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▽1
父から声を掛けられたのは、午前の仕事を終え、帰宅して直ぐの事だった。帰宅前の仕事は、少し前に解呪した貴族のご令嬢に対する、その後いかがですか、というお伺いだ。
若い令嬢が気を悪くしないよう接したため気疲れして、午後は休む気満々だった。わざわざ僕を探していた様子の父に、嫌な予感がする。
父は僕に歩み寄ると、被っていた帽子のつばを持ち上げた。
「シュカ。解呪の依頼だ」
「どなたから?」
「西方の領を持つ、ローレンツ家の三男は分かるか」
「フロード様ですか。ああ、……如何にも、恋愛沙汰で呪われそうな……」
ローレンツ家の三男。フロードという男は社交界でも悪い方に名の知れた男、そしてアルファだ。
ベータもオメガも、男も女も見境なく浮名を流している人物。更に言えば、美男美女がお好みのようで、それもまた噂話の種になっていた。
「くれぐれも、本人には言ってくれるな。それで、お急ぎのようで、然程経たないうちに来られると思うが……」
「ご本人が?」
「ああ。対応できそうか」
僕は玄関下の陰に入り、被っていた帽子を脱ぐ。
こぼれ落ちた黒髪は、癖がなく、結えていない部分が肩に流れた。暑さに息を吐く。夏に起こる生命の煌めきは、死ともまた近しい。
父の、茶色の目を見上げる。僕も持つその色は、東の島国から移り住んだ子孫特有の色だ。
「汗を流して服を着替えてきます。その間にいらっしゃったら────」
「分かった。中身のない長話は得意だ」
父が請け負ってくれた事に安堵しながら、広い玄関を抜け、足早に浴室へと向かう。貴族の屋敷らしい廊下の長さに苛立ちながら、こちらは長くもない脚を動かした。
脱衣所に入ると、背中の留め具を外す事だけを使用人に頼み、残りの服は自ら脱いで引き渡す。客人のことを伝え、着替えの服を指示して持ってくるよう頼んだ。
使用人が手短に承諾の言葉を返したのを確認すると、浴室の扉に手を掛けた。真白い石造りの小振りな浴室は、オメガである僕の為に用意されたものだ。
裸で浴室に入り、壁に備え付けられている魔術装置に手を掛けた。魔力を流すと、湯が頭上から降り注ぐ。
「何故、この時期は忙しいんだろう」
人が家に閉じ籠もる冬よりも、夏に感情が動くのは理解できる。だが、解呪の案件が立て続けに起きるのは気疲れした。
僕は通っていた魔術学校で、呪術を専門に学んだ。
師もまた東の島国と縁があり、引っ込み思案で他人を見てばかりな僕の性格を、解呪向き、だと判断したようだ。
卒業後は、屋敷付の魔術師のような仕事をしつつ、貴族内で呪いに掛かった人物から話を聞き、自ら解呪するか、僕の手に負えない場合はもっと高位の魔術師への依頼を勧めている。
汗を洗い流すと、湯を止めた。指先に魔術を灯し、魔術式を綴ると髪に温風が吹く。
同様に皮膚の水分も吹き飛ばすと、使用人から服を受け取った。またしても背にリボンのある服を恨めしく思いつつ、背後で結んでもらう。
使用人は僕の髪を整え、結い紐で一つに纏めた。
客人のことを尋ねると、まだ到着していないそうだ。
「これから客人が来るんだけど、その前に軽く食べ物を入れられないかな」
「厨房へ、相談して参ります」
戻ってきた使用人に、本当に簡単なものでよろしければ、と言われつつも食卓へ案内される。
温めたパンと味付けして焼かれた肉、生野菜と果物、という一皿を有難く腹に収め、料理人への感謝を言付けた。
満たされた腹を抱えていると、来客を伝えに執事がやってくる。然程広くはない応接室へ向かい、執事と父が扉越しに言葉を交わしている様を見守る。
「どうぞ」
執事が開いた扉から中に入ると、座っている父と、机を挟んで向かいには舞踏会で遠目に見たことのあるアルファの姿があった。
二人は、僕の顔を見て立ち上がる。来訪者に向かい、軽く腰を曲げた。
「初めまして。シュカ・アサバと申します」
「こちらこそ、初めまして。フロード・ローレンツという。急に押し掛けて済まなかったね」
いいえ、と返し、大人しく言葉を受け入れた。貴族としての位は向こうの方が上だ。突然来訪されたとしても、完璧に持て成さねばならない。
差し出された手を握り返すと、彼は近くでにっこりと微笑んだ。
「君を近くで見たのは初めてだけれど、神秘的で美しいね。その濃い瞳は、覗き込めば吸い込まれてしまいそうだ」
「……ありがとうございます。けれど、美しいというのならローレンツ様の方が」
艶やかな銀髪は柔らかく、白い肌に掛かる。薄色の前髪の下から覗く瞳は薄い青だ。
アルファらしく上背があり、体にも適度に肉付きがある。上から下まで眺めれば芸術品のような美しさだが、表情が豊かにころころと変わる様は親近感を抱かせた。
「フロード、と呼んでくれるかな? 一族の者は多いんだ」
「は、……い。フロード様」
ぐっと顔を近づけ、視線を外さずに話すような人物は苦手だ。思わず背が逃げを打つ。
解呪には人を観なければならないのに、見返されると長くは見ていられない。
給仕が机の上に茶器を並べていく間も、うっすらと纏わり付く視線が居心地わるかった。
「シュカ。呪いに関わる話をしている間、私は席を外す。ローレンツ家も、フロード様も我が国にとって重要な存在だ。一刻も早く、呪いを解き、心穏やかに過ごせるよう努めてくれ」
「分かりました。お父様」
父は僕の背を軽く叩くと、フロード様にも声を掛けて退室した。
机を挟んで向かい合う位置、父と入れ替わるように席に腰を下ろす。
彼はカップを持ち上げて一口含んだ。ふう、と息を吐いて、ソーサーへと茶器を戻す。
「早速、相談をしても構わないかな」
「はい。呪われた、とお伺いしましたが……」
「そうなんだ。西の魔女に」
びくん、と僕の背が跳ねた。
膝の上に乗せていた手が、無意識に丸くなる。フロード様は僕の様子を見ると、肩を竦める。
「使い魔である烏が飛んできて、そう名乗り、私を呪った、という事と呪いの内容を告げてきた。西の魔女、というのは厄介な相手なのかな」
「はい。本人は何百年も生きている、と言い、確かに古くから同じ特徴を持つ魔女の話が文献にいくつも残っています。曰く、『西の魔女は、強大な呪いの魔術を行使する』と」
湯気を立てるカップに、手を付けることすら忘れていた。
呪いを解く際には、術者の特定が重要な意味を持つ。相手の術の特性を探り当て、解呪の算段を立てるからだ。
そして、強大な術者の場合、魔術師は依頼を断る必要がある。力の強い術者の呪いは、解こうとした術者まで巻き込む為だ。
「呪いの内容は『私が好意を持った相手に触れるたび、心臓が鷲掴まれるような痛みを持つ』こと」
「では、魔女が、フロード様に懸想して……?」
「いいや。私と西の魔女との間には何の関わりもないよ。おそらく、これまで私が関わった誰かが、西の魔女に呪いを依頼した、のだと思う」
彼の言うとおりだとするのなら、西の魔女に依頼した誰か、は彼にほかの相手と関わりを持たせたくないらしい。つまり、フロード様に好意を抱いていた筈だ。
頭の中で、必死に言葉を選ぶ。
「ちなみに、フロード様を呪いたいと思うような相手に、心当たりはありますか?」
「それが、両の指で足らなくてね」
ほう、と憂いを帯びた息を吐く姿は美しいが、どこか邪悪でもあった。
彼に対して呪いを掛けるような人間が十ではきかないほど、恋心を抱いた相手を捨てたか、邪険に扱った、ということだ。
この美しさと、人に関わることを好みそうな態度から察するに、然もありなん、といったところか。
「西の魔女は力も強く、古くからの知識を持ちます。若輩者である僕の手に負えるような人物ではありません。この件は、もっと力のある魔術師へ繋ぐことになると思いますが、一応、掛かった術の探知を試みても構いませんか?」
「そう。思ったよりも大変そうだね。探知とやらについては構わないよ」
「では、手を貸してください」
彼は立ち上がると、平然と僕の隣に腰掛ける。心中で面食らいつつ伸ばされた手を取ると、力を抜くように伝えた。
性格的には対極にいるはずのフロード様と、予想外に魔力相性は悪くない。皮膚を伝って魔力を馴染ませ、本人の魔力ではない波を探った。
『心臓が鷲掴まれるような痛みを持つ』と彼は言った。這わせた魔力を、胸の辺りに向ける。触れれば肉を焦がすような、極限まで振れた波があった。
式を発動させてしまえば、呪いは再現する。
「…………痛みが出たら、教えてください」
こくん、と頷いたフロード様は、珍しく無言だった。魔力を伝わせるのだって変な感覚があるだろうに、言い及ぶこともない。
息を吸い、自らの痕跡を術者の波に沿わせてから式に触れる。蔦のように絡んだ式は、彼の心臓を隙間なく覆っていた。
強い魔力、精密な式。解呪は暗号解読に似ている。呪いを掛ける方が容易で、解く方は多大な労力を必要とする。全てを取り去るには、途方もない時間が必要だ。
「…………っ!」
ちり、と触れていた指先が、炎に焼かれるような痛みを発した。
反射的に手を離し、彼は心配そうに僕の指を見る。赤くなった指先を握り込む。蔦は伸び、僕の皮膚にも絡み付いていた。
「大丈夫?」
「はい。フロード様も、痛かった、ですよね……」
彼の左手は、自らの胸上にある服の生地を掴んでいる。
相手は、術式を経由して僕を攻撃した。その際に、術式が起きてしまったのだ。
「私は……平気だよ。そもそも、私が招いた事だしね」
遊び人な割には、その行動が招いた事態を大人しく受け入れている。
僕は呪いを掛けられるくらいなら奔放さを直せばいいのに、と思ってしまう。だが、この揺らぐ波のような掴み所の無さが、人を惹くのは理解できる気がした。
「僕が下手に触ることで、貴方を危険に晒してしまうかもしれません。魔術学校に、学生時代に師事した魔術師がいます。その方に助言を頂こうと思うのですが、フロード様も、ご同行いただけますか?」
「それなら勿論行くよ、いつがいいかな」
驚くべきことに彼は、療養中、という身分になっており、行くのならいつでもいい、と言われた。普段は領主の補佐をしているそうだが、呪いを心配され、仕事も休ませてもらっているそうだ。
僕は直ぐに通信魔術を開き、師匠と連絡を取った。明日ではどうか、と恐るおそる尋ねると、午前なら空いている、と言う。
僕もまた、今は他の依頼は入っていない。明日の午前に予定を入れてもらった。
「フロード様、予定は明日の午前に決まりました。自領の転移魔術式を使おうと思うのですが……」
「じゃあ、明日もこちらにお邪魔するよ。時間は────」
転移魔術式までの移動は、あちらの馬車を動かしてくれるそうだ。僕は時間を承諾し、ようやく冷め切った紅茶に手を付けた。
フロード様は隣から動かず、何なら立ち上がって自分のカップを手元に引き寄せさえする。
「指、赤くなっているね」
彼は指先を伸ばし、先ほど反撃を受けた僕の手を取った。
するり、と大きな掌が、大きさの違う手を覆う。痕も残らないようなもので、痛みも引いている。だが、フロード様は痛ましげに手を撫でた。
その動作の際に、ふと気づく。
僕に触れても、好意を抱いていないから彼の胸は痛まないのだ。自らの魅力のなさに悲しむべきか、依頼が遂行しやすくなることを喜ぶべきが複雑に思った。
咄嗟に慣れた笑顔をつくる。
「反射的に魔力で防護していたようなので、傷は残らないですよ」
「そう? 良かった。でも、痕が残ったら私が責任を取るよ」
「はは。僕、まだ神殿へ雷管石を預けていないような人間なので、冗談にならなくなっちゃいますよ」
貴族に多いアルファ、そしてオメガについては自国内でも特殊な扱いを受ける。
オメガは命を生む生来の生命力を転じることにより魔力を多く有し、僕もそうだが、魔術師への適性がある者が多い。アルファは体格や力、知性に優れ、国の要人に多い。
そしてこの両者の間には、番という特別な関係性が存在する。
「そう。シュカはオメガなんだ?」
「はい。けれど、まだ番がいなくて、というか神殿に雷管石を預けていないので、相性の良い相手どうこうも無いですけど」
国内では、神殿が両者を取り持つ役割を担っている。
神が雷を落とした時に生じる雷管石は、魔力波形を吸収して永く保持する特性を持つ。
雷管石を用意して魔力を込め、神殿に預ける。すると神殿には鑑定士が所属しており、番として相性のよい相手を込められた魔力から読み取り、繋いでくれるのだった。
「私はアルファだよ。宜しく」
「はぁ……。存じて、います」
首を傾げると、フロード様はにっこりと笑った。
握ったままの手を、軽く上下に振られる。
「シュカ。私は、呪いを受けてしまったことは不運ながら自業自得だと思っているけれど、君と出会えたことは幸運だったのかもしれない」
「…………は、い。僕も、こうやってフロード様と知り合えて嬉しいです」
褒められているのであろう言葉を流し、机の上に放置されている茶菓子を勧める。
彼はずっと僕の隣に座り続け、茶菓子を食べる間も笑顔を絶やすことはなかった。
父から声を掛けられたのは、午前の仕事を終え、帰宅して直ぐの事だった。帰宅前の仕事は、少し前に解呪した貴族のご令嬢に対する、その後いかがですか、というお伺いだ。
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ベータもオメガも、男も女も見境なく浮名を流している人物。更に言えば、美男美女がお好みのようで、それもまた噂話の種になっていた。
「くれぐれも、本人には言ってくれるな。それで、お急ぎのようで、然程経たないうちに来られると思うが……」
「ご本人が?」
「ああ。対応できそうか」
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こぼれ落ちた黒髪は、癖がなく、結えていない部分が肩に流れた。暑さに息を吐く。夏に起こる生命の煌めきは、死ともまた近しい。
父の、茶色の目を見上げる。僕も持つその色は、東の島国から移り住んだ子孫特有の色だ。
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父が請け負ってくれた事に安堵しながら、広い玄関を抜け、足早に浴室へと向かう。貴族の屋敷らしい廊下の長さに苛立ちながら、こちらは長くもない脚を動かした。
脱衣所に入ると、背中の留め具を外す事だけを使用人に頼み、残りの服は自ら脱いで引き渡す。客人のことを伝え、着替えの服を指示して持ってくるよう頼んだ。
使用人が手短に承諾の言葉を返したのを確認すると、浴室の扉に手を掛けた。真白い石造りの小振りな浴室は、オメガである僕の為に用意されたものだ。
裸で浴室に入り、壁に備え付けられている魔術装置に手を掛けた。魔力を流すと、湯が頭上から降り注ぐ。
「何故、この時期は忙しいんだろう」
人が家に閉じ籠もる冬よりも、夏に感情が動くのは理解できる。だが、解呪の案件が立て続けに起きるのは気疲れした。
僕は通っていた魔術学校で、呪術を専門に学んだ。
師もまた東の島国と縁があり、引っ込み思案で他人を見てばかりな僕の性格を、解呪向き、だと判断したようだ。
卒業後は、屋敷付の魔術師のような仕事をしつつ、貴族内で呪いに掛かった人物から話を聞き、自ら解呪するか、僕の手に負えない場合はもっと高位の魔術師への依頼を勧めている。
汗を洗い流すと、湯を止めた。指先に魔術を灯し、魔術式を綴ると髪に温風が吹く。
同様に皮膚の水分も吹き飛ばすと、使用人から服を受け取った。またしても背にリボンのある服を恨めしく思いつつ、背後で結んでもらう。
使用人は僕の髪を整え、結い紐で一つに纏めた。
客人のことを尋ねると、まだ到着していないそうだ。
「これから客人が来るんだけど、その前に軽く食べ物を入れられないかな」
「厨房へ、相談して参ります」
戻ってきた使用人に、本当に簡単なものでよろしければ、と言われつつも食卓へ案内される。
温めたパンと味付けして焼かれた肉、生野菜と果物、という一皿を有難く腹に収め、料理人への感謝を言付けた。
満たされた腹を抱えていると、来客を伝えに執事がやってくる。然程広くはない応接室へ向かい、執事と父が扉越しに言葉を交わしている様を見守る。
「どうぞ」
執事が開いた扉から中に入ると、座っている父と、机を挟んで向かいには舞踏会で遠目に見たことのあるアルファの姿があった。
二人は、僕の顔を見て立ち上がる。来訪者に向かい、軽く腰を曲げた。
「初めまして。シュカ・アサバと申します」
「こちらこそ、初めまして。フロード・ローレンツという。急に押し掛けて済まなかったね」
いいえ、と返し、大人しく言葉を受け入れた。貴族としての位は向こうの方が上だ。突然来訪されたとしても、完璧に持て成さねばならない。
差し出された手を握り返すと、彼は近くでにっこりと微笑んだ。
「君を近くで見たのは初めてだけれど、神秘的で美しいね。その濃い瞳は、覗き込めば吸い込まれてしまいそうだ」
「……ありがとうございます。けれど、美しいというのならローレンツ様の方が」
艶やかな銀髪は柔らかく、白い肌に掛かる。薄色の前髪の下から覗く瞳は薄い青だ。
アルファらしく上背があり、体にも適度に肉付きがある。上から下まで眺めれば芸術品のような美しさだが、表情が豊かにころころと変わる様は親近感を抱かせた。
「フロード、と呼んでくれるかな? 一族の者は多いんだ」
「は、……い。フロード様」
ぐっと顔を近づけ、視線を外さずに話すような人物は苦手だ。思わず背が逃げを打つ。
解呪には人を観なければならないのに、見返されると長くは見ていられない。
給仕が机の上に茶器を並べていく間も、うっすらと纏わり付く視線が居心地わるかった。
「シュカ。呪いに関わる話をしている間、私は席を外す。ローレンツ家も、フロード様も我が国にとって重要な存在だ。一刻も早く、呪いを解き、心穏やかに過ごせるよう努めてくれ」
「分かりました。お父様」
父は僕の背を軽く叩くと、フロード様にも声を掛けて退室した。
机を挟んで向かい合う位置、父と入れ替わるように席に腰を下ろす。
彼はカップを持ち上げて一口含んだ。ふう、と息を吐いて、ソーサーへと茶器を戻す。
「早速、相談をしても構わないかな」
「はい。呪われた、とお伺いしましたが……」
「そうなんだ。西の魔女に」
びくん、と僕の背が跳ねた。
膝の上に乗せていた手が、無意識に丸くなる。フロード様は僕の様子を見ると、肩を竦める。
「使い魔である烏が飛んできて、そう名乗り、私を呪った、という事と呪いの内容を告げてきた。西の魔女、というのは厄介な相手なのかな」
「はい。本人は何百年も生きている、と言い、確かに古くから同じ特徴を持つ魔女の話が文献にいくつも残っています。曰く、『西の魔女は、強大な呪いの魔術を行使する』と」
湯気を立てるカップに、手を付けることすら忘れていた。
呪いを解く際には、術者の特定が重要な意味を持つ。相手の術の特性を探り当て、解呪の算段を立てるからだ。
そして、強大な術者の場合、魔術師は依頼を断る必要がある。力の強い術者の呪いは、解こうとした術者まで巻き込む為だ。
「呪いの内容は『私が好意を持った相手に触れるたび、心臓が鷲掴まれるような痛みを持つ』こと」
「では、魔女が、フロード様に懸想して……?」
「いいや。私と西の魔女との間には何の関わりもないよ。おそらく、これまで私が関わった誰かが、西の魔女に呪いを依頼した、のだと思う」
彼の言うとおりだとするのなら、西の魔女に依頼した誰か、は彼にほかの相手と関わりを持たせたくないらしい。つまり、フロード様に好意を抱いていた筈だ。
頭の中で、必死に言葉を選ぶ。
「ちなみに、フロード様を呪いたいと思うような相手に、心当たりはありますか?」
「それが、両の指で足らなくてね」
ほう、と憂いを帯びた息を吐く姿は美しいが、どこか邪悪でもあった。
彼に対して呪いを掛けるような人間が十ではきかないほど、恋心を抱いた相手を捨てたか、邪険に扱った、ということだ。
この美しさと、人に関わることを好みそうな態度から察するに、然もありなん、といったところか。
「西の魔女は力も強く、古くからの知識を持ちます。若輩者である僕の手に負えるような人物ではありません。この件は、もっと力のある魔術師へ繋ぐことになると思いますが、一応、掛かった術の探知を試みても構いませんか?」
「そう。思ったよりも大変そうだね。探知とやらについては構わないよ」
「では、手を貸してください」
彼は立ち上がると、平然と僕の隣に腰掛ける。心中で面食らいつつ伸ばされた手を取ると、力を抜くように伝えた。
性格的には対極にいるはずのフロード様と、予想外に魔力相性は悪くない。皮膚を伝って魔力を馴染ませ、本人の魔力ではない波を探った。
『心臓が鷲掴まれるような痛みを持つ』と彼は言った。這わせた魔力を、胸の辺りに向ける。触れれば肉を焦がすような、極限まで振れた波があった。
式を発動させてしまえば、呪いは再現する。
「…………痛みが出たら、教えてください」
こくん、と頷いたフロード様は、珍しく無言だった。魔力を伝わせるのだって変な感覚があるだろうに、言い及ぶこともない。
息を吸い、自らの痕跡を術者の波に沿わせてから式に触れる。蔦のように絡んだ式は、彼の心臓を隙間なく覆っていた。
強い魔力、精密な式。解呪は暗号解読に似ている。呪いを掛ける方が容易で、解く方は多大な労力を必要とする。全てを取り去るには、途方もない時間が必要だ。
「…………っ!」
ちり、と触れていた指先が、炎に焼かれるような痛みを発した。
反射的に手を離し、彼は心配そうに僕の指を見る。赤くなった指先を握り込む。蔦は伸び、僕の皮膚にも絡み付いていた。
「大丈夫?」
「はい。フロード様も、痛かった、ですよね……」
彼の左手は、自らの胸上にある服の生地を掴んでいる。
相手は、術式を経由して僕を攻撃した。その際に、術式が起きてしまったのだ。
「私は……平気だよ。そもそも、私が招いた事だしね」
遊び人な割には、その行動が招いた事態を大人しく受け入れている。
僕は呪いを掛けられるくらいなら奔放さを直せばいいのに、と思ってしまう。だが、この揺らぐ波のような掴み所の無さが、人を惹くのは理解できる気がした。
「僕が下手に触ることで、貴方を危険に晒してしまうかもしれません。魔術学校に、学生時代に師事した魔術師がいます。その方に助言を頂こうと思うのですが、フロード様も、ご同行いただけますか?」
「それなら勿論行くよ、いつがいいかな」
驚くべきことに彼は、療養中、という身分になっており、行くのならいつでもいい、と言われた。普段は領主の補佐をしているそうだが、呪いを心配され、仕事も休ませてもらっているそうだ。
僕は直ぐに通信魔術を開き、師匠と連絡を取った。明日ではどうか、と恐るおそる尋ねると、午前なら空いている、と言う。
僕もまた、今は他の依頼は入っていない。明日の午前に予定を入れてもらった。
「フロード様、予定は明日の午前に決まりました。自領の転移魔術式を使おうと思うのですが……」
「じゃあ、明日もこちらにお邪魔するよ。時間は────」
転移魔術式までの移動は、あちらの馬車を動かしてくれるそうだ。僕は時間を承諾し、ようやく冷め切った紅茶に手を付けた。
フロード様は隣から動かず、何なら立ち上がって自分のカップを手元に引き寄せさえする。
「指、赤くなっているね」
彼は指先を伸ばし、先ほど反撃を受けた僕の手を取った。
するり、と大きな掌が、大きさの違う手を覆う。痕も残らないようなもので、痛みも引いている。だが、フロード様は痛ましげに手を撫でた。
その動作の際に、ふと気づく。
僕に触れても、好意を抱いていないから彼の胸は痛まないのだ。自らの魅力のなさに悲しむべきか、依頼が遂行しやすくなることを喜ぶべきが複雑に思った。
咄嗟に慣れた笑顔をつくる。
「反射的に魔力で防護していたようなので、傷は残らないですよ」
「そう? 良かった。でも、痕が残ったら私が責任を取るよ」
「はは。僕、まだ神殿へ雷管石を預けていないような人間なので、冗談にならなくなっちゃいますよ」
貴族に多いアルファ、そしてオメガについては自国内でも特殊な扱いを受ける。
オメガは命を生む生来の生命力を転じることにより魔力を多く有し、僕もそうだが、魔術師への適性がある者が多い。アルファは体格や力、知性に優れ、国の要人に多い。
そしてこの両者の間には、番という特別な関係性が存在する。
「そう。シュカはオメガなんだ?」
「はい。けれど、まだ番がいなくて、というか神殿に雷管石を預けていないので、相性の良い相手どうこうも無いですけど」
国内では、神殿が両者を取り持つ役割を担っている。
神が雷を落とした時に生じる雷管石は、魔力波形を吸収して永く保持する特性を持つ。
雷管石を用意して魔力を込め、神殿に預ける。すると神殿には鑑定士が所属しており、番として相性のよい相手を込められた魔力から読み取り、繋いでくれるのだった。
「私はアルファだよ。宜しく」
「はぁ……。存じて、います」
首を傾げると、フロード様はにっこりと笑った。
握ったままの手を、軽く上下に振られる。
「シュカ。私は、呪いを受けてしまったことは不運ながら自業自得だと思っているけれど、君と出会えたことは幸運だったのかもしれない」
「…………は、い。僕も、こうやってフロード様と知り合えて嬉しいです」
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※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。
冤罪で追放された悪役令息、北の辺境で幸せを掴む~恐ろしいと噂の銀狼将軍に嫁いだら、極上の溺愛とモフモフなスローライフが始まりました~
水凪しおん
BL
「君は、俺の宝だ」
無実の罪を着せられ、婚約破棄の末に極寒の辺境へ追放された公爵令息ジュリアン。
彼を待ち受けていたのは、「北の食人狼」と恐れられる将軍グリーグとの政略結婚だった。
死を覚悟したジュリアンだったが、出会った将軍は、噂とは真逆の不器用で心優しいアルファで……?
前世の記憶を持つジュリアンは、現代知識と魔法でボロボロの要塞を快適リフォーム!
手作りスープで将軍の胃袋を掴み、特産品開発で街を救い、気づけば冷徹将軍から規格外の溺愛を受けることに。
一方、ジュリアンを捨てた王都では、破滅の足音が近づいていて――。
冤罪追放から始まる、銀狼将軍との幸せいっぱいな溺愛スローライフ、ここに開幕!
【オメガバース/ハッピーエンド/ざまぁあり/子育て/スパダリ】
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