38 / 47
ハロルド 見合い
しおりを挟む
ジュリアンは十六歳になると、カトリーナと正式に結婚した。式は王都の大聖堂で盛大に挙げられた。白い花嫁衣装に身を包むカトリーナは誰よりも美しく、ハロルドは遠くから彼女の幸せを胸の痛みと共に願った。
(これでよかったのかもしれない)
自分にとっても、カトリーナにとっても。
ハロルドはそう思うことで、前へ進むことにした。これまで彼女からもらった手紙や書きかけの恋文も、すべて捨てた。そうしてカトリーナのことを忘れるように仕事に没頭し、順調にその成果を認められていった。
そんな彼に、ある日見合い話が舞い込んできた。
相手は辺境伯の娘。王家の騎士団とは違い、独自の騎士団を持って力をつけている辺境伯を野放しにしないよう、王家の信頼が厚いハロルドの家と結びつけて、今一度国王への忠誠を誓わせるという狙いがあった。
いっそジュリアンの妻の一人に、という話もあったそうだが、大事な娘は一人の伴侶に嫁がせたいというリンドバーグ辺境伯たっての願いにより、クレッセン公爵がハロルドの家に持ちかけたのだ。
ハロルドに早く所帯を持たせたいという公爵の思惑もあったのだと思う。
どちらにせよハロルドが断る理由も特になく、相手のご令嬢と会うために、遠い辺境の地へと足を運んだ。
「は、初めまして。ヴェロニカと申します」
ハロルドとろくに視線を合わせぬ調子でその娘は挨拶をした。
ヴェロニカ・リンドバーグ。
十六になったばかりだという彼女はまだどこか幼く、宮廷の貴婦人とは程遠い印象を抱かせた。
しかし彼女の方からしても、自分は得体の知れない男だ。不安と緊張で上手く話せないのは当然かもしれない。
そう思ってハロルドは自分から彼女に話しかけた。年頃の娘が好む話。菓子や花。ヴェロニカはどれも真剣に耳を傾けてくれた。その様子があまりにも必死でハロルドは少しおかしかった。
「王都は、どんな所でしょうか」
「そうですね。ここよりは暖かく、過ごしやすいと思います」
せっかくだから、と城の外を案内してもらいながら話していたが、まだ所々に雪が残っていた。春先とは思えない光景だった。
「夏は暑いから大変かもしれませんが……」
「我慢しますわ」
きっぱりとした口調で彼女は答えた。足元から顔を上げれば、こちらを真っ直ぐと見つめる目とぶつかった。
冬の季節を思わせる澄んだ空に、肌を刺すような冷たい空気を和らげる日差しに照らされて、彼女の白い肌、背中まである黒髪が美しく輝いていた。
「ヴェロニカ様」
「何でしょう」
「王都は確かに過ごしやすい所ですが、恐ろしい所です」
彼女は不思議そうにハロルドを見つめた。どうしてそんな話をするかわからないのだろう。
「私と結婚するということは危険な目に遭う可能性もあります。それを踏まえて、この話を受けるかどうか、もう一度よく考えてほしいのです」
彼女の父親は娘思いだ。彼女がどうしても嫌だと言えば、きっと考え直してくれるだろう。
もしかすると、どこかで断ってほしいという思いもあったのかもしれない。そうすればカトリーナ一人を想い続けていられるから。
見合い相手を前に失礼なことを考えていたハロルドは自己嫌悪に陥った。やはりこんな調子で受け入れるべきではない。そう思ったハロルドに、ヴェロニカが「どうして」と声をかけた。
「ハロルド様は私が耐えられないと考えているようですが、それは違いますわ」
どこか怒ったような口調で、真っ黒な瞳は燃えるように輝いていた。目を逸らすことは許さないというに見つめられ、ハロルドは自ずと圧倒されていた。
「私はリンドバーグ辺境伯の娘です。彼の妻である女の娘です。騎士の夫になることがどういうことか、きちんと理解しています。あなたが危険を伴う仕事に就いていること、私が人の悪意に晒されて生きていくかもしれないこと、すべて覚悟した上で、私はあなたと結婚します」
すでに決定事項のように話すヴェロニカにハロルドはぎょっとする。
「そんなっ、もう一度よくお考えになられた方が……」
「もう決めましたの」
ヴェロニカははにかむように微笑んだ。そうすると気の強い顔立ちが、一気に可愛らしく見えた。
「それに夫婦というものは一方に守られるだけの関係ではありません。ハロルド様が危機に陥った時は、私が助けてみせます」
「それは、どうやって?」
「それは……」
と言って、ヴェロニカは言葉につまる。しばらく黙り込み、やがて「剣を振り回して?」と自信なさげに述べるので、ハロルドは思わず笑ってしまった。一気に娘の頬が赤くなる。
「あ、あの! 決して嘘ではなく、いざとなったら私が盾になってでもハロルド様を守るつもりですから!」
「そうですか。それは頼もしい」
笑ってしまったことを謝りながら、ハロルドは一つ訂正した。
「お気持ちは嬉しいですが、そこまでしてもらうほど、私は弱くはありませんよ」
「そ、そうですわね。ごめんなさい。私が言いたかったことは、つまりその……」
一生懸命言葉を探すヴェロニカを優しい気持ちで見つめながら、ハロルドはそっと彼女の手を取った。
「あなたには、私の帰りを待っていてもらいたい。お願いできますか」
ヴェロニカはしばし呆然とした様子でハロルドの顔を見ていたが、やがて何を当たり前のことを、と言いたげな顔をして、しっかりと頷いた。
「ええ、もちろんです。ですからハロルド様も、必ず帰ってきてください」
ヴェロニカの手がハロルドの指先を包み込んだ。冷たくなった指先が、彼女の体温でゆっくりと温まっていく。
(この娘となら――)
たった一度の出会いだったが、ハロルドはヴェロニカとの結婚を決めた。
(これでよかったのかもしれない)
自分にとっても、カトリーナにとっても。
ハロルドはそう思うことで、前へ進むことにした。これまで彼女からもらった手紙や書きかけの恋文も、すべて捨てた。そうしてカトリーナのことを忘れるように仕事に没頭し、順調にその成果を認められていった。
そんな彼に、ある日見合い話が舞い込んできた。
相手は辺境伯の娘。王家の騎士団とは違い、独自の騎士団を持って力をつけている辺境伯を野放しにしないよう、王家の信頼が厚いハロルドの家と結びつけて、今一度国王への忠誠を誓わせるという狙いがあった。
いっそジュリアンの妻の一人に、という話もあったそうだが、大事な娘は一人の伴侶に嫁がせたいというリンドバーグ辺境伯たっての願いにより、クレッセン公爵がハロルドの家に持ちかけたのだ。
ハロルドに早く所帯を持たせたいという公爵の思惑もあったのだと思う。
どちらにせよハロルドが断る理由も特になく、相手のご令嬢と会うために、遠い辺境の地へと足を運んだ。
「は、初めまして。ヴェロニカと申します」
ハロルドとろくに視線を合わせぬ調子でその娘は挨拶をした。
ヴェロニカ・リンドバーグ。
十六になったばかりだという彼女はまだどこか幼く、宮廷の貴婦人とは程遠い印象を抱かせた。
しかし彼女の方からしても、自分は得体の知れない男だ。不安と緊張で上手く話せないのは当然かもしれない。
そう思ってハロルドは自分から彼女に話しかけた。年頃の娘が好む話。菓子や花。ヴェロニカはどれも真剣に耳を傾けてくれた。その様子があまりにも必死でハロルドは少しおかしかった。
「王都は、どんな所でしょうか」
「そうですね。ここよりは暖かく、過ごしやすいと思います」
せっかくだから、と城の外を案内してもらいながら話していたが、まだ所々に雪が残っていた。春先とは思えない光景だった。
「夏は暑いから大変かもしれませんが……」
「我慢しますわ」
きっぱりとした口調で彼女は答えた。足元から顔を上げれば、こちらを真っ直ぐと見つめる目とぶつかった。
冬の季節を思わせる澄んだ空に、肌を刺すような冷たい空気を和らげる日差しに照らされて、彼女の白い肌、背中まである黒髪が美しく輝いていた。
「ヴェロニカ様」
「何でしょう」
「王都は確かに過ごしやすい所ですが、恐ろしい所です」
彼女は不思議そうにハロルドを見つめた。どうしてそんな話をするかわからないのだろう。
「私と結婚するということは危険な目に遭う可能性もあります。それを踏まえて、この話を受けるかどうか、もう一度よく考えてほしいのです」
彼女の父親は娘思いだ。彼女がどうしても嫌だと言えば、きっと考え直してくれるだろう。
もしかすると、どこかで断ってほしいという思いもあったのかもしれない。そうすればカトリーナ一人を想い続けていられるから。
見合い相手を前に失礼なことを考えていたハロルドは自己嫌悪に陥った。やはりこんな調子で受け入れるべきではない。そう思ったハロルドに、ヴェロニカが「どうして」と声をかけた。
「ハロルド様は私が耐えられないと考えているようですが、それは違いますわ」
どこか怒ったような口調で、真っ黒な瞳は燃えるように輝いていた。目を逸らすことは許さないというに見つめられ、ハロルドは自ずと圧倒されていた。
「私はリンドバーグ辺境伯の娘です。彼の妻である女の娘です。騎士の夫になることがどういうことか、きちんと理解しています。あなたが危険を伴う仕事に就いていること、私が人の悪意に晒されて生きていくかもしれないこと、すべて覚悟した上で、私はあなたと結婚します」
すでに決定事項のように話すヴェロニカにハロルドはぎょっとする。
「そんなっ、もう一度よくお考えになられた方が……」
「もう決めましたの」
ヴェロニカははにかむように微笑んだ。そうすると気の強い顔立ちが、一気に可愛らしく見えた。
「それに夫婦というものは一方に守られるだけの関係ではありません。ハロルド様が危機に陥った時は、私が助けてみせます」
「それは、どうやって?」
「それは……」
と言って、ヴェロニカは言葉につまる。しばらく黙り込み、やがて「剣を振り回して?」と自信なさげに述べるので、ハロルドは思わず笑ってしまった。一気に娘の頬が赤くなる。
「あ、あの! 決して嘘ではなく、いざとなったら私が盾になってでもハロルド様を守るつもりですから!」
「そうですか。それは頼もしい」
笑ってしまったことを謝りながら、ハロルドは一つ訂正した。
「お気持ちは嬉しいですが、そこまでしてもらうほど、私は弱くはありませんよ」
「そ、そうですわね。ごめんなさい。私が言いたかったことは、つまりその……」
一生懸命言葉を探すヴェロニカを優しい気持ちで見つめながら、ハロルドはそっと彼女の手を取った。
「あなたには、私の帰りを待っていてもらいたい。お願いできますか」
ヴェロニカはしばし呆然とした様子でハロルドの顔を見ていたが、やがて何を当たり前のことを、と言いたげな顔をして、しっかりと頷いた。
「ええ、もちろんです。ですからハロルド様も、必ず帰ってきてください」
ヴェロニカの手がハロルドの指先を包み込んだ。冷たくなった指先が、彼女の体温でゆっくりと温まっていく。
(この娘となら――)
たった一度の出会いだったが、ハロルドはヴェロニカとの結婚を決めた。
236
あなたにおすすめの小説
旦那様に学園時代の隠し子!? 娘のためフローレンスは笑う-昔の女は引っ込んでなさい!
恋せよ恋
恋愛
結婚五年目。
誰もが羨む夫婦──フローレンスとジョシュアの平穏は、
三歳の娘がつぶやいた“たった一言”で崩れ落ちた。
「キャ...ス...といっしょ?」
キャス……?
その名を知るはずのない我が子が、どうして?
胸騒ぎはやがて確信へと変わる。
夫が隠し続けていた“女の影”が、
じわりと家族の中に染み出していた。
だがそれは、いま目の前の裏切りではない。
学園卒業の夜──婚約前の学園時代の“あの過ち”。
その一夜の結果は、静かに、確実に、
フローレンスの家族を壊しはじめていた。
愛しているのに疑ってしまう。
信じたいのに、信じられない。
夫は嘘をつき続け、女は影のように
フローレンスの生活に忍び寄る。
──私は、この結婚を守れるの?
──それとも、すべてを捨ててしまうべきなの?
秘密、裏切り、嫉妬、そして母としての戦い。
真実が暴かれたとき、愛は修復か、崩壊か──。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 いいね❤️励みになります!ありがとうございます!
記憶を失くした彼女の手紙 消えてしまった完璧な令嬢と、王子の遅すぎた後悔の話
甘糖むい
恋愛
婚約者であるシェルニア公爵令嬢が記憶喪失となった。
王子はひっそりと喜んだ。これで愛するクロエ男爵令嬢と堂々と結婚できると。
その時、王子の元に一通の手紙が届いた。
そこに書かれていたのは3つの願いと1つの真実。
王子は絶望感に苛まれ後悔をする。
お飾りな妻は何を思う
湖月もか
恋愛
リーリアには二歳歳上の婚約者がいる。
彼は突然父が連れてきた少年で、幼い頃から美しい人だったが歳を重ねるにつれてより美しさが際立つ顔つきに。
次第に婚約者へ惹かれていくリーリア。しかし彼にとっては世間体のための結婚だった。
そんなお飾り妻リーリアとその夫の話。
月夜に散る白百合は、君を想う
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。
彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。
しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。
一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。
家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。
しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。
偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。
私が、良いと言ってくれるので結婚します
あべ鈴峰
恋愛
幼馴染のクリスと比較されて悲しい思いをしていたロアンヌだったが、突然現れたレグール様のプロポーズに 初対面なのに結婚を決意する。
しかし、その事を良く思わないクリスが・・。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
もう何も信じられない
ミカン♬
恋愛
ウェンディは同じ学年の恋人がいる。彼は伯爵令息のエドアルト。1年生の時に学園の図書室で出会って二人は友達になり、仲を育んで恋人に発展し今は卒業後の婚約を待っていた。
ウェンディは平民なのでエドアルトの家からは反対されていたが、卒業して互いに気持ちが変わらなければ婚約を認めると約束されたのだ。
その彼が他の令嬢に恋をしてしまったようだ。彼女はソーニア様。ウェンディよりも遥かに可憐で天使のような男爵令嬢。
「すまないけど、今だけ自由にさせてくれないか」
あんなに愛を囁いてくれたのに、もう彼の全てが信じられなくなった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる