光速の走り屋オオサキショウコ

まとらまじゅつ

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第6章 リベンジ編

ACT.34 乾健人の特訓

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 智姉さんと葛西ウメとのバトルから翌日、5月10日の日曜日。
 赤城山の夕暮れ、冷えた空気に包まれる中、2台の車が山頂付近の駐車場に停まっていた。一台は乾健人さんの550馬力のGC8型インプレッサ22B。そしてもう一台は、おれこと大崎翔子Z32(代車)だった。おれは助手席に座り、乾さんの指導の下、彼のGC8での修業を始めようとしていた。

「オオサキ、お前の走りには情熱がある。それは大きな武器だが、時に暴れすぎることもある。今日は“静かに攻める”ことを教える。」

 乾さんはそう言いながら、エンジンを始動させた。水平対向エンジンの低く重厚な音が響き渡る。

 ラリー仕込みのコーナリング精度

 乾さんは赤城の下りに入りながら、まずは基本のライン取りを見せる。

「コーナーは攻めるだけじゃあない。正確に、無駄なく、スムーズに抜けることが重要だ。」

 彼は軽いブレーキングからスムーズなターンインを見せ、まるで車が道に吸い付くようにコーナーを抜けていく。おれは助手席でその挙動を感じ取りながら、乾さんの操作に集中する。

「スライドさせる必要はないの?」

「いや、必要な場面もある。でも、まずはグリップで限界を知れ。タイヤと路面がどれだけ噛み合うかを感じるんだ。」

 乾さんはペダル操作、ステアリングワーク、そして視線の使い方を細かく説明しながら、コーナリングの精度を極限まで高める技術を見せた。

 赤城の中盤、路面が荒れているセクションに差し掛かる。

「ここがラリーの技術だ。路面が変わっても、車の挙動を予測し、対応し続ける。」

 乾さんは一瞬の判断でラインを変え、荒れた路面をまるで何事もなかったかのように走り抜ける。翔子はその瞬間の正確さに驚いた。

「どうしてそんなに正確に対応できるの?」

「車と話しているだけだ。振動やタイヤの声を聞け。それが路面を教えてくれる。」

 おれは乾さんの運転から、路面を読む力と、その状況に応じた操作の重要性を学び取った。

 乾さんは一度駐車場に戻ると、運転を翔子に交代させた。翔子は初めて乾さんの550馬力のインプレッサに乗り込み、緊張しながらもエンジンをかける。

「この車のパワーを制御できれば、お前のクルマにも応用できる。試してみろ。」

 おれは恐る恐るアクセルを踏み、慎重にコーナーへ進入する。しかし、乾さんは冷静にアドバイスを続ける。

「アクセルを踏むタイミングを早めるな。コーナー出口に集中して、まずは車を安定させろ。」

 何度か走るうちに、おれはGC8の特性を掴み始める。さらに乾は、ラリーの技術とレースの攻めを融合させた戦術も教える。

「ラリーでは次のカーブを見越してラインを作る。だが、レースでは追い抜きを考えたラインだ。両方を同時に使うことで、相手を翻弄しながら最速を狙える。」

 おれはその理論を意識しながら走りを組み立て、ついに乾さんの目を見張らせる走りを見せた。

 赤城の頂上に戻ったとき、乾さんは静かに微笑みながらオオサキ に言った。

「やればできるじゃあないか。これでお前の走りは、さらに鋭くなる。」

 おれは汗を拭いながら乾さんに応えた。

「ありがとう、乾さん。これでどんな相手でも、もっと冷静に、正確に攻められる気がするよ。」

 静かなる攻めを学んだおれは、次のバトルに向けてさらなる自信を得た。その姿を見つめる乾の瞳には、彼女の可能性を信じる光が宿っていた。

 同時期の夕刻、群馬・前橋市郊外。
 エキゾーストがこだまする「Speed葛西」チューニングガレージに、
 場違いなほど気品を纏ったJZX90マークIIが滑り込んだ。
 深いホワイトとパープルのボディ、それにに貼られた**“彗星塾”**のステッカーがただならぬ空気をまとわせる。

 降り立ったのは、
九一三雅──フェンシング部・乗馬部・テニス部兼任、“裏の群馬レディ”

 その足取りは、まるで猫科の獣。
 整備ピットにいたオレ、葛西サクラが目を細めて見やった。
 JZA80スープラのエンジンを冷ましながら、頭の片目隠れの前髪が揺れる。

「……九一三雅。お前がここに来るとはな」

「こんにちは、サクラさん」

 雅は丁寧な笑みを浮かべた。が、そこにある“感情”は別だった。

「聞いたのよ。明日、あなた……大崎翔子とバトルする予定だって」

「そうだが?」

 オレはスパナを置き、背筋を伸ばした。目には怯えも、躊躇もない。

「なら、私もそのバトルに混ぜてもらえないかしら。三つ巴で構わないわよね?」

 整備ピットの空気が凍る。
 スタッフたちが顔を見合わせ、葛西ウメが工具箱の向こうから目を細めて会話を盗み聞く。

 サクラの眉がピクリと動いた。

「……なぜ、大崎翔子にこだわる」

「斎藤智と一緒に暮らしてるから。それだけで、私には不快なの」

 雅の声は、透き通るほど澄んでいた。けれど、オレはその奥に“執着”と“嫉妬”を見抜いた。

「ふぅん……ま、構わないさ。どうせ私は、どっちも潰すつもりだったから」

 オレの口元が冷たく吊り上がる。

「それに。お前がどこまでやれるか……見せてみな」

 母さんは背を向け、ピットの片隅でポツリと呟いた。

「……サクラが“本気”を出す日が来たのね」

 そして赤城は、再び血の轍を刻もうとしていた。
 伝説の娘、復讐の女、そして覚醒前夜の赤髪。

 赤城、土曜夜(5月16日)──三つ巴の決戦、始まる。

 夜、和食さいとう。
 智姉さんは厨房で黙々と仕事をしている。
 その横で、おれ、大崎翔子が少し疲れた様子で座っていた。
 最近、彼女は日々の走りの中である感覚を掴みかけていた。それは、確かに覚醒に向かう過程だ。しかし、翔子はそれに満足しているわけではなかった。彼女は次のステップに進む必要があると感じていた。

「智姉さん、最近、ちょっと変なことがありまして」

 智姉さんはその言葉に顔を上げ、軽く眉を上げた。

「どうした?」

 翔子は少し戸惑いながらも続けた。

「乾健人さんの元で、葛西サクラと九一三雅に勝つために、ラリーのトレーニングを受けることになりました……でも、あの人、めっちゃ厳しいんですよね」

 智姉さんは一瞬驚きの表情を見せたが、すぐに納得したように頷いた。

「乾健人か。お前にとっては、試練だな。」

 おれは頷きながら続ける。

「うん。あの人、ただの元GT300のドライバーじゃない。あの厳しさが、すごく怖いんだけど、なんか……感じるものがあるんだ。」

 智姉さんはその言葉にしばらく黙って考えていた。
 そして、ゆっくりと口を開いた。

「乾は、お前が思っている以上に厳しい人物だ。だが、その厳しさの中に、確かな技術と本物の情熱がある。お前にとっては、試練になるだろうが、その先に進むためには避けて通れない。」

 おれは深く息を吐き、覚悟を決めた。

「分かった。行ってきます。」

 翌日、5月11日の月曜日。
 群馬サイクルセンター、通称「群サイ」にて。
 乾さんは自分のインプレッサ22Bに乗り、おれは代わりに乾さんから貸し出されたラリーカーに乗っていた。
 最初は少し気を使っていたおれだったが、乾さんはそれを許さなかった。

「お前、ここで手を抜くなよ。ラリーはただ速く走ることだけじゃあねーんだ」

 おれは必死にハンドルを握り、ブレーキを踏み、アクセルを調整しながら言葉に従おうとするが、乾さんの目は鋭く、その言葉一つ一つが鋼のように重く響いた。

「アクセルの使い方が甘い。もっと速く、もっと正確に。細かい操作ができなきゃ、次のステージには進めねーぞ。」

 おれはその言葉に反応し、すぐにアクセルを踏み込んだ。
 だが、乾さんはすぐにその動きに違和感を覚えた。

「それじゃダメだ。もっと早く、もっと緻密に。お前、まだ自分の限界を分かってないな。」

 おれはその瞬間、心の中で何かが弾けるような感覚を覚えた。
そして、意識的に自分の内面に問いかけた。

「まだ、私は足りないんだ。」

 ラリーの道を走り続けながら、おれは徐々に乾さんの教えを体に染み込ませていった。
アクセルとブレーキの微細な調整、カーブの曲がり方、そして走行中に感じる車の挙動。
そのすべてを、自分の身体に取り込んでいった。

 さらに翌日、5月12日の火曜日。
 再び赤城山。

 おれは再び赤城山の道を走っていた。
 今回の走りは、前回よりも格段に速く、そして安定していた。

「今度は、完璧だ。」

 おれは自分に満足し、さらに加速していく。
 そして、赤城山の登り道を一気に走り抜けた。その途中、おれの中で確かなものが芽生えていった。それは、単に“速さ”ではない。
彼女の走りに必要な“心の余裕”と“確かな技術”が、次第に結びついてきた。

 その時、おれの後ろから一台の車が現れた。
 GC8型インプレッサ22Bだった。

 乾健人さんが背後から追いかけてきている。

「いいぞ、オオサキ。だが、まだだ。お前は本当に速くなったか? それとも、ただ速く走りたいだけか?」

 おれはその言葉を耳にし、再びハンドルを握りしめる。
心の中で彼女は答える。

「まだ足りない。だから、進んでいく。」

 そして、おれはさらに加速し、乾とのレースに突入した。
 その走りは、今までの彼女とは全く違っていた。

『覚醒とは何か』

 おれは今、その答えに近づきつつある。
 覚醒の先に待つもの、それは単に速さだけではない。
 心と技の融合が、真の覚醒に繋がるのだ。

 次の大試練は、葛西サクラと九一三雅との戦いとなる。
 彼らとの戦いが翔子の覚醒をさらに加速させることになるだろう。

 夜の赤城、裏の舗装林道。
 深夜1時を回ってなお、乾健人さんの22Bは容赦なかった。

「そこだ。減速が甘い。Z32の重量わかってんのか。ブレーキングは一瞬迷ったら終わる」

 乾さんの罵声は、鋭い鞭のようにおれの胸を打った。
 汗で前髪が張りついても、おれは答えない。ただ、ステアリングを握り直すだけ。
 代車のZ32。400馬力に絞られたVG30が唸る。

「いいか、オオサキ」

 乾さんが、低く言った。

「お前はまだ“走りで戦う”覚悟ができてねえ。勝ちたいってのと、殺し合いに身を投げる覚悟は別モンだ」

 おれは言葉を失い、アクセルを踏み込もうとした──そのときだった。

 谷に響いた甲高いエキゾースト。
 それは、乾さんすらも「誰だ」と眉をひそめるほど、明らかに異質な音だった。

 ザッ、と音を立てて駐車スペースに滑り込んできたのは、
 ──490馬力のJZX90マークII。

 夜の帳を裂くように降り立った女は、まるで舞台の上を歩くような足取りで、翔子の前に立った。
 月明かりに照らされたその顔は、涼しげで、どこか優しげですらあった。

 だが、その目が、翔子と合った瞬間──変わった。

「あなた……大崎翔子、よね?」

 語尾に柔らかい“かしら”をつけながらも、声はぞくりと冷たい。
 おれは警戒する。Z32のドアに手をかけながら、わずかに構えた。

「九一三雅、なの?」

「そうよ。九一三雅よ」

 その名に、乾健人さんが一歩前に出た。

「……草加の弟子か。ずいぶんと牙を研いでるな、お嬢さん」

「ふふ……乾健人さん。あなたが教えてるのね、この子に。面白いわ」

 雅の瞳が、まるで値踏みするようにおれを撫でた。

「でも、私、気に入らないの。あなたが斎藤智と同居してるって聞いてから、ずっと。斎藤智はね、私にとって……母のような存在なの。あなたなんかが近くにいていいわけないわ」

 空気が変わった。
 夜風が止まったように、あたりが静まる。おれが反論しかけたそのとき、雅はにっこりと微笑んだ。

「だから──土曜の夜、バトルしない? 葛西サクラと三つ巴のバトル」

 Z32のキーを握る手に、汗がにじむ。
 おれは、ゆっくりと視線を上げた。

「……上等だ。こっちから願い下げる前に、叩き潰してやる。この前のリベンジだよ!」

■ 日時:今週土曜日(5月16日)・赤城山

 乾さんは、無言で二人を見ていた。
 こっちの目には、確かに──かつて自分が駆け抜けた“世界戦”の匂いがあった。

 土曜深夜の三つ巴バトルを前に、水曜日、裏赤城こと群馬県道16号大胡赤城線には一人の新たな刺客が現れていた。

 ボディに擦り傷を刻んだBD5型レガシィ。
当時のWRC直系の四輪駆動シャシーに、細やかな手が入ったターボチューン。
 運転席には、青髪ツインテールの小柄な女性が座っていた。

 灰津たくみ(はいづ•-)
 乾健人さんの唯一の弟子。
 乾さんがGT300からラリーへ転向した後、最初に“完走の意味”を叩き込んだ少女。
 現在はラリークロスとジムカーナに出場しており、峠でもその丁寧すぎるほど精密なラインで知られている。

 そのたくみが、Z32に乗る大崎翔子の前に現れたのは、

「土曜に走る前に、お前がどこまで仕上がってるか、確かめろ」

 という、乾健人の命によるものだった。

■ 開戦──水曜深夜1:00、裏赤城

 Z32のVG30が目覚め、400馬力の鼓動を夜へ解き放つ。
 対するBD5レガシィは、450馬力を超え、トルクカーブと駆動の緻密さで勝負するバランス型。

 おれは、乾との特訓で磨いた“グリップ重視のライン”を武器に、先行で挑む。

 しかし、後追いのたくみは一切ブレない。
 インを突かず、煽らず、ただ正確にラインの“中心”だけを走る。
 重心移動、減速G、アクセルの抜き、すべてが“峠という地形の重力”と一致している。

 おれの中で焦りが滲む。

「なんで、仕掛けてこない……!? 余裕ってこと!?」

 その瞬間、コーナーの頂点でZ32がオーバーステア気味に膨らんだ。

 そこに──一瞬だけ、たくみのレガシィが鼻先を入れた。

 あえて抜かず、“抜ける”ことだけを見せる。

 おれの背中を、冷たい電流が走る。

「……これが、乾さんの……精密機械みたいな走り……!」

 だが、おれは歯を食いしばった。

 “誰かの走り”に怯えるのはもう終わりだ。

 Z32が再加速する。
 タイヤが咆哮を上げ、コース中央へ戻る。
 路面を“ねじ伏せる”走りではなく、“味方にする”走りを、彼女は思い出していた。

 後半戦、たくみはあえて翔子に先行を許し、つぶやいた。

「悪くない。……あとは“勝つ”だけだね、大崎翔子」

 ゴールライン。
 僅差で先着したのはZ32。だが、それは灰津たくみの“判断”でもあった。

 走行後。
 たくみは助手席に座り、ペットボトルを口にしながら言った。

「本番前に、走れてよかったです。あなた、ただの代車乗りじゃないね」

 おれは肩で息をしながら、笑った。

「……こっちも、“勝ち”を教えてくれた気がするよ。ありがと」

 たくみは立ち上がり、Z32のルーフをポンと叩いた。

「土曜日、潰されないで。雅も、サクラも──あんたが本物なら、全部倒せます」

 言葉少なに夜の闇へと消えていったBD5のリアランプが、翔子の視界に焼きついた。


 深夜2:00、霧立ち込める赤城山路面。
 誰もいない、音すら凍る峠の奥で、伝説が再起動する。
 オオサキは家で眠りにつき、乾だけが残っていた。
 ある人物を呼び寄せたのだった。

 乾健人:インプレッサ22B STI Version(GC8)
 550馬力 / AWD / ターマックの狼
 今や赤城の若き走り手を育てる“鬼教官”として知られる男。
 かつてGT300で草加と並び、勝てず、憎まれ、火の中から引きずり出した男。

 1台のクルマがエンジン音と共に来た。

「……来るなら来いよ、草加。今さら逃げんなよ」

 フロントガラス越し、ブースト計が跳ねる。

 草加幸平:ランサーエボリューションVIII MR(CT9A)
 530馬力 / AWD / カイザーのザリガニ
 9年前、炎に呑まれ命を拾われた男。
 だがその後、自らの意思で火の道を断ち、今は孤児の“父親”を名乗る。

「……あの夜、お前がいなければ……私は、何も残せなかった」

 カーボンのウイングが夜の月光を斬る。
 乾いたクラッチ音。ランエボが吠える。

「だが今は、走りで“答え”を出す」

 バトル形式:1本勝負・全開アタック

 1台ずつのタイムではない。
 全力で、お互いを抜くか、潰すか、それだけ。

 2台のAWDが並ぶ。
 GC8の重厚なボクサーサウンドと、4G63改の獰猛なシュラウドが絡み合う。
そして──

 スタート──火が再び灯る

「GO!!!」

 クラッチが一斉に離された。
 まるで獣が檻から飛び出すかのように、二台が同時に赤城の斜面を引き裂いた。

 乾のGC8が先行。
 ラリースペックの彼は、道幅全体を使って最速ラインを描く。
 正確すぎるほどのトレース、点と点を結ぶ弾道のような走り。

「ブレーキ入れるタイミング、ライン、タイヤの温度……全部完璧だ。だが――」

 草加のエボVIIIが追いすがる。

 エボVIIIは、まるで“意志”があるようにラインを捻じ曲げる。
 4G63改、2.3L・EFR8374ターボの膨大なトルクが、低回転域から“引きずり込む”加速を見せる。
 シーケンシャルの音が、乾のGC8を貫くように炸裂する。

「前に出るぞ……!」

 ザリガニの逆襲。

 連続S字。乾がブロック気味にラインを抑える。
 が、その刹那──

 草加が“横に這う”ように、外から切れ込む。

「……!?」

 乾の目が見開かれる。

 ──それはGT300時代、“ザリガニの草加”と恐れられた動き。
 外に膨らむと見せかけて、横に滑り込む。
 ボディの慣性ではなく、内面からマシンを“割って入れる”走り。

「まだ、それをやれるのかよ……!」

 草加、追い越し成功。

 だが22Bが再び迫る。
 低く、重く、正確に。
 まるで“燃え尽きた火を再び灯す”かのように、乾が最後のブレーキングで勝負をかける。

「――走れ、GC8ッ!」

 4輪全てがギリギリのトラクションを受けながら、22Bが滑り込む。

 草加も譲らない。
 身体は悲鳴を上げる。
 ――肺が焼ける。
 ――視界が滲む。
 でも、

「止まるか……っ、ここで……!!」

 ギアを1段落とし、オーバーレブ寸前で最終コーナーへ飛び込む。

 ゴール前、わずか30cm。
 22Bのノーズと、ランエボのリアが並ぶ。

 ──光が裂けた。

 結果は、ドロー。

 どちらも譲らず、どちらも倒れなかった。

 だが。

 “走り”でしか語れなかった二人の火は、今ようやく同じ温度で燃えた。

「……ハァ……ハァ……おい……お前……」

「……まさか、まだ走れるとはな、乾……」

「……そのザリガニ、まだ現役かよ……」

「お前のライン……まだ、地味に速い」

 二人は同時に、笑った。

 辺りはまだ深夜、だが空気には夜明け前の冷たさと澄んだ気配が漂い始めていた。

 乾のGC8と、草加のランエボVIII
 二台は静かに並べられ、その間に、火花の余韻を残すような沈黙が漂っていた。

 車から降りた二人は、エンジンの冷却音だけをBGMに、無言のまま立ち尽くしていた。
 その間に──一人の女が歩いてきた。

 斎藤智。
 銀髪を風に揺らしながら、カジュアルなセーターワンピースに黒タイツ。
 目元は鋭いが、どこか懐かしさを湛えた表情だった。

「……ずいぶん、楽しそうに走ってたじゃあないか」

「見てたのかよ」

 乾が気だるげに肩をすくめる。

「まさかこの二人の“再点火”が拝めるなんて。得した気分だ」

 智はエンジンの熱が残るボンネットに軽く触れながら、草加の方を見た。

「……あの頃の草加に戻ったみたいだった」

「……私はもう、あの頃の私ではないさ」

 草加は、ロールバーの補強が光る自車を見つめながら答える。

「身体も、走りも、想いも。すべて“燃え尽きた”と思っていた……あの時まではな」

「乾が引きずり出したから?」

 智の問いに、草加は一瞬だけ目を伏せ、静かに笑った。

「アイツのことは……今でも、複雑だ。恩も、怒りも、全部まとめて置いてきたつもりだったのに、火花を交わしたら……忘れられなくなった」

「はぁ? 何、ポエムみたいなこと言ってんだよ」

 乾が鼻で笑う。だが、その目はどこか照れていた。

「ま、俺も……あんたが走る姿、もう一度見れて悪くなかった」

「素直じゃないな、乾」

「うるせぇ」

  火が交錯したあとの静寂
 智はポケットから小さな缶コーヒーを取り出し、二人に投げた。

「まだ飲むのか? 冷めたやつ」

「俺は猫舌なんだよ」

「……熱いのは、少し苦手になった」

「だから火の中で走るんだろ、お前たちは」

 二人は顔を見合わせ、苦笑する。
 まるで、過去を焚き火のように囲んでいるようだった。

「……で?」

 乾が、缶を指で回しながら言う。

「次はどうする。これで終わりって顔じゃねえよ、草加」

「どうだろうな」

 草加は空を見上げる。そこにはまだ星が残っていた。

「雅のこともある。あいつには、まだ教えてやらなきゃならんことがある」

「オオサキもな」

 乾がかすかに頷く。

「火を見て走れるようになってきた。でも……まだ、揺らいでる」

「あいつらが本当に“火の向こう側”に行くには、まだ何かが足りない」

「なら、見届けてやろうじゃねぇか」

 乾が口元で笑い、缶を軽く掲げる。

「“あの頃”を知ってる3人でよ。……火を継いだ奴らが、どこまで行けるか」

「……ふっ、悪くない提案だな」

「じゃあ……火の番人たち、続投だな」

  静かに、朝が来る。
 誰も何も言わなくなった。
 ただ、三人はそれぞれの車に背を預け、同じ夜明けを見ていた。

 かつて火を浴びた者、火を恐れた者、火を継がせた者。
 そして今は──火の向こうを見つめる者たち。

 新しい物語は、ここから始まる。
 
 ――朝の赤城、誰もいない道で試す“もうひとつの覚醒”

 その夜、オレ、葛西サクラは一人だった。

 仲間はいない。
 母が、見ていない。

 だが――赤城は、見ている。

 オレはJZA80スープラをそっと坂の上に止め、灯火ひとつない闇の中に、静かに身を置いた。

 夜露がボンネットを湿らせる。
 星も月も出ていない。
こっだからこそ、己の“火”が見えると思った。

(もう、あの“爆ぜる力”は使えない。覚醒技は……過去のオレの延長線だった。でも、火は……まだ残ってる。母さんが教えてくれた。オレの中の“核”は、まだ消えてない。なら──試してみろ。技じゃなく、“意思”だけで、どこまで行けるか)

 オレはキーを捻る。
 エンジン、始動。
 3リッターの直6が、深く唸りを上げる。
 吸気の低い唸りが、夜の赤城にじわりと染み込む。

(ただの一人走り。負けも勝ちもない。でも、この走りで“何か”を確かめる)

 シートベルトを締める。
 右目を前髪から覗かせ、スイッチのように集中を入れる。

 ギア、1速。
 クラッチ、リリース。

 JZA80が、黒い闇に溶け込んだ。

 ヘッドライトはオフ。
 代わりに、闇の中に浮かぶラインだけを頼りにする。
 オレは目を閉じかけたまま、五感すべてで路面を読む。

(ブレーキの重さ、ステアリングの反力、タイヤの鳴き声。これまで、オレは“爆発”を走りにしてた。だけど――)

 コーナーに滑り込みながら、オレはまるで舞うように、マシンを斜めに刺し込んでいく。

「……速くない。でも、消えそうに静かで、怖いくらい研ぎ澄まされてる」

 赤城の中盤。
 世に知られるオレの得意区間、「サクラ・ゾーン」。

 だが、かつての“覚醒技”を失った彼女にとって、そこはかつての聖域であり、墓標でもあった。

(ここが、オレの原点。そして……オレが、壊れた場所)

 タイヤが唸る。
 コーナーが迫る。
 だがオレは、いかなるドリフトも、覚醒技も使わない。

 その代わりに、己の意志でラインを切り裂く。

 まるで「覚醒技のない覚醒技」。
 燃え上がらず、ただ蒼く研ぎ澄まされていく感覚。

「何も使わないのに、すべてが繋がっていく」

 そんな錯覚すら覚える。

 マシンが踊る。
 火花は散らない。
 だけど、オレの目は――誰よりも“燃えていた”。

 これは“勝ち”じゃない。これは“技”じゃない。これはただの……“オレ”の走りだ。それでも――

「……誇れる」

 そう、確かに口にした。
 この走りは、誰に認められなくてもいい。
 母にも、オオサキにも。

 だが、この走りは、自分のために生まれた“火”だった。

 誰もいないゴールライン

 ブレーキをかけた時、赤城の霧が少しだけ晴れた。
 吐いた息が白く浮かんで、それをサクラはじっと見つめた。

 手は、震えていなかった。

 瞳は、真っすぐに前を見ていた。

「……ありがとう。母さん……オオサキ。待ってろよ」

 オレ、完全復活。
 覚醒技を超えたその先へ、静かに火を灯して走り出す。
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