蓮城さんちの兄と弟

桐山アリヲ

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蓮城さんちの兄

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 強い光を宿した切れ長の瞳が、おれを見つめる。
 身長はとっくに追い越されたのに、この目だけは出会った頃から変わらないな──そんなことをちらっと思う。

 『好きだ、シュウ。ずっとこうしたかった』

 骨張った両手に、やさしく頬を包まれた。体の芯がしびれるような喜びと、じんわり寄せてくる甘やかな感情。そのまま流されそうになったけれど、なにかがおれを、強い力で引き戻す。

 『だめだよ、ナツ。おれたち兄弟だろ。こんなの許されない。だれも望んでないんだ』

 『家族のことなら心配しなくていい。オレ、すぐに生まれ変わるから。今度出会うときは、お互い自由の身だ』

 いい終わらないうちに、その顔が、頭から噴き出す鮮血で真っ赤に染められていく。
 呆然とするおれの目の前で、ナツの長身が膝から崩れ落ち、次の瞬間には、真っ白なベッドに横たわっていた。
 
 『嫌だ!おれを置いて行くなよ!頼むから目を開けてくれ。ナツ……ナツ!!』

 
 

 自分の叫び声で、目を覚ました。
 
 夢か……。

 見慣れた天井をぼんやり眺め、乱れた呼吸を整える。
 全身に、嫌な汗をかいていた。薄手のパジャマが肌にべったり貼りついて、不快感を上乗せしてくる。
 カーテンの隙間から漏れる光は、まだ淡い。青くおだやかな早朝の気配。ゆだねるように目を閉じると、肩のこわばりが少しほどけた。

 似たような夢を、繰り返し見る。シチュエーションこそ微妙に変わるものの、病院のベッドに横たわるナツの青白い顔と、世界から切り離されるような絶望に突き落とされて目覚める感覚は、いつも同じだ。
 激しい不安と恐怖に苛まれ、まともに眠ることすらできなかった、人生最悪の3日間。あのときの強烈な体験が、意識の底に、深く刻みこまれてしまったんだろう。

 とはいえ、さっきみたいな甘ったるい展開になるのは初めてだった。
 あれは、おれの願望なんだろうか。それとも──。
 4日前、ヤケドを負ったおれを介抱してくれたときのナツの様子が、どうしても夢の内容と重なってしまう。
 ドキリとするほど熱を孕んだまなざしに、頬を包むてのひらの温かな感触。その意味をひたすら考え、眠れない夜を過ごしたあげく、しっかり蓋をした記憶だった。
 もう二度と掘り返さない。そう決めたはずなのに。

 夢って、残酷だよな。
 
 片腕を挙げて目元を覆ったら、包帯のガーゼが、やわらかくまぶたを擦った。

 スマホのアラームを解除してから、ベッドを抜け出す。着替えを手に階段を降り、浴室の手前まで来たとき、ちょうど内側からドアが開いた。身をかがめるようにして出てきたのは、ナツだった。
 昭和の中頃に建てられたこの家は、ドア枠や鴨居の高さがいまの基準よりも低い。身長175cmのおれですらギリギリなんだから、さらに背の高いナツや冬馬さんには、なにかと不便な思いをさせてしまってるんだろう。

 「おはよう。最近やけに早いな」

 声をかけると、頭からタオルをかぶったナツが、まぶしそうに目を細めておれを見た。

 「早めに練習始めたくてさ。それでなくても朝練は時間ないから」

 「関東大会、もうすぐだもんな」

 部屋に戻ってからちゃんと着替えるつもりなのか、制服のワイシャツは袖を通しただけで、ボタンが留められていない。合わせからのぞく厚みのある胸や、割れた腹筋に網膜を刺激され、おれは、さりげなく目をそらして話題を変えた。
 
 「シャンプー切れかけてただろ。間に合った?」
 
 「あと2、3回ってとこかな」

 「ごめん、うっかりしてた。忘れずに詰め替えないと」

 「もうやった」

 「え……そうなんだ。ありがとう」

 「ついでだから」

 いかにもナツらしい、ぶっきらぼうな返事。
 松陽台との合同練習が終わってから、ナツは少し変わった。以前は見向きもしなかった家の中の雑事を、率先して引き受けてくれるようになったのだ。そのこと自体はうれしいし、助かってもいるけれど、一体どういう風の吹き回しなのかが気にかかる。
 そういえば、まともにコミュニケーションを取るようになったのも、あの日以来だ。例のヤケド事件以降、ずっとおれを避けていたのに。
 「合同練習」で思い浮かぶのは、司馬雄大しかいない。あの男とのやり取りの中に、ナツの心境を変えるなにかがあったんだろうか。

 良くも悪くも強烈だったもんな、司馬雄大……。
 
 「シュウ。顔色、悪くないか?」

 ナツの声に、意識を引き戻された。

 「もしかして、体調よくない?」
 
 「そんなことないよ。朝イチだから、そう見えるだけだろ。エンジンかかるのが遅いだけ」
 
 「ならいいんだけど。……あのさ」

 ナツがなにかいいかけたとき、リビングの方からスリッパの音がした。スーツ姿の冬馬さんが、荷物を手に通りかかる。

 「お、シュウも起きたか。朝メシできてるぞ」

 「おはよう。早いね、もう出勤?」

 ナツによく似た端正な顔立ちと、がっちりした体型。見た目はそっくりなのに、繊細で他人を優先しがちなナツに対して、冬馬さんは何事につけ大ざっぱだ。ナツの性格は、亡くなったお母さん譲りなんだろう。

 「今日は大阪まで日帰り出張に行ってくる。遅くなるから、夕飯は外で済ませてくるよ」

 「了解。あんまり飲み過ぎないようにね」

 おれがいうと、冬馬さんはうれしそうに目尻を下げた。
 
 「それ、さっき楓さんにもいわれたな。そうだ、みやげはなにがいい?」

 「いらねぇよ。親父のはセンスなさすぎて、もらっても使えねーから」

 と、ナツ。

 「食い物なら問題ないだろ?俺は食のセンスには自信があるんだ。ふたりとも、楽しみにしてろよ」

 ナツの言葉にめげる様子もなく、冬馬さんがにこやかにおれを見る。

 「シュウは、これからシャワーか?」

 「そうだけど」とうなづいたら、なぜかおれの頭越しにナツに目をやり、真顔で続けた。

 「ナツ、一緒に入って手伝ってやれよ。包帯巻いてたら洗うのも大変だろう」

 背後から、ナツの息をのむ音が聞こえた気がした。次の瞬間、「バッカじゃねぇの?」と、あせったような声がする。

 「ガキじゃあるまいし、一緒になんて入るわけねぇだろ。オレも朝練だから、もうすぐ出るんだよ。さっさと行けよ、バカ親父!」

 まくしたてるようにそういうと、ナツは勢いよく階段を駆けあがって行った。
 
 「なにを怒ってるんだ、あいつは」

 取り残された冬馬さんが、ポカンとした顔で階段の上を見ている。

 「あいつは、なにを考えてるのかさっぱりわからん。おまえはなんでも話してくれるのにな」

 「それはどうかな。おれにだって、親にいえない秘密くらいあるよ」

 ついストレートに投げ返してしまったけれど、冬馬さんには予想外の暴投だったらしい。受け止め損ね、あからかまにたじろぐ様子が気の毒になってしまい、ごまかすように、つけ足した。

 「この歳になれば、それが普通だろ?むしろ順調に育ってる証拠だと思って安心してよ」

 「なんだ、びっくりさせるなよ。まったく、かなわないな、シュウには。でも、なにか困ったことがあるならいってくれよ。頼りない父親かもしれないが、おまえたちの力になりたい気持ちは、だれにも負けないつもりでいるから」

 「わかってるよ。ありがとう」

 ようやく笑顔になった冬馬さんが、「じゃあ、行ってくる」と、玄関に向かって歩いて行く。
 
 「ごめん、冬馬さん」

 罪悪感にまみれたつぶやきは、だれもいなくなった板張りの廊下に吸いこまれた。
 

 
 

 
 



 

 

 
 
 
 
 
 
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