【本編完結済】神子は二度、姿を現す

江多之折

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5章【神子と少年】

14.頬を叩く

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アレクシスの執務室ではすっかり馴染みの日常となった三人での空間。いつも通り議論したり共感したりしながら穏やかに時間は過ぎて行っていた。

次から次へと絶えず届く嘆願書に振り回されると言えば聞こえが悪いが、国中の声を聞くこの仕事にユークリッドはやりがいを感じ始めていた。

「明日は視察に行くから、クリスとユークは休暇にするよ。」

──突然、アレクシスが通告して日常に変化が起きた。
一枚の書類を手に難しい顔をしたアレクシスを前に、侍従二人は顔を見合せた。

「水路の件…ですか?」

クリストファーの質問に頷いたアレクシスを見て、あの件がついに動くのかとユークリッドも背中に力が入る。
市民からの嘆願書で老朽化した水路の修繕を依頼されているのだが、そこは二年前に修繕を行っている上に当時の委託した業者や修繕に使われた素材など、どうにも不透明なのだ。
アレクシスの業務は嘆願書の中でも大きな資金だったり多くの人材が必要になる比較的大規模な内容の精査と最終決定であり、その後は城内にある別の部署が取り仕切っている。
その別の部署で不正の疑いが出ているということだ。

「水路って、どれくらいの周期で修繕入れてるんですか?」
「新しい技術が確立されたり、地域毎に環境が変わって必ずとは言えないが…大規模な修繕作業から10年は簡単なメンテナンスでも耐えられるようにしている。
今回依頼してきた地域はここ数年、災害もなく穏やかな気候続きだからこんなに大きな修繕は必要ないはずだが…」

ユークリッドの疑問にアレクシスが答え、それなら二年で大規模な修繕依頼は早すぎるなと納得しているとクリストファーが渋い顔をしている事に気が付いた。

「殿下、視察にも侍従は必要です。私が同行します。」
「クリス…私は護衛の騎士を数人つけるから大丈夫だ。日帰りで戻る予定だし」
「いけません。」

ピシャリと却下するクリストファーにアレクシスも眉を下げる。

アレクシスの侍従は少ないと最初に聞いてこそいたが、少ないなんてもんではなく、クリストファーとユークリッドの二人だけだ。
かろうじて掃除などは他の使用人が当番制で行っているが、直接関わる事はたった二人の侍従に任されている。アレクシスは常々二人の侍従に負担がかかりすぎていると心配をしていた。

「あの、私も視察に同行したいです!」
「ユークまで……いや、今回は騎士だけを連れて行く。兄上ランスロットに頼んで多めに配置してもらうから、心配しないでいい。」
「しかし…」

ユークリッド以上に食い下がろうとするクリストファーだったが、「視察の申請はもう出してあるから決定事項だよ」と苦笑いするアレクシスに渋々引き下がった。

「ユークも、また街を歩いたり楽しんでおいで。」

ふわりと微笑むアレクシスは、やっぱり物語の王子様だ。
クリストファーより遥かに経験の浅いユークリッドは、この状況を変える力もない。ここは大人しく頷く事にした。






──翌日、朝早くからアレクシスを乗せた馬車が王城を出発して行った。

「休暇に私を訪ねてくれるのは喜ばしいが…これでは休暇にならないだろう」
「クリスさんは忙しくて…いえ、陛下も忙しいのですが」
「気を使わなくていい。私は基本執務室から動かないからな。侍従頭クリスはそうもいかないだろうが」

朝から胸騒ぎがして街に出る気にもならず、どこで過ごそうか迷った挙句にランスロットの元を訪ねてしまったユークリッドは執務室内に設置されたソファで小さくなっていた。

「陛下の執務室は、侍従すら居ないのですね。」
「護衛は外で控えているからな。機密文書を扱う事もあるから基本的に傍に置かない」
「………すみません!帰ります!」

サラッと心臓に悪いことを言われて出て行こうと腰を浮かしたユークリッドだったが、「待ちなさい」とこの国の最も高い権力に止められて大人しく座り直した。

「神子関係で来たんだろう。もう少しで区切りがつくから待っていてくれ」
「すみません…」

しょんぼりとするユークリッドに、随分と表情豊かになったなとランスロットは感慨深くなった。

──ランスロットは、ユークリッドが来るずっと前からロズウェル家の内部事情を知っていた。
貴族意識の強い子爵夫妻と後継者、補助という名のスペアで置かれている次男はよく社交界にも現れていたが末子の三男はほとんど顔を出す事がなく、辺境地で身分の低い貴族の開くお茶会だったり、悪天候が続く中で出席の必要がある集まりにだけ代役として引っ張り出されてぞんざいに扱われていた。

(言ってしまえば、死んでも構わないという扱いだ。歴史以外に何も持たない家が…)

そうして成人して即追い出す始末。ユークリッドは城に来た当初、細過ぎる身体に低い身長で使用人達は皆、成人しているのかと疑った。見るからに摂取する栄養が足りておらず成長をする余地を与えていなかったのだ。
今は少しだけ体格が改善されたが、まだ細い。

前世が神子という贔屓目もあるかもしれないが、素直で努力家なユークリッドにランスロットは少なからず好感を抱いていた。
──自分には妻子もいるが、それこそユークリッドも息子のように可愛がっている。だからこそ子爵家の連中には腹が立つ。

「よし、待たせた。行こうかユーク」
「王族の皆さんで呼び方も共有してるんですか…」
「ふ。兄弟で嫉妬し合っているだけだ。許せ」

ヴィルヘルムは人との距離を掴むのが上手いな、私もランス兄さんと呼ばれたいものだ。と、ランスロットはソファの隅で小動物のように小さく収まるユークリッドを見て目を細めた。




ランスロットは自らの部屋にユークリッドを案内した。

「呼ぶまで誰も通さないように。」
「し、しかし…」
「命令だ。」

ランスロットと騎士が入り口で短いやり取りを交わし、ランスロットが一人で部屋に入って扉を閉めた。

先に部屋の中へと通されたユークリッドはシンプルだけど設置されている家具が質の良いものだと落ち着かない気持ちでそれを待っている。

「手記のように、神子に関する物は隠しているんだ。ユークリッド、こちらへ」
「はい」

部屋を突き進み、奥にあるドアを開けるとクローゼットルームになっていた。どう見てもランスロットの部屋だろうなと思うとユークリッドは身分に似合わない待遇を感じてそわそわする。
アレクシスよりやや細身の背中を追い、沢山の豪華な衣服の間を進んだ。

「……私は、少し後悔している」
「後悔、ですか?」
「あぁ」

クローゼットルームの最も奥には姿見が設置されていた。

「この先を知ったアレクシスは、心に深い傷を負ってしまった。…私の独り善がりで背負わせてしまったものだ」
「…先代の神子の物ですか」

姿見を取り外すと、小さなドアが現れた。
ランスロットは何処からか鍵を取り出していたらしい、カチリと開けてそのドアを開いた。少し埃っぽい匂いが鼻を刺激する。

「今日、知るのは私達の父…先代国王という、汚点だ。」
「───……」

先代の、国王。

ユークリッドはドキドキと心臓が忙しなく動き出したのを感じた。まるで本能のように嫌だ嫌だと全身が訴える。
──目を閉じて、深呼吸。

「ユークリッド、大丈夫か…」
「──ッ」

パンッ!と音を立てて自分の頬を両手で強く挟んだ。呆気にとられたランスロットに真っ直ぐ目を向ける。

「行きましょう。神子をなくす為に」
「…そうだな。」

頬を赤くしてしまったユークリッドの覚悟に、ランスロットはその背中を支えながら隠された部屋へと進んだ。

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