青い鳥  ~ロクデナシの彼と生真面目な彼女(仮

真朱マロ

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初恋の部・冬真

青い鳥のいる場所は1

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 夏休みが終わった。

 高校三年の二学期なら、普通は切羽詰まっているだろう。
 だけど俺の通っている学校は大学までのエスカレーター式の名門校なので、よっぽどの問題行動がない限り進学先は決まっていた。
 どの学部にするか決めてしまったし、もう決定と変わらないので気にしていなかった。

 そんなことより、夢みたいにいなくなったアイリーンのことばかり考えていた。

 あの日。
 診察を終えると彼女は影も形もなくて、マンションに帰ると荷物だけでなく固定電話に登録してあった携帯番号まで消されていた。

 ちょこんとベッドに座った熊のぬいぐるみの手に、生活費の残りと書かれた封筒があった。
 現金とその出納明細。
 几帳面にこの生活のレシートも添えられて、壊れた時計のお金だけは「これから買うので現金を抜いています」と書いてあった。

 それともう一つ。
 俺宛ての手紙があった。
 規則正しい生活をして自分だけの青い鳥を探してと、アイリーンからの短いメッセージが几帳面な文字で添えられていた。

 彼女の残したものは、それだけだった。
 ただ、洗濯して干されていたシーツが、ハタハタと手を振るように、風に揺れるばかりだ。

 本当に、髪の毛一本残さずに消えてしまった。
 呆然と立ちすくむばかりで、涙も出なかった。

 俺の青い鳥は、アイリーンだと伝えることもできなかった。
 傷つけただけで、サヨナラも言えなかった。

 あれからポカンと胸に大きな穴があいている。

 アイリーンの住所やフルネームを聞いても、本当は連絡先も知っているはずなのに、どんなに頼んでも榊は教えてくれない。
 そのくせ、俺がダラダラしていると、いいんですか? と思わせぶりに笑う。

「せっかくの青い鳥が逃げてしまいますよ?」
 もうとっくに逃げられてる。
「うるさいな」とにらんだけれど、どうでもいいとはもう口にできなくなっていた。

 みっともないぐらい泣きついて俺がこれだけ頼んでいるのに、アイリーンのことを思わせぶりにちらつかせては、隠すばかりだ。
 こうなると、榊は絶対にボロを出さない。

 そして、俺はいいかげんな女との付き合いをすべてやめて、週に二回のバイトを始めた。
 だから、その報告も兼ねて榊に電話した。

 榊も気持ち悪いぐらい褒めてくれる。
 慣れないバイトに失敗もあり、要領のいい榊に色々相談していた。

 親父の会社とはまったく関係のない普通のバイトだけど、そこにいるだけで大変だった。
 レンタル店のレジに立って、一回にほんの三時間ばかりだけれど、アイリーンの口にしていたお金や時間の価値を体感していた。

 最後の日にアイリーンがぶちまけて説教した俺のどうしようもない行動を、彼女の言っていた正しい方向へと少しずつ改善していく。
 その作業は面倒だったけれど、その気になれば俺は嫌味なぐらいできる子だったし、苦ではなかった。

 こんなことをしても、アイリーンは戻ってこないのだと理解している。
 だけど、少しでも彼女に近づきたかった。

 俺は、アイリーンの顔すら知らない。
 なのに、彼女を想うだけで胸が痛い。

 会いたくて、会いたくて、会えなくて。

 小説や映画の中ではありふれた表現だけど。
 これが初恋なのかもしれない。

 胸が苦しいとか、切ないとか、ああこれかなと、俺は今になって初めて思い知った。

 優しい音で「青い鳥」が街のどこかで流れるたび、彼女の声や優しい仕草や凛とした気配が脳裏に蘇る。
 もし、もう一度会えるのなら、今度は傷つけないよう大事にできるだろうか?

 彼女は、どこにいるのだろう?
 俺と同じ空を見ているのだろうか?

 そんな毎日の中で、俺は学校にいた。
 授業が終わった、放課後の喧騒の中。

 今日はバイトもないし、部活にも入っていないのでどうしようか考えながら、玄関に向かう。
 今までなら声をかけてくる女を適当に捕まえてすごしていたけれど、そんな刹那的な生活とはすっかりご無沙汰だった。
 かといって、時間を潰すあてもない。

 カバンを片手に校内をぶらぶらしていたら、すぎていく下級生たちが華やいだ声で「さようなら」と挨拶をして去っていく。
 適当に「さよなら」と答えながら、俺もとりあえず帰るしかないようだとため息をついた。

 目の前で廊下の窓から身を乗り出して、二人の女生徒が外に向かって叫んでいた。
 無駄に元気だけど、二年生かな?

「山本さ~ん、日誌、書けたから出しとくね」
 窓の外から声が返ってきた。

「ごめんなさい、お願いします」
 しなやかで優しい、涼しげな口調。

 俺は耳を疑った。
 この声……アイリーン?

 まさか、ありえない。

「いいのいいの、ゴミ捨てありがと! そのかわり、ごめ~ん。日誌出したら先に上がるね」
「バイトに遅れなくて助かる~ありがと」

 手を振って、窓際から離れた二人組は、俺と目が合うとパッと顔を赤らめた。
 軽く会釈をすると、さざめくように笑いながら去っていった。

 俺は窓に近寄って外を見た。
 渡り廊下を走りながら部活に向かったり、教室に帰ったり、たくさんの人がいた。
 ゴミ捨て場に向かって歩く人が何人もいるので、さっきの声の主が誰かはわからない。
 それでも、俺の脚は勝手に動いていた。

 確かめなくては。

 渡り廊下の入口に立つ。
 男だったり、二人組みだったり、ゴミを捨てて戻ってくる人を見つめる。

 とにかく、雑然としていた。
 ちょうど清掃の終了時間が重なるので、部活の更衣室に行く生徒もこの廊下を必ず通るため、この時間は特に人通りが多い。

 ふと、背の高い女生徒が目を引いた。
 背筋を伸ばして、ひどく姿勢がいい。
 キッチリした印象で、メガネをかけていた。

 アイリーンはコンタクトを使っていたし、髪は長かったはずだけど。
 記憶とは髪形が違っていて、顎のあたりで切りそろえたまっすぐな髪が艶々している。

 ただ、規則正しい歩みに覚えがあった。

 アイリーンは足音を立てずに、スイスイと滑るように歩く。
 あの歩調と同じだ。

 ふと彼女は顔をあげて、俺が見ていることに気付いたのか軽く会釈をした。
 ただ、他の女生徒達とは違って挨拶もせずに、スウッとよけて校舎に入ろうとした。

 衝動的にその手を捕まえて、すぐに確信する。

「みつけた」

 この手の触感も体温も鼓動も、すべて記憶の中にあった。
 何度も夢見て、幻みたいに消えた薄情さに、忘れようとしても忘れられなかった。

「アイリーン。ずっと、会いたかった」

 こぼれおちた俺のつぶやきに、ドクン、と彼女の心臓がはじけるのを手首から感じた。
 驚きのままに見上げてきた瞳が大きく開き、戸惑いが一瞬よぎった。

 間違いなかった。
 俺のアイリーンが、ここにいる。

 俺は理性を失った。
 突然のことに、一気に頭に血がのぼった。

「みつけた! どういうことだよ? 説明しろよ!」

 彼女の手からガランとゴミ箱が床に転がった。
 頭の中がこんがらがって、とにかくアイリーンの肩をつかんだ。
 アイリーンは異国にいて、榊が信頼するぐらい堅実なしっかり者で、俺より年上のはずだ。

 コテコテの日本人で、俺と同じ高校で、おまけに一つ下の学年なんて。
 こんなの想定外だった。

 カバンも取り落として詰め寄ると、アイリーンはオドオドしながら後ずさる。
 彼女の背中が渡り廊下の柱に当たると、耐えられないのか目を伏せた。

「あの、人違いじゃ……」
 かぼそい声で否定してそのまま逃げようとするので、グイッと柱に押し付けた。

「誰と間違えてるって?」
 まっすぐに正面から、顔をのぞきこむ。
 気持ちがはじけ飛んで、押さえられなかった。

「俺は絶対にアイリーンを間違えたりしない」

 忙しく目を左右にそらせ、カァッと真っ赤になったアイリーンは、両手で顔を覆った。
 手首をつかんで隠そうとする顔を覗き込むと、アイリーンは窒息気味になっていた。

「それより、なんで? いったいどういうことなんだ? こんなに近くにいるのに、黙って消えるなんて! なんであんなことしたんだよ!」

 答えられずに、ひたすら狼狽している。
 オロオロしているアイリーンの視線を追って、少しだけ頭が冷えた。

 いつのまにか人垣ができて、興味津々のギャラリーが大勢いた。
 動物園のパンダと変わらない注目度だった。
 まぁ、チャラチャラした俺と目の前にいる生真面目な彼女には共通項がなくて、確かに珍しい取り合わせかもしれない。

「あの……先輩。あの、とりあえず、放して下さい。恥ずかしいので」

 アイリーンの声はかぼそかった。
 それでも耳に優しくて、懐かしい響き。

 こうして手を握っていると、ドクドクと心臓が壊れそうに脈打っているのを感じる。
 俺は彼女の耳元にそっと口を近づけた。

「逃げずにきっちり説明するのなら、考える」
 至近距離が慣れないようで、アイリーンはさらに真っ赤になって身をすくめた。
「……わかりました。カバン、とってくるので。玄関で……いいですか?」

 俺が手を離すとアイリーンはゴミ箱を拾って走りだし、ものすごい勢いで逃げ去った。
 鍛えているだけあって速い。

 取り囲んでいた人垣が自然に道をあけたので、彼女の背中はあっという間に見えなくなった。
 俺は自分のカバンを拾うと埃を払い、そのまま玄関へと向かった。
 それでも、思わず口元に笑みが浮かんだ。

 間違いなくアイリーンを見つけたのだ。
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