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5章【神子と少年】
16.誰も責めない
しおりを挟むユークリッドが思っているよりも、現実は深刻だと容赦なく突き付けてくる。
時間は止まることのないように、世界はユークリッドの心に合わせてなどくれない。
「アレクシス殿下が襲われた?!」
ランスロットと別れて使用人棟に戻ろうと歩いているユークリッドは、そういえば庭師のじいさんは今日もアレクシスが来ると思って待っているのではと墓場近くの花壇へ向かっている最中だった。
やけに門の方が騒がしいなと思ったら、騎士達がアレクシスの名前を叫ぶので思わず駆け付けたら視察に行った先で襲われたと聞いてユークリッドは血の気が引いた。
「あの、…あの!!アレクシス殿下は今どこに!」
二人しか居ない侍従の一人として、アレクシスの元に行かねばと場所を尋ねようとしたが慌ただしく動き回る身体の大きな騎士達の喧騒に掻き消されるように、小柄なユークリッドは視界にも入らず、声も届かない。
これはもうランスロットの所に戻るかクリストファーを探して尋ねた方が早いとユークリッドは城内に向かって走り出した。
「ユーク、今日は休みじゃ…」
クリストファーを探してアレクシスの執務室へと飛び込んだユークリッドは、いつもの椅子に腰かけているアレクシスと鉢合わせた。
いつも通りの話しぶりだが、アレクシスの頭には包帯が巻かれていて右こめかみのあたりは血が滲んで痛々しい。
使用人通路を全力疾走してきたユークリッドは息が切れて声が出せない。肩で息をするその姿にアレクシスは立ち上がったが、察したユークリッドが来るなと言わんばかりに手のひらを向けて静止してきたので執務机から動く事はなかった。
「なんで、ここに居るんだよっ!」
「視察が終わって…今、帰ってきたところなんだ。」
まだ整わない息を止めて無理矢理落ち着かせながらユークリッドはアレクシスを睨んだ。
「ッ頭に包帯巻いて、怪我してんのに仕事がどうのって言ってる場合じゃないだろ!!」
「…すまない。不意に飛んできた石を避けられなかったんだ。」
──なんで。護衛だって居たはずなのに。
王族に危害を加えるなんて国家反逆罪だ。即座に殺されても文句を言うことは許されない。それなのに当の本人が気にしていないような素振りをしていてユークリッドは納得がいかず、怒りばかりがどんどん込み上げていく。
「ユークリッド、医師を連れて来たから通して下さい。」
入り口に立ったままのユークリッドに、後ろから医師を連れたクリストファーが声をかけた。
ハッとして執務室に入ったユークリッドの肩をクリストファーがそっと叩き、アレクシスの元へ歩み寄ると包帯を外し始めた。
「ユーク、あまり気分のいいものではないから戻った方が…」
「おや殿下。ここでユークリッドを追い返したら除け者みたいじゃないですか。」
「そんなつもりは!」
いつも通りのクリストファーが医者に傷を確認させ、血で汚れた包帯を手に後ろに控えた。
気遣ったつもりが除け者扱いになってしまうと焦ったアレクシスは「頭に血が上りますのでお静かに」と医師に窘められてからは黙って傷の手当を受け、
そんなに深い傷ではないが安静にしておくようにと最後に指導を受けて気まずそうにお礼を言いつつ医師を見送った。
そこまで、ユークリッドはドアの近くに立ったまま一言も話さなかった。
「さて…殿下、護衛が居たのではなかったのですか?」
呆れたように聞いてくるクリストファーに、後ろめたいと言わんばかりに言葉を濁しつつもアレクシスは口を開く。
「護衛は三人居たんだが、どうやら視察中に私が第三王子本人だと近隣で噂になっていたようで…見に来た平民の子供達の一人が退治してやるって石を投げてしまったんだ。まさか子供が襲ってくるとは思わず…」
「それはなんとも……子供はどうなりましたか?」
「すぐに騎士が捉えたが、手荒なことはしないよう命令してある。立場上、無条件で解放は難しいから兄上に任せてるよ。」
「困りましたね。これを機に悪評を広めている吟遊詩人も制限出来たらいいのですが…」
本当に困った事になった。そう言ってため息をつくアレクシスを見てユークリッドは何も言えなかった。
(第三王子は市民から評判が悪いとは聞いていたけど、ここまでなんて…)
「私は加害を与えた子供の処遇を陛下に伺います。それでは」
一礼をしてアレクシスとの会話を切り上げ、隣を通るクリストファーが小声で「落ち着きなさい」とユークリッドに囁いて執務室を出て行った。
でもユークリッドにはその言葉を汲み取る余裕がない。
それはきっと、さっきまで神子の事を考えていたから。アレクシスの今の状況は『自分のせいだ』としか思えなくなっていた。
自分の為に、何も知らない王子を利用して傷付けたから。
死ぬ間際までこの世界の人間は全て敵だと思って、幼い子供まで使っても罪悪感を感じなかった当時と、ユークリッドとしてこの世界を生きてきた今は違う。
(アレクシスが石を投げられたのは、俺のせいだ…)
ズキズキと胸が痛む。
これからもアレクシスが悪意に晒され生きていかなければならないのかと、子爵という貴族の中では身分が低く、更に家族から死んでもいいと思われている自分にはその状況をどうする事も出来ない事が、悔しい。
(どうしたらいいんだ。どうしたら…)
「……ユーク、大丈夫だ。かすり傷だし、私は何も傷付いていないから」
いつの間にか、入り口の近くで立ち尽くしていたままのユークリッドの目の前にアレクシスは立っていた。
少し冷たい手のひらが固くなったユークリッドの頬をそっと包み込む。
───こんな時に優しい言葉をかけないでほしい。今世で孤独に生きていたユークリッドの記憶は、こういう時の優しさに慣れていないんだ。
「ユーク。これは私のせいだよ。王族として間違っていた私が、民の心を不安にさせてしまったんだ。」
「…でも、アレクシスがそうなったのは」
「私のせい、だよ。」
「ッ…」
向き合うって、苦しい。
知れば知るほど苦しくなる。
(自分が壊したからって…救ってやろうなんて、おこがましい)
涙を零すまいと顔を上げると、穏やかに笑っているアレクシスの顔が思ったよりも近くにあった。
「アレク…」
「最近の私は、毎日がとても楽しいんだ。ユークが一緒に居てくれるから。だからこれくらいじゃ傷つかないし、少しも痛くない。大丈夫だ。」
反省はしないといけないけどね。そう言って苦笑いするアレクシスは親指でユークリッドの頬を撫でる。
(光の魔法が、ほしいな)
大丈夫だと言われても、アレクシスが受けた傷は許せないんだ。ぐちゃぐちゃになった心が、拒絶するんだ。
───光を探すように、ユークリッドは目を閉じた。
涙がひと粒だけ零れ、アレクシスの親指に当たって砕けた。
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