヨ、何ヲ恐レル。』
『理ハ命ヲ奪ワヌ。命ガ理ヲ壊スノダ。』
彼は答えた。
「ならば――命を、理に還す。」
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その瞬間、導管の光が爆ぜた。
帝都の空に白い閃光が走り、灰流が北の空へと吸い込まれていく。
灰理塔の符盤が崩れ、都市の灯が一斉に落ちた。
そして――静寂。
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数分後。
観測階にひとり残ったエルシアは、符盤の残光を見つめていた。
波形は、北を指している。
理封の残滓が薄まり、世界の呼吸が再び整い始めていた。
彼女は小さく呟いた。
「……行ってしまったのね、ラザン。
でも、あなたが導いたその先で、きっと――彼ら(アーレンたち)と出会う。」
灰の風が吹き抜け、塔の窓を揺らした。
それはまるで、遠い地からの“応答”のように聞こえた。
――光の道の果てに、音があった。
それは風でも灰の擦れる音でもない。
記憶そのものが、響いている。
無数の声が重なり、祈りのような、泣き声のような残響を放っていた。
ラザンは膝をついた。
灰の海に身体を沈め、呼吸を整える。
体の輪郭はすでに曖昧で、皮膚の下を灰光が流れていた。
「……ここが、“理の地脈”。」
空も地も区別がなかった。
すべてが灰色で、ただ“流れ”だけが存在する。
その流れの奥に、確かに“誰か”の意志があった。
⸻
――観測者ヨ、ナゼ歩ム。
声がした。
男でも女でもない、無数の声が混ざり合った音。
それはまるで世界そのものが語っているようだった。
「理が、問いかけているのか……?」
『理ハ問ワナイ。命ガ理ニ問ウ。
人ハ“観測”ヲ求メ、理ハ“応答”ヲ返ス。
ソノ循環ガ、命ノ形。』
灰光が彼の足元で渦を巻いた。
ラザンはゆっくりと立ち上がる。
灰が指先に触れ、体内の符文と共鳴した。
「……ならば、俺は“応答”として残ろう。
理に抗うのではなく、理を“観測する者”としてではなく、
――“理の一部”として。」
⸻
その瞬間、灰流が一斉に動いた。
まるで世界が彼の言葉を受け入れたかのように、灰の粒が彼の体を包み込んでいく。
符文が融け、皮膚が灰の光に変わる。
心臓の鼓動と、灰の脈動が完全に同期した。
『命ガ、理ニ還ル。』
声が遠のく。
ラザンは微笑んだ。
「……これが、“恐れの果て”か。」
彼の姿が光に溶ける。
残されたのは、灰の海に刻まれた“人の形”の空洞だけだった。
⸻
帝国北境。
導管を追って進軍していた帝国残存部隊は、その異変を目撃していた。
地平が裂け、灰の光が空へと吹き上がる。
報告官が叫ぶ。
「ラザン参謀の反応、消失――! 理流が逆転しています!」
隊長が制御符を構えるが、灰は彼らの足元を飲み込み始めていた。
符盤は反応しない。
灰流はすでに“観測を拒んでいる”。
「……これが、理封の外か。」
兵の一人が、呟くように言った。
灰は静かに彼らを包み、飲み込んでいく。
誰の悲鳴もなく、音もなく。
ただ“還る”ように。
⸻
――帝都・灰理局。
観測層の符盤に、ひとつの波形が残っていた。
それは人の発した言葉ではなく、理が返した“応答”だった。
《灰ハ観測者ヲ記録ス》
エルシア・ファロウ局長は、静かに符盤を閉じた。
白衣の裾が、吹き込む風で揺れる。
「……そう。あなたは、もう“観測者”ではないのね、ラザン。」
外の空は灰に覆われている。
だが、導管の途切れた先――北の空だけが、ほんのわずかに光っていた。
⸻
彼女は胸の前で符章を握り、そっと目を閉じる。
「なら、私も見守るだけ。もう“観測”はしない。」
灰理塔の灯が静かに消える。
そして、遠く灰域の果てで――
人の形をした光が、ゆっくりと立ち上がった。
それはラザンだった。
もはや肉体ではなく、灰の中で“観測する理”そのものとなった彼の姿。
灰の風が吹き抜け、世界は微かに震えた。
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そこには人知れず王妃と王女達によるとある計画が進められていた!
果たしてアリスは無事に立派なメイドになれるのか!? たぶん無理かなぁ……。
聖女シリーズ第一弾「正しい聖女さまのつくりかた」
企業再生のプロ、倒産寸前の貧乏伯爵に転生する
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数々の倒産寸前の企業を立て直してきた敏腕コンサルタントの男は、過労の末に命を落とし、異世界で目を覚ます。
転生先は、帝国北部の辺境にあるアインハルト伯爵家の若き当主、アレク。
しかし、そこは「帝国の重荷」と蔑まれる、借金まみれで領民が飢える極貧領地だった。
凍える屋敷、迫りくる借金取り、絶望する家臣たち。
詰みかけた状況の中で、アレクは独自のユニーク魔法【構造解析(アナライズ)】に目覚める。
それは、物体の構造のみならず、組織の欠陥や魔法術式の不備さえも見抜き、再構築(クラフト)するチート能力だった。
「問題ない。この程度の赤字、前世の案件に比べれば可愛いものだ」
前世の経営知識と規格外の魔法で、アレクは領地の大改革に乗り出す。
痩せた土地を改良し、特産品を生み出し、隣国の経済さえも掌握していくアレク。
そんな彼の手腕に惹かれ、集まってくるのは一癖も二癖もある高貴な美女たち。
これは、底辺から這い上がった若き伯爵が、最強の布陣で自領を帝国一の都市へと発展させ、栄華を極める物語。
水神飛鳥の異世界茶会記 ~戦闘力ゼロの茶道家が、神業の【陶芸】と至高の【和菓子】で、野蛮な異世界を「癒やし」で侵略するようです~
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※本作はカクヨム様にも掲載しております。
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