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5章【神子と少年】
17.悪夢と明晰夢
しおりを挟むアレクシスが怪我をした次の日、ユークリッドは自分のベッドで横になっていた。
「………なんで、ここ使用人棟ですよ…」
「おう。用があるから訪ねたら熱出して休みって言われたからな」
感染症だったらどうするんですか。そう言ってもガハハと笑って終わりだろうなとジト目でヴィルヘルムを見た。
追い出したいけど今のユークリッドにはその気力がない。
(熱い…)
今朝、起きたら熱いなと感じてベッドから出ようとしたら派手な物音と共に倒れた。体が重くてそのまま動けずにいたら物音を聞いた隣の部屋の人が様子を見に来てちょっとした騒ぎに…という流れだ。
真っ赤な顔で息を荒らげるユークリッドの額に浮かぶ汗を拭ってヴィルヘルムは眉間に皺を寄せた。
「……本当に大丈夫か?」
「症状は熱だけで、原因わからないんで、出てって…」
「かなりキツそうだな。ココじゃ大した看病も出来ないし、移動するか」
「出てって下さいってぇ…」
どこかに連れて行かれそうになって必死に抵抗したが、元々体も小さければ力も弱いユークリッドなど相手にならない。
掛けていた布団でぐるぐる巻きにされてヴィルヘルムの大きな肩に担がれた。
「お願いだから、ほっといて…」
「治ったらな。」
こんな放っておいたら死にそうなの放置できるかよ。そう思ったヴィルヘルムはユークリッドを担いだまま王城に戻った。
「へ、ヘル兄…揺れてきもちわるい…」
「すぐに寝かしてやるから踏ん張れ」
駄目だ。騎士と一緒に遠征して厳しい環境慣れしすぎているヴィルヘルムには揺れ程度では止まってもらえない。
ユークリッドは熱のせいか揺れのせいか、抵抗虚しくすぐに意識を手放した。
───カチャ。
俺の自由を奪う鉄が、白い布の下で音を鳴らした。
(神子ってか、オバケみたいだ…)
毎日慣れた手つきで装着される拘束具。仕上げに頭から布を被れば本当にオバケになったよう。
「公務の時間です。」
冷たい声が耳に届く。お前の声なんかすり抜けてどっか行けばいいのに。
(言わなくても知ってるよ。拘束具つける理由なんてそれしかないじゃん)
鉄が重くて立ち上がれない。でも周りが勝手に引っ張って立ち上がらせるから関係ない。
一歩ずつ、ゆっくり歩いて部屋を出る。今日もまた豪華な服を着た人達のどうでもいい話を聞いて、光の魔法という名の体力を吸い取られる。
(早く終わればいいな、終わったところでここに帰ってくるだけだけど。)
帰ってきても少しもホッとできない。この部屋、やっぱり嫌いだな────
「……けほっ」
自分の咳で目が覚めた。いつの間にか寝ていたらしい。相変わらず身体は熱いし、重い。
喉が渇いたな、食堂に行かなきゃ…と重い身体を無理矢理起こすと、ドクンと心臓が激しく跳ねた。
「え?ここ、あの部屋…」
熱でぼやけた視界に映るのは、使用人棟の自室じゃない。もっと広くて、寝ていたのも大きなベッドで…
神子の時に、ずっと過ごした部屋?なんで、時間が戻った?またあの日々が───
サッと血の気が引いた。過去に戻ってきたのかもしれない。物語で人生をやり直すなんてよくある展開だ。
「嫌だ、……ッ嫌だ!!」
布団を勢いよく剥いでベッドから飛び出そうとしたが、バランスを崩してそのまま落ちた……筈だが、その身体は誰かに支えられて事なきを得た。
「ユーク、大丈夫かい?」
「…アレクシス?大人の…」
抱きとめたのはアレクシスだ。小さな王子でなく、毎日一緒に居るアレクシス。
自分の手を見る。熱で赤いが成人男性の中では小さめのユークリッドのいつもの手だ。弓道でマメだらけの手じゃない。
──よかった。過去には戻っていなかった。もう、あの日々の絶望感を繰り返す事はないんだと実感したユークリッドは身体を支えてくれているアレクシスにしがみついた。
どうしてだろう。アレクシスは上司で、仕えている相手なんだけど…安心する。熱で人恋しくなったかな。
「ユーク、一体…」
「アレクシス、この部屋やだ。あそこに似てて、やだ」
ユークリッドの懇願に、アレクシスはハッとして辺りを見渡した。
遠征に出ていたはずのヴィルヘルムが熱で意識を失っているユークリッドを運んできたので即座に引き取って客室に寝かしていた。
神子が居た部屋とは別だが、壁紙の色が似ているから勘違いしたのかもしれない。
目を覚ますなり錯乱したユークリッドに、自分の配慮のなさを痛感してアレクシスはユークリッドを抱き上げた。
「すまない。急いで移動する。怖い思いをさせてしまった」
「…ん」
熱で意識が朦朧としているらしい。ユークリッドはアレクシスの服を掴んで、またすぐに意識を失った。
ユークリッドは目を開いた。
眠っていたのに、立っている。そこは15年間過ごした子爵家の離れだった。
───今度はわかる。これが夢だって。
「──…」
声を出そうとしたけど出ない。まるで喉が詰まったようだ。
目の前にいるのは冷たい態度の使用人に、すぐに扇で手を叩いてくる教師。
冷たい目に見られる度に、こちらの心も冷たくなる。
パシン。
静かな部屋に扇の音が響いた。
拒絶するようにユークリッドは目を閉じた。
次に見えたのは、見慣れた食堂。食卓に並ぶのは貴族とは思えない粗末な食事。
正しい作法で食べないとすぐにまた叩かれる。
「ロズウェル家の恥にならないようになさい」
美味しいと思った事など一度もない。ただ咀嚼し飲み込む作業。
(王城に来て、使用人棟の食事で感動したっけ。)
景色が歪み、切り替わる。すっかり馴染んだ使用人棟の自分の部屋だ。
使用人棟に、王城に、切り替わる景色の中をユークリッドは歩いていた。
(…俺の墓だ。)
アレクシスが毎日花を添え、手入れしている神子の墓。
墓には神子の時に一度だけ手渡された、桜の花によく似た花が添えられていた。あの時は流石に心が揺れて危なかった。泣いてしまうのを堪えるのに苦労したなと思い出す。
(他の神子がどんな人か、俺は知らないけれど…)
サクラという神子が書いていた。光の魔法が消えた瞬間がわかるなら、それを経験してない俺の光の魔法は残っているのかな。
大嫌いで、苦痛で、いらないと思ってたけど。
「お願いだよ。───アレクシスの傷を、治したいんだ。」
自分の墓に手を添えた瞬間、出せなかったユークリッドの声がスルリと喉から出て夢から現実に引き戻された。
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