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第4章

第3話 お姉ちゃんは妹を守りたい

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 掴まれ、引っ張られそうな手を引き戻す。
 残った手でテーブルを掴み、待て待てとどうにか踏みとどまる。
「これから講義だっつてんだろうが。
 直ぐ終わるって話はどこいった?」
「君次第って言ったから嘘じゃないよ。
 講義よりも緊急度も重要度も高いから。優先度上げて」
 仕事のタスクかよ。

「テーブルの手を離してくれない?」
「大事なのはわかるが、今行ったところでいねぇよ」
「どうして?」
 引っ張られる力が弱まる。少しは話をする気が起きたか。

「深夜にしか見たことない」
「今居るかもしれないでしょ?」
「確証がないだろうが」
 そんな不確定なモノに付き合わされる俺の身にもなれ。

 言ったところで、窓際美人にとって俺の扱いなんて妹以下なのは当たり前。妹に手を出す性犯罪者かどうかという境界線で揺れているのだろうから、扱いなんて雑だろうけど。
 俺からすれば、ただの理不尽でしかない。

 触れた冷たい手を意識しながら、振り返って顔を顰める窓際美人を正面から睨み返す。
「だいたい、お前講義1コマがいくらするのか知ってるのか?
 それを親でもなんでもないお前が勝手にサボるのを決めて連れ出す道理があると?」
「お金の問題なのね」
「それだけじゃないけど……それもある」

 すると、窓際美人が肩にかけていたポシェットから財布を取り出す。
 はは、バカめ。
 いくら同額払ったところで授業のために金払ってるんだから頷くわけ――
「10万でいいでしょ」
「……うばー」
 俺の胸を叩くように、さらっと押し付けられた10万円の札束。閉めるのも忘れた口の端からよだれが垂れそうになってしまい慌てて引き締める。

 コンビニでジュース奢るぐらいの勢いで出してきた金額に胃が萎む。途端、目の前の女性が上流階級の出身者で、生きる世界が違うように感じてしまう。
 妹は今日のご飯に困っているというのに、姉は随分と羽振りがいいんですねと真っ白になった頭の中のどこかで思う。
 無理矢理相手に命令する時、金という手段ほど有効的なことはないなぁと思っていると「ほら、行こう」と手を引っ張られてつんのめった。

 慌てて踏みとどまる。
 なにやってるんだお前と言外に告げてくる呆れた目に、こいつはぁと意地が張っていくのを感じた。握られている手を無理矢理払う。
 ジロリとまなじりを吊り上げて睨んできた。

「どういうつもり?
 対価は払ったでしょう」
「いるかこんなもん」
 押し付けられた札束をテーブルに叩きつける。
 欲しいには欲しいし、未練がないわけじゃないが、金があればなんでも言うことを聞くと思われるのは癪だ。惜しいけど。欲しいけど。うぐぅ。

 睨み、睨み返され。
 けれども、頑なだった心を先に緩めたのは、俺のほうだった。
 こういう感情のぶつけ合いは疲れる。嘆息して強張った身体の力を抜いていく。

 正解はわかっている。
 適当に頷く。ただそれだけ。

 波風立てないで、相手の言う通りにしていればそれで終わる話。
 誤解も解けるだろうし、なにより感情を荒立てない簡単さ。妹が見つからずとも、俺への興味は失せるだろう。
 けど、と躊躇う理由は確かにあって。
 
 昨日見た制服少女の思い悩む表情。
 行動も、感情も。
 なにかがあるから、あったから家を飛び出したのは明らかだ。誰だってわかる。だから、人付き合いをしない俺にだってわかった。
 わかっていながら、なにも考えずに窓際美人の手伝いをして、制服少女を差し出すような真似をしていいものか。

 あぁ……くそ。面倒だ。
 思考そのものに苛つく。どうしてこんなことを俺が考えなくてはいけないのかと、その辺に当たり散らしたくなる。

 事情なんて知らない俺が首を突っ込むべきではない。そういうのは家族に任せるべきだ。
 わかっているのに胸の内はわだかまるばかり。
 燻りは晴れず。
 何度も何度も否定を繰り返しては、それでいいのかと同じ疑問を問い続ける。

 なにもわからない。
 そうであったとしても、直接話したがゆえに多少なりとも伝わってくるものはある。
 それを知っていてなお、なにもしないなんて選択肢を俺は取れない。

 目眩がする。
 自分の難儀さに。これから取ろうしている行動に。

 なによりも。
 短い時間だったとはいえ、湧いてしまった情もある。良い人を名乗る気は真砂まさごの一粒すらないのに、感情というのは往々にしてコントロールできない。
 だから、人と関わるなんてのは嫌だったんだと、胸の内でどうしようもない悪態をつく。

「俺は行かない」

 ハッキリと拒絶する。
 窓際美人の瞳が大きく見開かれる。
 驚きではない。全身を廻る怒りによる感情の現れというのが見ただけでわかる。
 これを言ったらさらに怒るだろうなとふっと口元を緩める。
 自暴自棄で、やけくそで。
 火山を噴火させるような行動だけれど、今更止める気はなかった。

「もう少し妹の気持ちを考えてやれよ」
「――」
 俺の言葉をどう受け取ったのか、伸ばしかけていた手から力が抜けてだらりと垂れる。
 肩も落ち、なにかに耐えるように下唇を噛む。

 俺は口から長く息を吐き出す。
 それが疲れからか、脱力からかは自分でもわからない。
 けれど、身体の中心に重く滞積していたものが減って、軽くなったのは感覚的に理解した。
 胸がすくというのだろうか。肩を竦める。

「無理矢理に連れ帰ったって解決にならないだろ。
 原因が排除されてないなら同じことを繰り返す。
 それでも探すなら自分でやれば? 俺は協力しない」
 そもそも関係ないしーとうそぶく。

「そう……」
 窓際美人の顔から表情が抜け落ちる。
 笑顔の仮面が剥がれたような、機械仕掛けの人形が壊れたような。
 その心情ははかれないが、先程までの苛烈さを思うと、どうにも嵐の前に静けさのような凪いだ海を想起させて薄気味悪さを覚える。
 緊張で息を呑む。と、前髪で瞳が隠れた窓際美人が、ぽつりと言う。

「……警察に性犯罪者として突き出してもいいんだけどね」
「はんっ」
 鼻で笑う。
 性犯罪者とかそれがどうしたってうわーやばー。
 内心わかりやすく取り乱す。

 心臓が潰れてしまいそうで、頭への血流が滞っていく。
 表面上は『やってみれば?』と気取ってみるが、その顔色は真っ青だろうことは鏡がなくてもわかる。
 手なんぞ出してないしぃと否定するも、胸を触っているのでワンチャン捕まる? たいーほ待ったなし? と、続くネガティブ材料に寒気すらする。

「そ、そんなんだから家出されて妹に距離置かれるんだぞ」
 震え声で精一杯の強がり。
 意固地になって強がった手前、今更引き返せなくなってしまっている。半端にプライドがある分、引き際を見失っていた。
 でー……こっからどうするの?

 俺の怠惰な人生設計もこれで終焉かと、恐れの感情が抜けていき諦観が満ち始めていたのだが、
「な、なんでそんなこと言うのっ?」
「…………あへ?」
 前髪のベールに隠れていた、瞳いっぱいに涙を溜めてボロボロと雫を零す窓際美人の顔が露わになって、素っ頓狂な声が出てしまった。

 驚いて石化する俺に構わず、ふらふらとよろめきながら縋り付くように俺の服を握ってくる。
「嫌いって言ったの?
 ねぇ? セイカちゃんが私のことを嫌いって、言ったの?」
「へ、あ……や。
 そんなことは」
「やぁあああああああっ!?
 セイカちゃんに嫌われたくないぃぃいいいいいっ!?」
 ちょっ。

 手を貸す間もなく膝から崩れ落ちると、窓際美人は子供のようにわんわんと号泣してしまう。
 いやぁ、とか。嫌われたくないぃ、とか。
 まんま駄々っ子で、これまでのしたたかさや悪辣さなんて感じさせない。幼子そのものだ。

「えぇ……」
 慌てるよりもなによりも、いい歳をした女性のガチ泣きに困惑が強くなる。
 そういえばこの人、大学何年なんだろうか? 見た目的に年上な気もするが、目の前の恐慌を目にすると、年下のように思えてならない。精神的に。

 なんだこれ。途方に暮れる。
 わけがわからなくなってきたが、彼女を置いて逃げるわけにもいかない。
 窓際美人の取り乱しようを見て逆に冷静さを取り戻したが、俺の精神よりも冷ややかな食堂の空気が肌を撫でて辛い。
 しらーっとした冷たい視線の数々。その中心に居ると凍えて死んでしまいそうだ。

「セイカちゃんは、セイカちゃんはぁ……お姉ちゃんが守ってあげないといけないんだからぁ」
「あーはいはいそうねお姉ちゃんだねー。
 妹ちゃんもきっとお姉ちゃんのことが大好きだから泣き止もうねー。
 あー。コーヒーでも飲む?」
「ごごあ゛ぁ」
 ガチで子供かよ。
 少々、窓際美人の言葉が気になったが、なによりもこの場を収めることが大事。
 手を貸しながら、元の椅子に座らせてどうにかこうにか泣き止ませるよう手を尽くす。

 ほんと。
 姉妹揃って子供みたいな面倒見させるなよなぁ。
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