今日も黒熊日和 ~ 英雄たちの還る場所 ~

真朱マロ

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「英雄のしつけかた」 3章 死神と呼ばれる少年

46. 死神 1

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 ミレーヌは目を開いた。
 汚い床に転がっていた。
 あら? とのんびりと首をひねる。

 嫌ですわ、何が起きたのかしら?

 空気がよどんでいるせいか鼻がむずむずして、クシュンとくしゃみをしてしまう。
 どうやら夢を見ている訳ではなさそうだった。

 ここはどこかしら?

 寝起きでボーっとしていたので、頭を悩ましたのもしばらくたってからだ。
 目に見える範囲には、埃の積もった床や薄汚い袋が積み上げられている。
 重厚な石作りの部屋だ。
 あまり使われていない様子で、造りからして砦や旧家の中にある倉庫だろうか?

 ミレーヌは起きあがろうとしたけれど両手は後ろにまわされて縛られているし、ずっと変な態勢でいたせいで身体が痛かった。

 あら嫌だと眉根を寄せて、見知らぬ少年に声をかけられたことを思い出す。
 あの子に誘拐されたとしか思えない。
 荒んで壊れそうな眼をしていても、悪いことをするようには見えなかったのに。

 あてもなくさすらっているのかと思っていたけれど。
 こんな建物に連れてこられるとは、悪い人たちに騙されているのではないかしら?
 ひどい人たちがいたものだわ。

 子供を騙すなんてと憤慨しながら、ふたたびクシュンとくしゃみをした。
 窓がないので時間がよくわからなかった。
 だけどお腹がすいていたので、かなり長く気を失っていたに違いない。

 遠征の人たちもそろそろ帰ってくるはずなので、ミレーヌは肩を落とした。
 せっかく材料を用意したのに、ご飯を作ってあげられない。

 ガチャガチャと重い鍵が外される音がした。
 ミレーヌはそちらに目を向ける。
 入ってきたのはあの少年だった。
 やせぎすだし、飄々として妙な風格がある。

「起きてる?」

 ええ、と答えながらも再びくしゃみをする。
 こんな埃っぽいところにいると、どうにも鼻がおかしくなってしまう。
 少年はツカツカ歩み寄ってきて、倒れたままのミレーヌを簡単に起こすと、ヒョイと壁にもたれるように座らせた。

「怖い?」

 ええまぁ、とミレーヌは首をかしげた。
 多分ここは大きな建物だ。
 使用頻度は低くても立派で、廃墟ではなさそうだし、この少年の所有物でもない気がした。

「あなた一人ですの?」
 ん? と少年は肩をすくめた。
「一人だと言えば一人だし、たくさんと言えばたくさんいるかなぁ。僕はどうでもいい」
「どうでもいい?」

 変な言い方をすると思った。
 なんとなく、ガラルドに通じる話の噛み合わなさがある。
 そういう部分の足りない子なのかしらと、嫌な想像をして眉根を寄せた。

「聞いてどうするの、お姉さん?」
 しゃがんでまっすぐに見つめられ、ミレーヌは眼をパチパチと瞬きした。
「どうって……あら、嫌だ。本当に! どうしようもありませんわね」

 思わず笑ってしまった。
 そして、この子はどうしてこんなに恐い顔でにらんでみせるのかしら? と頭を悩ませる。
 わざと怖い顔をしなくてもいいのに。

「変わってるなぁ、僕といても怖くって泣いちゃったり、怯えてビクビクしてくれないんだ」

 少年も眉根を寄せて渋い顔になっていた。
 普通なら誘拐された時点で泣いて正気を失うのに、妙に人懐っこく笑っているので気味が悪いと顔に書いてある。

 それでも不快感がなさそうだった。
 少年と会話が続く気配がしたので、ミレーヌは肝が据わった。
 この子はガラルドより会話が成り立ちそうだ。

「変わっている訳ではありませんわ。もっと顔の厳つくて目つきの悪い方々といますから、あなたはとっても可愛らしくてよ?」

 こんな若い子と話すのは久しぶり! とコロコロと笑うので、少年は思い切り肩を落とした。
 しだいにゲッソリしてくる。
 ミレーヌの姿はどこからどう見ても、おびえて助けを待つ人質の姿ではなかった。

「ねぇ、誘拐したんだけど、わかってる?」
 人質なんだよ? と念押しをされて、ミレーヌは確かにそうだと眉根を寄せた。
「そうみたいですわねぇ……困りましたわ」

 自分が人質なら、黒熊隊の人に迷惑をかけることになる。
 誘拐されても、家政婦の仕事はクビにはならないだろう。
 でも、問題はそこではないから困ってしまう。
 ミレーヌはため息をついた。

 助けに来るのが黒熊隊の人ならいい。
 ガラルド本人が来たら派手なことをしそうだ。
 短気を起こして暴れなければいいのだけれど。

 ひどく嫌な想像をしてしまった。

 救出前にガラルド様がブチ切れて、この建物ごと破壊したら、わたくしは助からないわ。

 あの性格ではありえない話ではなかった。
 どうしましょう? などと悩んでいるので、少年もため息をつく。
 英雄に来てほしいと思うなら理解できるのだが、英雄だけはごめんこうむりたいと言われても困る。
 変な女を人質にしてしまった。

「それだけ? 他に言うことあるだろう?」
「まぁ、お願いをきいていただけますの? 痛いんです。できればほどいていただきたいわ」
 ミレーヌの期待の眼差しに、なんだかなぁとぼやいて少年は再びため息をついた。

「ほどいても逃げられないよ?」
「そのぐらいわかりますわよ。嫌ですわ、無駄なことはしません」

 無駄ねぇ……と少年は眉根を寄せた。
 誘拐されたら普通は逃げることや、自分の扱いを気にするはずなのに、ミレーヌはまったく興味がないようだった。
 対等な口の利き方はするのは妙だが、暴れることもないしおとなしくしていそうなので、そのお願いを聞くことにした。

 手の縄を切ると、ミレーヌは非常に喜んだ。
 ありがとう! なんて瞳をキラキラさせていた。
 縛られた痕の残る手首をもんで、やっと楽になったとブラブラと当たり前にふっている。

 奇妙な物を観察しているような眼差しに出会い、ミレーヌはちょっと首をかしげた。
 少年は未知の生物に出会った表情だ。
 どこからどう見ても、ご機嫌から遠い。
 身長はそこそこでもやせっぽっちな少年で、ロクな物を食べていないに違いない。
 不機嫌を直す手っ取り早い方法が一つある。

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