3 / 20
3
しおりを挟む
「ちょっと小粒貸してくれんか」
「正月から厄介ごとは勘弁ですよ」
眉根を寄せる茂吉を拝み、小粒銀を三粒ほどもらった。大金せびられたらどないしよと、半次郎は首を竦めて店の裏木戸に出てみる。
大柄で骨ばった躰つきの男が、寒そうに立っていた。
悪口祭では暗すぎてびいどろが光る眼つきしかわからなかったが、白抜きの家紋が擦れて見えなくなった法被に三尺帯を締めた格好である。
明るい日の下で見ると、怪我したという足をしっかりと踏みしめて、頬がこけた顔は蝋のような艶のない白さだった。
「祇園さんではえらいご無礼しました。おみ足はもう大丈夫のようで、なりよりですわ」
男は店の佇まいを眺めたまま、咳払いして肩をいからせた。懐手をしているが、匕首でも忍ばせているのだろうか。半次郎は後ずさりした。
「なかなか立派な店ですな。表からも見せてもらいやしたが、若旦那の店、どんな商いをしてるんです?」
「まあ、うちは問屋ですけど、店売りもやってますし、お客さんの注文を受けて、色柄から帯地まで選んでもろうて、好みの帯を仕立てたりもしてますんや」
「手広い商いで繁盛してるようですな、それならこっちも都合がいいや。薬代、いただきに参りましたんで」
ほれ、こんな風に足が痛むんでさ、と言いながら、男はわざとらしく脚を引き摺って歩いて見せる。
「日にち薬で治るんやないですのか? 薬が要るようには見えまへんけど」
「あっしが嘘を言っているとでも? 旦那、そりゃあ、えらい言い草ですな」
落ち窪んだ目の奥を光らせて凄む男に、半次郎は身を縮める。
男の捲った袖から突き出た左腕には、艶やかに笑む妲己の刺青が彫られていた。
半次郎は引き攣った笑いを浮かべて、男の顔色を伺う。
「いえいえ、言いがかりやなんて滅相もありまへん。お薬代、もちろん用意してます」
先ほど手に入れた小粒銀を、うやうやしく男の手に握らせる。ふと触れた指先が、雪のように冷たい。
「ふん、これっぽちで足りると思ってんのかい! 脚も悪いが、風邪をこじらせて薬がいくらでも要るんでさあ。また来るから、今度はきちんと用意しといておくんなさいよ」
男は反っ歯を剥き出しにして笑い。こちらを睨みつけてきた。懐手の右手では、刃物の柄を鳴らすような音をさせている。
臭い息を吐きながら舌打ちをすると、やっと背を向けた。
半次郎は去っていく男の痩せた背中を見送りながら、半べそをかいていた。
明くる日の初売りから、半次郎は店が開くと慌てて使用人に混じって店に出るようになった。番頭に手代、丁稚にいたるまで目を瞠って呆れられたが、そんなことに構ってはいられなかった。
今度あの男が金をせびりに来たら、騒ぎになる前にうまく宥めて追い返すため、居ても立ってもいられなかったのである。
店先に出てもすることがないので、半次郎は売り場の棚に積まれた帯や帯地、衣桁に掛けて飾られた綴織や緞子の帯をまじまじと眺めた。間近で見るのは初めてで、汚れがないが確かめて恐々と触ってみたりもする。
「正月から厄介ごとは勘弁ですよ」
眉根を寄せる茂吉を拝み、小粒銀を三粒ほどもらった。大金せびられたらどないしよと、半次郎は首を竦めて店の裏木戸に出てみる。
大柄で骨ばった躰つきの男が、寒そうに立っていた。
悪口祭では暗すぎてびいどろが光る眼つきしかわからなかったが、白抜きの家紋が擦れて見えなくなった法被に三尺帯を締めた格好である。
明るい日の下で見ると、怪我したという足をしっかりと踏みしめて、頬がこけた顔は蝋のような艶のない白さだった。
「祇園さんではえらいご無礼しました。おみ足はもう大丈夫のようで、なりよりですわ」
男は店の佇まいを眺めたまま、咳払いして肩をいからせた。懐手をしているが、匕首でも忍ばせているのだろうか。半次郎は後ずさりした。
「なかなか立派な店ですな。表からも見せてもらいやしたが、若旦那の店、どんな商いをしてるんです?」
「まあ、うちは問屋ですけど、店売りもやってますし、お客さんの注文を受けて、色柄から帯地まで選んでもろうて、好みの帯を仕立てたりもしてますんや」
「手広い商いで繁盛してるようですな、それならこっちも都合がいいや。薬代、いただきに参りましたんで」
ほれ、こんな風に足が痛むんでさ、と言いながら、男はわざとらしく脚を引き摺って歩いて見せる。
「日にち薬で治るんやないですのか? 薬が要るようには見えまへんけど」
「あっしが嘘を言っているとでも? 旦那、そりゃあ、えらい言い草ですな」
落ち窪んだ目の奥を光らせて凄む男に、半次郎は身を縮める。
男の捲った袖から突き出た左腕には、艶やかに笑む妲己の刺青が彫られていた。
半次郎は引き攣った笑いを浮かべて、男の顔色を伺う。
「いえいえ、言いがかりやなんて滅相もありまへん。お薬代、もちろん用意してます」
先ほど手に入れた小粒銀を、うやうやしく男の手に握らせる。ふと触れた指先が、雪のように冷たい。
「ふん、これっぽちで足りると思ってんのかい! 脚も悪いが、風邪をこじらせて薬がいくらでも要るんでさあ。また来るから、今度はきちんと用意しといておくんなさいよ」
男は反っ歯を剥き出しにして笑い。こちらを睨みつけてきた。懐手の右手では、刃物の柄を鳴らすような音をさせている。
臭い息を吐きながら舌打ちをすると、やっと背を向けた。
半次郎は去っていく男の痩せた背中を見送りながら、半べそをかいていた。
明くる日の初売りから、半次郎は店が開くと慌てて使用人に混じって店に出るようになった。番頭に手代、丁稚にいたるまで目を瞠って呆れられたが、そんなことに構ってはいられなかった。
今度あの男が金をせびりに来たら、騒ぎになる前にうまく宥めて追い返すため、居ても立ってもいられなかったのである。
店先に出てもすることがないので、半次郎は売り場の棚に積まれた帯や帯地、衣桁に掛けて飾られた綴織や緞子の帯をまじまじと眺めた。間近で見るのは初めてで、汚れがないが確かめて恐々と触ってみたりもする。
23
あなたにおすすめの小説
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
BL認定児童文学集 ~これ絶対入ってるよね~
松田夕記子
エッセイ・ノンフィクション
「これは児童文学だ。でも絶対にBLだよね!」という作品を、私の独断と偏見をもとに、つらつらとご紹介していきます。
「これ絶対入ってるよね」は、みうらじゅん氏の発言としてあまりにも有名ですが、元のセリフは「この下はどうなっていると思う? オレは入ってるような気さえするんだけど」が正しいです。
BL小説をご覧になって頂き、誠にありがとうございました。このエッセイはクリスマスの25日に完結します。
ワスレ草、花一輪
こいちろう
歴史・時代
娘仇討ち、孝女千勢!妹の評判は瞬く間に広がった。方や、兄の新平は仇を追う道中で本懐成就の報を聞くものの、所在も知らせず帰参も遅れた。新平とて、辛苦を重ねて諸国を巡っていたのだ。ところが、世間の悪評は日増しに酷くなる。碓氷峠からおなつに助けられてやっと江戸に着いたが、助太刀の叔父から己の落ち度を酷く咎められた。儘ならぬ世の中だ。最早そんな世とはおさらばだ。そう思って空を切った積もりの太刀だった。短慮だった。肘を上げて太刀を受け止めた叔父の腕を切りつけたのだ。仇討ちを追って歩き続けた中山道を、今度は逃げるために走り出す。女郎に売られたおなつを連れ出し・・・
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる