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6章【王弟と侍従】
23.不穏な言伝
しおりを挟むトン、トン、と書類の束を机に当てて整える。
「書類、不承認で提出してきますね。」
「あぁユークリッド、それは私が持って行くのでそろそろ…」
クリストファーに言われて時間を確認すると、まもなく終業だと気がついた。日課の墓参りの時間だ。
ユークリッドは抱えていた書類をクリストファーに手渡して、手早く自分の机を片付けてアレクシスよりも早く扉の前に立ち、控えた。
最初はぽかんとしていたものの、すぐにクスクスと笑う二人にユークリッドは見えないフリをした。ゆっくりとアレクシスは席を立ち、ユークリッドへと近付く。
侍従として仕事を全うしたいユークリッドと、ユークリッドを構いたいアレクシスの攻防は続いていた。
毎日の墓参りで、ユークリッドは諦めの気持ちが強くなっていた。
日に日に強くなっていく、アレクシスの恋心への疑心。ユークリッドにはあまり話さない心情も、墓に向かえばなんでも話しているんだと、冷たい石を撫でる手は、きっと最も優しくて温かいんだと
卑屈になって、虚しくなって、…諦めた。
──だから、ユークリッドはいつか去るのだ。これ以上アレクシスを好きになって、どうしようもなく傷付く前に。
すっかり楽しくなった毎日も、この時間だけは胸が痛みを訴えてきて仕方がない。どう足掻いても前世の自分には勝てない。
だからちゃんと、この気持ちには蓋をするんだ。
(…風が少し冷たくなった気がする。)
いつものように墓場へと続く門の前で控えながら、ユークリッドは風の冷たさに空を見上げた。
雲が少なくて綺麗な青空は、今朝、至近距離で見たばかりのアレクシスの瞳を思い出してなんだかそわそわする。
──目を細めてすぐに離れたアレクシスは、あれをどう思ってたんだろう。
お互い身支度をしてまた顔を合わせた時にはいつも通りの様子だった。ユークリッドは自分がむしろ意識しすぎたのだろうかと釈然としない気持ちになったくらいだ。
あんなに綺麗な顔が間近くに来たら、誰だってドキドキしてしまう。そう言い聞かせて平常心を心掛けた。
視線を戻せば、アレクシスもいつも通り墓石に向かって何かを話している。
「───ユークリッド様、言伝が御座います。」
不意に、背後から声がかかって振り返った。同じ侍従の服を着ているがあまり会ったことはない相手だ。──レヴァン侯爵家に養子に入った事で、ユークリッドは他の使用人から様付けで呼ばれるようになってしまった──
「なんでしょうか?」
「あの、────、───」
「…わかりました。」
声を掛けてきた侍従は、恐れを隠しきれていない顔で必要な事を一気に言い切り、「それでは伝えましたので」と小走りで去って行った。
「…」
墓場に通うアレクシスを恐れる使用人は多い。
亡霊と会っているとか、呪われるとか、色んな噂が消えないまま更に尾鰭を付けていく。
亡霊と言うなら、むしろユークリッドの存在が亡霊そのものと言えるような…とアレクシスに向き直りながら考えた。噂の払拭の為にも、やはり立ち直らせなければならない。そう思った。
……さて。
「簡単に終わるとは思ってなかったけど、気が重いなぁ…」
既に現実逃避がしたくなったユークリッドは、今夜どう言い訳をしようかと悩みながらアレクシスの背中を眺めるのだった。
「───違います。本当に用があるんです。」
現在のユークリッドの部屋は、アレクシスの自室を通らなければ外に出る事が出来ない。
夜になって「今日は外出をするので夜間の待機は難しいです。すみません。」と急いで報告して通り過ぎようとしたユークリッドは、すぐに捕まえに来たアレクシスによって失敗に終わり、言い訳のターンを迎えていた。
「私に言えない用が何か、気になるけど。夜に外出するくらいなら明日の日中に済ませたらどうかな?」
「えっと、それは難しくて…ほら、仕事もありますし…」
「ユークの雇い主で上司の私が良いって言ってるんだから、用事は日中でいいよね。」
開けようとしたドアに背中をぴったりくっつけたユークリッドは、アレクシスの両腕に閉じ込められている。
今朝はあんなにドキドキしたアレクシスの顔が、今は違う意味でドキドキさせている。
「今からじゃないと駄目というか…私ももう成人してるんで…!」
「駄目だ。一人で行かせるなんて危険すぎる。」
確かに子供だとばかり言われるが、ユークリッドは本当にちゃんと成人男性だ。法的に認められている。王族がそれを無視するのかとムッとしたら、アレクシスは眉を下げて明らかに困った顔になった。
その顔を見ていると、ユークリッドは心が痛んできてついに降参した。下を向いて視線を逸らす。
「………子爵家の人が、呼び出してるんです。」
「…やっぱり危険じゃないか。」
危険だなんて、仮にもユークリッドの家族だった人達に。…と言いたいところだが、正直な気持ちを言うならもちろんユークリッドも怖い。
でも書面だけで離縁して終わりというのも違う気がして、ユークリッドは最後に話をしようと呼び出しに応じる事にしたのだ。
「話をするだけですから、行かせてください。」
「……駄目だ。」
「もう相手は待っているんです。行きます。」
「駄目だ。許可出来ない。相手には使いを出すから…」
「俺の家族の問題だってば!…別れの挨拶くらい、やっていいじゃんか。」
感情的になって突き放した。ハッとしたユークリッドが顔を上げると、そこには傷付いた顔のアレクシスが口をきつく閉じてこちらを見ている。
「ごめ、アレクシス」
「…すまなかった。またユークリッドを抑え込んで傷つけてしまった。……すまない。」
明らかに傷ついているのはアレクシスのくせに、腕を下ろして一歩下がった。謝った後の言葉は神子に向けられていると気付いたユークリッドも何も言えなくなり、ただ黙ってドアを開ける。
これから家族と決別しに行くのに。さっきよりも重くなった心を抱えたまま、ユークリッドは辺りがすっかり暗くなり、明かりの灯る王城を後にした。
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