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25、これから
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数日後。精神共にようやく少し落ち着いたブランシュのもとへ、ジョシュアが訪れた。
「陛下。わたくしを襲った男性のことを……エレオノール嬢のことを、教えてください」
ジョシュアの表情は強張ったが、ブランシュの目に隠し通すことはできないと諦めたのか、話し始めた。なるべく淡々と、まるで過去のブランシュと、今の彼女が違うというような口調で。
「ブランシュは、追いつめられた人間がどんなことでもすると、知らなかった」
ブランシュを襲った男は、貴族の次男坊で、ブランシュにひどく傾倒していたという。彼女のためなら何でもする。その心を利用して、ブランシュは男にエレオノールを襲わせた。
間一髪の所でマティアスが助けに入ったそうだが、エレオノールが受けた心の傷は深いものであった。
「やつは社交界への出入りを禁じられていたはずだが、知人の手を借りて上手く潜り込んだそうだ」
その知人、というのは挨拶の際、しつこく話しかけてきた夫人であった。彼女はエレオノールの親友であったらしい。友人を酷い目に遭わせられて、のうのうと幸せに浸っているブランシュが許せず、男に力を貸したそうだ。
「もう決しておまえに近づかないよう牢屋に閉じ込めたから……」
大丈夫だ、とジョシュアに言われてもブランシュの心は晴れなかった。
(彼女が襲われた時は有耶無耶になったのに、わたくしの時は捕まえられた)
きっと王女の仕業だと大事になり、世間にばれるのを恐れた父が上手く根回ししたのだろう。
「……どうして、今まで教えてくれなかったのですか」
「衝撃があまりにも大きいだろうと、医者から説明され、話し合って決めたのだ」
いっそ話してくれればよかった。そうすれば周りからなんと言われようが、あの部屋から一歩も出ようとしなかった。マティアスとあんなふうに……
(彼が話さなかったのも、わたくしのためだというの……?)
それとも後で突きつけて、ブランシュを打ちのめそうと考えていたのか。いっそそうだと言ってくれた方が、今のブランシュには救われる気がした。
ショックで呆然とするブランシュに、ジョシュアもまた苦しそうに言った。
「ブランシュ。危険な目に遭わせて、本当にすまなかった」
「謝る必要は、ありません」
巡り巡って、過去の罪が自分に降りかかっただけ。因果応報だ。
「陛下」
「なんだ」
「わたくしを塔に閉じ込めてください」
妹の提案に兄は黙った。
「なぜ」
「なぜ? だって、そうでしょう。わたくしみたいな人間は、人と関わらせてはいけません」
むしろなぜもっと早くそうしなかったのか、ブランシュはジョシュアを責めてしまいそうになった。悪人は野放しにしてはいけなかった。また同じ過ちを繰り返すのだから。
「……おまえを幽閉することを父上は気の毒に思った。昔から身体が弱く、ろくに外へ出ることもできず、部屋の中に閉じ込められていたおまえがようやく丈夫な体を持って外の世界を知ることができるようになったのに、また同じ苦しみを味わわせることは……おまえを何より愛している父上には、どうしてもできなかったのだ」
彼女は俯き、緩く首を振った。
「あんなことをしてしまうくらいなら……外の世界など一生教えなければよかった」
「ブランシュ。父上は、」
「もう、父上はおりません。わたくしも、もう外へ出たいとは思いません」
ブランシュの頑なな態度にジョシュアは再度、閉口した。長い沈黙の後、ぽつりと呟く。
「マティアスはどうする」
「離縁して下さい」
「今さらか?」
今さらだ。でも、このままずっと彼を縛り付けておくより、ずっといい。
「彼はわたくしには、もったいない方です。今からでももっと、相応しい女性と幸せになってもらいたいのです」
「それが彼の人生を狂わした責任の取り方か?」
くっ、と顔を上げる。
「では、わたくしはどうすればいいのです?」
教えてくれ、と縋る妹の目を兄は逸らさず、真っ直ぐと見つめ返した。
「何が正しいのか、私にもわからない。けれど狂わせてしまったのならば、おまえが最後まで彼に寄り添うことも、一つの答えなんじゃないか」
ブランシュも、そう思っていた。襲われるまでは。
(あんなことをしても、わたくしは彼の隣にいていいの……?)
許されるというのか。
(許されるはずがない……!)
「……とにかく、今はゆっくり休め」
ブランシュはまだ何か言わなくては、と思ったが、結局か細い声ではいと返事をした。ジョシュアが立ち上がり、改めて妹の青紫色になった頬を痛ましそうに見つめた。
「女性に手を挙げるなど……」
ブランシュは大丈夫だと、視線を合わせず答えた。その姿があまりにも頼りなく、今にも倒れそうに見えたからだろうか。ジョシュアが近寄って、励まそうとした。しかし伸ばされる手に恐怖を覚え、彼女は大げさに身体を引いてしまった。
「あ……」
ジョシュアの驚き、傷ついた顔に、ブランシュは真っ青になった。
「ご、ごめんなさい」
「……いや、私も配慮が足りなかった」
事情を知りたくて兄と対面したが、本当はまだ男性と会うことに恐怖を覚えていた。兄といっても、記憶を失った今ではただの他人でしかない。
その事実を今ありありと突きつけられ、ジョシュアもブランシュも押し黙った。
「とにかく、マティアスの気持ちも考えて、答えを出すんだ」
早まった考えはやめろ、と忠告すると、ジョシュアは部屋を出て行く。入れ替わるかたちで、マティアスが入ってきた。
「ブランシュ」
「公爵……」
彼はブランシュのもとへ来ると、隣に座り、気遣うように顔を見つめてきた。
「陛下とのお話は終わりましたか」
「ええ……」
「何か、気にかかることでも?」
ふるふると首を横に振る。それでもマティアスはもどかしげにブランシュを見つめてくる。しかし無理に聞き出そうとはせず、そっと彼女を抱き寄せた。彼の匂いにブランシュは落ち着き、ゆっくりと身を預ける。
マティアスだけはそばにいても平気だった。触れられても嫌ではなかった。ひどく、安心する。
――そう思う自分が、とても嫌だった。
「何かあったら、話してくださいね」
「ええ。ありがとう……」
マティアスの優しさが、辛かった。
「陛下。わたくしを襲った男性のことを……エレオノール嬢のことを、教えてください」
ジョシュアの表情は強張ったが、ブランシュの目に隠し通すことはできないと諦めたのか、話し始めた。なるべく淡々と、まるで過去のブランシュと、今の彼女が違うというような口調で。
「ブランシュは、追いつめられた人間がどんなことでもすると、知らなかった」
ブランシュを襲った男は、貴族の次男坊で、ブランシュにひどく傾倒していたという。彼女のためなら何でもする。その心を利用して、ブランシュは男にエレオノールを襲わせた。
間一髪の所でマティアスが助けに入ったそうだが、エレオノールが受けた心の傷は深いものであった。
「やつは社交界への出入りを禁じられていたはずだが、知人の手を借りて上手く潜り込んだそうだ」
その知人、というのは挨拶の際、しつこく話しかけてきた夫人であった。彼女はエレオノールの親友であったらしい。友人を酷い目に遭わせられて、のうのうと幸せに浸っているブランシュが許せず、男に力を貸したそうだ。
「もう決しておまえに近づかないよう牢屋に閉じ込めたから……」
大丈夫だ、とジョシュアに言われてもブランシュの心は晴れなかった。
(彼女が襲われた時は有耶無耶になったのに、わたくしの時は捕まえられた)
きっと王女の仕業だと大事になり、世間にばれるのを恐れた父が上手く根回ししたのだろう。
「……どうして、今まで教えてくれなかったのですか」
「衝撃があまりにも大きいだろうと、医者から説明され、話し合って決めたのだ」
いっそ話してくれればよかった。そうすれば周りからなんと言われようが、あの部屋から一歩も出ようとしなかった。マティアスとあんなふうに……
(彼が話さなかったのも、わたくしのためだというの……?)
それとも後で突きつけて、ブランシュを打ちのめそうと考えていたのか。いっそそうだと言ってくれた方が、今のブランシュには救われる気がした。
ショックで呆然とするブランシュに、ジョシュアもまた苦しそうに言った。
「ブランシュ。危険な目に遭わせて、本当にすまなかった」
「謝る必要は、ありません」
巡り巡って、過去の罪が自分に降りかかっただけ。因果応報だ。
「陛下」
「なんだ」
「わたくしを塔に閉じ込めてください」
妹の提案に兄は黙った。
「なぜ」
「なぜ? だって、そうでしょう。わたくしみたいな人間は、人と関わらせてはいけません」
むしろなぜもっと早くそうしなかったのか、ブランシュはジョシュアを責めてしまいそうになった。悪人は野放しにしてはいけなかった。また同じ過ちを繰り返すのだから。
「……おまえを幽閉することを父上は気の毒に思った。昔から身体が弱く、ろくに外へ出ることもできず、部屋の中に閉じ込められていたおまえがようやく丈夫な体を持って外の世界を知ることができるようになったのに、また同じ苦しみを味わわせることは……おまえを何より愛している父上には、どうしてもできなかったのだ」
彼女は俯き、緩く首を振った。
「あんなことをしてしまうくらいなら……外の世界など一生教えなければよかった」
「ブランシュ。父上は、」
「もう、父上はおりません。わたくしも、もう外へ出たいとは思いません」
ブランシュの頑なな態度にジョシュアは再度、閉口した。長い沈黙の後、ぽつりと呟く。
「マティアスはどうする」
「離縁して下さい」
「今さらか?」
今さらだ。でも、このままずっと彼を縛り付けておくより、ずっといい。
「彼はわたくしには、もったいない方です。今からでももっと、相応しい女性と幸せになってもらいたいのです」
「それが彼の人生を狂わした責任の取り方か?」
くっ、と顔を上げる。
「では、わたくしはどうすればいいのです?」
教えてくれ、と縋る妹の目を兄は逸らさず、真っ直ぐと見つめ返した。
「何が正しいのか、私にもわからない。けれど狂わせてしまったのならば、おまえが最後まで彼に寄り添うことも、一つの答えなんじゃないか」
ブランシュも、そう思っていた。襲われるまでは。
(あんなことをしても、わたくしは彼の隣にいていいの……?)
許されるというのか。
(許されるはずがない……!)
「……とにかく、今はゆっくり休め」
ブランシュはまだ何か言わなくては、と思ったが、結局か細い声ではいと返事をした。ジョシュアが立ち上がり、改めて妹の青紫色になった頬を痛ましそうに見つめた。
「女性に手を挙げるなど……」
ブランシュは大丈夫だと、視線を合わせず答えた。その姿があまりにも頼りなく、今にも倒れそうに見えたからだろうか。ジョシュアが近寄って、励まそうとした。しかし伸ばされる手に恐怖を覚え、彼女は大げさに身体を引いてしまった。
「あ……」
ジョシュアの驚き、傷ついた顔に、ブランシュは真っ青になった。
「ご、ごめんなさい」
「……いや、私も配慮が足りなかった」
事情を知りたくて兄と対面したが、本当はまだ男性と会うことに恐怖を覚えていた。兄といっても、記憶を失った今ではただの他人でしかない。
その事実を今ありありと突きつけられ、ジョシュアもブランシュも押し黙った。
「とにかく、マティアスの気持ちも考えて、答えを出すんだ」
早まった考えはやめろ、と忠告すると、ジョシュアは部屋を出て行く。入れ替わるかたちで、マティアスが入ってきた。
「ブランシュ」
「公爵……」
彼はブランシュのもとへ来ると、隣に座り、気遣うように顔を見つめてきた。
「陛下とのお話は終わりましたか」
「ええ……」
「何か、気にかかることでも?」
ふるふると首を横に振る。それでもマティアスはもどかしげにブランシュを見つめてくる。しかし無理に聞き出そうとはせず、そっと彼女を抱き寄せた。彼の匂いにブランシュは落ち着き、ゆっくりと身を預ける。
マティアスだけはそばにいても平気だった。触れられても嫌ではなかった。ひどく、安心する。
――そう思う自分が、とても嫌だった。
「何かあったら、話してくださいね」
「ええ。ありがとう……」
マティアスの優しさが、辛かった。
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