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4章【炎と氷】
13.資料室に天気雨
しおりを挟む「ユーク、昨日買ってやった本が届いたぞー」
「ヘル兄さっ……こほん。ヴィルヘルム王弟殿下、ありがとうございます」
アレクシスの執務室を訪ねてきたヴィルヘルムに、つい街でのやり取りのまま反応したユークリッドは慌ててすました顔で礼をするも「ヘル兄さんでいいぞ」と事もなげに言うヴィルヘルムによって取り繕う事に失敗した。
「…………なんで兄上が仲良くなっているのですか。」
アレクシスが普段より低い声で割り込んできた。不思議と周りから黒いモヤが出ているように見える。
なんだか少し怖いな、と本を受けとりながらチラチラ見ていたユークリッドに、にっこりと笑いかけたアレクシスは「ユーク」と続ける。やっぱり怖い。
「どういう事かな?」
「あの、昨日の休暇で、街でヴィルヘルム王弟殿下に会って…」
「一緒に茶を飲んで本屋に行ったり街を案内したりしただけだぞ。」
「…ヘル兄さん、というのは?」
「あの、街中で王弟殿下とバレるのはよくないので…」
武器屋での一件は伏せるヴィルヘルムに、ユークリッドは心の中で感謝した。それに気付いてかニッと笑ってミルクティー色の頭をガシガシ撫でるヴィルヘルムにアレクシスは眉をピクリと動かす。
「…ユーク」
「はい」
「やはり私の事もアレクシスと…いや、アレクと呼ばないか」
「恐れ多いです…」
冷や汗をかきながらアレクシスがどうしてここまでユークリッドと仲良くしたいのか、距離を縮めたいのかが分からず
とにかく王族が二人で侍従を挟んでピリピリさせる空気がいたたまれなくて逃げるべく視線を巡らせた。
「あの、資料を取ってこようかと…」
「お。一緒に行くか?届かない場所の資料があれば肩車してやるぞ。」
「だから!空気読んで下さいって!」
もう勘弁してほしい。最悪の助け舟を出すヴィルヘルムに全力で拒否の姿勢を示したユークリッドは足早に執務室から出て行った。
───それを見送ったヴィルヘルムは振り返り、笑顔を消した。
その姿にアレクシスも表情を変える。
「ユークリッドが過去の神子が残した手記を翻訳したから新しい情報を得た。俺はしばらく城を空ける。」
「……手掛かりが、あったのですね」
「それを確かめる為の潜入だ。…じゃーな。ランスを頼むぞ」
手をひらひらとさせながら執務室を出て行ったヴィルヘルムを見送り、アレクシスも立ち上がった。
死んでしまうほどに嫌だった王城で働くだけでなく、神子の手記を翻訳までしていたというユークリッドにアレクシスは分からなくなる。
(どうしてユークリッドは、ここに居るのだろうか)
「…」
深刻な顔で悩む主人の傍らで、クリストファーは静かに書類の分類を続けていた。
───なんの資料を持って行こうか…
過去の書類保管庫では、立ち尽くすユークリッドの姿だけがあった。
勢いで飛び出したものの必要な書類は特にない。でも手ぶらで帰る訳には…と唸っていると、カチャリとドアの開く音がした。
「資料は見つかったかな?」
「あっ…アレクシス殿下っ…あの、それは」
「意地悪だったね。すまない」
困った顔で笑うアレクシスに、ユークリッドも気まずいながら逃げ出した事がわかっているなら執務室に戻るかと扉に向かおうとしたが、アレクシスは後ろ手にドアを閉めて立ち塞がってしまった。
「…殿下?」
「ユークは、どうして私と一緒に居てくれるのかな?」
ずっと疑問に思っていたんだろう。なんでこのタイミングで?とは思うけど…タイミングとか、そんなものは何もないのかもしれない。
(俺だって、急に記憶があふれて気持ちが変わったりするから…)
書類だけが保管される部屋は、静かだ。
アレクシスの声は真っ直ぐにユークリッドに届き、沈黙が広がる。
(どうして、アレクシスの側を選んだんだっけ)
この世界が…この城が、死ぬほど嫌いだったのに、留まってる。それは目の前にいる王子が可哀想だから?放っておけないから?…それもある。けど、それだけじゃない。
頭に浮かんだ言葉をそのまま出すのは、勇気がいる。でも…
ユークリッドは少し下を向いて、小さく口を開いた。
「神子の墓に、私の前世の身体が埋まっているんですよね。」
「………そうだ。」
「生まれ変わった私も、ここに居る。…だから、また死んだところで、戻れない、なぁって」
だからせめて、少しだけでいい。──嫌じゃない人生にしたい。
「この世界が、嫌いじゃ、なくなれたらなって」
(あ…下を向いたの、失敗だった。)
重力に従って涙が一雫。床を汚してしまった。
昨日、思い出したせいだ。幸せだったあの日々を思い出したから、また帰りたくなったんだ。
(でももう、帰れない。俺、生まれ変わって違う人間になっちゃったし)
一度流れたら止められない。床に模様を作っていく。
どうしても帰りたかった。だから行動したんだ。でも帰れなかった。
死んで魂になったところで帰れないのに、なんで捨てちゃったんだろう。
───なんで、それしか方法がないって思ったんだろう。
(この身体じゃ、母さんって呼べないんだ。父さんも、誰だか分からないから、助けてくれないんだ)
もう、上を向けない。あふれた想いが止まらない。
ずっと苦しんでるアレクシスを助けないといけないのに、助けられない。
涙を拭うことも忘れたユークリッドの目に、柔らかな布がそっと押し当てられた。
左に、右。交互に当てられる布に従うようにユークリッドの目は閉じる。
「どれだけ謝ったところで、私が生きる世界が犯した罪…私と、父と、城にいる者達が犯した罪は消えないように。ユークリッドの心は救えないの、わかっているから」
「…」
ゆっくりと紡がれる言葉は、少し震えていた。
「怒っていい。恨んでいい。大嫌いで、いいんだ。私を救おうとしなくて、いいんだ。」
「……嫌だよ」
ユークリッドの涙を受け止めるハンカチを握る手に、手を添えた。ただ生きて欲しいと訴えるこの手は、相変わらず少し冷たい。
──救うなんて、そんな大層なことは出来ないけど。
「決めたんだ。戻れないから、向き合うって。あの頃の俺にまっすぐ向き合ってくれてたの、小さい王子様だけだったから」
神子も、二度と現れないようにしたい。こんな思いは俺が最後でいい。
自分と向き合い、アレクシスと向き合い、この世界と向き合う。それは苦しくて、何度も心が折れそうになると分かっていても。
ユークリッドはそう思いながら、空いた手でハンカチを取り出してアレクシスの潤んだ目に当てた。青空色の瞳なのに、この空はいつも雨を降らしてばかりだ。
…きっと、16年間ずっと天気雨だったんだろう。
ユークリッドは少しだけ、落ち着けるようにと息を吸い、ニッと笑って見せた。
「今日も墓に行くんだろ?ったく、こんなところでも涙流して…干からびないか心配になるじゃん。泣いてたのは俺だよ、アレクシス。」
今や手を上げないと届かない、過去の自分よりずっと大きくなった王子様は
ユークリッドにハンカチを当てたまま、まるで雨が降るようにぼろぼろと大粒の涙を零し続けた。
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