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レベル4.女騎士と女奴隷と日常①

13.女奴隷と風邪

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 ある日。

「ぐぅえほ! げほ! ばかな……このわだじが……こんなっ……!」

 荒い息を吐き、咳を連発しながらリファレンス・ルマナ・ビューア(注:女騎士。空を飛ばないものだけを指す)はベッドから起き上がろうとする。
 しかしもはやその動作は「起き上がる」ではなく、「這い出る」といったほうが妥当なものであった。
 頭から床に滑るように落ち、そこから両手をついて立ち上がろうとするも、途中でバテてしまう有様。

「ダメですよリファさん! 寝ていなくては!」

 そんな彼女を、クローラ・クエリ(注:女奴隷。空を飛ばないものだけを指す)が慌てて止めた。
 リファの身体をせっせと抱きかかえ、ベッドへと横たえる。

「おかしい……ぎのうはなんともなかっだのに……あざおきたら、体があづく、あだまは重く、まともに立つことすらでぎない……これは一体……」

 顔を赤くし、いつもの勇ましくも透き通るようなものとは似ても似つかないガラガラ声で、唸るようにリファは言った。
 その様子を傍で見ていたクローラは、洗面器に張られた水に浸したタオルを固く絞る。

「どうしましょう。外界の瘴気にあたったのでしょうか? もしくは毒のある魔獣に噛まれたとか……」
「今まで一緒に生活してきてそんな大層なもんに遭遇したかよ?」

 俺はダッシュボードの中をくまなく探しながらそう返した。
 八王子はクソ田舎な分空気はそこそこ清浄だし、住んでる動物も人畜無害な奴ばかりだよ、失敬な。
 しかしクローラは切羽詰まった様子で、リファの額に濡れタオルを置きつつ言う。

「ですが、現にこうしてリファさんは今にも死にそうなのですよ! 早くお医者様を呼ばないと!」
「落ち着けよ。別にそんな騒ぐほどのことじゃない。十中八九ただの風邪だ」
「風邪……? なんなのですそれは?」
「まぁ流行り病の一種だな。ワイヤードにもそれぐらいあるだろ」
「流行り病!? もっと大変ではないですか! ワイヤードで最も恐るべき脅威の一つです!」

 ずいっ! と俺に詰め寄りながらクローラは悲痛な声をあげた。

「他国からの侵略、そして内部からの反乱……国を滅ぼす恐れのあるものは数あれど、どれもワイヤードの国力をもってすれば解決は可能です。しかし病魔だけは別! 今までにそれでどれだけの人が犠牲になったか……」

 言い方が悪かったかな。おそらく今の彼女が想像しているのは天然痘とかコレラとかそういう系のやつだろう。
 だが今のリファについては、先述の通り騒ぐことのほどではない。第一それだったら俺だってこんな悠長に構えちゃいない。
 何故俺がすぐにリファがただの風邪と断定したか。それは……。 

「リファ、お前また夜更かしして、全然睡眠取ってないよな?」
「ん? ああ、ぜんぜんねむぐ……ながったからな」


「寝てたら寝てたで、扇風機ずっと当たりっぱなしだよな?」
「ぢがごろは、あづい……からな」

「外から帰ったら手洗いうがいしろって言ってるけど、全然やってねーよな?」
「ふろでどうせ、ぜんぶあらうがら……やるだけむだだとおもっでな」

 悪びれずに答えた女騎士は、首だけ動かしてこちらを恨めしそうに見た。

「なんだ……それの……どこか悪いとごでもあっだのか?」
「ああ」

 俺は軽く笑い、ベッド脇にしゃがみ込むと彼女の頭をポンポンして言った。

「こ こ だ よ♡」
「ますたー……(キュン♡)」
「ときめくとこじゃねぇんだよポンコツ」

 熱で元々イカれてた頭が一層ひどいことになっちまいやがって。
 首筋に手をやってみると、とてつもない熱さ。リンパ腺もぷっくり腫れてやんの。

「とにかく一応熱を計っとこう。話はそれからだ」
「熱を計る……? どういうことです?」
「リファの体温を……こいつで数値化する」

 俺はダッシュボードから取り出していたモノをクローラに見せた。
 15センチ位の長さ、四角くて先端が丸く尖っており、小さな液晶画面がついている。
 その名も……。

「たいおんけい~(CV.大山のぶ代)」
「……ですか?」

 小首をかしげて、クローラはその見慣れない機器を凝視する。

「体重計は知ってるよな。前に使ったことあったろ」
「え? あぁはい」
「あれは人の重さを数値化する道具。これはその体温バージョンとでも思えばいい」
「たいおん……そんなものまで数字に表せるものなのです?」

 半信半疑な様子で尋ねてくる彼女に、俺はリファの半身を抱き起こしながら答えた。

「ああ。こうすれば平熱時よりどれだけ高いかを把握できる。あまりにひどいようなら医者に連れてくさ」
「体重計もそうですけど、この世界の方々はなんでも数字にしてしまうのですね」
「そうした方が何かと便利だからな」

 体温計のスイッチを入れ、リファに差し出す。
 彼女は朦朧とした目でそれを見た。

「にゃんだそれは……おかしか?」
「違うよ。体温計。これをしばらく腋の下に挟んどきな」
「かたじけない(ぱくり)」

 人の話を聞かんかいこの頭お菓子野郎。
 俺は急いでそのままもぐもぐいっちゃいそうな女騎士から体温計をとりあげた。

「腋だよ腋! 自分でできるだろそれくらい」
「……わき……おぉ……わきか。うむ、うゎらった」

 呂律の回ってない声で返事をし、リファはそのまま着ていたパジャマのボタンを外し始めた。
 ひとーつ、ふたーつ、みーっつ、よーっつはいはいはいカットカットカット。ストップストップカメラ止めろカメラおい。

「何やっとんねんお前は……」
「だって、脱がないと……腋、だせんだろーに……」
「いや別に全部露出しなくても挟めるだろうが」
「ますたーは……私がぬぐのは……いやなのか?」

 話の論点が頭のネジと一緒に遥か彼方へぶっ飛んでったっていうね。
 もうこれ熱計るまでもないような気がしてきたんだが。
 と思っていると、とろけた表情をこちらに向けてリファは俺に寄りかかってきた。

「ますたー……ごだえでくれ……わらし……んなにみりょくないか?」
「少なくとも今はない」
「ふふ、ありがどうますたー。じゃあ脱がせてくれ」

 とうとう耳までおかしくなったか。
 あぁもうどうすりゃいいのよ。たかが体温を計るのになんでこんな苦労せにゃあかんのじゃい。

「ますたー……はやくぅ」
「……」

 しょうがないな。ここは一つ望みどおりにしてやるか。
 いやいや、決して下心があるわけじゃないぞ? これ以上ここで問答続けてても無意味だから、やむを得ず折れてやるだけだぞ?
 俺はさっさと終わらせるべく、パジャマの残りのボタンに手をかけようとしうたのだが。

「だ、だめですっ!」

 悲鳴にも似た声を上げて、クローラが俺達の間に割って入った。
 彼女はしどろもどろに手をワチャワチャとさせながら早口で、 

「えっとえっと、あの、なんていうか、そう! こういうご病気の方の介抱は私のような奴隷がやるべきなのです! ご主人様のお手を煩わせるわけにはまいりません!」
「いや、別に服脱がせるくらい大した手間じゃないけど……」
「そーだぞグローラ……ますたーがぬがすといってるんだ……おまえのでるまくじゃなぁいのだ……」
「あぅ」

 苦い表情を浮かべてクローラは言い返せなくなったが、まだなにか反撃の一手を試行錯誤しているらしく、目をぐるぐるさせていた。
 そして散々唸った上に導き出した結論が以下。

「り、リファさんを脱がせるくらいでしたら、私の方をお脱がしください!」

 何言ってだこいつ。早くも風邪感染ったか?

「わ、私は奴隷で……服を着ることは基本許されてきませんでした! だったら今更裸になるくらいどうってことありません! どうしても脱がしたいのなら、どうか私の衣服を!」

 うんまず何でボクが女子の衣服をひん剥きたいだけの変態野郎に成り下がっちゃってんのか甚だ疑問なんだけど?
 何のためにこんなことしようとしてるか理解してる? 事の発端わずか数分前なんだけど。

「お前が脱いだところで何にもならねーよ。これはただの――」
「ふんっ、どうだ見たか。ますたーはおまえよりわたじのからだの方にみりょくをかんじでるのだ! 誇り高きわいやーどのきしであるこのわたじにな!」

 女騎士は偉そうに鼻息を吹き出す。同時に鼻水も吹き出す。
 対する女奴隷は下唇を噛み締めながら、耳たぶを真っ赤にして反論。

「う~っ、でもでも! 私だって奴隷ですけど、身体には自信ありますもん! 実際奴隷の相場では高値で取引されてましたし! ご主人様を悦ばせることに関しては私のほうが上ですっ!」
「ふんだ! いくらあがこうとどれいはどれい! さぁますたー。えんりょなくぬがすがいい。そして遠慮なくわたじのからだをあますとこなくたんのうするがよいぞ」
「ご、ご主人様っ! わ、私の身体もっ……ご、ご賞味くださいませっ!」

 リファはすでに自分からボタンをブチブチ外して、パジャマは完全に前開きに。中のキャミソールが丸見え状態だ。
 クローラもエプロンの紐を外し、裾をギリッギリのラインまでたくし上げて迫ってくる。

「さぁますたー」
「ご主人様……」

 俺が黙っていると、二人は赤く染めた顔を俺に近づけて同時に叫んだ。

「「どっちが魅力的だとおもう!?」」
「どっちもすこぶるバカだと思う」

 ○

「38.3℃……やっぱ典型的な風邪だな」

 体温計が鳴り、結果を確認した俺は淡々とそう言った。

「38……それは良くない数値だったということでしょうか」
「んじゃクローラも計ってみな。正常時のお前の体温と比べてみれば分かる」

 俺から体温計を受け取った彼女は、ぎこちなく腋の下にそれをはさみ、しばらく待機。
 一分ほどで測定完了。気になる結果は……。

「36.5……」
「それが平熱の数値だ。リファのほうが2度近く高いだろ」
「あたりまえだ! わたじをだれだとおもってる!? こんな奴隷ごときにまけるわけがなかろう!」

 で、出た~wwwwww 風邪引いたら体温の高さ誇らしげに自慢し奴~wwwwwww 

「熱が出てるのは、お前の身体が中のウイルスを死滅させようとしてるってことだ」
「ういるす……?」
「リファの病気の原因。お前の言う『病魔』みたいなものだ。だが、こいつは健康な人間は取り入れても発症しない」
「ではなぜリファさんは……?」
「さっきも言ったろ。扇風機つけっぱで寝たり、うがいや手洗いもろくにしてないと体の免疫力が下がる。だからこうなんだよ」
「なるほど。つまりご主人様の言いつけに背いたからこうなったのですね!」

 すげぇ目をキラキラさせながらクローラが言う。
 いや間違っちゃいないけど、なんか嬉しそうだね君。

「何はともあれ、こうなった以上は完治するまでおとなしく寝てな。今お前の身体は体内の病魔を倒すことで精一杯だ。だからゆっくり休んでればそのうち治る」
「そー、そーなのか」
「そーなのだ。ほら、布団」

 俺は少し強引にリファをベッドに横たえ、羽毛布団をかけてやる。

「んで、お前にはこれを装着してもらう」

 そして、体温計と一緒に取り出していた物を彼女に見せた。
 紐の付いた、いくつもの折り目のある白い紙のようなもの。
 リファは虚ろな目をそれに向けてくる。

「な、んだそれは……」
「マスクだ。風邪ってのは流行り病と同じく他人に感染する。咳とかくしゃみとかすれば、体内のウイルスが散布されるからな。それを防ぐためのものだ」
「ええ!? やっぱり流行り病だったのではないですかっ!」
「だから落ち着けって。風邪のウイルスはたとえ発症しても死ぬようなもんじゃない。だけど、予防はしておくに越したことはないからな。だからこれを使う」

 リファに装着しながら俺は言って、更にもう一つクローラにも渡す。

「お前もこの家にいる間はつけとけ。あとは手洗いうがいをしっかりすること。これが風邪を引かないための唯一の方法だ」
「……息がしづらいです」

 フガフガとクローラは初めてのマスクに結構煩わしさを感じている模様。
 正直俺もそんなにマスクをするのは好きじゃない。けど身の安全のためには仕方ないさ。

「しかし……ご主人様はこの世界の流行り病について随分お詳しいのですね。様々な器具もお持ちでしたし。お医者様の経験でもおありなのですか?」
「そうじゃないさ。ただ今までに何度か病気になったから、身をもって学んだだけだ。予防法や治療法も、別に大したことなかっただろ?」
「確かにそうですけれど……本当に寝ているだけで大丈夫なのでしょうか」

 その疑問は確かにもっともだ。当然、まだ俺がリファにするべきことは残っている。
 えっと、まずは……。

「まぁ時間も昼時だし。ご飯作るか」
「あ、では私も僭越ながらご助力いたします!」

 腕まくりをしながら意気揚々とクローラは進言した。
 以前までゲテモノ錬金術師だった彼女も、今ではだいぶマシになった。
 だが一人でやらせると、相変わらずとんでもないものを入れてくることがあるため、手伝い専門で台所に立ってもらったりしている。

「今日は何になさいましょう? シチューですか? とんじるですか?」
「いや、病気の人間にそういう乳製品や脂っこいものはやめた方がいい。さっき体の免疫力が下がってるって言ったじゃん? だからなるべく負担の少なくて、消化しやすいものにした方がいいんだ」
「そうなのですか。体が弱ってるなら、お肉やお魚を沢山食べれば元気になると思ったのですが。それで、負担の少ない料理とは?」
「そうだなー。オーソドックスにおかゆ……いや、栄養も取ったほうがいいから卵や野菜も入れておじやにしよう」
「おじや……初めて聞く料理ですが、なんだか美味しそうな名前です!」
「実際に美味しいよ。それじゃ早速作ろうか」
「ま、まっでくれますたー」

 するとリファが肩で息をしながら、ベッドから起き上がっていた。
 自分も手伝うとか言うつもりだろうか。確かにこの家の調理の手伝いは今まで彼女の専売特許だったため、クローラに座を譲るのはプライドが許さないのかもしれない。
 まったく、律儀なやっちゃなぁ。でも正直こいつのそういうところは結構気に入ってる。
 俺は彼女のもとまで寄り、中腰になって目線を合わせた。

「いいからお前は休んどけって。ちゃんと療養しないと治るもんも治らないぞ。手伝おうとしてくれてるのはありがたいけど、今は無理すんなって。今おじや作ってやr――」
「そんなものよりおうどん食べたい」

 ……この野郎。
 小さく舌打ちして台所に戻った俺は、冷蔵庫の中をくまなく見渡す。
 うどんは……ない、と。まぁいいか、どうせあとで薬買いに出かけるところだったし。

「クローラ、悪いけどちょっと買い物行ってくるよ。その間リファを頼めるか?」
「わ、私がですか……」

 言われた途端にクローラはオドオドと動揺し始めた。
 自分一人で病人の手当などできないとボディーランゲージで必死に訴えてるようだ。

「はっ! そうだ!」

 ぽん。とクローラは手を叩き、すぐさまちゃぶ台の上においてあるノートPCを開いた。
 エクスプローラを起動し、グーグルの検索画面を呼び出す。

「こんな時こそのぐーぐる先生です!」
「え?」
「ご主人様は仰いました。この世のありとあらゆる知識はねっとの世界に流れ出ると。それならば、『かぜ』の対処法や看病の仕方くらい先生に伺えばわかるはずです!」
「お、おう」

 別に治し方はいいから、ちょっとの間だけ面倒見ててってだけなんだけど。と俺はキーをたどたどしく叩く女奴隷を見つめた。
 数秒後、お目当ての結果が出たらしく、クローラはちいさくガッツポーズを決める。

「よし、見つかりました! ご主人様、リファさんの看病はこのクローラにおまかせください!」
「はい?」

 いきなりのやる気の違いに俺は素っ頓狂な声を上げた。
 聞き間違いかと思ったが、クローラはえへんと胸を張って得意げな表情をしている。
 張り切ってるならそれはそれでいいんだけど。

「わかった。じゃああとは任せたよ」
「はい、クローラ頑張ります!」

 むふー! と鼻息を吐いてクローラはハキハキと返事をした。
 ま、こういうことも覚えてもらわなくちゃ先々やってけないからな。いい機会だろう。
 支度をして、俺は近所のマ○キヨに出征すべく玄関へと向かう。

「ではいってらっしゃいませ、ご主人様!」
「ああ、行ってくる」
「油揚げとかき揚げもがっといてぐれ……ますたー」
「オメーはクローラの爪の垢でも煎じて飲んどけ」

 パタン。
 と自宅の扉が閉まり、俺は外の廊下に出る。
 それではいざ目的地に向かって出陣、といこうとしたのだが。

「……ほんとに大丈夫かな」

 成り行きで了承してしまったものの、やっぱり心なしか不安が残る。
 別にそんな難易度が高いミッションなわけではないし、杞憂に終わるだろうなとも思うんだけど。でもやっぱり、心配だなぁ……。胸のざわつきが収まらない。
 そのまま家の前をうろうろそわそわとすること数分。

「……ちょっとだけ」

 俺はそっと扉に耳をそばだて、中の様子を拝聴することにした。傍から見れば不審者まるだしの光景だが、別に自分の家だし、いいだろう。
 さて、中から聞こえる声はどんなものやら……。

「ぁっ、んあっ……ちょ、ばか、やめろっ……なにをっ……」
「我慢してください……もうちょっとで……イケます」

 !!?
 かすかに聞こえたのはそんな艶やかな声と蕩けそうな甘い吐息。
 俺は目をカッと見開いて、顔の側面をドアに押し付ける。

「そ、そんな……んんっ! おまえ……きしにたいして……なんてことをっ」
「これはれっきとした治療なんです……いうとおりにしないと……治るものも治りません」
「やだっ……こんな、おっきいの……はいらな………ひぁっ!」
「だいじょぶです……ここが入れば……あとはすんなりイクはず……」
「まってまって、痛っ! 痛いよぉ!」
「すぐに和らぎます! 『喉元に熱湯を流し込めば何もかも忘れる』という言葉をこの間学びました!」
「うぅ、やめて……ゆるじで……おねがい……」

 ……。
 ……ふぅ。
 まぁ、開けるしかないよね。開けるよねふつー。
 看病と言っておいてやってることがいやらしいことで、しかも女の子同士なんてけしからん。
 ここはちゃんと正しい方向に導いてやんなくちゃね!

「おいクローラ、リファ。お前ら俺も混z――じゃない、何やってんだ一体!」

 と大声を上げてドアを開放。リビングへと突入。
 そして、俺は目にすることになる。

 リファの丸出しのお尻にネギをブチ込んでいるクローラの図。

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「あ、ご主人様! お早いお帰りで!」

 ぐりぐりとネギをねじ込まんとするクローラは晴れやかな笑顔でそう言った。
 ……正しい方向に導いてやんなくちゃね!

 ○

「デマ、だったのですか」
「そうだよ」

 リファのケツからネギをぶっこ抜き、挿入はいってた部分を切って捨てながら言う。
 ったく勿体ねぇことしやがって……。一瞬でも任せようと思った俺がバカだったよ。
 まさか風邪の治し方でトップヒットしたのがケツにネギだなんて誰が想像するよ? 嫌がらせか。

「しかし、何故そのようなものが治療法として出ていたのでしょうか……」
「まぁ古く言い伝えられてきた民間療法って奴だな。昔の人はこれで治ると本気で思い込んでたってわけだ」
「間違った治療法を信じていたわけです?」
「そういうことだ。まだ医療が確立されてない時代だったから、仕方ないと言えば仕方ない」
「私はそれを参考にしてしまったわけですか……」
「こういうの以外にも、デマ療法は色々ある。くれぐれも踊らされないようにしろよ。ネットは出てくる情報全てが正しいものじゃないって教えただろ」
「はい……申し訳ありませんでした」
「そういうのを見抜ける目を養っていかないと……ああいうことになる」

 俺はそう言って、ベッドの女騎士を指差した。
 彼女は布団を頭までかぶっていた。そこから軽く嗚咽が聞こえてくる。
 まー、あんだけのことされりゃ泣くわな。しかも自分は騎士で相手は奴隷。プライドもボロクソにされちゃったわけだし。

「すみません……出過ぎた真似をしたばかりに……」
「もういいよ。風邪の対応自体初めてならしょうがない。今日はそれについて色々学んでいこう」
「は、はい! よろしくお願いします!」

 さて、教えるとは言ったものの、これからどうすべきか……。
 とにかくまず薬と食材買いにいかないと。でも、クローラとリファをもう一度二人きりにしておくのはもうやめたほうがいいと思うし。

「クローラ。買い物、一緒に行くか?」
「えっ!」

 しゅんとしてうなだれていたクローラが顔を上げて反応した。

「よ、よろしいのですか」
「ああ。必要な薬の種類とか、病人食の作り方とか、買い物しながらでも教えられそうだし」

 すると。クローラの顔が一気に雲一つない快晴へと変貌した。

「はいっ! お供いたします、ご主人様!」
「じゃあ着替えて支度してきてくれる? ……っとその前に」

 俺はそこでちらりと横目でベッドのリファを見た。
 もう嗚咽は聞こえてこない。そっと近づいて見てみると、泣き疲れてしまったのかすやすやと寝息を立てていた。それを確認した俺はほっと安堵の息を吐く。
 忘れた人のために説明すると、リファは家で一人残されるのを異常なほどに嫌う。だから極力買い物の手伝いなどは彼女が担当していたのだ。
 だが寝ている今とあっては、一人にしても問題はないとみていいだろう。
 起こさないようにそっと俺は荷物を整え、クローラは裸エプロンからよそ行きの服装にフォームチェンジ。

「よし。行きますか」
「はい!」

 ○

「えへへ……」

 横を歩いているクローラは終始ニヤケ顔だった。
 今にもスキップを踏みそうな足取り。随分と機嫌がよろしいようで。

「楽しそうだな、クローラ」
「もちろんです! だってご主人様と二人きりなんですもの!」

 着ていたノースリーブワンピースのスカートを翻して彼女は言った。

「今まではずっと留守番か、リファさんが一緒かのどちらかでしたから。こういうのってすごく嬉しくて……」
「そっか」
「だから風邪を引いてくれたリファさんには感謝感激でございます!」
「おい」
「はぁ、あのままずっとあの人が病に臥せってくれてればいいのに……」

 その病に臥せってる人を治すために出かけてんだよわかってんのかそこんとこ。

「はぅあ! 申し訳ありませんご主人様。私ったら、立場もわきまえずつい本音が出てしまいました……」

 うんそれ謝ってるって言わないから。リファがこの場にいたら宣戦布告と同義だから。大戦おっぱじまっちゃうから。
 こいつの無意識毒舌キャラもある意味病気だな。そっち治すほうが先決じゃねーのマジで。

 そうこうしているうちに俺達は、目的の場所についた。
 でかい一階建ての建物に、「薬」と書かれたでかい看板。

「ここは……?」
「マツ○トキヨシ。まぁ言っちまえば薬屋だ。看板にも書いてあるだろ」
「薬屋……さん?」

 小首をかしげて女奴隷は復唱した。

「あの……ご主人様。薬屋、というのは……病院のことでしょうか?」
「いや、違うよ。ここは薬を売ってくれるだけのところ」
「でも、薬というのはお医者様にもらうものでは?」

 おっと、ワイヤードにドラッグストアなんてもんはなかったか。
 日本だと、室町時代から薬売りという職業もありはしたが、異世界では違うようだ。

「確かに病院で診察を受けることでもらえる薬もある。でもここは一般人が普通に買える薬を置いてあるんだ」
「ええ? お医者様に診ていただかないと、どのような薬を使えばいいのかわからなくないでしょうか?」
「さっきも言ったけど風邪ってのはそんな大した病気じゃない。わざわざ医者に調べてもらう必要もないくらいにな。風邪薬って書いてある商品を探せばそれでOK」
「……薬をそんな感覚で選んで良いものなのでしょうか」
「大丈夫だって、ついてきな」

 店内に入り、内部を見渡すとクローラは目を丸くした。

「なんだか……『すーぱー』とそこまで内装が変わらないような……」
「そうだね。でも扱ってるものはほとんど違うぞ」
「確かに……あちらでは見たことのないものばかりです……」

 数々の商品を見渡しながら彼女は奥へと進んでいく。それを俺は買い物かごを取ってついていった。

「えっと、風邪薬は……ココらへんだな」
「こ、ここらへんって……まさか、これら全て風邪のためのお薬なのですか?」

 ズラリと並んだ薬のパッケージを指差しながらクローラは驚きの声を上げた。
 そうだよ、と答えながら俺はどれを買おうかと品定めを開始。

「この中から、選べと? わ、私にはとても無理です!」
「そう難しく考える必要はないさ。どれか一つが正解ってわけじゃない。どれも効果はほぼ同じだ」
「同じ……? こんなにたくさん種類があるのに? では何が違うというのです」
「んー? そうだな、作ってる会社……とか?」
「はい?」

 頭にはてなを浮かべた彼女に対して、俺は適当に二つの箱を取ってみせた。

「例えばこっちの風邪薬は小○製薬ってとこが作ってて、こっちの方は大○製薬って会社が作ってる」
「……かいしゃが違う……だけでございますか?」
「ん。まぁ細かい成分まで全部一緒じゃないけど、飲んだら風邪が治るってのは同じ」
「会社……要は組織や組合のようなものが薬を売っているのですね」

 顎に手を当てながら、クローラは薬の箱をまじまじと見つめた。

「不思議です。店に置いてある薬を、自分で見繕って手に入れる。こんな買い方があったなんて……」
「医者にかかるよりも安いし、お手軽だしな。それに病気や怪我だって、重いものから軽いものまで様々だ。治療はいらない、薬だけ欲しいなんて状況はワイヤードでもあると思うけど」
「確かに……そうですね。そういった面で見れば便利かもです。なるほど、この世界の薬は、本当に必要とする人のことを考えて流通しているのですね」
「ワイヤードではそうじゃなかったの?」
「全部が全部そうというわけではありませんでしたけれど……」

 少し苦笑しながらクローラはその場にしゃがみ込み、遠い目で商品を眺めながら語り始めた。

「ワイヤードのお医者様は……なんというか、人を治すことよりも、儲けることの方を第一に考えてる方が多いようでした」
「……」
「治療費はもちろん、薬に関しても非常に高額で……でも病気や怪我の方たちは彼らにはすがらないわけには参りませんから」
「足元見られてたってわけか」
「ええ。少なくとも、この世界のように簡単に手が出せるものではなかったのです。だから私のような奴隷や、貧しい層の方達は、病に倒れたらどうしようもなくて……」
「……感染症で大勢の人間が死んだって言ってたな。それも関係してんのか」
「……はい」

 力なく女奴隷は言って目を細める。

「お医者様方にとってはこれ以上無い儲け話でしたでしょうからね。病が治ると銘打って、何の役に立ちもしない治療や薬を施し、利益を得ていた人もいたくらいです」
「……」
「不謹慎かもですけど、先ほどリファさんのお尻にネギを挿入して風邪が治るという情報を目にした時も、私には最初本当であるように思えました……。だって、ああいう感じの療治が当たり前だったのですから」
「そうだったのか」

 貧民は生きるために、間違った療法を本当だと信じ込む。根拠はなくても、そうせざるを得ない状況だったのだ。ケツにネギなんて馬鹿らしい行為ではあるが、クローラにとっては、今まで見てきた民間療法と同類に見えたのだろう。
 こんなガバガバな医学知識が蔓延していたのなら、おそらく生存率も……。

「でもでも、お医者様が無能というわけではありませんでしたよ! やり方は褒められたものではありませんけれど、ワイヤードでは非常に多くの人をお救いになられておりました」

 取り繕うように早口で言うと、彼女は指を四本立てて俺の前に突き出す。

「なんと、病や大怪我をして担ぎ込まれた方達の四人に一人は完治するくらいに!」
「……残りの三人は?」
「? それはもちろん……」
「いや、いい」

 クローラが言いかけた先を、俺は手で制して止めた。 
 現代であれば医療事故を疑うレベルだが、異世界ではこれが優秀とされる医者の残す結果。
 彼らだってわざと手を抜いていたわけじゃない。それが限界だったというだけの話だ。

「あ、もしかして……この世界のお医者様はもっと……すごいのでしょうね」
「ん。よほど手遅れか、珍しい病気じゃない限り、治らないものはないよ」
「やっぱり……お薬の事情を聞いて、薄々そうではないかとも思っておりました」

 もう彼女は大仰なリアクションを取るようなことはなく、ただ肩を竦めるだけだった。

「技術や文化だけでなく、医療までここまでの違いがあるとは思いませんでした。家の中にいるだけでも驚きの連続なのに、いざ外に出てみればそれ以上の発見がありますね」
「……そうだな」

 ぶっちゃけて言うと、今の医者や製薬会社ががめつくないかというとそうではないだろう。ただ露骨じゃなくなっただけだ。
 俺自身、医療のシステムなんか殆ど知らない。もしかしたら、見えないところでぼったくられてるのかもしれない。
 ワイヤードではおそらく医者そのものが少なかったのだろう。数少ない人を救える人間として、必然的に立場は上になる。だからあからさまに横暴でも利益は得られた。
 だが現代は、どこにだって病院も医者も薬局もある。その手に関する法も厳しく取り決められている。
 だから、患者の理解できないところで、法の網目をくぐり抜けるように搾取に走る。医者も薬剤師も慈善事業じゃない。利潤を追求するのは当然だ。
 技術や文化がどれだけ違えど、人間の本質は変わりはしないんだよ、クローラ。
 そんな辛気臭いことを考えてたのが顔に出てたらしい。女奴隷は急いで作り笑いを浮かべ、俺の袖をクイクイと引っ張った。

「ささ。お話もいいですけれど、お買い物も進めましょうご主人様。リファさんが待ってます」
「お、おう」

 ○

「えっと……効果が同じなら適当に選んでもよろしいのです?」
「まぁいいっちゃいいんだけど。一応確認はしときなよ」
「そうですね……えっと」

 女奴隷は目についた商品を手にとって、その裏面を速読。

「ご主人様、この箱の裏面に『十五歳以上の方のみ一日に三錠』とだけありますが……」
「ああ、それは服用方法だな。きちんとそこに書いてあるとおりに飲まないとダメっていうこと」
「では、十五歳未満の人は死ねということでしょうか」

 そんな無慈悲な薬が存在してたまるかよ。即販売停止だよ。

「子どもには子ども向けの風邪薬ってのがあるの。身体の成長度によって、薬の配合量も調整しないといけないからな」
「なんと! そうだったのですか。そんなところまで考えられているのですね……で、それはどこに?」
「何が?」
「いえ、ですからお子様用のお薬」
「あいつは頭がお子様でも身体は大人だから使えないよ」
「馬鹿につける薬は無い、ということですね」

 うまい、山田くん座布団全部持ってって。

「えっと、こちらは同じようなのが三種類……」
「これは初期症状によって選べるようになってんだな。鼻水からの人、発熱からの人、そして咳や喉の痛みからの人……それぞれに特化した配合になってる」
「なるほど。風邪の治療という終着点は同じでも、どのような状況で患うのかは人それぞれですからね。こういうふうにしてあると選ぶ方もわかりやすいです」
「だろ?」
「でも、鼻水と熱と咳と全部出ている人はやはり死ねということに……」

 君のいうお薬さんはなんでそう辛辣なの? 崖に子ども突き落とすライオンかよ。

「そういうところで迷うのであれば、おとなしく『総合風邪薬』って書いてあるのを買えばいいんだよ。これで大体はカバーできる」
「おや、そうでしたか。ではそちらを探すとしましょう」

 そんなこんなで、何種類か薬を選んだ俺達。
 その他、冷却シートやティッシュ、のど飴なども同時にカゴの中に放り込んでレジへ向かう。
 精算を終え、店を後にして、少し歩けば次の目的地のスーパーに着く。
 その間しばし談笑していると、クローラが思い出したように言ってきた。 

「そういえば、今回は『風邪』という比較的軽微な流行り病だったそうですが、他にも種類はあるのですか?」
「んー? あるっちゃあるんだけど今はそれ以外は殆どないね」

 あとはインフルエンザくらいか。最近じゃエボラとかデング熱とか話題になったけど、もう聞きもしないしな。

「さすがこの世界……ワイヤードでは幾多もあった流行り病も、風邪のように薬を飲めば解決できてしまうのですね」
「いや、大多数の感染症はそもそもかかること自体ないよ。予防接種があるからな」
「? それは一体どういう……」
「あー、まぁ簡単に言えばワクチンっていう薬を身体に取り入れて、ウイルスの抗体を作るんだ」
「こう、たい……」
「それがあると、その感染症にはもう羅患しなくなる。要はウイルスが効かなくなる身体になるってことさ」
「効果が永続する薬……ということですか! すごいです! では色々試しておけば安心ですね!」
「ああ。もちろん全ての感染症のワクチンがあるわけではないけどね。風邪とかは軽くはあるけど、完全な予防法はまだ見つかってないし。でも、これまでに流行った大病のやつはほとんど作られてるよ」

 実際この技術が発明されたのって18世紀半ばで、ワイヤードの文化レベルとほぼ同じなんだよね。
 だけど、発端は偶然の発見によるもの。単にそういった機会に恵まれてなかっただけかもしれない。

「そのわくちんというのも、お店で買えるものなのです?」
「予防接種は病院で医者にやってもらうもの。この国なら普通に誰でも無料で受けられる」
「誰でも無料で!?」

 クローラは今までで一番驚いたような反応を示した。

「そ、そんな大盤振る舞いをしているのですか……この世界のお医者様は非常におおらかな方ばかりなのですね」
「国がそういう制度を取ってるんだよ。だって国中でパンデミックなんか起こされたらたまったもんじゃないだろ。それこそ国益に関わる。無料にしてでも媒介物を潰していかないといけないんだよ。安全のためにな」

 まぁその予防接種のための予算は国民様の税金で賄われてんだろうけどね! だがこういうのは金の問題じゃないからな。そうでもしないと、何千何万と死者が出る。
 クローラの言う通り、病気が最も恐るべき脅威なのはワイヤードに限った話ではないのだ。

「そうですよね。高いお金を払わないといけないとわかったら、誰も受けたがらないでしょうし」
「そういうこと。おかげでこうして俺達は健康的な生活を送れてるわけさ」
「ご主人様も既に、よぼーせっしゅを?」
「もちろん。国民全員はもう赤ちゃんの頃にだいたい済ませちまうし。遅くとも10歳までには全部終わる。だからそんなに心配しなくても大丈夫だよ」

 俺はそう笑い飛ばしたが、クローラの方は黙っていた。
 あれだけすごいすごいと大はしゃぎしていたのに、急なテンションの下がりようである。
 振り向いてみると、彼女はその場に立ち止まって俺を見ていた。
 なんだか物憂げな表情で、言いにくそうなことが喉の奥に詰まってるみたいに。

「ど、どうしたんだよ?」

 彼女はしばらく渋っていたが、やがて重々しく口を開いた。


「私は……クローラ達は、何も受けていない、です」


 ……あ。
 俺は持っていた買い物袋を落とした。

 心配しなくてもいい。
 それはあくまで、この国で生まれ育った者にしか適用されない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 クローラは、クローラとリファは……異世界人。別の世界からやってきた存在。
 今でこそ当たり前のようにこの場所で生活しているけれど……とんでもないことを俺は忘れていた。
 転生、などという簡単な言葉で済まされているものの、彼女達にとっては自分を取り巻く環境が一変するということだ。
 文化や技術に慣れるのも大事かもしれないけれど、それ以上に重大なのは……その環境に身体が適応できるかどうか。
 考えてもみろ。俺自身が異世界に転生して、そこに未知の病原菌があったら? それに感染する危険性は? 
 見た目は同じ人間でも、免疫力や体質まで同じだなんて保証はどこにもない。
 それはつまり……いつどんな病気を発症するかわからない。
 俺は大丈夫だから、周りも皆やってるから。
 だから……二人も問題ない。そう思っていた。思ってしまっていた。
 リファが熱を出して苦しそうにしていた時。真っ先に俺は風邪だと断定した。でも実際は違った。
 運良く・・・風邪だったのだ。他の数ある感染症のどれかであってもおかしくなかったのだ。
 だって……彼女らは完全にこの世界に対して無防備なのだから。
 なのに俺は……一方的にリファに生活について糾弾してばかりで……。そんなこと……考えてもいなかった。

「俺……なんてことを」
「ご主人様……?」
「ごめん……俺……全然気づけてなくて」
「……え?」
「保護者なのに……お前らの面倒見なくちゃいけないのに……危険に晒してた」
「そんな! クローラは今まで別になんともありませんでした! リファさんだって、すぐに治る病気なのでしょう? でしたら――」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ……」

 足元を見て、震える声で俺は言葉を紡いだ。
 今までが大丈夫だったからなんて、そんなものはなんの安全の保証にもなりえない。

「下手すれば、取り返しのつかないことになったかもしれない。だけど、俺は全く意識してなかったんだ……。今のクローラの言葉がなければ、このままずっと――」

 その先は口に出すのも恐ろしかった。
 大げさに聞こえるかもしれない。たかが予防接種してないくらいで。「かもしれない」というくらいの懸念で。
 だが俺は……俺だけはこれを簡単に済ませてはいけない。きちんと向き合わなくちゃいけないはずの問題なんだ。
 だって……俺はこいつらの同居人パートナーなんだから。その健康も確立できないでおいていいわけがない。だから……。

「だから……っ」 

 言葉が出ない。
 このバカバカしくも楽しかった毎日が、一瞬にして終わってしまうかもしれなかったのだ。
 もしそうなってたら……悔やんでも悔やみきれない。
 そのことばかりが頭を支配し、まともな思考さえできなくなっていた時。

「ご無礼をお許し下さい、ご主人様」

 そっと、クローラが俺の首に手を回して抱きついてきた。
 身長差をつま先立ちで補完し、彼女の細い腕が優しく後頭部を撫でてくれる。

「ご主人様。ご主人様は、クローラ達のことを本気で案じていなかったと自戒なさってるのですよね」
「……」

 黙っていると、女奴隷が耳元で囁いた。

「ではお尋ねしますが、こうして病気のリファさんのためにお薬や食材を買おうとしてくださるのは何故です?」
「それは……当然のことだろ。同居人が病気なのにほっとけるわけ――」
「とうぜんではありませんよ、ご主人様」

 そっと身体を離すと、クローラは今度は両手を俺の頬にあてがった。

「少なくともワイヤードでは、奴隷や兵士が病に倒れたところで、誰も見向きもしません。それどころか感染すな、近づくな、仕事もできない役立たず、と罵られるのが常です。お医者様でさえ、対価を払えない者に対しては同じような扱いをします。でもご主人様は違った」
「……え?」
「煙たがったりせず、対等に、それ以上に必死に看病までしてくださる。私達にとっては、それだけでもとてもうれしいのです」
「クローラ……」
「今ご自分をお責めになっているのも、私達を守らなくてはいけないという使命感ゆえ。だからそれが感じられるだけで、十分クローラはご主人様の奴隷になれてよかったと思っております」

 悲しいほどの笑顔を正面から向けられ、俺は戸惑った。
 これが奴隷の……いや、ワイヤードの感覚かよ……。
 病気で苦しんでるから、気遣って軽く看てやっただけで……なんでそこまで……。
 どっちがおかしいんだよ……どっちが正常なんだよ。俺とお前らの価値観は……。

「きっと、どちらにも正解はないのでしょう」
「?」
「人の価値観はそれぞれ違うもの。そこに善悪は存在しません。少なくともワイヤードの人間である私は、ご主人様のご厚意はとても優しくて、心地よくて、温かいです」
「……でも俺にとっては、それが普通だ」
「それでよいのですよ」

 にっこりとクローラは微笑んだ。

「ご主人様が私達に合わせる必要はありません。どうかそのままの貴方様でいてください。何も変わることなどないのです」

 はっきりとした発音。
 まるでこれだけは絶対に貫いてくれとでも言わんばかりの口調だった。
 一瞬ドキッとしたが、それ以上に驚くことをクローラはやってのけた。

 頬に添えた手を引き寄せ、俺の頭を自分の胸に押し付けたのだ。

 柔らかい塊に埋もれ、何も考えられなくなるかとさえ思った。
 そんな俺を優しく抱きしめながら、クローラは静かに言う。

このままずっと・・・・・・・、今まで通りの生活を送りましょう。もちろん私が言ったら差し出がましい要求であることは百も承知。ですが私は知りたいのです」
「何を?」
「ご主人様の価値観を、ですよ」

 ……。

「文化や技術もいいですが……私はそういうところも学んでいきたいです」
「俺自身のこと……か」

 この世界の人間としてではなく、俺個人として。
 それが意味することぐらい、すぐに解る。なら俺が出すべき答えは……。


「俺は――」
「ね~ママー。なんであのひとたちだきあってんの~?」

 と、言いかけた矢先にそんな無邪気な声が俺達を現実に呼び戻した。
 見てみると、アメを舐めながらこちらを凝視してくる可愛らしいガキが約一名。
 俺もクローラも大焦り。シュバババ! と急いで一歩退いて距離を取った。
 そのガキンチョの母親らしき女性は、すぐさま我が子の手を引っぱって叱りつけた。

「しっ、見ちゃいけません! あれは自分達を尾行している刑事の目を欺くための演技をしているだけよ。ほら早く行くわよ」

 推理小説の読み過ぎだぜ奥さん。
 だが道端でいつまでもこんなとこやってるわけにはいかないわな。
 運良く目撃されたのは今の親子連れだけだし、よかったよかった。

「も、申し訳ないです……公衆の面前ではしたない真似を……」
「いや、いいよ。悪い気はしなかったし」

 そうお互いしどろもどろになりながら言葉をかわす。
 まったくもう、こんなことしてる場合かよってんだ。早く買い物済ませて帰らないといけないのに。

「俺達も行こうか」
「そうですね」

 落ちていた袋を拾い上げて、俺達はまた二人並んで歩きだす。
 すると、隣のクローラがこちらを上目遣いで見ながら切り出した。

「ご主人様?」
「ん?」
「私達もよぼーせっしゅ……受けないとですね」
「そうだな。帰ったらその辺のこと調べてみるよ」
「ありがとうございます。さぁ、早くすーぱーに行きましょう。えっと買うものは……おうどん、でしたっけ?」
「そうそう。うどんも病人には最適な料理だからな。確かリファは、それに油揚げと……あと何買って来いって言ってたっけ?」
「かきあげ」
「そうだそうだかき揚げだ。ったく、キツネとタヌキのダブルとはぜーたくなもんだぜ」

 ……んん?
 ん~。ん?
 ちょい待って。ストップカメラストップ。
 ……なんか今、余計な声入らなかったか? 字面じゃわかんないだろうけど、入ってたよなんか確実に。
 何、幽霊? 背後霊? スタンド?
 誰かが勝手に会話に入り込んできた? しかもご丁寧に買うべきものを思い出させてくれた。
 クローラも不思議そうに俺を見つめている。どうやら同じことを思っていたらしい。
 ごくり、と唾を飲み下して俺と女奴隷はアイコンタクト。
 そして、同時に振り返った。 

 いたよ。マスクして寝間着の上にパーカー羽織って、ゼハゼハ言ってる女騎士が。

「「シェーーーーー!!!!」」

 俺もクローラも思わずあのポーズでびっくり仰天。
 まさかの尾行者実在。さっきの奥さん、疑ってごめん。

「な、何でお前……」
「るずばん……やだ……」
「は?」
「おうちでひとり……やだもん……っごっほん! げっほん!」
「……」
「あと、あぶらあげとがぎあげは2まいずつな」

 すぅー、っとさっきまでの葛藤と悩みが全身から抜け出ていった気がした。
 その代わりに、グツグツとなんか知らんが煮えたぎってきた。プルプルと腕が震え、歯がうまく噛み合わずにカチカチと鳴る。
 爆発までいくのに、そう時間がかからなかったのは言うまでもない。


「もういっぺん死ねこのポンコツ女騎士がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ○

 数日後。

「治ったぞー!」

 36℃台の体温計を見て、嬉しそうに飛び跳ねる女騎士。
 紆余曲折あったが、なんとか完治。よかったよかった。

「マスター、クローラ。礼を言うぞ! おかげでもう大丈夫だ」
「それはよかったですね……」
「うむ。大事にならんでよかった。一時期は本当に死ぬかと思ったからな」
「そうですか……」
「だが、二人の看病のおかげでこうしてまた自宅警備の仕事に復帰できた。この恩は生涯忘れないぞ」
「恐縮でございます……」
「特にクローラは付きっきりで看てくれてたな。奴隷とはいえど、このまま助けられっぱなしなのは性に合わん。何かしてほしいことはないか?」
「そうですね……」
「遠慮はするな。私を誰だと思ってる。ワイヤード騎士団元兵長、神速のナイトレイダーだぞ。なんでも申し付けるがいいぞ。さぁ、何をしてほしい?」
「それじゃあ……」

 と、布団から頭だけ出してクローラは言った。


「とりあえずわたしのかんびょうで」


 見 事 に 感 染 っ た。
 現在の彼女の体温37.8℃。声はしゃがれ、鼻水ティッシュ大量生産。
 リファとほぼ入れ替わるタイミングでこのザマである。
 お約束な展開よねぇ。綺麗に序盤の伏線回収しちゃってまぁ……。 
 ちなみに俺はなんともない。健康そのものである。は-い今どうせバカだから風邪引かねぇんだろって言った奴ー、あとで屋上な。


「そうかそうか、看病してほしいか。うむ、あいわかった。このリファレンスにまかせておけ!」

 どん、と胸を叩いてリファは自信たっぷりにそう言う。
 今まで何もできなくてウズウズしてたんだろう。テンションはいつもより高めだ。

「ありがとうございます……でも、あの、リファさん」
「ん? なんだ?」
「その、つかぬことをお訊きしますが……」

 クローラはこころなしか少し震えた声で女騎士に質問した。

「なぜ……ネギをお持ちになっているのです?」
「……」
「りょ、料理に使うだけですよね……? そうですよね?」

 女騎士は答えなかった。
 ただニッコリと笑って、片手に持った長ネギをこれ見よがしに掲げている。
 それを見たクローラの額からドッと汗が吹き出した。

「その……リファさん?」
「心配するな。ちゃんと看病してやるぞ」
「いえ、だからそのネギは……」
「看病してやるぞ」
「ですから、看病の前に……」
「看 病 し て や る ぞ」
「ちょ、まって……たすけて……」

 じりじりとにじり寄ってくるケモノから逃げようとする小動物は、逃げ出そうにも身体が言うことを聞かない。既に理解しているのだ。目の前の人間が看病者の皮を被った復讐の鬼だということに。
 捕食者はそれをあざ笑うかのように、羽毛布団を取り去り、中の獲物を包むパジャマのズボンを引き下ろす。露わになったきれいな臀部をリファはゲスい目で見つめ、白い歯をむき出して笑う。
 怯える小動物は、既に涙目になって命乞いをし始めた。

「ひっ、やめ……あの……」
「心配するな……痛いのは最初だけ。すぐに和らぐ……だ っ た な ?」
「……ぁ、あ、あ……おねがい……ゆるして……」

 だが、現実は非情である。
 復讐者と化した捕食者には……それを聞く耳などない。
 ガッチリとケツを左手で固定。両足を両膝で押さえつけ拘束。
 そして。


「アッ――――――♀」



 恥辱の女奴隷4~お尻をネギで開発された根岸~
 予約受付中!(大嘘)
 
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