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17、逃げ出す
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「奥様。今日はとても天気がいいですわ。散歩でも行きませんか?」
日がな一日部屋に籠ってぼうっとしているセシリアを気遣い、タバサがそう提案した。
しかしセシリアは曖昧に微笑んで、今日も外出しない意思を伝える。
「外は暑いもの。室内で読書したりして過ごすわ」
「そうですか……」
見るからにがっかりした様子のタバサにちくりと胸が痛むものの、セシリアは発言を撤回することはしなかった。
このところずっと鬱々とした気持ちを抱えている。何をしても気が晴れないし、何もする気になれなかった。
そんな自分の様子にタバサや他の使用人たちが気を揉んでいることにもきちんと気づいていた。
「旦那様も、奥様のことを心配なさっていました」
「……そう」
嘘だ、とセシリアは心の中で返した。そんな反抗的な気持ちが顔に出ていたのか、タバサがさらに力説する。
「本当ですよ? 食事も、奥様が好きなものを中心に作るよう命じられて、私たちにも奥様の体調には十分気を配るようおっしゃっているんですから」
「ええ、わかっているわ……」
タバサの言葉を疑っているわけではなかったし、本当に彼女の言う通り、クライヴはセシリアのことを気にかけているのだろう。
でもそれは、セシリアが公爵家の妻であり、子を産んでもらわなければならない立場にあるからだ。
(だからあの時も、 あんなことしたのよ)
ハンスのいる部屋の隣で、おまえたちの恋はどうあっても叶わないと現実を突きつけるために。
(ハンスに助けに来てほしいって思ったのは、確かに今思うと、失礼だったと思うけど……)
クライヴの行いをはっきりと拒絶できなかったのは、ハンスへのそうした気持ちを見透かされて、後ろめたくもあったからだ。
(でも、そんなことしなくても、もうとっくに終わっていたのに……)
余計なことをせずとも、何も間違いは起こらなかった。
自分を信じてくれなかったクライヴの行いに傷つきもしたが、心のどこかで仕方がないと諦めた気持ちもあった。
セシリアがクライヴの考えていることがわからず、自分とは違う世界の人間なのだと、結婚した今でも思うように、彼もまた妻を完璧に自分の支配下に置かないと管理しきれない存在だと危惧しているのだろう。
それはクライヴだけでなく、タバサやハンスとのやり取りを報告したと思われる御者など、彼に仕える人々にも共通している。もちろん彼らはセシリアに敬意を示してくれるし、心配する気持ちもある。だが彼らが仕えているのは、やはりクライヴなのだ。
それが今回のことで浮き彫りになり、セシリアは裏切られたような、寂しい気持ちになった。これが当たり前なのだと受け入れて今後生活していかなければならないことにも、疲れを覚えるのだった。
◆
タバサの思いに何とか応えないといけないと思いつつ、セシリアはその後も部屋で一日を終えた。次の日の午後も、そうするつもりだった。
「では奥様。何かありましたら、お呼びください」
頭を下げて、タバサが部屋を出て行く。
当初は何かあった時のために同じ部屋で控えていたのだが、セシリアがずっと読書に耽っており、飲み物を持ってきてほしいなどの要望も出さないので、この時間はいつも他のメイドの手伝いをするようになった。王都の屋敷なら大勢使用人がいるのだが、連れてきたのは最低限であったので、人手はいくらあっても困らないそうだ。
(何だか本を読むのも飽きてしまったわ……)
伯爵家ではあまり読むのを推奨されなかった恋愛小説を脇に置き、セシリアはソファから立ち上がると、外へと目をやった。
(そういえばこの部屋、バルコニーがあったのよね)
今セシリアがいる場所は、三階の東側、本棚や書き物机が置かれた部屋である。
田舎の涼しい地域とはいえ、三階となれば暑く、そのためか外の空気が入ってくるようガラス扉が僅かに開けられていた。
これまでは特に気にならず、きっと見慣れた光景が広がっているだけだとバルコニーへ降りたこともなかった。
しかし今は読書にも飽きてしまい、セシリアは何となく外へ出てみた。
(やっぱり森ばっかりね……)
三階なので遠くまでよく見える。
(あ、あそこ開けているわ……)
穴が空いたようにぽっかりと木が生えていない場所を見つける。建物があるのだろうか。
少し興味が湧いて、もっとよく見たいと目を凝らす。
散歩に行くついでに見てこようか。
(……でも散歩には、誰かついてくるわよね)
やはり気が進まず、どのみち今日は一日部屋で過ごすとタバサに言ってしまった。急に予定を変えては迷惑がられるだろう。
諦めて読書の続きをしようと部屋へ戻ろうとしたセシリアは、バルコニーの隅に目を留めた。
(階段がある)
火事が起きた時などのために設置したのか、外用の階段が壁に這うようにして備え付けられてあった。
ふと、このまま逃げてしまおうかという誘惑に駆られた。
(何を考えているの)
逃げるといっても、どこへ逃げるというのだ。
自分の家にだって居場所はなかったというのに。それに突然いなくなったとすれば、タバサやクライヴに迷惑をかける。
(でも、ほんの少しの時間なら……)
そう。何も永遠に帰ってこないわけではない。その辺を少し散歩するくらいなら、誰にもばれないのではないか。誰にも内緒で外へ行きたい。
気まぐれな思いつきはとても魅力的な案に思えた。
(よし)
セシリアはそのまま階段を下りようとして、やはり足を止めた。部屋の中へ入り、書き物机に置かれた紙にペンを走らせる。
『急に散歩がしたくなり、外出しています。すぐに戻りますので、どうか心配せずに待っていてください。――セシリア』
万が一、タバサが部屋へやってきた時、大慌てしないようメモを書き記しておく。風で飛ばされないよう本を重しにすると、また外へ出て、今度こそ階段を下り始めた。
ルームシューズを汚してしまうことが申し訳ないが、靴下を汚せばすぐにばれて事情を話す羽目になってしまう。
(無事に戻ることができたら、今履いているのは戸棚の後ろにでも隠して、替えのシューズに履き替えなくちゃ)
一段ずつ慎重に下りながらセシリアはそんなことを考えた。階段は隙間から下が容赦なく見え、正直少し怖い。
でも昔は自分の背丈よりうんと高い木に登って、そこから飛び降りたこともあった。それらと比べれば、手すりもあるし、安全だ。
何より地上へ近づくにつれて、高揚感が湧き起こる。
(着いた!)
誰にも見咎められることなく、セシリアは無事に一階まで下りることができた。周りは草木が植わっており、自分の姿もすっぽりと覆い隠してしまう。
ここで満足して、もう戻るべきか。――いや、さらに進みたい。
セシリアは木陰に身を隠しながら、足早に敷地の外へ向かう。正面からではなく、少し外れた場所に人一人通れるほどの抜け穴を見つけ、口元に笑みを浮かべた。
そしていよいよ屋敷の塀を越えることができると、少しだけ屋敷を振り返り、また前を向いて歩き続けて、次第に小走りになり、やがて全速力で雑木林の中を駆け抜けていく。
木漏れ日が眩しくて、頬に当たる風が気持ちいい。滲んでくる汗に、苦しくなってくる呼吸にさえ、不快感ではなく嬉しさを覚えてしまう。今自分は生きているのだ。
部屋を抜け出した興奮であまり考えずに走っていたが、セシリアは視界の先が開けてくることに気づいた。走る速度をだんだん落としていき、やがて――
(わぁ……)
目の前に広がる水面に目を奪われた。
地下水が自然に地表へ湧き出てできたものと思われる泉だった。
(きれい……)
自分の故郷にこんな場所があるなんて、セシリアは今まで知らなかった。
近くまで寄って、水の中を覗き込む。自分の顔が鏡のように映り、手を浸せば冷たくて気持ちいい。
しゃがんでしばらく輝く水面を眺めていたが、日差しが少しきつく感じたので、立ち上がって木の下へ移動する。
柔らかな草の上に座り、太い幹に背中を委ねる。ここへ来るまで全速力で走ってきたからか、少し疲れてしまった。
(あと少し休憩したら戻ろう……)
重い瞼を閉じながらそう心に留める。そよそよと吹く風が心地よく、鳥の囀りが子守歌に聞こえてくる。
目を開けるのがひどく億劫で、何も考えない時間が続いた。
――次に目を覚ました時、セシリアは仰天する。
いつの間にか太陽は傾きかけており、夕方になっていたからだ。
(いけない!)
少し休憩するつもりが、かなり長く眠ってしまったようだ。
身体が強張っていたものの、セシリアは慌てて立ち上がって屋敷へ戻り始める。
(タバサにばれていたらどうしよう!)
出てきた時は、ばれてもいいやという気持ちだったが、いざその可能性が高まると生きた心地がしない。
焦りながらもどうにか屋敷に着き、抜け穴を通って階段を急いで駆け上がり、バルコニーで服の裾やお尻を叩き、ルームシューズを脱いで部屋の中へ入ると、空箱を見つけてそこへ汚れたルームシューズを入れ、戸棚の隅に隠した。
「奥様、タバサです。喉が渇いていませんか? お茶をお持ちしました」
まるで見計らったようにタバサの声が聞こえ、セシリアはびくっとした。じゃっかん声が上擦ったものの、セシリアは入ることを許可する。その間、部屋に置いてあった新しいルームシューズに素早く履き替えるのを忘れなかった。
「あら奥様……」
自分を見て目を丸くするタバサにどきりとする。
(まさか外出したことがばれてしまった⁉)
「寝ていらしたのですか?」
「え?」
「髪が乱れていますから」
「あっ、そ、そうなの! 本を読んでいるうちに眠くなってしまって、ぐっすり眠ったせいか汗もかいてしまって……」
寝ていたのは本当であるが、恐らく汗だくで走ってきたのが一番の原因だ。
もちろんそんなことは言えず、いつになくじっと見つめてくるタバサにセシリアは心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほど緊張する。
(やっぱり、ばれるかな。いっそ正直に打ち明ける?)
そしてセシリアは重大な見落としに気づく。タバサへの書置きをそのままにしていたのだ。
もう終わりだ、と絶望すると同時に、ふっとタバサが相好を崩した。
「では先に湯浴みの準備をしますね」
「え?」
「汗をかいては気分が悪いでしょう? その後に何か冷たいものを召し上がってはどうですか? 甘い物も一緒に」
タバサの優しい表情に、セシリアは呆けた様子のまま頷いた。
彼女は笑顔で承諾し、さっそく準備をしてくると言って部屋を一度出て行った。
セシリアはほっと安堵の息を吐くと、机に置いてある書置きを手に取り、四つ折りにすると抽斗の中に仕舞った。
(なんとかばれずに済んだわ……)
安心して、笑ってしまった。
日がな一日部屋に籠ってぼうっとしているセシリアを気遣い、タバサがそう提案した。
しかしセシリアは曖昧に微笑んで、今日も外出しない意思を伝える。
「外は暑いもの。室内で読書したりして過ごすわ」
「そうですか……」
見るからにがっかりした様子のタバサにちくりと胸が痛むものの、セシリアは発言を撤回することはしなかった。
このところずっと鬱々とした気持ちを抱えている。何をしても気が晴れないし、何もする気になれなかった。
そんな自分の様子にタバサや他の使用人たちが気を揉んでいることにもきちんと気づいていた。
「旦那様も、奥様のことを心配なさっていました」
「……そう」
嘘だ、とセシリアは心の中で返した。そんな反抗的な気持ちが顔に出ていたのか、タバサがさらに力説する。
「本当ですよ? 食事も、奥様が好きなものを中心に作るよう命じられて、私たちにも奥様の体調には十分気を配るようおっしゃっているんですから」
「ええ、わかっているわ……」
タバサの言葉を疑っているわけではなかったし、本当に彼女の言う通り、クライヴはセシリアのことを気にかけているのだろう。
でもそれは、セシリアが公爵家の妻であり、子を産んでもらわなければならない立場にあるからだ。
(だからあの時も、 あんなことしたのよ)
ハンスのいる部屋の隣で、おまえたちの恋はどうあっても叶わないと現実を突きつけるために。
(ハンスに助けに来てほしいって思ったのは、確かに今思うと、失礼だったと思うけど……)
クライヴの行いをはっきりと拒絶できなかったのは、ハンスへのそうした気持ちを見透かされて、後ろめたくもあったからだ。
(でも、そんなことしなくても、もうとっくに終わっていたのに……)
余計なことをせずとも、何も間違いは起こらなかった。
自分を信じてくれなかったクライヴの行いに傷つきもしたが、心のどこかで仕方がないと諦めた気持ちもあった。
セシリアがクライヴの考えていることがわからず、自分とは違う世界の人間なのだと、結婚した今でも思うように、彼もまた妻を完璧に自分の支配下に置かないと管理しきれない存在だと危惧しているのだろう。
それはクライヴだけでなく、タバサやハンスとのやり取りを報告したと思われる御者など、彼に仕える人々にも共通している。もちろん彼らはセシリアに敬意を示してくれるし、心配する気持ちもある。だが彼らが仕えているのは、やはりクライヴなのだ。
それが今回のことで浮き彫りになり、セシリアは裏切られたような、寂しい気持ちになった。これが当たり前なのだと受け入れて今後生活していかなければならないことにも、疲れを覚えるのだった。
◆
タバサの思いに何とか応えないといけないと思いつつ、セシリアはその後も部屋で一日を終えた。次の日の午後も、そうするつもりだった。
「では奥様。何かありましたら、お呼びください」
頭を下げて、タバサが部屋を出て行く。
当初は何かあった時のために同じ部屋で控えていたのだが、セシリアがずっと読書に耽っており、飲み物を持ってきてほしいなどの要望も出さないので、この時間はいつも他のメイドの手伝いをするようになった。王都の屋敷なら大勢使用人がいるのだが、連れてきたのは最低限であったので、人手はいくらあっても困らないそうだ。
(何だか本を読むのも飽きてしまったわ……)
伯爵家ではあまり読むのを推奨されなかった恋愛小説を脇に置き、セシリアはソファから立ち上がると、外へと目をやった。
(そういえばこの部屋、バルコニーがあったのよね)
今セシリアがいる場所は、三階の東側、本棚や書き物机が置かれた部屋である。
田舎の涼しい地域とはいえ、三階となれば暑く、そのためか外の空気が入ってくるようガラス扉が僅かに開けられていた。
これまでは特に気にならず、きっと見慣れた光景が広がっているだけだとバルコニーへ降りたこともなかった。
しかし今は読書にも飽きてしまい、セシリアは何となく外へ出てみた。
(やっぱり森ばっかりね……)
三階なので遠くまでよく見える。
(あ、あそこ開けているわ……)
穴が空いたようにぽっかりと木が生えていない場所を見つける。建物があるのだろうか。
少し興味が湧いて、もっとよく見たいと目を凝らす。
散歩に行くついでに見てこようか。
(……でも散歩には、誰かついてくるわよね)
やはり気が進まず、どのみち今日は一日部屋で過ごすとタバサに言ってしまった。急に予定を変えては迷惑がられるだろう。
諦めて読書の続きをしようと部屋へ戻ろうとしたセシリアは、バルコニーの隅に目を留めた。
(階段がある)
火事が起きた時などのために設置したのか、外用の階段が壁に這うようにして備え付けられてあった。
ふと、このまま逃げてしまおうかという誘惑に駆られた。
(何を考えているの)
逃げるといっても、どこへ逃げるというのだ。
自分の家にだって居場所はなかったというのに。それに突然いなくなったとすれば、タバサやクライヴに迷惑をかける。
(でも、ほんの少しの時間なら……)
そう。何も永遠に帰ってこないわけではない。その辺を少し散歩するくらいなら、誰にもばれないのではないか。誰にも内緒で外へ行きたい。
気まぐれな思いつきはとても魅力的な案に思えた。
(よし)
セシリアはそのまま階段を下りようとして、やはり足を止めた。部屋の中へ入り、書き物机に置かれた紙にペンを走らせる。
『急に散歩がしたくなり、外出しています。すぐに戻りますので、どうか心配せずに待っていてください。――セシリア』
万が一、タバサが部屋へやってきた時、大慌てしないようメモを書き記しておく。風で飛ばされないよう本を重しにすると、また外へ出て、今度こそ階段を下り始めた。
ルームシューズを汚してしまうことが申し訳ないが、靴下を汚せばすぐにばれて事情を話す羽目になってしまう。
(無事に戻ることができたら、今履いているのは戸棚の後ろにでも隠して、替えのシューズに履き替えなくちゃ)
一段ずつ慎重に下りながらセシリアはそんなことを考えた。階段は隙間から下が容赦なく見え、正直少し怖い。
でも昔は自分の背丈よりうんと高い木に登って、そこから飛び降りたこともあった。それらと比べれば、手すりもあるし、安全だ。
何より地上へ近づくにつれて、高揚感が湧き起こる。
(着いた!)
誰にも見咎められることなく、セシリアは無事に一階まで下りることができた。周りは草木が植わっており、自分の姿もすっぽりと覆い隠してしまう。
ここで満足して、もう戻るべきか。――いや、さらに進みたい。
セシリアは木陰に身を隠しながら、足早に敷地の外へ向かう。正面からではなく、少し外れた場所に人一人通れるほどの抜け穴を見つけ、口元に笑みを浮かべた。
そしていよいよ屋敷の塀を越えることができると、少しだけ屋敷を振り返り、また前を向いて歩き続けて、次第に小走りになり、やがて全速力で雑木林の中を駆け抜けていく。
木漏れ日が眩しくて、頬に当たる風が気持ちいい。滲んでくる汗に、苦しくなってくる呼吸にさえ、不快感ではなく嬉しさを覚えてしまう。今自分は生きているのだ。
部屋を抜け出した興奮であまり考えずに走っていたが、セシリアは視界の先が開けてくることに気づいた。走る速度をだんだん落としていき、やがて――
(わぁ……)
目の前に広がる水面に目を奪われた。
地下水が自然に地表へ湧き出てできたものと思われる泉だった。
(きれい……)
自分の故郷にこんな場所があるなんて、セシリアは今まで知らなかった。
近くまで寄って、水の中を覗き込む。自分の顔が鏡のように映り、手を浸せば冷たくて気持ちいい。
しゃがんでしばらく輝く水面を眺めていたが、日差しが少しきつく感じたので、立ち上がって木の下へ移動する。
柔らかな草の上に座り、太い幹に背中を委ねる。ここへ来るまで全速力で走ってきたからか、少し疲れてしまった。
(あと少し休憩したら戻ろう……)
重い瞼を閉じながらそう心に留める。そよそよと吹く風が心地よく、鳥の囀りが子守歌に聞こえてくる。
目を開けるのがひどく億劫で、何も考えない時間が続いた。
――次に目を覚ました時、セシリアは仰天する。
いつの間にか太陽は傾きかけており、夕方になっていたからだ。
(いけない!)
少し休憩するつもりが、かなり長く眠ってしまったようだ。
身体が強張っていたものの、セシリアは慌てて立ち上がって屋敷へ戻り始める。
(タバサにばれていたらどうしよう!)
出てきた時は、ばれてもいいやという気持ちだったが、いざその可能性が高まると生きた心地がしない。
焦りながらもどうにか屋敷に着き、抜け穴を通って階段を急いで駆け上がり、バルコニーで服の裾やお尻を叩き、ルームシューズを脱いで部屋の中へ入ると、空箱を見つけてそこへ汚れたルームシューズを入れ、戸棚の隅に隠した。
「奥様、タバサです。喉が渇いていませんか? お茶をお持ちしました」
まるで見計らったようにタバサの声が聞こえ、セシリアはびくっとした。じゃっかん声が上擦ったものの、セシリアは入ることを許可する。その間、部屋に置いてあった新しいルームシューズに素早く履き替えるのを忘れなかった。
「あら奥様……」
自分を見て目を丸くするタバサにどきりとする。
(まさか外出したことがばれてしまった⁉)
「寝ていらしたのですか?」
「え?」
「髪が乱れていますから」
「あっ、そ、そうなの! 本を読んでいるうちに眠くなってしまって、ぐっすり眠ったせいか汗もかいてしまって……」
寝ていたのは本当であるが、恐らく汗だくで走ってきたのが一番の原因だ。
もちろんそんなことは言えず、いつになくじっと見つめてくるタバサにセシリアは心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほど緊張する。
(やっぱり、ばれるかな。いっそ正直に打ち明ける?)
そしてセシリアは重大な見落としに気づく。タバサへの書置きをそのままにしていたのだ。
もう終わりだ、と絶望すると同時に、ふっとタバサが相好を崩した。
「では先に湯浴みの準備をしますね」
「え?」
「汗をかいては気分が悪いでしょう? その後に何か冷たいものを召し上がってはどうですか? 甘い物も一緒に」
タバサの優しい表情に、セシリアは呆けた様子のまま頷いた。
彼女は笑顔で承諾し、さっそく準備をしてくると言って部屋を一度出て行った。
セシリアはほっと安堵の息を吐くと、机に置いてある書置きを手に取り、四つ折りにすると抽斗の中に仕舞った。
(なんとかばれずに済んだわ……)
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