蓮城さんちの兄と弟

桐山アリヲ

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蓮城さんちの弟

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 スタートの合図とともに、草介が勢いよく飛び出すのが見えた。クラウチングからの前傾姿勢を保ったまま、ぐんぐん加速していく。
 草介の持ちタイムは、11秒08。今年中に10秒台ランナーの仲間入りをするのが目標らしいが、ここ最近の勢いある走りを見る限り、実現する日は、そう遠くないかもしれない。
 トップスピードにのった中盤以降、草介が力を抜いて流したのがわかった。
 ゴールラインを割って少ししてから、

 「9秒52!」

 グラウンドに、よく通る声が響き渡る。

 「お~、世界記録更新じゃん」
 「すげぇな。ウサイン・ボルトも真っ青」
 「歴史的瞬間っスよ、みのちゃん先生!」

 ふざけた歓声をあげているのは、ゴール付近に集まっていた短距離ブロックの先輩たちだ。

 「嘘!世界記録?」 

 タイムを告げた当人──水沢みのりが、片手に持ったストップウォッチを凝視している。

 アホか……。

 少し離れた場所で、アップシューズからスパイクへと履き替えていたオレは、目の前で繰り広げられる茶番劇に、どデカいため息をついた。
 
 ジャージ姿の水沢みのりがグラウンドに現れたのは、1時間ほど前のことだ。赤い髪と人懐こい性格で一躍人気者になった教育実習生の登場に、部員たちは色めき立った。
 宮Tの紹介によれば、彼女は、2週間の実習期間が終わる6月半ばまで、陸上部の練習を手伝うことになったのだという。頼まれたわけでもないのに自分から志願したというんだから驚きだ。大学生ってのは、そんなに暇なんだろうか。それとも、よっぽど物好きなのか……どっちにしても、おかしな女だと思う。
 初日の今日は、コウタ先輩がつきっきりでマネージャー業務を教えている。試しにタイムの計測をやらせてみることになり、アップの済んだ短距離ブロックの1年生が、基本走を兼ねて100Mを走っているのだけれど……さっきから、牛のようにノロいタイムか、サイボーグ並みに速すぎるかの両極端を行き来するばかりで、まともな数字があがってこない。本人は至って真剣らしいから、きっと絶望的に反射神経がにぶいんだろう。

 「夏樹~」

 スパイクを鳴らして、草介が近寄ってきた。

 「見てた?俺のボルト超え」

 隣に腰をおろして、ニヤッと笑う。

 「見てたよ。タイムに関してはノーコメントだけど。調子よさそうだな」

 「わかる?ここんとこ、感触よくてさ。体が軽いっつーか、イメージ通りに動けるっつーか」

 あるよな、そういう時期──胸の中だけで同意する。
 スプリントに向いているかもしれないと思いはじめた頃の、オレ自身がそうだった。速く走るためのコツを掴んだことで、おもしろいように記録が伸びていたのが大きかったんだと思う。
 よけいなことは考えず、ただ純粋に走ることを楽しめた特別な時間。そんなものがあったことすら、すっかり忘れていた。

 「見えてきたんじゃないのか、10秒台」

 スパイクの紐をきつく締め上げながら、オレはいった。

 「春先とくらべたら、絶対スピードが格段にあがってる。入学前の冬季トレーニングで、地獄見た甲斐があったな」

 「なんか、夏樹にいわれると、すげー説得力あるわ。後でもう1回いって。録音して毎晩イメトレ代わりに聴くから」

 「やめろ。ガチでキモい」

 ははは、と笑った草介が、ふと押し黙る。それから、「キモいついでにいうけどさ」と、やけに改まった調子で口をひらいた。

 「俺、夏樹のいるとこまで、なにがなんでも行くつもりだから」

 意表を突かれて横を見ると、思いがけず、強い視線にぶつかった。

 「いまはまだ、ライバルなんていえるレベルじゃないのはわかってる。けど、このまま夏樹を見あげるだけで終わるつもりはねぇからさ。それだけ、どうしてもいっときたくて」

 「……わかった。おぼえておく」

 草介は、ひと仕事終えたようにホッと息をつき、目を細めてオレを見た。
 
 「で、おまえはどうなのよ」

 「オレ?」

 「なんにつまづいてんのか知らねぇけどさ、おまえがそんなだと、こっちも張り合い出ねぇんだわ。俺らが手を貸してどうにかなるなら、なんだってしてやりたいけど、そういうもんでもないんだろうし……」
 
 返す言葉が見つからないまま、やけにまぶしく感じる草介の顔から、視線をそらす。

 「ま、あんまり思いつめんなよ。気晴らしなら、いつでもつき合うぜ」

 最後はいつもの軽い口調でそういうと、草介は勢いよく立ちあがり、ドリンクが置いてある木陰に向かって歩いて行った。

 
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