光速の走り屋オオサキショウコ

まとらまじゅつ

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第1章 胎動編

ACT.4 ドリフト走行会への道

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 午後1時、和食さいとうの厨房は静かに動き始めた。カウンターの裏では、おれと智姉さんが開店準備を進めている。包丁の音が響き、湯気が立ち込める。日常の延長線上にある穏やかな時間だった。

「お客さんだ」 智姉さんの言葉に振り返ると、外から鋭いエンジン音が響いた。甲高いロータリーサウンドに、一瞬耳を塞ぎたくなる。間違いない、FD3S型マツダ・RX-7だ。独特の音色が胸に響き渡る。

「いらっしゃいませ……!」

 ドアが開くと、現れたのはDUSTWAYのリーダー、雨原芽来夜だった。

「オオサキちゃん、ドリフト走行会に参加するのか確認しに来たぞ」

 鋭い眼差しで問いかける雨原の言葉に、おれは深く息を吸い込んだ。そして、喉奥に溜めた言葉を、まっすぐに吐き出した。

「参加するよ!」

 その言葉を聞いた瞬間、雨原は満足そうに笑った。

「じゃあ、金曜日の赤城山で待ってるぜ」

 彼女の後姿を見送りながら、正式に参加が認められた実感が湧いてきた。店内に静寂が戻ると、智姉さんがおれに話しかけてきた。

「参加すると決めたな。明日だが、予定にないけどドリフト走行会の練習をやらないか?」

 おれはすぐに頷き、力強く言った。「練習、必要です」

 声に少し力が入った。負けたくない――それだけは絶対に避けたい。これから始まる日々は、そんな緊張感と共に進んでいく。 なぜここにいるのか。なぜクルマを走らせるのか。自分でもまだ、その答えはわからない。ただ、走ることで何かを見つけられる気がする。 自分が「誰なのか」を知りたい。そのために、今は前に進むしかない――。

 翌日、3月18日の水曜日。太陽が昇り始めたばかりの午前6時。
 赤城道路ダウンヒルのスタート地点には、2台の車と数人の姿があった。

「昨日言った通り、今回は本番を意識したルールで練習するぞ」

 智姉さんが言いながら、R35のボンネットに手を置く。

「私のR35は4WDだが、トルク配分をリア寄りに調整した。そして今回は、エンジンの回転数を5500までに制限する。これで充分、追いつけるだろ?」

「先攻では離して、後攻ではベタ付きますよ!」

 おれは自信満々に答えたが、その結果が逆になることを、この時は知る由もなかった。

 スタートの合図とともに、おれのワンエイティが先行する。

「行くよ、<コンパクト・メテオ>!」

 最初のヘアピンへ、飛び込む。限界ギリギリの進入速度で、滑り出す感覚を抑え込みながら──ドリフト。タイヤが路面を裂く音が響く。だが、後方から迫るR35のプレッシャーは消えない。

「くそ……!」

 智姉さんのR35は、エンジン回転数を縛られているにもかかわらず、安定した速度でおれを追い詰めてくる。そのスムーズなライン取りと正確な動きに、おれの焦りが募る。
 互角どころか、徐々に追いつかれている――?

「おれが遅いのか?  いや、智姉さんが速すぎるだけだ!」

 ヒルクライムがスタートする。智姉さんが先行だ。

「さっきのダウンヒルは速すぎたな。ヒルクライムではさらに手加減するぞ」

 智姉さんが軽く笑いながらR35を先行させる。
 S字ヘアピンに突入する智姉さんのR35は、回転数を抑えながらも滑らかな慣性ドリフトを繰り出す。その姿に見惚れながらも、おれは必死で食らいつく。

「ついていける……! おれだってやれる!」

 最終ヘアピン。おれはブレーキングからの<コンパクト・メテオ>で加速を狙うが、智姉さんはさらにその上を行く。

「その技に頼りすぎだ!」

 カタパルトのような加速で、智姉さんはおれを置き去りにした。

 ゴール地点で車を降りると、六荒が迎えてくれた。

「2人とも、お疲れさん。さすが智だな、回転数縛りでもこの余裕か」

「ドリフト走行会は勝敗じゃあないとはいえ、やっぱり負けられないな」

 智姉さんが微笑む。その言葉に、おれは小さく息を呑む。
 彼女はすぐ顔を変え、厳しい表情で忠告してくる。

「ただ、今のお前は技に頼りすぎだ。ドリフトもレースも、駆け引きが重要なんだよ。いつ使うか、どう使うか。そこを考えなきゃ勝負にならない」

 その言葉に続くように、六荒が口を開いた。

「智の言う通りだ。俺はグリップ中心のワンメイクレースをしていたからドリフトの駆け引きには詳しくないが、勝負に必要な読み合いは同じだ。相手の動きを見て、次の一手を考える。それが大事なんだ」

 2人の忠告を聞きながら、おれはうなずくことしかできなかった。
 すると智姉さんが、少し声を落として話題を変える。

「それと、噂なんだが……お前のことを敵視している走り屋がいるらしいぞ」

「えっ、本当ですか? 誰なんですか?」

 おれは思わず声を上げた。

「黒のJZA80型スープラに乗る、走り屋。腕は確かで、雨原に並ぶほどの実力者だとか。DUSTWAYのメンバーで、お前を敵視しているらしい」

 黒いJZA80――。そのイメージが頭の中に浮かぶ。鋭い走りと圧倒的な存在感。胸が苦しくなるような不安が押し寄せてきた。

「その走り屋が、ドリフト走行会でお前の相手になるかもしれない」

 おれの心臓がさらに高鳴る。 智姉さんがふと笑いながら話を切り替えた。

「そういえば、今日の夜10時にドリフト走行会の予行練習があるらしいな。オオサキ、お前も参加するのか? 私は休みだから付き合えるぞ」

 しかしおれは、少し躊躇してから答えた。

「いや、参加はしません。でも観戦はします。ギャラリーとして行くだけにします」

「どうしてだ? 参加したほうがいいと思うが」

 智姉さんの問いかけに、おれは苦笑いを浮かべながら理由を口にした。

「タイヤやガソリンを節約したいんです」

 それは表向きの理由だった。本当は――。
 相手の走りを観察し、どう戦うべきかを考えたい。それがおれの本音だ。しかし、それを智姉さんに言うのは少し恥ずかしかった。
 智姉さんはおれの答えに納得していない様子だったが、それ以上は何も言わなかった。

 午後9時55分、赤城山に改造車の爆音が響き渡る。 自然吸気のソリッドな音、ターボの独特な笛鳴り、そしてロータリーエンジンの高音域が入り混じり、夜の山を揺るがすようだ。
 おれと智姉さんは、第1高速セクション前のヘアピンでギャラリーとして待機していた。

「あと5分で始まるぞ。準備はいいか?」

「ええ、なんだか緊張してきました……」

 時計の針が静かに進む中、遠くからエンジン音が迫ってくる。轟音が徐々に大きくなり、ついに2台の車が姿を現した。

「来た! DUSTWAYの2台だ!」

 先行するのは、青と白のFD3S――雨原芽来夜のマシン。そして、その後ろを食らいつくように走る黒いJZA80。どちらも信じられないスピードでコーナーに突っ込んでいく。

「来るぞ!」

 FDが先に、JZA80が続く形で、2台はほぼ90度の角度でドリフトを開始。タイヤのスキール音が耳をつんざき、路面から巻き上がる白煙が照明に反射して浮かび上がる。

「すごい……雨原さん、あのスピードでよく90度に振れるな……」

 智姉さんが静かにうなずく。

「赤城最速の名は伊達じゃないな。だが、後ろのJZA80も見逃すなよ」

 その言葉通り、JZA80は雨原のラインを忠実にトレースしながら、わずかに距離を詰めていく。2台はヘアピンを抜け、慣性ドリフトでパイロンを回り込むと、一旦停車してヒルクライムに備えた。

 ヒルクライムが始まると、今度はJZA80が先行役となった。直線区間で加速した後、次のヘアピンに突入する。

「すごいな……サクラさんのドリフト、完璧じゃないか!」

 JZA80は、コーナー進入時にフェイントモーションを使い、角度をつけてドリフトを始める。車体が蛇よりも鋭くしなり、黒い猛禽のように路面へ襲いかかる。まるで獲物を見据えた意志があった。
 智姉さんが感心したように言う。

「ああ、葛西サクラはDUSTWAYの中でも雨原に次ぐ実力者だ。 軽量化されたうえに、ビッグシングルターボ仕様――聞いただけでゾッとする。」

 その走りにはギャラリーから歓声が上がる。おれも思わず息をのんだ。
 2台の走りを見て、おれは朝の智姉さんとの会話を思い出す。

「おれを敵視しているDUSTWAYの黒いJZA80乗りって……彼女ですか?」

「その通りだ。彼女は16歳のお前を敵視している。だが、気を抜くなよ。サクラの実力は本物だ」

 その言葉を聞いて、期待と不安が入り混じる。おれの心臓は早鐘のように鳴っていた。

 おれたちが自宅である和食さいとうに帰宅したのは、夜中の2時過ぎだった。 日付はすでに変わっている。
 部屋に入るなり、パジャマに着替える。部屋着はゆるやかな和風デザインの作務衣だ。智姉さんは落ち着いた白、おれは深い藍色を選んでいる。

「今日のドリフト走行会、どうだった?」

 智姉さんがキッチンでお茶を淹れながら問いかけてくる。

「楽しかったです。ただ……少し後悔してます」

「後悔?」

 智姉さんがこちらを振り返る。

「走らなかったことです。本当は、あの場で自分も挑戦してみたかったかもしれません」

 答えながら、おれはソファに座り直した。確かに、見学は勉強になった。雨原やサクラの走りを間近で見ることで、技術の凄さを目の当たりにした。でも、見ているだけでは何も変わらないという思いもある。
 智姉さんは静かにうなずいた。

「まあ、悩むのは悪いことじゃない。けど、次のチャンスがあったら逃すなよ。お前は車を走らせることで成長できるタイプなんだ」

 印象的な言葉を残してくる。

「バカにされたっていい。勝てなくてもいい。――でも、走りだけは、誰にも嘘をつかない」

 その一言が、胸に響いた。確かに、次は迷わないようにしたい。おれは深く息をつき、カップを持ち上げた。

「ありがとう、智姉さん。次は走ります」

「どんな技よりも、お前の“魂”が一番速い。行ってこい、オオサキ」

 智姉さんは満足そうに笑い、立ち上がると部屋の奥へと向かう。

「じゃあ、寝るぞ。おやすみ、オオサキ」

「おやすみなさい」

 静まり返った部屋で、一人、今日の走行会を思い出す。夜の闇に浮かぶ青と白のFD、黒いJZA80。あの走りの残像が、まぶたの裏から離れない。次、ステアリングを握る時──活かせるか。

「その走り、見ただけで胸が焼ける……あれを超えたい」 期待と不安を胸に抱きつつ、おれは眠りについた。

 3月19日、木曜日。赤城の空はオレンジ色に染まり、朝6時の光が山々を照らしている。
 起きてすぐ、リビングに向かい、ソファに腰掛けた。 しかし、智姉さんの姿は見当たらない。

「智姉さん、今日はどんな走り屋と走ることになるんだろう……もしかして」

 ドリフト走行会の組み合わせが発表されるのは早朝だ。実は、智姉さんはすでに赤城に向かっているはずだ。 誰と一緒に走るのか……そのことを考えるだけで、胸が高鳴り、手が震えてきた。
 その時、遠くからエンジン音が聞こえてきた。VR38の音だ。 智姉さんが帰ってきたのだ。

「おかえりなさい」

「ただいま、オオサキ。さて、一緒に走る相手だが……」

 ドキドキと胸が震える。

「私の予想通りだ。葛西サクラと走ることになった」

「昨日、フェイントモーションを披露していた黒いJZA80乗り、あの子ですか!?」

「そうだ。あの子と一緒に走ることになったんだ」

 智姉さんの予感は的中した。葛西サクラという走り屋は、まさに凄腕だ。
 一緒に走るなんて考えただけで、緊張してうまく運転できなくなりそうだ。 寒さに震えるように、体がわずかに震えてしまう。

「もう3月だっていうのに……」

 冬の寒さはまだ身体に染みついているが、心の中では、もう春が近づいていることを感じ取っていた。

 夕方、赤城山の空は橙色に染まり、DUSTWAYの練習が行われていた。資料館前の駐車場に、青緑のFDとサクラのJZA80が到着する。

「速いな、サクラさん。軽量なFDを追い詰めるなんて……」

 一方のサクラは無表情で、何も言わずに車を降りる。彼女の表情からは余裕が感じられるが、それが彼女のスタンダードだ。感情を表に出さない性格だからだ。

「練習お疲れ様。あたしを除けば、DUSTWAYで一番上手くドリフトできてるよ」

 リーダーの雨原が褒め称えながらやってきた。彼女は両手を叩いて、軽く笑っている。

「明日の夜は、勝ってくださいよ!」

「16歳の子に負けないでね!」

 一緒に走る相手は16歳。年下に負けるなんて恥だ。赤城で2番目に速い走り屋が、そんな相手に負けるなんて、大騒ぎになるだろう。

「ああ、勝ってやるさ。だけど、当日では覚醒技は使わないつもりだ」

 サクラは応援に応じたが、その表情にはどこか不安が漂っていた。

(明日の夜、あいつに食い付かれるかもしれない……あの16歳じゃない走り屋のオーラが、身体から伝わってくる)

 サクラは、まだ実力を知らぬはずのオオサキに、不安を抱いていた。

 暗くなり、夜の11時。おれとワンエイティは峠道を走っていた。 ドリフトしながら、迫りくる曲線を次々と抜け、気づけば第1高速セクション前のヘアピンを通過。すぐさまUターンし、ヒルクライムへと突入した。ダウンヒルで抜けたあのコーナーを、今度は逆の順番で登っていく。
 ゴール地点に到着すると、クルマを止めて休憩。しばらくの間、黙って考え込んでいた。金曜日のレースのことを。

「勝ちたい――でも、それだけじゃ足りない。あいつの“魂”を、走りで揺らしたい」

 胸の奥から、熱いものがこみ上げてきた。

「16歳。経験も浅い。ただそれだけで侮られるなら、走りでひっくり返すまでだ。――絶対に、負けない。」

 心の中で誓いを立てる。自分のため、そして何よりサクラに勝つために。
 10分後、休憩を終え、再びエンジンをかける。次のラップが待っている。

TheNextLap
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