青い鳥  ~ロクデナシの彼と生真面目な彼女(仮

真朱マロ

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初恋の部・冬真

儚い時間3

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 目が覚めた。

「アイリーン?」

 見えないので手を伸ばしたら、毛深いぬいぐるみの熊が真横にいた。
 心臓が凍りそうで、俺は跳び起きた。

「アイリーン! どこ?」

 ベッドを探ると俺の横が冷たくなっていたから、みっともないぐらい狼狽して何度も叫んだ。
 腕の中には確かな彼女の体温が残っているのに、部屋の中にはその気配すらない。

 家中を探したくても、まだ目が見えない。
 真っ暗な視界と一人取り残された不安でおかしくなりそうだった。

 そのとき、不意に扉が開いた。

「はい? 起きたんですか?」
 あんまり何気ない声だったので、俺は深々とため息をついて、思わず頭を抱えた。

「アイリーン……脅かすなよ」
 出て行ったのかと思ってしまった。

 まだここにいてくれて安心したけれど、混乱して何を言えばいいのかわからなかった。
 俺の取り乱した無様な様子がおかしかったのか、アイリーンは軽く笑い声を立てた。

「あんまり気持ち良さそうだったから、つい。でも、そろそろ起こそうと思っていました。今日は午前中に診察がありますよ?」

 朝ご飯の前にシャワーを浴びるようにとバスローブを渡されて、俺は言葉に詰まった。
 言われるままにシャワーを浴びて、食事をして、いつものように俺はテレビの前にいた。
 アイリーンもいつもと同じように、洗濯したり片づけたりして、居間のソファーに座った。
 いい香りがしたので、テーブルにコーヒーを置いたのがわかった。

 一度だけ俺の手を取って、カップのある位置を教えてくれる。
 その優しい仕草に安心して肩を抱き寄せようとしたら、スウッと離れた。

 それは彼女がここに来た日から、変わらない日常の一コマそのままだった。
 アイリーンは俺の向かいにいて、こっちにおいでよと誘っても、絶対に横に座らない。
 昨日のことはただの夢で、何もなかったと錯覚しそうな態度に、俺はムッとした。

「なんか、あっさりしてるよね」

 数瞬、沈黙があった。

「なんのことですか?」
 いつもと変わらない口調。

 温度があって優しいけれど、距離が遠い。

 何もかも嫌になった。
 わかっている癖にと、投げやりに俺は言った。

 彼女を抱いたのは、夢じゃない。
 俺とは違ってアイリーンには特別なはずだから、何かが変わると思っていたのに。
 心が乾いていくのを止められない。

「いいよ、もう。どうせ、他の女と同じで、俺のことなんてここを出た途端に忘れるんだし。俺とやったことなんか、どうでもいいんだろ?」

 適当に気持ち良く男と寝れたら女なんてそれで満足するんだからと横を向くと、初めて聞くきつい声が返ってきた。

「どうして、そう決めつけるの?」

 責めるわけでも、言い聞かせるのでもない。
 ただ鋼のように跳ね返ってきた強い言葉に、俺は投げやりに答えることしかできなかった。

「本当は清々してるんだろ? 勝手に帰れば?」
 お前なんかいらないとはじき返すと、彼女の声が低くなった。

「……勝手なのは冬真君でしょう?」
 ここに居場所のない私の気持ちなんかこれっぽっちも考えていないと、初めて責められた。
 それから切り捨てる口調で「だけど私のことなんてどうでもいい」と珍しく語気を荒げた。

「いつまでそうやって、他人と関わるのを面倒だとか邪魔だとか甘えた事を言って、信じようとしないの? ずっと一人きりで、寂しいままで、どこまで他人のせいにするの?」

「俺は……!」
「自分の事を大事にしてくれない人が集まるのは、冬真君がそんなだからでしょう? 本当は、見ないふりをしてるだけ。お母様だって、ずっと心配して連絡くれていたのに」

 公認の愛人でスナック経営をしている母親は別のマンションで暮らしていても、愛情や関心がないわけではないと、アイリーンは正直でまっすぐなままの健全なセリフを吐いた。

 一度も母の電話に出なかった事をよくないと責めるので、さらに俺はムッとする。
 保育園に入る前に俺を家政婦に任せて、ずっと出歩いて、親父以外の男もとっかえひっかえしていた人間だ。俺に連絡を入れたのも、大事な金蔓である親父と切れたくないだけだ。

「大人なんてみんな勝手だからね」

 普通、息子の目が見えなくなれば顔ぐらい出すのに、電話ですませるなんて調子が良すぎる。
 それに、自分の都合のいい時だけやってきて、ああだこうだとわかったような事を言う。
 一人で眠る辛さも、目を開けた時に誰もいない怖さも、何も知らないまま俺を取り残す。

 けっきょく、俺の側には誰もいない。

「自分がそうならなければいいんです。でも、このままなら、あなただって同じです」
 ひどく優しい物言いだったけれど、勝手な人とつぶやかれ、心に突き刺さった。

 このままなら、俺も勝手なのだろう。
 彼女の日常は異国で、俺はいない。

 アイリーンはここに居場所がないと最初から明言していたのに、不用意に抱いてしまった。
 別れたら二度と会えないかもしれないのに、アイリーンの全部を欲しがった。
 どこにも行かないでほしいとか、側にいてほしいとか、俺の独りよがりな我儘なのに。

 何も言えなくなった。
 彼女の言葉の正しさに、俺は黙り込むことしかできなかった。

 もうこれで最後と思ったのか、今の生活の全てが何一つ自分の力ではなく父や母に寄生している事まで、遠慮なくアイリーンは指摘した。

「本当の意味での理解はできないけれど」
 前置きをしてから、毅然と言い放つ。
「仕事を持っているご両親が健在で冬真君に今ぐらい関心があればいいけれど、この先いつか、本当に背を向けられたらどうしようもないでしょう?」

 アイリーンは本気で俺に説教していた。
 そして、今の生活をずっと続けられるのかと問いかけてくる。

「いつまで、子供みたいなことする気ですか?」

 厳しい言葉の連続に、俺は何も返せなかった。
 そんなことは、言われなくてもわかっている。

 このまま捨てられたら、ただ生きることもむつかしい。
 刹那的にすごして、目の前のこと以外はできるだけ目をそらせていたのに。

 不意に、アイリーンが動いた。
 近寄ってきて、俺を背中から抱き締める。

「青い鳥が近くにいるかもしれないでしょう? ちゃんと探さないと見逃してしまうのに……」

 ためらいがちに回された腕を感じると同時に、やっと彼女が泣いていたのだと気付いた。
 昨日の夜から、泣かせるばかりだ。

 何がそんなに哀しいのかわからない。
 ただ、俺のことだけ考えて、俺のためだけに泣いているのはヒシヒシと感じた。

 やるせないとか胸が痛いとか、今、俺の中にあるこの気持ちがそれなのだろう。
 こんな気持ち、初めて知った。

「俺は……」

 口を開きかけたところで、ピンポーンとチャイムが鳴り響いた。
 アイリーンは何もなかったようにインターフォンに出て、すぐに開けますと答えていた。

「榊さんです。診察、行きましょうか?」

 本当に何もなかったように、そう言った。
 うん、とうなずくことしかできなかった。

 榊がやってきて、当たり前に朝の挨拶をした。
 俺が通院の準備するのを待って、そろって車に乗って、病院に行く。

 ここ最近の、お決まりのコース。
 ただ、その間、アイリーンは無口だった。

 俺も、言葉が見つからなかった。
 榊はその沈黙を壊さず、車内に流れる音楽のボリュームをいつもより大きめにしていた。

 診察室に入る前。
 アイリーンは珍しく、俺の横にスッと座った。
 二人になった待合室のソファーで、不意に問いかけられた。

「冬真君に、見たいものはある?」
「急に、何?」

 家を出てからずっと沈黙したままだったから、ちょっと驚いた。
 いつになく砕けた明るい声だから、問いかけとは不似合いすぎてわからなかった。

 本音を言えばどっちでもいい。
 見えないと不便なだけだ。
 別にこのまま見えなくても、かまわないし。

「見たいもの、聞いた事がなかったから」

 何かを期待している、そんな声だ。

 わからない。
 何を期待しているのだろう?

「別に、何も……」
 考えもせず気のない返事で足を組み直した俺に、アイリーンはかすかなため息をついた。

「そう……」
 アイリーンは何か言いかけたが、診察の手配をしていた榊が戻ってきたので黙った。

 様子が変だった。
 本当に聞きたいことは別にあったのだと、遅ればせながら俺は理解する。
 気になったけれど昨夜のこともあるし、榊の前で問い詰めることはできなかった。

「冬真様、どうぞ手を」
 榊に手を取られて、俺は立ち上がる。
「ありがと」
 お礼なんて初めて聞きましたと榊は笑って、俺たちは診察室に向かって歩き出した。

「冬真君。今度はきっと、見えるから」

 背中を追いかけてきたのが抱きしめるような優しい声だったから、俺は軽く振り返った。
 声に出さず、診察後にちゃんと話をしようねと伝えたくて、微笑んでみせた。

「どうせ見るなら榊よりアイリーンがいいなぁ。ねぇ? ほんとに見えたら、俺の前で笑ってよ」

 ほんの思いつきで口にしたけど、笑ってるアイリーンを想像したら、本気で見たくなった。
 ひねくれている俺なんかと違って、きっと目をキラキラさせながらまっすぐに笑うはずだ。

 アイリーンはなぜか、返事をためらっている気配だった。
 気になったのに、榊が俺をうながした。

「どこまで我儘なんです? さ、行きますよ」

 ハイハイと俺は従った。
 さっさと診察を終わらせて、少しでも早くアイリーンと話をしたかった。

 診察室に入り、医師の長い説明を聞いて、いつものように包帯を外される。
 まぶたに当てられたガーゼを取られて、しばらくそのままでいたら、医師が言った。

「ゆっくり目を開けて」
 そっと目を開けたが、すぐに閉じる。
「……あ…まぶし……」
 ギュウッと堅く目を閉じて、もう一度少しずつ目を開けた。

 ここ数日の暗闇は、どこにもなかった。
 俺の事を見つめている中年の医師と看護師の探るような眼に、グルリと周囲を見まわした。

「見えますか?」
「え? ああ、うん。まぶしいけど」

 思っていたほどの感動はなかった。
 診察室って壁が白いからまぶしいんだと思いながら何度もまばたきしていると、かすかに首を傾けた榊と目があった。

「よかった。本当に」
 ニコッと人の良さそうな笑みを向けてくるので、俺はすぐに問いかけた。
「アイリーンは?」

 ちょっと目を見開いて、榊はいつもの笑みを浮かべる。
 あれ? 少し怪しい。

 いつも優しげにニコニコ笑ってみせるのは、実は感情を他人に読み取らせないためだ。
 榊は仕事には誠実だが、頭がいいだけに奥が深く、一筋縄ではいかないから何か隠している。

「身内ではありませんからね。家族か、私のような代理人しか、診察室には入れませんよ」

 今までも、ここまでは付き添ってこない。
 そんなことは知っているけど、俺はつぶやく。

「そ、最初に教えたかったのに」

 何よりも、彼女に直接伝えたかった。
 それ以上に、顔を見たかった。

 想像ではなく、現実のアイリーン。
 まっすぐな笑顔で、きっと綺麗だろう。

「そうですね。彼女にその権利はありますし。どうせ冬真様は目が馴染むまで動けないから、私から伝えておきましょう」
 軽く笑って、榊はすぐに出て行った。

「え? 俺、自分で……ちぇっ気が利かないなぁ」
 呼びとめる隙もなくて、俺は仕方ないので座りなおした。

 やっと顔を見て話ができるんだ。

 初めて気持ちが浮き立った。
 見えるまでの約束だけど、期限の最終は明日なのだ。いまさらホテルを手配する必要はない。
 今までずっと缶詰状態だったから、今夜ぐらいは外食もいいかもしれない。
 宿泊や食事に誘えば榊がもれなく付いてくるはずだけど、そのぐらい我慢できる。

 ああ、そうだ。
 昨日みたいになるのは嫌だろうし、ソファーで俺は寝るって最初に言っておかないとな。

 少しは笑ってくれるかな?

 榊はすぐに戻ってきて、通院だのなんだのと医師と今後の話を始めたので、アイリーンの反応はまったく聞けなかった。

 それでも、榊のいつもと変わらぬ様子に、いつもと同じなのだと信じていた。
 まさか、そのまま姿を消すなんて考えもせず、彼女に何から話そうか? とか、目が見えると肩を貸してもらえないなとか、のんきにそんなことばかり俺は考えていた。

 ただアイリーンの顔が見たくて、早く診察が終わればいいとひたすら願っていたのだ。

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