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第15章
第2話(4)
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業を煮やした男が、野太い威嚇の唸りをあげて藤川の頸部に強烈な蹴りを叩きこむ。日頃から鍛練を積んでいる鍛え上げられた体躯の持ち主である。あそこまで加減なしの力で攻撃されれば、普通ならばひとたまりもないはずだった。首の骨など一瞬で折れて、即死してもおかしくはなかっただろう。だが。
藤川は蹴られた反動で、わずかによろけただけだった。
わずかによろけながらも叩きこまれた蹴りをしっかりと受け止め、その足を無造作に掴んだ。痛みを感じた様子もなく、闘争心を剥き出しにするわけでもない。ぼんやりとその場に佇んだまま、直後にその腕を大きく振り払った。信じがたいことに、筋肉に鎧われた男の巨躯が、そのひと振りで宙を飛んだ。
リングの四方を固めるコーナーに、男は頭から突っこんでいく。ガツン、という嫌な音は、客席後方に座る群司の耳にまで届いた。同時に、他の観客からも悲鳴やどよめきが起こった。コーナーポストに突っこんだ男の頭から、勢いよく鮮血が吹き出していた。
頭を抱えこむように転がった男は、気を失うまでには至らなかったのかヨロヨロとした動きで身を起こそうとする。だが次の瞬間、顔を上げたところでヒッと喉を鳴らした。のっそりと近づいた藤川が、男の目の前に立っていた。
その姿を目にした途端、顔半分を真っ赤に塗らした男の顔が恐怖に歪んだ。そこから先は、見るに堪えない残虐なシーンの連続となった。
藤川の表情に、なんら変化は見られない。感情の消えた虚ろな瞳はなにも映さず、人形のように、ただそこにあるだけだった。それでも標的としてとらえた相手を、感情や意思とは切り離された『本能』に支配されるまま攻撃対象と見做す。
男の腕をとって無理やり引き起こした藤川は、その躰をロープに向かって投げ飛ばし、跳ね返ってきたタイミングで飛び蹴りをくらわせた。リングに叩きつけられる衝撃で、鮮血がふたたびリングに飛び散る。もはや起き上がることさえできないその背中めがけて立てつづけにコーナーポストの上から飛び降り、さらには、後ろ手に捻り上げた腕にそのまま力を加えて肩の関節をはずした。絶叫を放って男がのたうちまわるところをすぐさま押さえこんで、今度は顔面を拳でつける。一度では済まず、サンドバッグのように執拗に繰り返すうち、見る間に腫れ上がった顔は原形を失っていった。
それは、試合などと呼べるものではなく、一方的な暴力――否、殺戮だった。
観客の中には当然、女性も相当数交じっていたが、だれひとり目の前の光景に恐怖する様子はなく、むしろ悲鳴をあげながらも嬉々とした様子で釘付けになっていた。
常軌を逸した状況に、群司は戦慄した。リングの上で行われていることだけではない。この場にいる群司以外のすべての人間が、その瞳に狂気を宿しているように見えた。
『幸福』という名の薬物に、身も心も汚染された狂人たちの集まり。
群司は立ち上がり、後方の扉から会場を抜け出した。これ以上この場に留まることはできなかった。
子供の死を嘆き悲しむ、ごく普通の父親にすぎなかった平凡な男を一瞬で怪物に変えた最新版のフェリス。
心の裡を恐怖と焦燥が満たしていた。
天城瑠唯は、如月をこのイベントに『参加』させると言っていた。それはつまり、如月もまた、あの舞台の上で実験台にされるということで間違いないだろう。
藤川は蹴られた反動で、わずかによろけただけだった。
わずかによろけながらも叩きこまれた蹴りをしっかりと受け止め、その足を無造作に掴んだ。痛みを感じた様子もなく、闘争心を剥き出しにするわけでもない。ぼんやりとその場に佇んだまま、直後にその腕を大きく振り払った。信じがたいことに、筋肉に鎧われた男の巨躯が、そのひと振りで宙を飛んだ。
リングの四方を固めるコーナーに、男は頭から突っこんでいく。ガツン、という嫌な音は、客席後方に座る群司の耳にまで届いた。同時に、他の観客からも悲鳴やどよめきが起こった。コーナーポストに突っこんだ男の頭から、勢いよく鮮血が吹き出していた。
頭を抱えこむように転がった男は、気を失うまでには至らなかったのかヨロヨロとした動きで身を起こそうとする。だが次の瞬間、顔を上げたところでヒッと喉を鳴らした。のっそりと近づいた藤川が、男の目の前に立っていた。
その姿を目にした途端、顔半分を真っ赤に塗らした男の顔が恐怖に歪んだ。そこから先は、見るに堪えない残虐なシーンの連続となった。
藤川の表情に、なんら変化は見られない。感情の消えた虚ろな瞳はなにも映さず、人形のように、ただそこにあるだけだった。それでも標的としてとらえた相手を、感情や意思とは切り離された『本能』に支配されるまま攻撃対象と見做す。
男の腕をとって無理やり引き起こした藤川は、その躰をロープに向かって投げ飛ばし、跳ね返ってきたタイミングで飛び蹴りをくらわせた。リングに叩きつけられる衝撃で、鮮血がふたたびリングに飛び散る。もはや起き上がることさえできないその背中めがけて立てつづけにコーナーポストの上から飛び降り、さらには、後ろ手に捻り上げた腕にそのまま力を加えて肩の関節をはずした。絶叫を放って男がのたうちまわるところをすぐさま押さえこんで、今度は顔面を拳でつける。一度では済まず、サンドバッグのように執拗に繰り返すうち、見る間に腫れ上がった顔は原形を失っていった。
それは、試合などと呼べるものではなく、一方的な暴力――否、殺戮だった。
観客の中には当然、女性も相当数交じっていたが、だれひとり目の前の光景に恐怖する様子はなく、むしろ悲鳴をあげながらも嬉々とした様子で釘付けになっていた。
常軌を逸した状況に、群司は戦慄した。リングの上で行われていることだけではない。この場にいる群司以外のすべての人間が、その瞳に狂気を宿しているように見えた。
『幸福』という名の薬物に、身も心も汚染された狂人たちの集まり。
群司は立ち上がり、後方の扉から会場を抜け出した。これ以上この場に留まることはできなかった。
子供の死を嘆き悲しむ、ごく普通の父親にすぎなかった平凡な男を一瞬で怪物に変えた最新版のフェリス。
心の裡を恐怖と焦燥が満たしていた。
天城瑠唯は、如月をこのイベントに『参加』させると言っていた。それはつまり、如月もまた、あの舞台の上で実験台にされるということで間違いないだろう。
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