異世界の女騎士と女奴隷が俺の家に住むことになったがポンコツだった件

コペルニクス

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レベル50.女騎士と女奴隷と新しい日々

1.女騎士と女奴隷と新しい日々

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「……くん。主くん」

 まどろみの中、誰かが俺を揺さぶっている。
 ぼんやりと薄ら眼を開け、俺は眠りの世界から帰還を果たした。

「ん……?」

 段々とはっきりしていく視界。
 よく見ると仰向けになっている俺を見下ろしている人物がいた。
 少しくせっ毛のある黒髪をセミロングにした、若い女性。
 女神のような美貌と、天使のような可愛らしさを兼ね備えた若い少女である。

「もう朝ですよ。早く起きてくださいな」
「……」

 鼓膜が溶けそうなほどのささやき声でそう言われ、まだ夢を見ているのだろうか、とふと思った。
 目が覚めたらこんな可愛い娘が、つぶらな瞳で俺の寝顔を覗き込んでいるなんて……そんなの現実にありえるかっての。きっと夢だ、夢に決まってる。
 ならもう少しこのままでいよう。美少女と見つめあえる夢なんて、そうそう見られるものじゃない。
 そうやって寝ぼけ眼のままその至福のひとときを楽しもうとしていたのだが。

「……もう、起きないとこうですよっ」

 ちゅっ。
 と、唇に柔らかい何かが押し当てられた。
 少し湿っていて、とても温かい。触れているだけで、とてつもない心地よさが襲ってきた。

「んっ? ん!?」

 そこでようやく俺の意識は完全に覚醒し、自分の身に何が起きたのかを確認する。
 はっきりしてきた視界には、先程と変わらずの黒髪の美少女の顔が俺の目の前にあった。
 ただ一つ違っていたのは……彼女が目を閉じて、顔を目と鼻の先にまで近づけているという点であった。
 そして甘い声を紡いでいたその口は……あろうことか俺の口と接触していた。

「んちゅぅ……ちゅっ……」

 互いの唾液が絡み合い、淫靡な音が響く。
 まるで生気を抜き取られるような感覚に、冴えてき始めていた頭が早くも朦朧としてくる。

「ちゅ、ちゅぅぅぅ……」

 トドメとばかりに、彼女は上下の唇で俺の口内でまごついていた舌を挟むと一気に吸い上げた。

「……ぷはっ」

 永遠に続くかと思ったその長くて深いキスを終えると、やっと少女は俺を解放してくれた。
 まぶたを開け、とろんとした二つの瞳が俺を見つめてくる。

「えへへ……おはようございます、主くん」

 紅葉のように頬を染め、可愛らしくはにかみながら彼女は挨拶した。
 しばし呆然としていた俺は、むくりと上半身を起こして微笑み返すと。

「……ん、おはようクローラ」

 その少女の名前を呼んだ。

 クローラ・クエリ。
 こことは異なる次元の世界。そこに存在する帝国「ワイヤード」出身の女奴隷である。
 とある理由から若くして命を落とし、何の因果か、俺の住むこの現代世界に転生した。

 その正体は、帝国初代帝王の一族の末裔。そしてキカイという異世界独自の技術の発明者でもあり。未曾有の大戦争を引き起こした大罪人として奴隷に落とされた非業の人物でもある。

 そんないくつもの悲劇を経験し、いくつもの顔を併せ持つ彼女だったが。
 転生後の今では……普通の可愛い女の子。
 そして、俺の大切な恋人さん。

「もう、ねぼすけさんなんですね。主くんは」

 口元に手を当てて笑うと、首に巻かれた鉄輪が小さな音を立てた。
 首輪。死ぬまで主に隷属しなくてはならない奴隷の象徴。
 だがそれをつけている彼女の表情には、ほんの僅かな陰りもない。
 この世界でクローラは抱えていた闇を払い、立ちふさがっていた壁を乗り越え、今はこうして仲睦まじく暮らしている。

 既にカーテンが開けられた窓からは、眩しい朝日が小鳥達のさえずりと共に差し込んでいる。
 今日も雲ひとつない快晴、気持ちのいい朝だ。

「おお、起きたかマスター」

 すると、カウンターの向こうの厨房からまた別の女性が顔を覗かせてきた。
 まるで金塊を引き伸ばしたのかと見紛うほどまばゆい金髪をポニーテールにして、サファイアを義眼にしてるのかと思うほどの碧眼。日本人とは何もかもがまるで違う顔立ちの若い女性。

 リファレンス・ルマナ・ビューア。
 クローラと同じく、異世界ワイヤードからやってきた女騎士。
 幾多もの戦場を駆け、剣を振るい、国の繁栄と名誉のためにその身を捧げてきた若き戦士。
 けどこの世界に転生した今では、そんな戦いからは無縁の生活を送る普通の女の子。

 そして……俺のもう一人の恋人さん。
 クローラと同じ、守るべき大切な人。

「春眠暁を覚えずというやつか。だらしないな、我がマスターともあろう者が」

 いたずらっぽい笑みを浮かべながら、リファはエプロンで手を拭きながらリビングにやって来た。
 よく言うぜ。前までは二人ともずっと夜更かししまくりで俺に叩き起こされる側だったくせに。なんで最近になって早起きするようになったんだか。

「そんなの決まっているだろう。鈍いな、マスターは」

 そう小馬鹿にしながら彼女は枕元で四つん這いになると、俺の方へ這い寄ってくる。おそらく淹れている最中だったであろうコーヒーの香ばしい匂いが鼻腔をくすぐった。
 ドキドキしている俺を誘うような目で見つめ、リファは俺の耳元で答えを言う。

「好きな人の寝顔を見つめているのが幸せだから」

 ちゅ。
 と、彼女の唇が俺の耳たぶに軽く触れた。

「そしてこうして……キスで起こしてあげたいから」

 ちゅっ、ちゅっ、ちゅっ。
 耳たぶから顎へ。顎から首筋へ。そしてまた顎を経由して唇へ。
 ついばむようなフレンチキスの雨が俺の顔中に降り注ぐ。

「……おはよう、マスター」

 しばらくして唇を離すと、クローラと同様……いやそれ以上に顔を紅潮させてリファは挨拶をした。
 大胆な行動だったが、彼女自身もやってて何の恥じらいも感じてないわけではないらしい。
 そう思うと、こっちまでこっ恥ずかしくなってくる。
 可愛い女の子に囲まれて、お目覚めのキスで朝を迎えられるなんて。嬉しいし、すごく幸せではあるけれど。
 なんというかその……変な気が芽生えてこないわけでもないわけで。

「ふふ、なんだマスター。こんな朝っぱらから発情か?」
「あらあら、主くんったら元気いっぱいなんですね」
「っ!」

 バレてた。
 いやバレるよなそりゃ。いくらごまかしたところで、色々と目に見えてごまかせない部分は出てくるわけだし。これも男の悲しいさが故か。

「気にしないでいい。私達は恋人同士だろう。そういう感情を向けてくれるのは別に変でもなんでもないぞ」
「ですです。むしろ私達が望んでることでもあるんですよ。遠慮はなさらないでくださいな」
「……そだね」

 そう、俺達は恋人の関係。
 そしてもう……男の女の関係でもある。

 確かに、今になって余計な気遣いは無粋かもな。
 ごくり、と口に溜まった唾を飲み下し、俺は改めて自分を愛おしげに見つめてくる二人の異世界人を見つめ返した。
 そしてそっと彼女らの肩に手を回し、こちらに抱き寄せようとしたところで……。
 ぎゅむ、とリファの人差し指が俺の口にあてがわれた。

「すまんマスター。そうしたいのは山々だが、生憎もう朝食の準備ができていてな。早く食べないと冷めてしまう」
「え? あ、おう」
「ですね。それに今日は天気もいいですし、お布団も干さないといけません」

 うむむ。確かにそれもそうだ。
 いい雰囲気で名残惜しくはあるが、家のことはきちんとやらないと。

「そう悲しそうな顔するな、お預け食らったくらいで。触れ合うなら、ちゃんとした時間を作ってからというだけだ」
「はい。私達はいつでも一緒なのですから、焦る必要はありません」

 そう内心残念がってる俺を慮ってか、二人が同時にハグしてきた。柔らかい肢体が密着し、まるで羽毛布団に包まれているような感覚に陥る中、彼女達は耳元で囁いた。

「だからこの続きは夜に、な?」
「その時は、たっぷり可愛いがってくださいね、主くん」
「……ん」

 俺は恥ずかしさを抑えるのに必死になりながらぎこちなくうなずいた。
 ホント、こいつらにはかなわないや。そういうところが好きなんだけどさ。

「さて、ではそろそろ朝食の準備に戻ろう。クローラは布団を畳んでテーブルを出しておいてくれ」
「はいです! では主くんは顔を梳かして髪を洗ってきてくださいね」
「逆だ逆」

 二人がそれぞれの仕事を再開し始めたところで、俺は重たい腰を上げて洗面所に足を運んだ。
 冷たい水で顔を洗いリフレッシュ。寝癖のついた髪をブラッシングし、ヘアピンを忘れずにつける。
 これでよし、と。では早いとこ食卓の準備に移るか。
 と思ったのだが、それよりも先に重大なことに気づいた。

「やっべ、忘れてた!」

 少しパニクった俺は駆け足でキッチンに駆け込む。

「ん? どうしたマスター。そんなに急いで」
「今日燃えないゴミの日だったんだよ。もうすぐ回収の時間だから出しに行ってくる!」

 俺達は三人暮らし。出るゴミの量も一人暮らしのときの三倍。
 加えてうちのとこは回収を週一でしかやってくれないから、一回逃すと面倒なことになる。
 ゴミ箱や三角コーナーを片っ端から逆さまにして、八王子市指定の有料ゴミ袋にぶち込む。
 ほどけないようしっかり口を結んで、荷造り完了。

「じゃあちょっくら行ってくる!」

 そう言って俺はサンダルを履いて玄関を飛び出す。
 現在時刻は九時半……ギリギリだな。とにかくゴミ捨て場まで全力疾走だ。

「ん?」

 ふと外の様子を見ると、アパートの真ん前に大きなトラックが一台駐車しているのが見えた。
 荷車には、まるで社員を働き蟻のごとく使役することで有名な引っ越し会社のロゴが描いてある。
 どうやら誰かが新しくここに新居を構えるようだ。この時期に珍しいな。
 色々気になることはあるが、それは後だ。今は早くこのゴミを出しに行かないと。 

「お、センパイおはよーです」
「ああ、渚か。おはよ」
「ゴミ出しっすか? 収集車ならまだ来てなかったっすよ」
「そっか、サンキュ」

 廊下ですれ違った渚に挨拶と礼を言って、俺は階段を一段抜かしで降りる。
 急げ急げ。まだ来てないといっても、ここからゴミ捨て場までは結構距離あるからな。

 ……って。

 ん!?

 ちょっと待て。普通にスルーしたけど、俺今誰とすれ違って誰と挨拶した?
 あまりにナチュラルな流れだったから気づくまでワンテンポ遅れたけど……え? 幻聴でも幻覚でもないよね?
 そんな場合じゃないのに、足を止めてしまった俺は恐る恐る背後を振り返る。
 すると。

「おーおー、ホントに蟻んこみたいに働いてるじゃーん。ウケる」

 やっぱりいた。
 大学の後輩にしてバイト仲間、茶髪でパリピなコテコテのギャル。
 その姿は……。

「木ぃぃぃぃぃ村ァァァァ!!」

 渚だった。

「ん? あれセンパイ急がなくていいんですか? 収集車来ちゃいますよ?」
「どーゆーことだよオイ! なんでお前がここにいんだよ!?」

 見る限り服装も他所行きじゃないし、手荷物も持ってない。俺んちに遊びに来たというわけではないことは確かだろう。
 そしてあの引っ越しトラック。導ける答えは一つしかない。
 こめかみをヒクつかせている俺とは対照的に、しれっと彼女は言う。

「何って、このアパートに引っ越したからですけど」

 やっぱりだった。
 唖然呆然大仰天。
 思わずゴミ袋が俺の手から滑り落ち、階段下まで転がっていく。

「なんでいきなり! 聞いてねぇぞそんなこと!」
「何言ってんすか。センパイとあたしは深い絆で結ばれた仲でしょ? そんな一心同体みたいな関係なのに住居は離れ離れっておかしいと思いません?」

 その理屈自体まずおかしいし、それどころか実行に移しちゃうところがもっとおかしいと思いますハイ。

「それに、リファっち&クロちゃんが正式にあたしの恋のライバルになった以上、このまま放置しておくわけにはいかないっしょ? 見張りっていう意味でも、ここで牽制かけとかないと。恋人なら、センパイと二人がいつエッチしたっておかしくないわけだしっ!」
「……」
「なんでそこで黙るんすか」
「い、いやべべべべべっつになんでもナーミン! で、お前部屋どこなんだよ?」

 あたふたしている俺をジト目で睨みつけると、渚は親指で背後の部屋を指差す。

「センパイの部屋の隣。ちょうど空き部屋だったってんで、ささっと契約させていただきました」

 さいですか。フットワークのよろしいことで。

「あ、あとこれ。入居挨拶といっちゃなんですが……」

 と言って、渚はポケットからゴソゴソと何かを取り出す。
 何だ、粗品か? まぁそこまでしてもらわなくてもいいんだけど。

「はい、あたしと好きな時にヤレる券」

 ホントにしてもらわなくてもいいもんだった。
 よっくまぁ涼しい顔でそんなん渡せますね。

「確かにあたしだってこんなもの渡したくはなかったっすよ……。でもセンパイが悪いんですよ? センパイが奥手で、こうして何かきっかけを作りでもしないと手を出してくれないんだから!」

 キミと縁を切るきっかけにはなりそうだがね。

「ま、言われてみれば、センパイは愛のあるセックスしか興味なさそうな人ですもんね。だったらこんなことする必要無いか。なぜならあたしとセンパイとの間には海よりも深い愛があるから! そして愛があればセックスするのに理由などいらないのだから!」
「オメーにとっての愛とはなんだ」
「セックスをすることです」
「ダメだ吐きそう」

 怒涛のボケに耐えられなくなり、大仰に肩を落として俺は廊下の手すりにもたれかかる。

「つーか、作業しなくていいのか? さっきから業者の人達眺めてるだけじゃん」
「え? あたし? いやいやあたしはもう引越し済ませてますんで。もう荷物から家具まで全部部屋に移動完了っす」
「はい? え、どーゆー意味?」
「どーゆーもこーゆーも、そーゆー意味ですが……よければ見ます? あたしンち」

 と言って、彼女は自分の部屋のドアを開けて中を顎でしゃくって示した。
 恐る恐るお邪魔してみると、そこには……。
 タンス、本棚、机、PC、ベッド、テーブル、衣類、化粧品、あたしンち全21巻、etc。内装は綺麗な壁紙とカーペットで彩られ、物が入ったダンボールも見当たらない。
 部屋中に漂う適度な生活感が、完全に引越しが完了していることを物語っていた。

「なっ……」
「前の家より狭いから家具の配置には結構苦労しましたけど、なんとかなりましたよ」 

 絶句する俺に、渚は背伸びしながらのんきに言った。

「い、一体いつからこんな……」
「え? 昨日の夜っすけど」
「昨日の夜だぁ!?」

 夜って、じゃあ俺達がぐーすか寝てる間に家具やら電化製品やらを運び込んでたってこと?
 何その隠密作業。まるで夜逃げじゃねーか怖いなぁもう! つーかそんな時間に業者の人作業してくれねーだろ!

「あたしは免許持ってますからね。ハイエースレンタルして、そこに家財道具を詰め込めば問題なし。家具とかもそこまで大きなもんはなかったですし、ベッドや机は分解して運べるんで苦ではなかったっすよ!」
「マジかよ……一人でよくやろうと思ったな。言ってくれれば手伝ったのに」
「気持ちは嬉しいっすけど、女の引っ越しにはあんまり男に介入して欲しくないんですぅ」

 そういうもんか? そのへんの心理は俺にはよくわからん。
 でも待てよ。渚が昨日、一人で引越し作業を済ませたのであれば……。
 俺達は再び外の廊下に戻り、階下の引越し作業を見つめる。

「渚、あの業者の人達はお前の担当じゃないってことなんだよな?」
「そっすよ。あたしの他にも入居者がいるってことなんでしょうね」

 渚の他にもだって? マジかよ、一体誰が……?
 そう頭にはてなを浮かべてた矢先である。


「あ、あの……」


 ふいに横方向から声をかけられた。
 つられて振り返った途端、俺は小首を傾げた。

 そこにいたのは、えらくおとなしそうな娘だった。

 外見年齢は俺達と同じ二十歳前後くらい。
 化粧っ気のまったくない、比較的幼い顔立ちだが、表情がちょっと暗い感じ。夏故か肌の色も結構褐色に日焼けてるのがそれに拍車をかけてる。
 こげ茶色の髪をナチュラルボブにしており、服装はシンプルなねずみ色のパーカーと白いフレアスカートに黒のニーソックス。
 そして中でも目を引いたのが、楕円形の黒縁メガネ。
 可愛いと言えば可愛い部類には入るのだろうが、いかんせんパッとしない、地味そうな印象を受けた。

 しかし見慣れない顔だな。
 このアパートにこんな人いたっけ? そもそもなんで俺達に話しかけてきたんだろ? 

「こ、これ……」

 と眼鏡地味子はおずおずと言って、何かを差し出した。
 それを見て、思わず間の抜けた声が漏れる。

「か、階段から急に落ちてきて……その……」

 そう。俺がさっき手から滑らせたゴミ袋だった。 
 いっけね、今の今まで放置したまんまだった……わざわざ拾って届けに来てくれたのか。

「ありがとうございます! すみません、うっかりしてたもんで」
「い、いえ……」

 下を向きながら、ゴニョニョと聞き取りにくい声で応える彼女。
 俺は礼を言って、袋を受け取ろうとしたその時に。

 ちょん、と。
 軽く互いの指先が触れ合ってしまった。

「ひゃっっ!?」

 ものすごいスピードで手を引っ込めると、眼鏡っ娘は後ずさってしまった。
 俺としては大したことはないハプニングなのだが、向こうにとってはそうでもなかったようだ。
 ひょっとしてそういうの強烈に気にするタイプの人なのだろうか。

「あ、えっと……すみません不注意で」     
「い、いえ! あの……違います、別に……えと……」

 しどろもどろになりながら、彼女は目をぐるぐるさせて何か言ってる。どうやら人見知りするタイプでもあるようだ。このままにしておいても埒が明かなそうだし、こっちから話題振るか。

「あのー、ここらへんにお住みの方、ですかね?」
「触っちゃった触っちゃった触っちゃった触っちゃった……ぇ? あ、あゃ……えの、あの、はい……はいそうです! こ、ここらへんにお住みの方です!」

 なんだそれ。

「じ、実は今日その……えっと……ここに引っ越してきたので。あ、挨拶回りに……」
「引っ越し?」

 それを聞いて俺と渚は顔を見合わせる。
 まさかそれって……。
 訊いてみると、眼鏡っ娘はこくこくと痙攣するみたいに頷いた。 

「今日からその……お、お、お世話になり、ます……」

 なるほど、そういうことだったか。
 ぺこりとお辞儀をする彼女に俺もすかさず深々と頭を下げた。

「そうだったんですね。こちらこそ宜しくお願いします。いやぁ嬉しいな、また新しい住民が増えるなんて」
「嬉しい……?」

 ぴくり、と眼鏡さんの肩が少し震えた。

「今、嬉しいって……」
「へ?」
「いえ、なんでも、なんでもないです。なんでも……」

 ? なんか変なこと言っちゃったかな。

「ところで、どうしてここへ引っ越し? 仕事関係とかですか?」
「嬉しいって言った……嬉しいって今絶対言った……嬉しいって言ってくれた……」
「あ、あのー?」
「ふゃ! あ、はい! あの、えー、一応その……秋が入学だから、私が……それで」
「入学?」

 俺は耳を疑った。入学って……今、秋だよな? 次期半年ずれてないか?
 確かに今は秋入学ってのはところどころで導入されてはいるけど、まだそこまで一般的じゃない。
 一人暮らしするってことは、この近辺に通う学校があるってことなのかもだけど……一体どこなんだろ。

「い、岩倉大学……です」
「ああー、あそこね」

 岩倉大学。八王子市の奥地にある私立大学だ。
 豊かな森に囲まれた広大なキャンパスが特徴的で、学園都市八王子を代表する知名度を誇る。
 偏差値は結構高めだが、それに恥じない校風の良さと質の高い授業を享受できる。
 加えて就職支援も積極的で、ブランド力も相まって一流企業への輩出人数は多い。
 とにかく多角的に見て魅力が詰まった学び舎なのである。

 え? ちょっと詳しすぎないかって?
 そりゃもちろん、何を隠そうこの俺と渚が通う学校だからである。ちなみにどちらも人文科学部所属。
 しかし、驚いたなぁ。まさかアパートどころか学校まで一緒だなんて。偶然ってのは恐ろしいね。

 ……って。

「同じ大学だとぉぉぉぉぉぉぉ!?」

 唖然呆然大仰天(二回目)。うっそだろオイ! マジで同じなの? ていうかあの学校秋入学やってんの?

「こ、今年からやってる、らしい、です……。私……こ、高校受験失敗して、通信制高校に秋から通ってたもので……」
「あーそういうことね」

 しかし、思わぬところで新しい後輩ができたな。
 あれ、秋入学ってことはもしかして……。

「むっす~っ!」

 と、そこで横槍を入れてきたのが今話題にしようとしていた後輩第一号であった。
 彼女は現役で今の大学に春入学を果たしている。つまりこいつと眼鏡さんは同い年ってわけだ。
 むくれ顔で俺の腕にしがみつき、渚は恨み成分たっぷりの眼差しを向けてくる。

「ちょっとセンパァイ? あたしを無視しないでくれません?」
「別に無視してるわけじゃ……」
「うっそだぁ! どーせ新しい後輩ができたからそっちの方に夢中になってんでしょ?」
「いや、それは初対面だから仕方ないだろ……そう邪険にすんなって。同い年だろ?」

 そう言っても渚は機嫌を直すことなく、そのまま敵意マシマシの眼差しを眼鏡地味子に飛ばす。

「年齢なんて大学では関係ないっす。こいつ、あたしの後輩キャラのポジを横取りする気っすよ絶対。そーなったらあたしの立場なくなるじゃないっすか」
「落ち着けよ。よく考えろ、この人は俺の後輩でもあればお前の後輩でもある。つまりお前はもうれっきとした先輩になるってわけだぞ。ちゃんとらしくしないとダメだろ」
「おお、よくよく考えればそっすね! オラ何してんだ後輩さっさとあたしとセンパイにパンと牛乳買ってこいや!」

 良き先輩像を早々に自分からかなぐり捨てていくスタイル。
 もう、第一印象最悪だよ。せっかく同じ住民として仲良くやってこうって時に……。

「あの、お二人は……」
「ああ、俺達も同じ岩倉大学なんだよ。俺は二年生。こいつが春入学の一年生で、名前が――」
「渚さん……ですよね」
「「!?」」

 いきなりな一言に俺達はギョッとした。
 あれ、この人の前で渚の名前言ったっけ? もしかして顔見知り……なわけないよな、渚の反応からして。一体どういうことだろう。
 理由を尋ねてみると、眼鏡さんはパーカーの袖口を見つめながら端的は答えた。


「『Hot Dog』……よく行ってたんです」
「え……」

 Hot Dog。
 八王子の下町商店街にひっそり構える喫茶店。
 そして俺と渚のバイト先でもある。そこを知ってて、しかもよく行ってたって……。

「まさか、常連さん!?」
「は、はい……。そこでよく名前を呼び合ってるのを聞いたもので」
「はぁ……」

 意外なところでニアミスしてたなぁ。いや、気づかない俺達もどんだけ客に無関心なのよって話だが。
 ていうか、それだとここに越す前からこの街には住んでたってことなのかな。

「い、今までは学校の女子寮で暮らしてたんです。そこからあのカフェが近かったもので……色々お世話になりました」
「そーだったんだ。いつもご利用ありがとうございます。気に入ってもらえたようで何より」
「い、いえいえそんなとんでもないです。コーヒー、とても美味しかったです!」
「わかる? 豆のブレンドの腕は良いんだよなうちの店長」
「そ、それもそうですけど……私としては、て、店長さんがたまに不在の日に出てくるコーヒーの方が美味しいかなって」

 何そのピンポイントかつ人の心を抉る褒め言葉。
 実際、あの人はしばしば店を休んで俺達に仕事を任せきりにすることがある。
 その際はもっぱら俺が豆挽きからドリップまでやってるけど、よほど彼のコーヒーがまずいから相対的に俺のが美味しく感じるってことか?

「あ、あとは料理も……小腹が空いた時にすごく助かってました」
「そっか。おすすめメニューのホットドッグ、めっちゃ美味しかったでしょ?」 
「はい! 特に、店長さんが不在の時に出てくる一品は格別でした!」 

 店長嫌われてんなぁオイ!! 称賛と見せかけてただのディスりじゃねーかよこれ。
 もちろんその時は料理も俺が作ってるけどさ! それで持ち上げられても嬉しくねぇよ。

「まぁとにかく、結構ご贔屓にしてもらってたってことだね」
「ええ。学校の帰りにちょくちょく。特に月曜日と水曜日と土曜日は欠かさず通ってました」
「す、すごい具体的なスケジュールだね……。その曜日が時間取れる日だったりするの?」
「そ、そうでもないですけど……ただ、その日には必ずあなたが出勤してて……そうでないと来る意味なくて……」 
「え? なんだって」
「な、ななななんでもないです! なんでもないんです! 本当に、本当になんでも、なんでもない、なんでもなんでもなんでも……」

 またオタオタと取り乱しちゃってる。情緒不安定なところがあるみたいだけど、でも悪い人じゃなさそうだし。仲良くやってけそうかな。

「じゃあこれからもよろしくね。えっと……名前なんだっけ?」
「あっ、も、も、申し遅れました!」

 我に返ったらしい彼女はシュバババっ! とその場に直り、自らの名を名乗った。


八越未來やつこしみくと言います。こ、こちらこそ……どうぞよしなに……これから……ずっと……一生」


 眼鏡地味子……もとい八越さんは腰を約45度折ってお辞儀する。
 俺と渚も改めて自己紹介して、入居の挨拶は完了となった。

「八越さん。新しい暮らしで色々不便もあるだろうけど、困った時があったら遠慮なく言ってよ。学校だけでなく一人暮らしの先輩としても役に立てると思うから」
「あ、ありがとうございます」
「なんでその心遣いがナギちゃんのときには出てこなかったのか不思議で仕方ないわー。やっぱつれぇわー」

 君は困る方じゃなくて困らせる方だからです。

「ごめんね八越さん、時間取らせちゃったみたいで。これからまだ引っ越しの続きあるんでしょ? 他の人のとこにも挨拶もあるだろうし」
「あ、はい。それは問題ないです。それで……その……」
「ん? どうしたの?」

 八越さんは何か言いたそうにモジモジしていたが、やがて意を決したように伏せていた目を俺に向けた。

「あの……引っ越しが済んだら、よろしければ――」
「まったく、随分やかましいな。一体何の騒ぎだ!?」

 バァン!! と荒々しく俺の家のドアが開け放たれ、中から金髪碧眼の女騎士が顔を出してきた。
 しん、と廊下が静まり返り、空気が一瞬で張り詰めた。それと同時に俺の背中に嫌な汗がびっしりと浮かぶ。
 やっべぇ、こいつらの存在忘れてた。

「ん? 渚殿!? それに……え? 誰だ?」
「主くーん! 帰ったんですか……って何ですかこの面子」 

 後に続いてクローラまでもが玄関の外にやってくる。
 8時じゃないけど全員集合だぜ。なんてふざけてる場合じゃない。

「ハーレムじゃないっすか。よかったですね、男のロマンでしょセンパイ」
「茶化すな!」
「は、はーれむって……どういうことだマスター! まさか私達とは別の女を……!」
「ひどいです主くん……私達の何がいけなかったっていうんですか!」

 ほらもう悪い方向に誤解されちまったじゃねーか、どうしてくれる。

「誤解で崩壊する関係なら所詮その程度ってことでしょ?」
「お前なぁ~」 
「おいマスター、説明しろ今すぐに! さもないと最悪斬るぞ!」
「あーあー! わかった、わかったからその武器をしまえってー!!」

 ○

「――ってわけで。渚と、この八越さんが新しくこのアパートで暮らすことになったってわけ」
「なるほど。とりあえず状況は理解した」
「ですね。あまり納得はいきませんけど……」

 かくかくしかじかと事の次第を説明し、なんとか二人には矛を収めてもらうことはできたようだ。
 でも、女性が俺の周りに増えたことであまり機嫌は良くはなさそう。

「あのー……」

 ほっと胸をなでおろしていると、今まで黙っていた八越さんが声を上げた。

「お、お二人は……」
「あ、ああ。こいつらは――」
「誰なんですかなんで同じ部屋から出てきたんですかどういう関係なんですかいつから一緒に暮らしてるんですか私が見てたときにはそんな人達いなかったのに」 

 説明する前に矢継ぎ早に痛いところをツッコまれた。ていうか急にさっきとは違って早口で饒舌になったね。

「えっとね、まずこっちの金髪が――」
「リファレンスだ。ワイヤードというこことは違う世界からやってきた。今は訳あってこのマスターの家に厄介になっている」
「クローラです。リファさんと同じくワイヤードから来ました。今はこの主くんに色々この世界のことを教えてもらいながら暮らしてます」

 グレーゾーン真っ只中、素性がギリギリバレない程度の自己紹介。
 まぁ変なこと言ったら言ったで、渚達と同じく中二病故の妄言ってことにしとこう。

「……わい、やーど?」

 聞き慣れないであろう単語に、八越さんは眉をひそめた。
 やっぱそこ気になるよなー。どう説明したもんか。

「あー、ワイヤードってのは――」
「こことは違う……? 異世界……?」
「いや違くて、住んでる国が違うって意味で……ほら、髪の色とか顔立ちとか日本人ぽくないでしょ?」
「なんで、なんでそんな……嘘でしょ……」
「あの、八越さん?」
「どうして……そんなの聞いてない私は聞いてない聞いてない私はずっと昔から見てきたのに何でなのよよずるいよ私だけこんなのなんでよなんでこうなるの何で何で何で……」

 爪を噛みながらいきなりブツブツ言い始めた。どうしよう、そんな混乱させるようなものでもなかったような気がするけど。とにかくどうにかして落ち着いてもらおう。

「帰ります」
「え?」

 違う話題でも振ろうかと考えていた矢先、急に八越さんは真顔になって踵を返した。

「まだ引っ越し作業済んでないので。早く戻らないと」
「あ、そう? 何か手伝えることあったら――」
「失礼します」

 それだけ言い残すと、返事も待たずにスタスタと行ってしまった。
 なんかえらく不機嫌にさせちゃった? よくわからんけど、次会ったら事情聞いて謝っとこ。

「大学、か……」

 すると渚が開いたドアにもたれかかりながら言った。その表情はどことなく哀愁漂うというか、物憂げな感じがする。

「ど、どうした?」
「その、マスターは今『なつやすみ』という休暇中だが、それももうすぐ終わる頃合いではないのか?」
「ん? まぁそうだな」
「そうなると……一緒にいられる時間がもっと少なくなるってことなんでしょうか」
「あ……」

 確かにそうだな。学校は土日を除いて毎日行かなきゃいけないし、早く帰れる日もあるけど、バイトも継続していくわけだから今以上に長く家を空けることになるだろう。それは考えてみると結構きつい。
 せっかく告白して、恋人になって、これからもずっと一緒にいようって誓った矢先にこれじゃあ……いたたまれないよな。


「ま、まぁ残念ですけど仕方ないですよね。主くんには主くんの生活があるんですし、我儘言ってちゃダメですね」
「そうだな……。寂しくなるが、帰ってこないわけではないしな」

 そう彼女達は口々に言うが、その顔はとても納得している者のそれではなかった。
 行かないでほしい。片時も離れず私達と一緒にいてほしい。そういう心の願望が痛いほど伝わってきた。
 その思いは俺も同じであるだけに、余計に辛かった。
 大学に入学した時は、毎日通うのが本当に楽しかったのに……今はこんなにも後ろ髪を引かれるなんて。

「センパイセンパイ」

 やるせない気持ちになっているところに、渚がのんきに後ろから肩を叩いてきた。
 なんだよ空気読めない奴だな、と俺は苛立ちながら彼女の方を振り向くと。

「はい、これ」

 眼の前にどでかい封筒が突き出すように渡されてきた。
 見ると、その表面には「岩倉大学」と校章と共に明朝体で記されている。
 大学からの書類……なんでこんなものを渚が?

「ポストに入ってたっす」
「……わざわざそりゃどうも」

 ため息混じりに礼を言い、俺はマジマジと改めてその封筒を確認した。
 後期の履修ガイドとかかな? 去年はそんなものもらった覚えないけど……。それとも留学とか就活の案内か何かか?
 目を細めながら手をかけて開封しようとしたその時。
 右上に書いてあったある文章に俺は目を留めた。

「編入手続書類……在中?」

 ど、どういうことだ? 在学中の俺になんで編入なんて……意味がわからない。
 多分学校側が送付先を間違えたか、郵便屋さんがうっかり俺のとこに届けちゃったとか、そんなんでしょ。
 俺はそう軽く思いながら、表に貼られたラベルをちらっと見る。

 八王子市 〇〇町 1-10-2  ○○アパート203号室 
 リファレンス・ルマナ・ビューア様
 クローラ・クエリ・ワイヤード様

 ふむ。住所は確かに俺のとこみたいだな。ちゃんとリファとクローラの名前もあるし、やっぱり学校側の手続きミスか。
 面倒だけど、後で電話で問い合わせて送り返すとするか。
 ……って。


「ああん!?」


 くわっ、と目を皿のようにして俺は食い入るようにそのラベルを睨みつけた。
 な、なんで……なんでリファとクローラの名前が書いてあるんだよ! え? 何、何なの!?
 俺は目を白黒させながら、恐る恐るその封筒を開けて中のものを引っ張り出した。
 様々な大小厚薄の紙類を確かめていったが、間違いない。全部編入関係の書類だ。  
 こ、これは一体……?

「マスター? ど、どうしたのだ?」
「なにか良くない報せでもあったのですか?」

 心配そうに異世界人達が言ってくる中、渚だけが悠長な口ぶりで答えた。

「編入手続き……へー、リファっち達も大学通うんだ」
「え!?」
「ど、どういう意味です生ゴミさん!?」
「そのままの意味だよ。これからあたし達と一緒の大学に行くってこと。よかったね、これで一緒にいられる時間増えるじゃん」
「……」

 異世界コンビ、しばし沈黙。


「えええええええええええええええええ!!」

 その後大絶叫。階下の業者や八越さん、そしてアパートの他の住民さんうるさくしてごめん。
 渚もさすがにその気迫に苦笑しながらたじろぐ。

「いやいや、いくらなんでも驚きすぎでしょ二人共。ってか何も聞かされてなかったの? 留学生なのに」
「「聞いてない
       ぞっ!」
       ですっ!」

 気が気でない二人はギャルに詰め寄るが、それ以上にパニクっているのは俺だった。
 リファとクローラが、学校に行くだって?
 しかも、よりにもよって俺と同じ大学に……?
 嘘だろ、こんないきなり。何かの間違いじゃないのか? そもそもなんで俺の家にクローラとリファがいること知ってるんだよ?
 誰の差金だ? 誰がこんなことを……。こんな妙な真似をする奴なんているわけが……。

 ……いや、いた。

 この世でたった一人。いつも勝手に事を進めて理不尽に無茶を押し付けてくる奴が。
 まさか……。

 これを仕組んだ犯人の名を頭に思い浮かべた瞬間。
 ポロリ、と手に持っていた書類の束から何かが落ちた。
 長4サイズの茶色い封筒。市販のごくごく普通の封筒であったが……俺には見る前からそれが徴兵の赤紙、もしくは警察からの逮捕状のように思えた。

 ごくり、と俺は口内に溜まった唾を嚥下し、それを恐る恐る拾い上げる。
 表面には何も書いてない。震える手で裏返し、裏面に書いてあるであろう差出人の名前を、見た。




「死者処理事務局 転生判定課担当:木村」

 


 ……。
 …………。
 ………………。


 木ィィィィィィィィ村ァァァァァァァァァ!!!



 ○

「ふにゃぁぁぁぁ……♥」

 クローラはそんな甘ったるい声を上げながらちゃぶ台に突っ伏している。
 さっきの騒動から数時間経った今でもずっとこんな調子だ。
 俺は件の編入手続書類にペンを走らせながらちらりと彼女を見つめる。

「今までで一番幸せって感じだなオイ」
「当然ですよっ!」

 バッと勢いよく顔を上げてクローラはキラキラした瞳をこちらに向けてくる。

「主くんと一緒の学校に通える。一学友として学問に励める。ワイヤードでは絶対に味わえなかった夢が叶うんですからこれに勝る喜びはございませんっ!」
「せ、せやな」
「ああ、なんて素晴らしいのでしょうこの世界は……胸の高鳴りが抑えられないです」

 本当に心から嬉しそうに呟くクローラの周りが、心なしか輝いて見える。ちょっとオーバーな気はしなくもないけど。

「良いではないか、私達にとっては間違いなく吉報なのだから」 

 リファもベッドの上で大学のパンフレットを楽しそうにめくっている。先に待つキャンパスライフを想像して胸をときめかせているのだろう。

「不思議だな。剣を振るうしか能のなかった私が、まさかペンを取って学ぶなんて。転生した時には想像だにしてなかったよ」

 ワクワクするのは結構だけどさぁ、ちっとはこのいきなりな展開に疑問を持つとかしてもいいと思うぞ。
 しかも仕掛け人があいつだしさぁ……。
 俺は手を止めて、傍らに置いてあった例の封筒に入っていた一枚の便箋を広げる。





 白露の候 ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
 死者処理事務局転生判定課担当 木村でございます。

 貴方様におかれましては転生者との同居生活をいかがお過ごしでしょうか。

 さて、転生者もここでの生活が板につき、そろそろ一般的な生活能力水準は満たせた頃合いとお見受けします。
 そのためこの度、更なる現世への順応及び学習促進を目的とし、新たに学び舎をご用意させていただく運びとなりました。
 転生者達の戸籍上の年齢、及びパートナーである貴方様との協力体制を考慮した結果、就学先は「岩倉大学」所属は「人文科学部」に決定させていただきます。
 必要最低限の生活知識だけでなく、より発展した内容の学問に現実の学生と同じ環境で取り組むことは、少なからず転生者に良い成長を促せるものと存じ上げます。 
 またパートナーと同じ場所での学習により、モチベーションアップの効果も期待されます。

 転生者との有意義な学生生活が送れますようお祈り申し上げます。

 なお、学費については全て当局が負担させていただきます。
 編入手続きに関しては、別途案内書を参照の上、期限日までに必要事項を記入して大学に直接ご提出ください。 
 なお、9月×日に秋期入学式を新入生と合同で執り行う予定です。
 そちらでカリキュラム説明等のオリエンテ―ションを実施予定ですので、別途封入の開催概要をご一読の上、必ずご参加をお願いします。

 お手数ではございますが、何卒ご協力をお願いいたします。



「……まったく」

 ほんっとに毎度毎度丁寧だが有無を言わせぬ書きっぷりだよ。
 言ってることは正論だから、本当に何も返せないけど。
 手続きは面倒ではあるが、学費は実質全額免除みたなもんだし、こっちには特にデメリットはなしか。
 ご丁寧に高校卒業資格証まで準備してくれてるし、手はずはほぼ整ってるのは不幸中の幸いと言うべきかね。
 若干不正入学っぽい感じは否めんが。それを言い出したら戸籍から何まで全部偽造じゃねーかって話になるからな。

「ほら見ろクローラ。だいがく、とやらはこんなに大きいものらしいぞ!」
「わぁすごく大きいです! これ全部学校の建物なんですか!」
「ああそれに、こんな広い食堂が三つもあって、こっちのバカでかい書庫には十四万三千冊もの書物が収められてるそうだ! 漫画とかあるかな……?」
「十四万!? そんなに……。あ、こっちのはなんですかね。とれーにんぐるーむ? 訓練室のようなものでしょうか? 見慣れないキカイが沢山ありますが。あ、あとあと情報処理……室? ……わぁ、PCがいっぱい! これ全部使っていいんでしょうか!」
「こ、この広大な建物は!? なになに……やきゅう、すたじあむ? コロシアムか何かだろうか? とにかくすごいな、帝国軍の軍事基地何個分あるんだろ……」


 パンフのキャンパスの写真を一緒に見ながらクローラとリファは大はしゃぎ。
 俺はペンを置いて一息つくと彼女達に言った。

「二人とも、設備や風景に夢中になるのもいいけど、お前らはそこに何をしに行くんだ?」
「おっと、そうだった。学問を学びに行くところだったな」
「すみません、つい忘れてしまいました」

 てへぺろ、と舌を出して軽く自分の頭を叩く異世界人ズ。

「これから晴れてお前らは学生。そして学生の本分は勉強だ。ここでは生活知識や一般文化とかそういうのではなく、そこでしか学べない学術を会得する場所なんだ」
「うむ。わかっている」
「ですです」
「そして大学では俺がお前らに何かを教えるっていうスタイルではなくなる。なぜなら俺も学生だから。これからは俺とお前らで肩を並べて一緒に学問を学んでいくことになる」
「マスターと一緒に……」
「素敵……」

 ぽやーっ、と二人の頬が赤く染まった。
 ロマンチックに聞こえてるんだろーが、俺がわかってもらいたいのはそーゆー事じゃない。
 大学生活で心得ておくべき大事なこと。それは――

「大学は個人の自主性が全てだってことだ」
「じしゅせい?」
「そ。自分で何でも決めるってこと。何を学ぶか、何を選択するか、そしてそれを今後どう活かしていくか。全て自分で考えなきゃいけない。他人はアドバイス程度はするけど、最終的な判断は個々に委ねられる」
「自分の意志で……決める」
「なんだかワイヤードの掟みたいですね」
「ああ、まさにそのとおりだ」

 ワイヤードの掟。
 確たる自分の意志を持ち、決して他人に流されることがあってはならない。
 まさに大学の学び方にベストマッチしてんじゃん。

「初めての大学で色々不安なもあるだろうから、俺や渚に意見を求めることは別に構わない。でもそれに頼り切りにせず、あくまで自分の意志に忠実に学んでいってほしい。通う前にこれだけははっきり言っとく」
「うむ、しかと胸に刻んだ。忠言感謝だぞマスター」
「でも主くん。一つ質問が」

 小さく片手を上げてクローラが発言した。

「自分で何を学ぶかを決めろと言いますけど……まずはその学校で『何が学べるのか』を知らないことには……」
「ああそれなら心配要らない。リファ、ちょっとそのパンフ貸して」

 リファから冊子を受け取ると校舎案内のページから学部案内のページに移動する。

「ほら見て、法学部、経済学部、社会学部。これらは学部って言って、学ぶジャンルを大まかに分けて、それに対応した授業を行うんだ」
「ほうほう。して、私達が所属するがくぶ、とやらは?」
「これだ」

 俺はリストの中の一つを指さして答える。
 二人はそれを覗き込むように見つめて怪訝そうに音読した。

「じんぶん、かがくぶ?」
「その名の通り、人の文化や歴史、民族や言語といった人間の生活全般に関して理解を深めていく学部だよ」
「おお! それは面白そうだな!」
「なんだか私達のためにあるような学問ですね!」

 確かに、この世界の文化や技術を学ぶのが彼女達の役目だったからな。
 異なる世界からやってきた人間が所属するには、まさにうってつけの学部だろう。

「ま、要は今までやってきたことをもう少し突き詰めて考える学問だと思えばいい。『こんなのがあるんだーへーすごいな』だけで終わらせるようなものとはレベルが格段に違うぞ」
「わかってるさ。文化一つとっても、考察するべきことは多々あるはずだからな」
「一人で考えを完結させるだけでなく、解釈の違う他人との議論……確かに大学でしかできなさそうなことはありそうですものね」
「そういうことさ。やれそうか?」


 俺が片目をつむって問いかけると、二人は胸を張って自信満々に即答した。


「「もちろん!!」」
「よろしい」


 最初はちょっと不安だったけど、この分なら今んとこは心配しなくて大丈夫かな。 
 二人と学校……か。なんだか俺もちょっと楽しみになってきたな。
 恋人と一緒にいられるのはもちろん、二人がどんどん成長していく姿を見られるんだから。
 俺も頑張らないと。

「マスターマスター! よければ昼食前に買い物に行かないか!?」

 するといきなりリファがちゃぶ台から身を乗り出して顔を急接近させてきた。
 買い物って……どうしてまたいきなり? 足りない食材とかあったっけ?

「学生となる以上、色々用意すべきものはあるだろう! 筆記具とか紙とか教科書とか……」
「ですです! あとは制服にカバンに……あ、お弁当箱とかも用意しませんと!」
「おいおい……」

 なだめる俺の言い分をガン無視して、二人はさっさと出発の準備に入ってしまう。

「善は急げだ。学校が始まるまでそんなに時間はないのだろう? 早速街に出て必要なものを調達だ!」
「ですです!」

 えぇ……今から行くの? 勘弁してくれよまだこの書類片付いてないのに……。


「何を言うか。思い立ったが吉日だぞマスター」
「主くん、早く行きましょう!」


 やれやれ。どこまでも自由な奴らだよホント。 
 でもまぁいいか。せっかく入学が決まって高揚してるんだ。その気持ちは尊重してやらないといけないよな。
 俺は肩を竦めて立ち上がると、クローゼットから外行き用のジャケットを取り出した。


 季節は秋。
 残暑も過ぎて、葉っぱが赤や黄色に色づく頃。


 異世界人リファレンス・ルマナ・ビューアとクローラ・クエリは。
 騎士と奴隷から、めでたく学生へとジョブチェンジを果たしたのだった。 


 もうすぐ、新学期が始まる。
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