光速の走り屋オオサキショウコ

まとらまじゅつ

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第6章 リベンジ編

ACT.38 下りから上りへ

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 スタート地点、少し手前の観戦ポイント。

 夜気は澄み切っているのに、空気だけがざらついていた。
 排気の残り香と、タイヤが削った路面の粉塵。
 ここを通ったマシンの“意思”が、まだ残っている。

 腕を組んでいた女が、ゆっくりと顔を上げた。

 雨原芽来夜。

 特攻服風ジャケット裾が、夜風に揺れる。
 茶色のタイツ越しに、地面へ伝わる振動を確かめるように、つま先で一度、路面を踏んだ。

 雨原は目を閉じ、頭の中で“再生”する。

(順番は……先頭がオオサキちゃん。
 中間がサクラ。
 最後が……90マークIIか)

「悪くない。でも……今日の赤城は、あそこで終わりじゃあねー」

 雨原の脳裏には、はっきりした未来が浮かんでいた。

 あの重さ。
 あのホイールベース。
 あのパワー。

 速い。だが、万能じゃない。

「……で、サクラ」

 最後に残った音を思い出す。

 乱れない。
 派手じゃない。
 だが、崩れない。

「まだ、切ってないな。
 あの子……“母親のライン”を、出す気だ」

 葛西ウメの弟子。
 かつて、自分と何度も火花を散らした女。

 雨原は、ふっと息を吐いた。

「三人とも……いい顔して走ってやがる」

 その時、背後で小さな足音がした。
 だが、雨原は振り返らない。

 今は、山だけでいい

「……ヒルクライム」

 雨原は、静かに笑った。

「さあ。ここからだぞ、赤城」

 特攻服の襟を直し、夜空を見上げる。

「勝ちに来い。
 誰が来ても……あたしは、逃げねえ」

 彼女は、まだ走らない。
 だが――

 この夜の赤城を、一番正確に理解していたのは、間違いなく雨原芽来夜だった。

 そして、心のどこかで確信していた。

 ――この三つ巴は、
 “次の赤城”を決める前兆だ、と。

 山は、すでに選別を始めている。

 バトルの最中、女たちの火花を見つめて

 赤城・中腹、静かな観戦スポット。
 吐息のように白い霧が漂う夜の峠に、ひときわ強いプレッシャーを放つ二人の女が並んで立っていた。

 葛西ウメ(45)──Speed葛西の店主。サクラの母。かつての猛女。
 斎藤智(年齢非公開)──“伝説の走り屋”。翔子の師匠にして、ウメのライバル。

 三つ巴の激戦は、眼下で火花のように閃いていた。
 400馬力の180SXが切り込めば、378馬力のスープラが喰らい付き、
 490馬力のマークIIがその上から押し潰そうとする。

 まるで、心と心が、剥き出しのまま衝突しているようなバトル。

 そんな中で──かつて、峠を制していた“女王たち”は静かに語り合う。

「……いい勝負してるわ」

 小さくつぶやいたウメの声には、抑えた熱があった。
 目はサクラを見ていない。
 翔子と雅、そして“全体の流れ”を追っていた。

「……あいつ、変わったな。抜かれたあとに諦める顔、してない」

「フン、私の子だからね」

 ウメは目元で笑う。

「お前が育てたってより、走りが止まった娘に“火を戻した”んだろ。……あの子はずっと、どこかで走る理由を見失ってた」

 智は腕を組み、少しだけ視線を鋭くした。
 黒いパンプスが地面を静かに踏む音がする。

「抜かれても、負けてても、“まだ終わってない”って顔してる。それが一番いい……あの顔ができる奴だけが、ここで生き残る」

「……あなたの方こそ、変わったじゃない」

「ん?」

「昔のあなたなら、大崎翔子みたいな子、育てようなんて思わなかったはず。勝つために全部削って、勝ち残った奴だけが正しいって……そういう走り、してた」

 智は黙った。
 だが視線の先で、オオサキの180SXが見事な切り返しでサクラのスープラをかわすのを見て、静かに頷いた。

「……あいつが変えたんだ。私を」

「……うちのサクラはさ、あんたに勝てなかったこと、一度も忘れてないのよ」

「知ってる。私も、ウメ。アンタにだけは……勝ちきれなかった」

 ウメは驚いたように目を丸くする。
 智は少しだけ口元を緩めた。

「抜いたことはある。タイムで勝ったこともある。だが……一番大事な時に、私は引退を選んだ。勝負から逃げたって、今でも思ってる」

「ふふっ……遅いわよ、そんなの」

 ウメは肩をすくめた。

「ふっ……礼なんていらないわよ。アンタが消えたから、私も踏ん切りついた──それだけよ」

 静かなる共鳴

「で、どうする? どっちの娘が勝つと思う?」

 ウメが茶化すように問う。
 智は笑わない。ただ、一言だけ。

「どっちも、まだ“負けてない”。そして……」

 智の目が、鋭く光る。
 その視線の先、オオサキがダウンヒル最終区間へ全速で飛び込もうとしていた。

「……どっちも、私たちを超えるつもりで走ってる。」

「それなら、楽しみにするしかないわね」

 ウメは息を吐くように笑った。

 夜の山に、三つのエキゾーストがこだまする。
 母と師、かつて火を操った女たちは、今その火が誰の中で“本物”になるかを見つめていた。

 赤城ダウンヒル終盤──
 サクラゾーンを抜けると、コースは突然、速度域が跳ね上がる第3高速セクションへと切り替わった。
 木々の密度が下がり、夜空が開ける。山の稜線がかすかに見える地点。ここは、マシンの「地力」が剥き出しになるゾーンだ。

 その瞬間──

 九一三雅の90マークIIが火を噴いた。

「……ここからはパワーの世界よ」

 アクセル全開。490馬力のストレート6が咆哮し、リアが一瞬だけ沈む。
 後輪に乗ったトルクが、1.5トン近い車体をまるで羽根のように押し出す。

 おれの180SXが一瞬で後方に押しやられる。
 サクラのスープラも、アウト側から音もなく並ばれた。

「ッ……外から来る!?」

 サクラがハンドルを切り返すタイミングを失う間もなく──
 雅の90マークIIが、強引かつ正確に、コーナーの外から被せて抜いた。

「加速力だけじゃあない。判断も、早い──!」

 冷静なサクラの表情が悔しげに歪む。

 そのまま雅はおれの背後へ迫る。
 おれは、ブレーキの入りを遅らせてインを守ろうとした。が──

「見えたわ、あなたの“間”」

 次の瞬間、雅の90マークIIは重さをものともしない切り返しでラインをズラすと、
 わずかな隙間を突いて2台をまとめて抜き去った。

「ッ……!」

 おれは咄嗟にリアの滑りを抑えたが、ラインは既に塞がれていた。
 眼前に広がるのは、90マークIIの紫のヘッドライトと“彗星塾”のステッカー。

「やられた……でも」

 おれの唇がわずかに吊り上がる。

「赤城は、まだ……長い」

 90雅の加速は確かに凄まじい。
 だが、赤城のダウンヒルは「重さに優しくない」。
 マークIIの車重はコーナーの荷重移動に微細な遅れを生む。
 直線では勝てても、次の切り返しでは“重み”がノイズになる。

 おれの180SXは違う。
 400馬力、軽量なボディ、低重心。
 そこに乾健人直伝の「遅らせたブレーキと、荷重を受け止めるグリップライン」が重なる。

「パワーだけで逃げ切れると思わんことだね……九一三雅ッ!」

 翔子のステアが鋭く切られる。
 180SXが再び、地面を喰いながら追い上げを始める。

 赤城、最終区間。
 先頭:九一三雅(マークII・490馬力)
 中間:大崎翔子(180SX・400馬力)
 後方:葛西サクラ(スープラ・378馬力)

 3台は、次なる“選別”のステージへと向かう。
 そこは、ただの速さでは突破できない──
「赤城の心臓部」、最終連続5連続ヘアピンと長い左下りへ突入していく。

 峠の夜風が、髪と袖をなびかせる。
 空気の匂いが変わったのは、そこを抜ける3台のマシンが、戦場を折り返したからだ。

「……今、通ったんですね!」

 ふわりと体を伸ばし、萩野桃代が拳を握った。

「めっちゃ速かったなあ……。音が違うねん、ドォォって……ドカンって……なんや、語彙力が溶けたわ……」

 背の低い少女──井上薫は、足元の草を踏みながら、必死に感動を言葉にしている。

「薫さん、語彙力なんて、感動の前には無力なんですよ。むしろ正しい反応ですっ!」

 桃代が薫の肩をポンポンと優しく叩くと、薫は照れくさそうに笑った。

「う、うち、クルマのことはよう分からへんけど……でも、スープラが通ったときの、あの音……なんか、怒ってはった。」

「怒りの音、ですか……」

 桃代が空を見上げる。その目は真剣だった。

「たぶん……違います。怒ってるんじゃなくて、震えてるんです。走って、走って、心を落ち着けようとしてるのかも……」

「ええ……?そんなん、分かるん……?」

 桃代は頷く。
 彼女はただの観客じゃない。走り屋たちの声を“感じてしまう”支援者だった。

「私たちは免許がなくても、見えるものがありますから。ね?」

「うち、鼻水か感動か分からへん涙出てきた……混ざっとる、心が……!」

「ふふっ、それは風邪の兆候ですね?あとでおでこ測りましょう!」

 その時、山の下から雷鳴のような音が響いた。
 新たな誰かが、ヒルクライムセクションに差し掛かったのだ。

 薫が顔を上げ、桃代が手を合わせた。

「さあ……ここからが、登りの本当の勝負です。」

「……どっちが勝ってもええ。でも、誰も泣かんといてほしいな」

「大丈夫です。みんな、ちゃんと前を向いてますから」

 桃代はそう言って、深夜の赤城に小さな祈りを捧げた。

 ダウンヒルから切り替わる中間地点の始点、コンクリート擁壁の影にーWHITE.U.F.Oの二人は並んで立っていた。

 夜気は冷たい。
 だが、山の奥から伝わってくる振動は、確実に“熱”を孕んでいる。

 最初に聞こえたのは、1JZの甲高い咆哮だった。

「……来るな」

 戸沢龍は、腕を組んだまま言った。
 声は低く、淡々としているが、視線だけは獲物を追う鷹のそれだ。

 続いて――
 重く粘るRB26の音。
 さらにその後ろ、回転の鋭さを抑え込んだJZA80の加速音。

 三つの音が、一本の線になって迫ってくる。

「三つ巴のヒルクライムって、正直どうかと思ってたけどさ」

 柳田マリアが、ニヤリと歯を見せた。

「……これ、想像以上じゃん」

 戸沢は答えない。
 代わりに、コーナー進入の“音のズレ”を聞き分けていた。

「先頭は……90マークIIだな」

「へぇ?」

「立ち上がりで一瞬だけ音が伸びる。無理に踏んでない。重心を前に残してる」

 マリアが鼻で笑う。

「十代の走りじゃないじゃん、それ」

「だから厄介なんだ」

 視界の左隅、森の陰から90マークIIが突然現れた。地面が一瞬、足元で震えた。
 ヘアピン進入、ブレーキングは短く、舵角は最小限。
 フロントが逃げる寸前で、きっちり荷重を乗せ直している。

「……あたしなら、もう一段振る」

「お前はな」

 戸沢は続ける。

「でもあれは“抜かせない走り”だ。
 後ろが焦れる」

 次の瞬間――。
 180SXが、まるで線路の上を走るように同じラインをなぞった。

「オオサキ……安定感が化け物だな」

「うん。師匠譲りじゃん」

 柳田の声が、少しだけ低くなる。

「無理しない。でも、逃がさない。あたし、ああいう走り、一番嫌いで一番信用する」

 三台目。
 葛西サクラのJZA80が、わずかに遅れながらも、異様な間合いでついてくる。

「……あれ」

 柳田が目を細めた。

「まだ“行ってない”じゃん」

「行く気がないんだろ」

 戸沢の視線が、さらに鋭くなる。

「前の二人を“使ってる”。
 ブレーキポイント、ライン、全部観察してる」

「性格悪っ」

「勝ちに来てる」

 ヒルクライム、最初の5連続ヘアピン。
 勾配が増し、エンジンの差が露骨に出る区間。

 ここで――
 九一三雅が、引き離す

「来たじゃん」

 マリアが笑う。

「ようやく壁を作ったか」

 その言葉通り、雅は抜かせない。
 ただ、存在を誇示するように、テールに張り付く。

 オオサキのラインが、わずかに締まる。
 サクラが、それを見逃さない。

「……三人とも、同じこと考えてるな」

 戸沢が言った。

「“ここじゃあない”って顔してるじゃんな、クソ真面目にさ」

 柳田は、深く息を吐く。

「はは……嫌な連中じゃん」

 そして、少しだけ本音を零した。

「でもさ、戸沢。これ……どれが勝っても、次はあたしらの番じゃんよ。雨原芽来夜との戦いが待っている」

 戸沢は、ゆっくりと口角を上げた。

「だから見てる」

 山を駆け上がっていくテールランプを追いながら、静かに言う。

「誰が“山を支配する資格”を持ってるか――な」

 三台の音は、さらに上へ。
 夜の赤城を、引き裂くように登っていった。

 WHITE.U.F.Oは、もう言葉を交わさない。
 その沈黙自体が、次の戦い、DUSTWAYのリーダー・雨原への宣戦布告だった。

The NextLap
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