転生薬師は異世界を巡る(旧題:転生者は異世界を巡る)

山川イブキ(nobuyukisan)

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1巻

1-2

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「――で、結局一〇〇〇年前の騒動ってのは、不利を悟った魔王が張った障壁によって、二つの世界が行き来できない状態になり終結した、と?」
「ええ、召喚勇者の存在がよほど恐怖だったようです」

 魔王を震え上がらせるとか、勇者はどんなバケモンだったんだよ?

口癖くちぐせは『チート最高!』でしたね」

 ……ヲイ神様、一体何をした?

「あと『むほーっろりまおうとかのじゃがくちぐせとかこのぎょうかいではごほうびです』なる呪文をよく魔王に向かって唱えてましたね。その詠唱えいしょうを聞く度に、魔王は逃げてました」

 そして勇者……
 意味がわからず真面目まじめに語るティアの後ろで、腹を抱えて笑い転げるエルダーの姿が印象的でした、まる。

「戦争終結の原因が魔王の貞操ていそうの危機とか、なんの冗談じょうだんだか……」
「……? そしてその障壁がそろそろ消失する時期なんです。具体的には三〇年後ですね」

 俺のつぶやきの意味が理解できなかったのか、それとも聞き取れなかったか、可愛かわいらしく小首をかしげながら女神様は言葉をめくくる。……天然って本当に怖いな。

「状況は理解できたよ、多分。でも、それだと俺に何をさせたいんだ?」

 さっきのエルダーの口ぶりからして、俺に二代目召喚勇者――今回は転生か? をやらせるつもりはないらしい。じゃあ何を?

「勇樹さん、あなたにしてもらいたいのは『お試し転生』です」
「……………………ハイ?」

 なにやら謎の単語が出てきたな、『お試し』の転生?

「……お試しってことは、本番の転生もあるのか?」
「ええ、勇者を転生させる本番の作業は、もう少し先になりますね。転生した勇樹さんを観察させてもらって、その結果を踏まえてどのような形で勇者たちを転生させるか決定いたします」

 はい、第二ワード来ました『勇者たち』、今度は複数か。それにしても……

「チョット待て。一人でもヤバイ強さの勇者を何人も呼ぶつもりか?」
「いえ、それは……前回の反省を踏まえ、与える加護は控えめにすることになりまして」
「その辺はボクが補足するよ。まあ、そもそもは、ボクが勇者に加護を与えすぎたのが原因といえば原因なんだよねえ、ハハハ――」

 ……ああ、わかっていたよ、お前が全ての元凶なのは。

「ほら、キミたちの世界って危険な魔物のたぐいがいないじゃない? だからさすがのボクも着のみ着のままで異世界に放り出すような非道なことができるわけもなくてさ」
「で、たくさん加護を与えまくった、と?」
「そうだねえ……全ての武器・魔法に関わるスキルレベルを、最高の一〇を超えたEXにして、毒や麻痺まひをはじめとしたあらゆる状態異常を無効化できるようにもした。それに、レベルも上昇しやすいよう、成長速度を五倍くらいに速くしたんだったかな、後は……」
「あ、もういいです、お腹いっぱいです」

 自重しなかったのは神様サイドでした。

「こっちが無理を言って呼んだ以上、要望はなるべく通さないとねえ。勇者の言ってきたことはとりあえず丸呑まるのみしたよ」
「それで、あれはやりすぎたと反省して、今回はってことか?」
「そういうこと♪ ボクも世界を救った勇者が巨大な統一国家とハーレムを作ってウハウハな余生を――までは予想していた。けどまさか、気に入ったがいたら貴族の娘だろうと人妻だろうと問答無用でハーレムに入れ、きるか妊娠にんしんすると用なしとばかりに放逐ほうちくするとはね。君臨すれども統治せずの精神で美食と享楽きょうらくにふけり、すっかり肥え太ったぶたを見るのは、なかなかクるものがあったよ」

 勇者サイドも、かけらも自重してなかったかあ……

「……なんか、俺が言う筋合いのことじゃないが……同郷の者がスマンな」
「いやあ、人間ってあそこまで際限なく欲望に忠実におどれるものなんだねえ。見かねて加護を全部取り上げたら、すぐに誅殺ちゅうさつされてて、最後にもう一笑いさせてもらったよ」
「……で、今回は同じてつは踏みたくないから、俺に適当な加護をつけて様子見をしよう、と?」
「言っておくけど、誰でも良かったわけじゃないからね。色んな人間を見てきてキミだ! って目星を付けたんだから」

 ビシッ! と俺に向かって指を差すエルダー、決まったとばかりにご満悦まんえつのようだ。

「……具体的にはどんな風に?」
「いきなりチートよこせ! って言ってきたおバカちゃんは強制退場だね。あと、チートがたくさん欲しいからって『どうしよっかなぁ~』って駆け引きをしようとした子も不合格。もちろん全員記憶を消してお帰りいただいたよ。だいたい二〇〇人くらいかなあ……」

 ……ああ、そんなウンザリするような作業を二〇〇回も繰り返したのか。さすがに同情するわ。ただそれって、二〇〇と何人目かに俺を引いただけで、目星じゃねえからな!

「ちなみに俺が合格なポイントは?」「――あのお……」
「即答で転生に承諾したように、元の世界に未練もなさそうなところ。あとはボクと普通に会話してくれたノリのよさと不遜ふそんなところかな」「――チョット……」
「希望通りに対等の立場で会話したら不遜ふそんとか、それじゃ一体どうしろと?」「――ねえ……」
「普通は『イエイエそんな恐れおおい』とか言わない?」「――ですから……」
「相手の要望にこたえようとするおもてなしの心だよ、これでもありふれた日本人なんでな」
「――私を無視しないでください!!」

 キィィィィィィィィン!!
 ぬぐぁ!! 思念体の弊害へいがいが! 形式上発音はされているものの、その実思念に変わりはないので耳をふさいでも意味がない。耳元で発せられた大音量がダイレクトに脳に響き渡る!

「お父様! いくら会話をするのが楽しいからといって、脱線しすぎです!」
「少しくらいいいじゃないか。彼、ノリはいいわ、イジると楽しいわ……大体お前たちがボクの話し相手になってくれないからだぞ?」
「お勤め中にくだらない話題を振ってきたり、真面目まじめな話の途中にスキを見てはふざけようとするお父様のせいです!」
「心に余裕をもって仕事に向かって欲しいと願う親心なんだけどねえ。父親が娘に嫌われるのは人も神も同じなのかな……どう思う、相方くん?」

 誰が相方か。

「……少なくとも『ヤダ、わたしの下着お父さんの洗濯物と一緒に洗わないでっていつも言ってるでしょ!』とは言われそうにない分、エルダーの方がマシなんじゃないのか?」
「え? あ……!! ヤ、ヤーーーー!!!」

 ……吹っ飛ばされた、イヤ、ほんと、かるく一〇〇メートルくらい。

「あはははははははは!! キミ、最高だよ! やっぱりキミを選んでよかった」

 そうですか、その代わり俺は色々ヤヴァイです。

「こうなったら是が非でもキミをあの世界に送り込むよ。これは創造神であり最高神であるボクの決定だ。誰にも文句は言わせない」
「そんなことで神威しんいを振るうなよ……」
「とりあえず、キミに与える加護をどうするか、話し合おうか――」

         ■


「お父様、あの方は大丈夫でしょうか……」
「心配することはないんじゃない? 彼、結構優秀そうだよ?」


 心配そうな表情を浮かべるティアと終始楽しそうなエルダーは、勇樹が送り込まれたいびつなひょうたん型の世界に目を向ける。

「でも、彼に与えた加護は、戦闘向きのものではありませんよ?」
「だからだよ、それがわかってて、あえて勇者を目指したり、戦いに身を投じることもないだろう」
「そうですよね……」

 納得したのかその場から姿を消すティア。彼女は女神として、しなくてはいけないことが数多あまたある。このことだけに全ての時間をさくことはできない。

「……まあ、もっとも。あくまで『直接戦闘』向きではないだけで、使い方しだいの能力だよねえ、アレ」

 一人残ったエルダーは、勇樹との会話内容を思い出し、楽しそうに笑う。

「楽しみだよ勇樹……キミならきっと、前回の勇者とは違う生き方をしてくれるだろう。もしかしたら、ボクが期待する以上のことをしてくれるかもしれないね」

 エルダーの視線の先には何もない――しかし彼は、そこに確かに何かがあるように、しっかりと虚空こくうを見据えた。

「もしも、本当にそうなるというのなら……いずれ、キミが役割を果たし、役目から解放されたとしても、ボクはキミをずっと見続けているよ。君の命が尽きるその日まで」

 そして世界は現在へと続く――



   第一章 薬師の流儀



 ポリフィアの街。
 人やその他の生命が生活を営むこの世界、その南方に位置するサザント大陸の東側にある小国――アトワルド王国が治める衛星都市のひとつだ。
 王都から北東に延びた、海へと続く街道上に存在する、比較的豊かな街だが、最近の街の空気はやや重い。いつ起こるともしれないいくさへの不安が、住民の心に影を落としているのだ。
 事の始まりは六年ほど前、街道のはしにあった港町が、帝国との衝突によって滅んだことにある。
 当時、国外からすれば少し大きめの漁村にしか見えないこの町を、よくある国境沿いの小競り合いの感覚で、帝国は攻めた。
 しかしこの港町、範囲は狭いものの豊富な漁場に加え、他とは一線を画す上質な真珠しんじゅの養殖場所でもあり、王国にとっては重要な財源の一つであった。
 当然、王国の抵抗も激しいものとなる。事情を知らずに侵攻した帝国は、この王国の動きを自分たちへの本格的な敵意と捉えた。
 そのため争いの規模は拡大。結果、小国相手に引くに引けなくなった帝国は、この港町を滅ぼし、軍を駐屯ちゅうとんさせた。
 だが、翌年より最高級の真珠しんじゅの流通量が激減し、さらに入荷の目処めども立っていないことを、お抱え商人から聞いた帝国および各国の上流階級の女性たちは、原因が帝国にあることを突き止める。
 遅ればせながらあの港町が持つ本当の価値に気付いた帝国は、集まる非難の目をこれ以上大きくしないよう、軍を撤退てったいさせ、少しばかりの損害賠償を支払うことで停戦協定を結んだ。
 そして停戦から五年、王国と帝国の関係は以前の険悪なものへと戻っていた。


 街の大通りを軽快な足取りで歩く男がいる。
 比較的上質な麻布で作られた平服の上にたくさんのポケットがついた、見る人が見れば『ハンティングベスト』と言いそうな上着を身につけ、フードつきのマントを羽織った男だ。
 健康的に焼けた小麦色のはだ、短めにった黒髪を無造作に手櫛てぐしで整えた姿はさわやかな印象を与え、精悍せいかんな顔立ちながらも目元はやわらかく、柔和にゅうわさも感じさせる。
 十人並み以上イケメン未満の男――シンは、と変わらず『いいひとオーラ』を漂わせていた。
 胸元についた『ショットシェルポケット』に筒状の各種薬瓶を弾薬よろしく差し込み、自分の身長よりも長い棒を杖のように扱う彼は、通行人のまだ少ない通りを歩いている。
 そして――

「やあ、おっちゃん」

 店に薬品をおろしたばかりのシンは、日課とばかりに、ある屋台に向かって声をかける。

「おう、シンじゃねえか。どうだった?」

 この街に来てから通いつめている串焼き肉の屋台――値段も安くて味もいい、スキンヘッドにねじ鉢巻はちまき、おまけにいかついほおキズの店主でさえなければ、人気店になること間違いなし――のオヤジが、威勢のいい声で返す。

「いつも通り、売った、勧誘された、断った、だよ。とりあえず焼けてるのを五本ほどもらおうか」

 手ぶらな左手を上げてパーを作ると、アツアツの串焼きが五本、サッと差し出される。

「向こうさんもりねえなあ。ま、気持ちはわからんでもないが」
「ングング……気持ちねえ。建て前はともかく、本音がけ過ぎてこっちはゲンナリだよ」

 この街の錬金術ギルドは、くだんの店を介してギルドに加入するよう度々たびたびシンを説得している。
『この副作用のない回復薬がもっと安価に流通すれば、冒険者たちが命を落とすリスクは格段に減る!』という誘い文句で。
 彼らの言葉に嘘はない、確かにそういった側面もあるのは確かだろう。だが本音はもちろん『自分たちが加入させたメンバーが新薬の開発に成功した』という栄誉が欲しいのだ。
 秘薬のレシピや魔道具、武具への付与効果、新しい発見や開発が行われなくなった昨今、新薬の開発に成功したとなれば、ギルド支部の評価はうなぎ上り。小国の一支部でありながら、大国にも幅を利かせられるようになる。実に生々しい話だった。

「建て前をつらつらと並べるんだったら、こっちの建て前もんで欲しいもんだよ」
「安易に回復薬に頼ることの危険性と、回復薬はあくまで、もしものときの緊急措置そちってか?」
「そうだよ。新人の頃から便利な薬に頼るようじゃ、勇気と無謀の区別もつかずに早晩死ぬだけだ。俺の薬のせいで死にましたなんて、後ろ指差されたくないね」
「確かになあ……で、本音は?」
「錬金術ギルドは基本、ギルド内の情報公開が原則。俺のまだ隠してるレシピも含め、ケツの毛までむしる気マンマンの奴らにしりを差し出すわけないだろ」

 ギルド製以上の効果を発揮はっきする回復薬を独自で開発した人間なら、他にもレシピを秘匿ひとくしているはずだ! と考えない方が、むしろおかしい。そんなギルドの思惑に気付かないほどシンは能天気でも、ましてやホイホイ提供するほどお人好しでもなかった。

「だいいち、俺は薬師であって、錬金術師じゃないんでね」
「その言葉をギルドが信じてくれるといいな」
「……………………」
「まあ辛気しんきくさい話はこのくらいにして。どうよ、今日は街の外に出るのかい?」

 話題を変えようと、おっちゃんが陽気な声で質問をしてくる。

「はて、今日の予定か……とくにないな」
「ふう……若いモンが朝から何もせず、ブラブラと街をふらつくのは感心しねえぜ?」

 おっちゃんはため息を一つつくと、シンにあきれたような視線を向ける。

生憎あいにくと十六なんでもう大人だよ。子供扱いは俺の誇りに傷をつけたぜ? おびとして串三本な、もちろんタダで」

 ちなみにこの世界は、十五で成人扱いである。

「いい大人が朝から何もしないのはもっと感心しねえな。ホレ、というわけで、お代はもらうぜ」

 おっちゃんの返しに、シンはぐうのも出ない。
 しかし、回復薬を店におろした時点で、シンの今日の仕事は終わりだ。さらに言えば、次の納品までは自分のペースで材料を集めて薬を調合するだけ。技術職である薬師に定時労働の概念はない。
 とはいえ、無為に時間が過ぎるのをよしとするほど、シンもなまけ者ではなかった。

「外で何か狩ってくるかねえ……」
「おお、そうかそうか、だったらブラッドボアかオークがいたら頼むわ。そろそろ在庫が切れそうでよ」
「それが本音かよ、じゃあ弁当代わりに一〇本な。れなくても文句言うなよ?」
「シンが手ぶらで帰ってくるなんて、冗談じょうだんでもありえねえな」
「人をごうつくばりみたいに言うなよ、おっちゃん」

 カカと笑うおっちゃんにシンも笑顔で返し、木の葉に包まれた串焼き一〇本を受け取る。
 街の外へ向かおうとするシンの背中に、何かに気付いたおっちゃんが声をかけた。

「おおそうだ、忘れるとこだったぜ。外へ出るなら、今日は北の森へ行ってみな」
「何かあるのか?」
「俺のかんだ、何かいいことがあるかもしれねえぜ」
「フウ……一ミリも説得力のないお言葉をありがとよ」

 半眼になったシンは、気の抜けた表情でおっちゃんに向き直ると、これ見よがしに肩を落とす。おっちゃんはおっちゃんで、そんなシンの態度に笑顔を張りつかせたまま額に浮き出た血管をピクピクと脈打たせるが、大人の対応でスルーした。

「……まあ、獲物がいなくてもおっちゃんのせいにできるし、行ってみるよ」
「サラッと嫌なこと言うなって、それじゃ気をつけて行けよ!!」

 返事代わりに手を上げ、シンはそのまま街の北門へと歩いていった。
 ――これから起こる一連の騒動は、ここから始まった。


         ■


 ザスッ、ザスッ―――
 ミリタリーブーツのようなごつい履物はきもので森の中を歩くシンだったが、自分の足音が響くだけで獣の気配などは一切感じない。

「……これはハズレだったか?」

 回復薬の材料になる薬草をいくつか採集しているので、全くの無駄足だったわけではない。しかし、ブラッドボアの一頭くらいは狩りたいと思うシンは、さらに奥へと足を踏み入れる。

「仕方ないな、もう少し奥に入る――!?」

 キン――――!
 シンの耳に今、かすかに金属のぶつかる音が届いた。
 音のした方向を確認すると、シンはそこから身を隠すように木の後ろへ移動した。
 ――――キンッ!
 もう一度、今度はさっきよりも激しくぶつかる音。

(――誰かが戦ってる?)

一介いっかいの薬師、しかもモグリ』としては、トラブルなどゴメンだが、もし仮に非道なことが行われようとしているのであれば、それを見て見ぬ振りができるほど無情な男でもなかった。

「……まあおっちゃんも『何かいいことがあるかも』って言ってたしな」

 いいことどころかトラブルだったわけだが、さすがにそこは流した。
 シンは息をひそめ、足音が響かないよう慎重に現場へ近付く。そこには――


「くっ!!」
「はっはぁ! 嬢ちゃん、子供の頃一人で出歩いちゃあいけませんって、ママに教わらなかったかい? 悪い大人にさらわれちゃうよってな!」
「そうだぜ、だから俺たち優しいお兄さんが安全なとこまで連れてってやるよ」
「まったくだ、俺たちのアジトにあるベッドの上ならどこよりも安全だぜ」
ちげえねえや、みんなでハッピーになろうぜ、なあ嬢ちゃん?」
(ないわあ……)

 昼間からの、あまりにお約束な展開に、シンのテンションは地の底まで落ち込んだ。
『くっコロ』もとい冒険者とおぼしき女性は、下卑げびた笑顔がステキな男たちに囲まれており、くやしそうに表情をゆがめながらも視線を激しく動かし、なんとか活路を求めている。

(ひぃふぅ――四人か。身内のトラブルなら放っておいてもいいんだが、ああもあからさまじゃあなあ……)

 シンは上着のポケットから粉末の入った薬瓶を取り出すと、さらに慎重に彼らに近付きつつ風上に移動、やがて――


「あうっ!!」

 女は剣を突き出すも、あえなく弾き飛ばされてしまった。

「ほい、おしまい――こうなったらもう勝ち目はねえ。大人しく言うこと聞きな。なに、悪いようにはしねえよ」

 剣を弾き飛ばされたはずみで痛めたのか、女は手首を押さえながら身構える。

「……誰がそんな言葉信じるって言うのよ」
「ん~、そりゃお前さんの心がけ次第だな」
「イヤっ、近寄らないで!!」

 四人の悪党が囲いをせばめはじめると、それを見たシンは今だとばかりに手元から薬瓶を放る。
 ヒュッ――――ガチャン!
 シンの投げた薬瓶は、一番風上に立っていた男の後頭部に当たって割れる。そしてその場を中心に、薬瓶の中身――ピンクがかった毒々しい色の粉末が、けむりのように周囲へと広がった。

「うわ! なんだこ……れ……」

 ドサッという音とともに男が倒れ込む。薬瓶をぶつけられた男だ。男の口元からかすかな寝息らしきものが聞こえてくるところからして、強力な睡眠すいみん効果のある薬のようだ。

「ヤベェぞ、仲間がいたのか? お前ぇら息を止めろ、あのピンクのけむりを吸うんじゃねえ!」
「え? 一体、ナニ……が……」

 事態がみ込めぬままピンクの粉を浴び、あっさり眠りの世界に旅立った女冒険者とは対照的に、意外と対応の早い残りの三悪党は、その場から一旦いったん退いた。

「ん? ただのチンピラ野盗のたぐいだと思っていたけど、結構できるのかな?」

 姿を現したシンは、眠り粉の風上に立つと、ふところからナイフを取り出し、眠っている男の首筋に刃を当てる。すると、男たちは息を止めたまま一瞬だけ目を見開くが、全員無言で腰の得物に手をかけた。
 統制された動きには、明らかに訓練された者がまとう気配が感じられる。

「へえ……」

 眠ってる男をそのままにして立ち上がったシンは、ナイフを手の平でもてあそびつつ、

「よう、四人がかりじゃないとナンパもできない童貞どうていどもが、仲間の危険にゃ目の色変えるってか?」

 と、彼らに向かって挑発ちょうはつを始める。

「……………………」
「おいおい、話しかけてるのにダンマリかよ。薬から充分離れてるくせに臆病おくびょうなことで……」
「……………………」
「ふう……まあいいか。盗賊一人でも役所に突き出しゃ、小遣い程度にゃなるだろ」

 その言葉を聞いた瞬間、三人は弾けたようにシンに向かって飛びかかった。

(やっぱり、コイツら盗賊じゃないな)

 シンが飛び退くとほぼ同時に、今まで彼がいた場所に三人の剣が殺到さっとうした。

「……確実にるぞ」

 今までシンの立っていた場所はすなわち薬の効果圏外だ、と判断した男が口を開く。どうやらこの男がリーダーのようだ。

「残念、タイムオーバーだ」
「ぬっ? ……んぐっ! が……」

 シンの言葉に一瞬怪訝けげんな顔を見せる三人だったが、バタバタと立て続けに倒れていった。
 シンは彼らのもとへ悠然ゆうぜんと近付くと、リーダーの前でしゃがんだ。

「よう、気分はどうだい?」
「貴様……麻痺毒まひどくか!?」
「ご明察。こう見えて俺は薬師でね」
「しかし、いつの間に……」
「そうだな、最初からって言えばわかるか? なまじ目に見える眠り粉に気を取られすぎたな」

 種を明かせばなんのことはない。先に麻痺まひ効果のある無味無臭の薬を風に乗せて散布し、充分拡散した後で毒々しい色の眠り粉をいただけのことだった。

挑発ちょうはつに乗らずに息を止め続けたのは悪手だったな。無呼吸状態のせいで血の巡りが活発になり、全身に薬の効果を行き渡らせる結果になっちまった。とはいえ、退いた場所も薬の範囲内だったから、息をすれば薬が体内に入ることになったか……どのみち詰んでたな」
「くそ……」
「で、このいい気持ちで寝てる奴を見捨てなかったのは、仲間意識が強いってわけでもねえよな。残していけない理由があったから……お前ら、帝国の軍人か?」
「……………………」
「まただんまりか……まあいい、尋問じんもんするのはお役人の仕事だ。気持ちよく眠ってる一人を突き出せば、あっちが拷問ごうもんでもなんでもしてくれるだろ。おまえら三人は俺に付き合ってもらおうか」
「……?」
「知ってるか? 新薬ってのは、実際に使ってみないと効果の検証はできないんだ」
「……………………」
「三人もいれば薬の実験台はもちろん、生きたまま解剖かいぼうして人体の秘密に深く迫ることもできそうだな……いやあ、夢は広がるばかりだ。なに、気にするな。技術の進歩にとうと犠牲ぎせいはつきもの。むしろ貢献こうけんできることを喜べよ」



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