龍捕る猫は爪隠す

さか【傘路さか】

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 起きたときには熱も下がっており、頭は鮮明だ。

 抱き込まれたまま眠っていたらしい僕は、朝っぱらから龍屋の腕の中でもがくことになった。

 そして体調が落ち着いてから、龍屋に猫神の一族の事をあらかた説明した。

 人と猫に姿を変えられること、人とも猫とも話せること。始祖は長命で数百年生きていること。人間のように生殖せず、一族を増やす必要がある人数まで減ったら指名された人物が魂を分けて一族が増えること。

 人とは違う僕たちの仕組みに、龍屋は目を白黒させた。

 けれど、最終的にはそれら全てを受け入れ、彼は同居の継続を望んだ。蚕四の家柄と元々の役目を話すと、代わりに護衛の役割も引き受けてくれるという。

 僕としては願ったり叶ったりで、龍屋が対価として、撫でさせて欲しい、と言ってきた時にも喜んで猫に化けた。

『喉とね、お腹を触られるのがすごく好き。たくさん撫でて欲しい』

 指先に顔を擦り付けてごろごろと上機嫌な僕に、彼は口元を覆って悶えた。

「猫ちゃんが俺の手を……!」

『うん……? ほら、ねぇここ。お腹』

 警戒なく腹を見せると、そろそろと伸ばされた掌でいっぱい撫でて貰える。たくさんの場所に触れられる掌の感触が、僕はたいそうお気に入りになった。

 そして僕が呼ぶ『龍屋』はそのうち『成海』になったし、彼が呼ぶ僕は『花苗』から『玲音』になった。









 成海の元の家は無事に引き払われ、彼の住所は僕の家になった。

 家賃などは当初話していたとおり支払われたが、家事の分担は彼の方が重いし、家の外でも一緒に過ごして護衛の役目を兼ねてもらっている。

 腕っぷしは元同居人よりも成海のほうが強く、爪切りやらブラッシングやら、世話も細かく行き届いている。家賃を安くしようとしたのだが、『猫カフェだって無料じゃないんだ』と謎の理論を展開する成海によって固辞されてしまった。

 今日も僕は、ソファに座った成海の膝の上で身体を伸ばし、ブラシを掛けてもらっている。

『ねえ』

 こちらを見る成海の目は蕩けきっていた。

「………………可愛い」

『ありがと……? あのね、喉さわって』

 強請るとすぐに伸びてくる腕に、喉をごろごろと鳴らす。うにゃうにゃと鳴き声で満足を表現すると、お腹も撫でてくれた。

 子どもの時にも、こんなに沢山、おおきな掌に撫でられることはなかった。今まで満たされたことのない欲が一気に満たされていくのを感じる。

 猫の僕はすっかり成海に懐き、彼がちょっとでも猫に触りたそうにするとすぐに化けては膝に転がる。

『ぁ、……ンう。喉のそこ、好き』

 彼の手を抱き込んで、すりすりと柔らかいヒゲを擦り付ける。その度に成海はうぐ、と呻いては、振り切れる何らかの感情を宥めている様子だった。

 たまに無理、だとか呟いているが、そういう時の成海の言葉は理解が追いつかず放り投げている。

「……今日のブラシはどうだ?」

『前のより柔らかくて気持ちいい、けど痒いとこは前のブラシでごしごしやってほしいかも』

 この質の良いブラシも成海が買ってきたものだ。僕はあんまりお金を使わないように言うのだが、初めて猫に貢げるんだ、と熱心に言われれば黙り込む他ない。

 成海は家族にも僕を会わせたいそうで、彼も家族も猫への恋情が煮詰まっているようだ。そこまで思い詰めるほど、動物に嫌われる家系というのも気の毒に思った。

『ゆび甘噛みしていい?』

「ああ。ご褒美だ」

『…………。痛かったら言ってね』

 手首を抱き込んで、差し出された指をがじがじと甘噛みする。

 牙が痒いような感覚が解消されて気持ちよかった。普通なら少し痛いはずだが、彼の指の皮膚は厚く、指自体も太くて噛み応えがある。

『あー……』

 恍惚の声を漏らすと、猫の喉からもぐる、とひっくり返った声が出た。

 骨張った指先は、人である僕のものとは違った質感があった。肌はすこしかさついていて、造りが大きい。たくさんの範囲を撫でてくれて、重さのある掌が僕は好きだ。

 手を抱いていると、たまに指先を使って控えめに撫でられる。その代わりに僕は皮膚をがじがじして、後ろ脚で腕を蹴りたくる。

 放っておけば永遠に続けられてしまうだろう遊びを、適度な所で切り上げた。

「もう終わりか……?」

『うん。明日も遊ぼうね』

 成海は僕が明日はもう遊んでくれない、とでも思っているかのように、その日の遊びを引き延ばしたがる。

 だから僕は明日の約束をして、ようやく彼から離れられるのだ。

 僕はリビングから自室に戻り、人に転じて服を着る。猫の姿の時は遠慮なくごろにゃんとしていられるが、人の姿では何だか気恥ずかしい。

 ぱし、と両頬を叩いて表情を作ると、リビングに向かった。

「ありがとー、成海。ブラシすっごく気持ちよかった」

「ああ。こちらこそ。ここ最近だけで、これまでの一生分より多く猫に触っている気がする」

 成海は丁寧に、新しいブラシを猫用のおもちゃ箱に仕舞い込む。

 流石に膝の上に転がったりはしないが、ソファに座っている彼の隣に腰掛けた。猫で散々触っているからか、人に戻ってもあまり距離は取らなくなった。

 近くに寄ってくるひ弱な猫にめろめろになっている人間を、怖いと思うことはもうない。

「人の姿で喉を触られても嬉しくないよな?」

「うーん。喉はくすぐったいだけかな。触られること自体は好きなんだけど、人だったら頭とか、肩とか腕、になるかも。猫の時だと、喉と……僕はお腹なんだけど」

「ああ。玲音の髪も、猫の時の腹の毛もふわふわで触り心地がいい」

 自然に成海は僕の頭に手を伸ばし、髪を撫でた。彼がふわふわだという髪は細く、軽く、彼の指に乱される。

 もっと、とは素直に言えないが、彼が撫でている間は黙って撫でられていた。隣で、くすりと笑う声が聞こえる。

「本当だ。人の時も猫の時も、撫でられるのが好きなんだな」

 からかわれた腹いせにもっと撫でろ、と彼の肩に寄り掛かるが、平然とくしゃりと髪を撫で続けられた。蚕四相手にもこんなことはまずしないのだが、猫の姿で散々触られるから、距離感がおかしくなってしまったのだろうか。

 その体勢のまま、成海は映画を見始めた。

 猫に変わった方がいいかとも思ったが、猫に触りたい時の成海はなんかもっと妙な、触りたいという感情が漏れ出る。僕に肩を許している今の成海は、人としての僕を欲してくれているような気がした。

 僕は途中まで映画を見ていたが、しばらくすると隣に寄り掛かって眠っていた。揺り動かされて目を覚ました時には、もう映画は終わっている。

 起きた視線の先にいた成海にもう一度見るか尋ねられるが、首を横に振った。

「人の時も、猫の時もよく寝るな」

「成海が怖い顔してるから、隣にいたら安心なんだもん」

「…………。それはよかった」

 怖い顔、と表現した事に怒るかと思ったが、窺い見る成海の機嫌は悪くない。

「動かないでいてやるから、いつでも寝ていいぞ」

 またわしわしと髪を掻き乱され、成海は食事を作りにキッチンへ歩み去った。触れられていた場所に手を重ねると、髪が絡まってひどいことになっている。

 猫の毛は整えてくれるのに、なぜ人の髪はこうも扱いが雑なのか。

 寝起きで食事を作る元気は湧いてこなかったが、当然のように成海はキッチンに立って料理を用意し始める。

 肉と野菜を切る音に炒める音、続いてソースの濃い匂いが届いた。今日のご飯は焼きそばらしい。

 鰹節の気配にふらふらとキッチンに吸い寄せられると、フライパンを掻き回している成海がこちらを向いた。

「もうすぐ出来るから」

 用意してあった鰹節のパックをぺり、と開けてつまみ食いをすると、こら、と横から素早く回収される。

「今は人の姿なのに何やってんだ」

「秘められた猫の本能がこれ食べたいって言う」

「理性で我慢しろ」

 ええ、と非難の声を上げると、鰹節パックの残りは全て成海の手元に引き寄せられてしまった。

 焼きそばが出来上がると、その上に鰹節が振り掛けられる。用意された食事を食卓に運び、準備を整えて席に着いた。

「美味しそう! いただきまーす」

「いただきます」

 僕は素早く箸を取り、成海は静かに食事を始めた。早速たっぷりと鰹節が掛かった部分を箸で摘まんで口に運ぶ。

 きっと混ぜて食べた方が全体のバランスがいいのは分かっているのだが、目先の美味しさにしか気が向かないのだ。

「また鰹節ばっかり食べてるじゃないか」

「へへ。焼きそばが美味しいから鰹節が合うんだもん」

 焼きそばの上からは鰹節が消えてしまったが、何も掛かっていない部分も美味しい。鮮やかな野菜と豚肉、焦げたソースの味をゆっくりと口に運んだ。

 立ち上がって緑茶を淹れてくれる成海に礼を言い、口の端に付いたソースを舐める。

「やっぱり、鰹節がなくても好きな味だった。美味しい!」

「なら良いが」

 身体の差か、成海は大きな口でするすると焼きそばを胃に収めていく。大盛りの皿から小山が段々と崩れていった。

 自分の食事は彼に比べればゆったりだが、見ている分には気持ちのいい食べっぷりだ。

「そういえば、明日の朝食は要るか?」

「特に朝から外出とかはないけど……」

「なら作って置いておく」

「成海は朝早いの? バイト?」

 いや、と成海は首を振った。湯飲みに手を伸ばし、持ち上げる。

「引っ越しを機に買い換えようと思っていた食器類の買い出しと、久しぶりに猫カフェに行ってみようと思ってな」

 ず、と茶を啜る音が響き、僕はその間ぽかんとしていた。

「………………え、浮気?」

 僕が言うなり目の前の成海は気持ちいいくらい咽せ、げほごほ、と呼吸を整える。喉を押さえる彼に少し面白くなり、演技めかして言葉を続けた。

「あんなに隅から隅まで身体をもふもふしておいて。僕以外の泥棒猫の方が良くなったの? 絶対に僕の毛の方が柔らかいよ!?」

「……面白がっているだろう」

「ばれちゃった」

 大丈夫? と声を掛けると、成海はああ、と頷いた。喉の痛みも治まったようで、普段の通りに声を発する。

「いや。あの毛並みがどの猫よりいいのは確かだが、玲音に触れるようになったことだし、普通に猫ちゃんにも触れやしないかと……」

「やっぱり浮気じゃない。僕以外の猫に触りたいって事でしょ? 僕の身体だけじゃ満足できないってことでしょ!?」

「人聞きが悪すぎるから、やめないか……」

 まあ、隅から隅まで触ったのも身体を許したのも猫の姿なのだが。

 僕は素直にからかいを止め、普段の喋り方に戻す。

「でも、僕が特殊なだけで、他の猫に対しては今まで通りだと思うよ?」

「まあ、そう。なんだろうが……治ってたりとか……」

 僕が思っているより、成海の猫に好かれたいという気持ちは切実なのだろうか。うーん、と思考を巡らせ、あ、と胸の前で手を叩く。

 自分の特性を、今の今まで忘れていた。

「僕も付いていって、他の猫さんとの仲を取り持とうか? なんで成海に近付いてくれないのか、聞き出せたら変わるかもしれない」

「本当か? じゃあ、食器も一緒に選ばないか。どうせ混ざって二人で使うことになるし」

 いい提案、と乗っかり、明日の起床時間を決めていく。折角だからお昼は外で食べよう、とねだると、そちらも受け入れられた。

 家や大学では一緒に過ごすが、二人で揃ってきちんと出掛けるのは初めてだ。予定を話しているうちに楽しくなって、お腹も胸もいっぱいになってしまった。




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