蓮城さんちの兄と弟

桐山アリヲ

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蓮城さんちの兄

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 「柊也、いまから自習室行かねぇ?」

 ホームルームが終わり、帰り支度をしていると、隣の席の村井響むらいひびきが声をかけてきた。

 「悪い。おれ、やることあるから帰るわ」

 やんわり断ると、響は成長し過ぎたハムスターみたいに頬を膨らませる。

 「え~、ちょっとくらいつき合ってくれてもいいじゃん。今日、せっかく塾休みなのに。どうせ勉強するなら、柊也としたかったぁ」

 明るくて人好きのする性格だけど、響には、ちょっと強引なところがある。

 どうやって穏便に振り切ろうかと考えていたら、思いがけず、横から助け舟が出された。

 「おまえは"かまってちゃん"か。どうせ蓮城に教えてもらう魂胆なんだろ?」

 元ラグビー部の藤沢だった。
 鷺校のラグビー部は、何度も全国を経験している強豪だ。そんな中、1年の頃からベンチ入りしていた藤沢は、度重なるケガに苦しみ、2年の途中で退部に至っている。宙に浮いたエネルギーを勉強に注ぎこんだ結果なんだろう、いまでは学年で一、二を争う秀才として知られていた。

 「バレた?柊也の解説、めっちゃわかりやすいんだもん」

 「"だもん"じゃねーよ。しょうがないから俺が教えてやる。ただし、時給2000円な」

 「金取んのかよ。しかも高っ」
 
 「T大A判定の俺が、つきっきりで教えてやるんだ。むしろ安いもんだろ」

 「おまえの説明、雑だからヤダ」

 「贅沢いうな。ほら、行くぞ」

 響の肩を抱いた藤沢が、おれに向かって「早く行け」と、合図を送ってくる。
 目顔で礼をいってから、おれは、ありがたく教室を後にした。

 県大会の結果が出揃ったあたりから、3年生の教室は、ほぼ受験一色に染まっている。授業から解放された放課後も、学校の自習室や塾へと向かう生徒がほとんどで、おれみたいにまっすぐ帰るやつはめったにいない。

 夕飯の買い出しもしないとな……。

 昇降口で靴を履き替え、グラウンドの横を通りかかると、陸上部の部員たちが、すでにアップを始めていた。ストレッチするナツの長身も見える。
 おれは、とっさに近くの木陰へ入り、フェンスの向こうにいる彼らの姿をこっそり眺めた。

 宮野先生がいうように、このところナツの顔つきが急に変わったことには、おれも気づいていた。なにをしていてもどこか上の空だったのが、臨戦態勢に入ったように生気がみなぎり、時折ギラついた目をみせる。
 きっかけは、まちがいなく司馬雄大だろう。

 まったく、あの男……。
 
 煽るだけ煽っておいて、機嫌よく帰って行った司馬の後ろ姿を思い返すと、ため息がこぼれた。
 してやられた感が満載でモヤモヤするうえに、怒ればいいのか感謝すべきなのか、自分でもわからないのがやっかいだ。

 グラウンドでは、短距離ブロックの部員たちが、横一列に並んで、順番に短い距離を駆け抜けていく。
 いつのまに来たのか、宮野先生の姿もあった。どうやら、最初から最後まで、つきっきりで面倒を見るつもりらしい。きっと他の仕事だって山ほどあるだろうに。

 頭があがらないのはこっちだよ。

 先生には「信じたい」といったものの、ナツがケガをするかもしれないという不安は、いつも頭の隅につきまとっていた。
 光汰や藤沢を引き合いに出すまでもなく、スポーツ選手がケガと隣り合わせだという現実は、身にしみて知っている。十年近くバスケを続けたおれ自身、大小様々なケガを経験してきた。試合中のコンタクトプレーで脱臼した右肩は、いまでも、ちょっとした衝撃で外れることがある。 
 ケガの起こりやすい状況や、リスクの高い部位は、いうまでもなく競技ごとに違う。ナツがショート・スプリントをはじめてから、おれも自分なりに情報を拾い集めてきた。だけど、そんなものはしょせん教科書的な知識に過ぎない。身体のどこに、どれくらいの負荷がかかるのか、疲労の程度はどれほどなのか……そういう生きた感覚は、実際に同じレベルで走った経験のある者にしかわからないのだ。全力をふり絞ったところで14秒台前半が精一杯のおれには、10秒43という驚異的なスピードで走れるナツの身体感覚なんて、想像すらつかない。
 その事実が、なぜだか、ひどくもどかしかった。

 これって、一種の独占欲じゃないだろうか……ふと、そんな考えが頭に浮かんだ。

 ナツを心配する気持ちは、まぎれもない本心だ。でも、その心をもっと奥まで掘り進めたら、ナツのことをすべて知りたいというエゴの塊が透けて見えそうな気がする。
 体の中まで知っておきたいなんて……。

 ──もう変態の域じゃん。

 「柊也?」

 いきなり名を呼ばれ、ハッとしてふり向くと、ジャージ姿の光汰が立っていた。
 練習に必要な道具でも入っているのか、重そうなダンボール箱を胸に抱え、訝しげにおれを見ている。

 「なにしてんの、こんなところで」

 「あー……ちょっと、見学」

 「夏樹のファンにまぎれて?」

 いわれて周囲に目を向けると、フェンス沿いに人だかりができていた。見渡す限り女子だらけ。男はおれひとりだ。しかも──。

 めっちゃ見られてるし……。

 「隠れてるつもりかもしれないけど、逆に目立ってるから。おまえ、自分がけっこうな有名人だって自覚ないだろ」

 おかしそうに、光汰が笑う。けれど、すぐに真顔になって尋ねた。

 「もしかして、先生から、なにか聞いた?」

 「制止も聞かずに練習してるっていうから、ちょっと気になってさ」

 「やっぱり。そんなことだろうと思ったよ」

 光汰は、「よいしょ」と芝の上にダンボールを降ろしてから、言葉を継いだ。

 「松陽台の司馬と走ってからだよな。とにかく別人みたいな変わりようで、俺もびっくりしてる。集中力がハンパない。すぐそこに、ぼんやりした答えが見えてるんだと思う。実際、びっくりするようなタイムが出ることもあるんだ。それをコンスタントにやれるようになるまで、あと一歩ってとこなんじゃないかな。心配なのはわかるけど、信じて見守るしかないよ。俺も気をつけて見とくから」
 
 「悪いな、いつも任せっきりで。光汰だって受験あるのに」

 「俺は好きでやってるだけ。大学はスポーツ科学に狙いを絞ってるから、マネージャーの経験だって、けっこう役に立ってるし」 

 「そうなのか」

 初めて聞く話に驚いていると、光汰は、やわらかい笑みを浮かべておれを見た。

 「俺さ、おまえの弟に、心底惚れてるんだ」

 「え……」

 「変な意味じゃなくてさ。初めて夏樹のレースを動画で見たとき、衝撃だった。こんなやつが日本にいるのかって、大げさじゃなく、体が震えたよ。足の手術からしばらく経って、これからどうするのか、ようやく冷静に考えはじめた頃だったんだ。リハビリを続けても、前みたいには走れない。それでも自己満足と割りきって競技に戻るのか、すっぱりあきらめて身を引くのか……2択の間で決めきれずに、ずっと揺れ動いてたけど、夏樹が鷺校に入学してくるってわかった瞬間、目の前に別の道が開けた気がしたんだ。この才能の塊が、ホンモノの怪物に化けるところを見てみたい。その過程に1番近くで関わりたいって、強烈に思った。だから、俺はいま最高に充実してる」

 「光汰……」

 「夏樹にはいうなよ。あいつには、これ以上よけいなものを背負わせたくないから。俺の愛が重過ぎてドン引きされても嫌だし」

 最後のは照れ隠しだろう。顔を見合わせると、どちらからともなく笑いがこぼれた。

 「柊也は医学部受けるんだろ。それこそ大変じゃん。まぁ、おまえの頭なら問題ないんだろうけど」

 「そうでもないよ。国立一択って決めてるから、けっこう苦戦してる。なるべく親に負担かけたくなくてさ」
 
 「おまえらしいな」

 つぶやいてから、光汰は、ためらうような口ぶりでいった。

 「柊也はさ、鷺校に入るって決めたとき、葛藤とかなかったわけ?」

 「……どうした、急に」

 「バスケ、本気でやってたんだろ。しかも、かなり注目されてたんだよな?だいぶ前になるけど、バスケ部のやつから聞いたんだ。蓮城柊也っていえば、その界隈じゃ有名で、いろんな高校から誘われてたはずなのに、蓋を開けてみたら鷺校にいたから驚いたって」

 そういうことかと、ようやく合点がいった。うちのバスケ部は、強豪ひしめく激戦区の中でも健闘している方だけど、お世辞にも「強い」とまではいえない。

 「べつに、迷いはなかったよ。受験と並行しながら、全国レベルの強豪校でやっていくほどの自信も覚悟も、おれにはなかった。それだけの話だから」

 あっさり応えてから、違うな、と思い直した。本音で接してくれる光汰に、嘘はつきたくない。

 「ナツがさ……弟がバスケはじめたとき、気づいたんだ。おれは、人よりちょっと器用なだけなんだって。あいつは本物だよ。一緒にプレーしてると、嫌でもわかる。センスもフィジカルも別格だ。突き抜け具合が圧倒的過ぎて、張り合おうって気にすらならなかった」

 いま思えば幸運だったのかもしれない。ナツの才能に嫉妬して、十代を棒に振る未来だってあり得たんだから。

 「競技は人生を彩るスパイスみたいなもんだって割り切って、上だけを目指す思考を手放したら、高校では、思った以上にバスケを楽しめた。ここを選んで、ほんとうによかったと思ってる。あいつがバスケをやめたことは、ショックだったけどな。正直、いまでもちょっと引きずってるんだ」

 「それ、俺にいう?ぶっちゃけ過ぎだろ」

 やわらかく口の端をあげて、光汰が笑う。
 
 いままでだれにも話せなかった本音を、自然な形で吐き出せたおかげなんだろう。胸の中を爽やかな風が吹き抜けたみたいに、気持ちが少し軽くなっていた。

 「弟にはいうなよ?これ以上、重い兄貴だとか思われたくないからさ」

 「俺のセリフ、勝手にパクるな。けどたしかに、夏樹の耳には入れない方がいいかもな。あいつのことだから、変に責任感じて悩みそうだし」

 「さすが敏腕マネージャー。よくわかってる」

 「まぁな」とニヤけた光汰は、ふいに黙りこんだかと思うと、やがて、しんみり口をひらいた。

 「でも実際、罪なヤツだよ、夏樹は。すました顔で、ひとの人生しれっと変えちゃうんだからさ。……けど、出会えてよかった。こんな幸運あるのかってくらい」
 
 「それをいうのは、まだ早いんじゃないのか」

 おれの言葉に、光汰は、強い目をしてゆっくりとうなづいた。

 「そうだな。夏樹にふさわしい舞台は、もっと先にある。あいつは化けるよ、絶対に」

 よく日に灼けたやさしげな顔が、午後の日差しに光って見えた。
 
 
 

 

 
 
 

 

 

 

 

 
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