蓮城さんちの兄と弟

桐山アリヲ

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蓮城さんちの兄

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 風呂から上がると、楓さんがリビングのソファーに座ってワインを飲んでいた。

 「おかえり。夕飯は?」

 「食べたよ~。シュウのローストビーフ、いつもながら最高。おかげでワインが進んじゃった」

 「あんまり飲み過ぎるなよ。じゃあ、おれ課題あるから」

 「あ、待って」

 部屋に引きあげようとしたおれを、楓さんが引きとめる。
 
 「包帯、やってあげる。ここ座って」

 「いいよ。自分でやるから」

 「いいから。たまには母親らしいことさせてくれたってバチは当たらないでしょ」

 そういわれると、むげにはできない。仕方なく、引き出しからチューブの塗り薬と替えの包帯を取ってきて、楓さんの隣に腰をおろした。

 「うん。だいぶ良くなってきた」

 おれの手首を掴んだ楓さんが、マジマジと患部を観察しながらつぶやく。それからいった。

 「なにかあった?元気ないみたいだけど」

 「……あいかわらず、ほんと鋭いよな」

 実父のモラハラを半面教師に育った結果、ネガティブな感情を表に出さないことにかけては自信があるのに、なぜか楓さんにはほとんど通用しない。まるで特殊なセンサーでもついているみたいだ。

 「すごいでしょ、母親の勘。でも、ナツには敵わないかもしれないな~」

 「ナツ?」

 思いもよらないタイミングで出てきた名前に、ドキリとする。

 「あんたが体調崩すと、いつも私より先にナツが気づいて教えてくれてたでしょ。あれにはずいぶん助けられたなぁ。あんたは、なかなか弱音を吐かないから」

 「そうだった?」

 「なにいってんの。いまだってそうじゃない。痛いのも苦しいのも、全部ひとりで抱えこんじゃって。ほんと、強情なんだから」

 「……しょうがないだろ。おれには楽なんだよ、そっちの方が」

 「我が子ながら、やっかいな性格ね」

 「ほんと、だれに似たんだろうな」

 「それはノーコメント」と笑ってから、楓さんは静かにいった。

 「私には、なにも話さなくていい。でもナツとは、なんでもわかり合える関係でいてほしいな。昔みたいに」

 手際よく包帯を巻きながら、やわらかく口の端をあげる。

 「いまだから白状するとね、私、あんたたちが一緒にいるのを、はたから眺めてるのが好きだった。食事の席でこっそり目配せしたり、暗号みたいに意味不明な会話で笑い転げたり。私たちにはわからない方法で、ふたりが通じ合ってるのを見かけるたびに、幸せな気持ちになれた。この再婚が間違いじゃなかったって思えたから」

 忘れかけていた記憶の断片が、こまぎれのフィルムみたいによみがえる。どれも、なんてことない日常の景色だ。ものごとが、いまよりずっと単純で、そのぶん嘘もごまかしも必要なかった頃のまぶしい記憶。
 互いにどうにもならない屈託を抱えこんだいまとなっては、果てしなく遠く感じる。

 「いつまでも昔のままじゃいられないよ。少なくとも、ナツは変わろうとしてる。おれの助けだって、もういらないみたいだし」

 「そういわれたの?」

 「自分の面倒は自分でみるって」

 「……ものすごーく、まっとうな主張に聞こえるんですけど」

 「わかってるよ、そんなこと」

 「もしかして、それで落ちこんでたとか?」

 「まぁ、それもなくはない、かな」

 もっとずっと悩ましい問題が背後にラスボスみたいに控えているとはいえ、ナツが自立した様子を見せはじめてから、単なる寂しさでは片づけられないモヤモヤを感じているのも事実だ。

 「あきれた。子離れできない母親みたい。とはいえ、あんたに親の役割まで背負わせちゃったのは、私たちの責任でもあるんだけどね」

 そういって、楓さんは「よし、できた」と、包帯の上から、おれの手首を軽く叩いた。そこに視線を落としたまま、再び口をひらく。

 「冬馬くんとの再婚を決めてから、あんたが私を名前で呼びはじめたとき、思ったの。あぁ、この子はもう、子どもでいることをやめたんだなって」

 「そんなつもりは」

 「わかってる。それまで通りに私を「お母さん」って呼んでたら、実のお母さんを亡くしたナツを傷つけることになるだろうし、ナツの気持ちの置きどころがなくなるかもしれない。そう思ったんでしょ?」

 「……おれはただ、みんなにとって居心地のいい環境が欲しかっただけだよ。だれかに我慢させたり、容れ物に合わせて自分を曲げさせたりするのは、絶対に嫌だった」

 「そうね。その気持ちは、家族みんなにちゃんと伝わってる。だからこそ、してもらうだけの一方通行は、ナツとしても不本意なんじゃない?べつに、あんたがいらなくなったわけじゃない。ナツは、あんたと対等になりたいっていってるんだと思う」

 ──少しは、オレにも心配させてくれよ。

 耳の奥で、ナツの声がした。

 あぁ、そうか……おれは、ナツから必要とされなくなるのを恐れていただけなんだ。
 
 思い返せば、ナツがバスケを辞めるといい出したときの、理屈に合わない拒絶反応だって、そこからきていたのかもしれない。
 あのとき、本人の決断にあらがって、部に残るよう説得しようとしたのは、ナツを見失ってしまいそうな不安とあせりに駆られたせいだ。
 才能を無駄にしてほしくない──そんなのは自分を納得させるための表向きの理由で、その裏には、ナツがおれから離れていくのを引き留めたい気持ちが、少なからずあったような気がする。いまだにあの一件を引きずっているのも、その気持ちを自分の中で消化しきれていないからなんじゃないだろうか。
 
 自分のことしか見えてないのは、おれの方だったのかもな……。

 「シュウには、いままでどれだけ助けられたか」

 楓さんの声に、ハッとなった。

 「私たちの選択につき合って、文句もいわずに支えてくれたこと、私も冬馬くんも、すごく感謝してる」

 「なんだよ、急に」

 「急じゃないよ。いつかちゃんと伝えなきゃって、ずっと思ってた。毎日がバタバタで、切り出すタイミングがなかったけど、いい機会だからいっておきたいの。あんたには、自分の思うように生きてほしい。進路のこともそう。クリニックを継がなきゃなんて、無理に思わなくていいんだからね」

 「それ、熱海のじいちゃんが聞いたら、ショックで寝こむかもよ」

 「そのときは、そのときよ」

 おれの祖父──クリニックの前院長でもある楓さんの父は、娘夫婦の離婚が成立してまもなく、気候の温暖な熱海へ引っ越し、悠々自適な日々を過ごしている。祖母はおれが物心つく前に亡くなっているから、ひとり暮らしだ。
 おれがこの家で祖父と一緒に暮らしたのは、楓さんが出戻ってからの数カ月ほど。家では寡黙なひとだったけど、口には出さなくても、おれにクリニックを継がせたがっているのは嫌でもわかる。
 ちなみに祖父は、楓さんの再婚に猛反対する親戚連中を、熱海から何度も出向いて説得してくれた経緯がある。義理の息子になった冬馬さんは、とりわけそこに恩義を感じているようで、いまでも頭が上がらないらしい。それだけの理由じゃないにしろ、毎月一度は「熱海詣で」と称して、夫婦で顔を見せに行くのが恒例行事になっていた。

 「そういえば、明日だっけ。今月の熱海行き」

 「午前の診療が終わったら行ってくる。帰りは日曜の夕方になるかな~。来週末はナツの大会だから、來宮神社にお参りしてこなくちゃ」

 「あの神社のご利益って、長寿じゃなかった?」

 最初の頃は、おれとナツも強引に連れて行かれたものだけど、ナツが陸上で頭角を現すようになってからは、合宿や遠征なんかで忙しく、それどころじゃなくなった。仮に予定がなかったとしても、せっかくの夫婦水入らずを邪魔するほど、おれたちはヤボじゃない。

 話がひと段落ついたところで、おれはソファーから立ちあがった。
 
 「おみやげはいらないって、冬馬さんにいっといて。肉まんのこともあるし」

 「さすがに、あれは反省してるみたいよ」

 「反省はいらないからさ、とにかく食べてほしいんだけど。楓さんもだよ」

 「うーん、ワインに合うかなぁ」

 いかにもやる気のない声を背にドアの前まで来たとき、ふと、足が止まった。
 少し迷ってから、思いきって楓さんをふり返る。どうしても、訊いてみたいことがあった。

 「さっきの話だけどさ」

 慎重に言葉を選びながら、口をひらいた。
  
 「もしもおれが、常識じゃあり得ないような選択をして、家族を困らせる結果になったとしたら……楓さんはどうする?」

 「それがシュウの望むことなら、なにがあろうと応援する」

 即答した楓さんは、不敵に笑って続けた。

 「自慢じゃないけど、修羅場には慣れてるの。なにが来たって受け止めてみせるから、あんたの思う通りにやりなさい。人生は一度きりよ」

 
 
 
 
 

 

 

 
 
 
 

 

 


 

  

 

 

 

 
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