青い鳥  ~ロクデナシの彼と生真面目な彼女(仮

真朱マロ

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初恋の部:愛莉

想定外の出来事1

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 夏の空は澄んでいた。

 駅へと続く階段を見上げた私は、その青さに目を細める。
 いつもならエレベーターをつければいいのにとぼやいてしまうところだけど、あまりに透明な空が目に映るので、ほんの少し立ち止まった。

 いいことがありそう。
 そんな予感に、気持ちがほころんでしまう。

 なにしろ久しぶりのドイツである。
 中学の卒業旅行以来だ。
 楽しみだな~と思いながら、大きなトランクを持ちあげてゆっくりと階段を上った。
 かなり急な階段なので、慎重な足取りになってしまう。

 スッと一人、私を追い抜いて先に行く。
 つい、目が追ってしまった。
 軽快な足取りは長い階段を感じさせず、背の高い綺麗なその後ろ姿には見覚えがあった。

 同じ高校の三年生で、佐々木冬真先輩。
 一つ学年は上だけど、有名なので名前と顔は知っていた。
 なんでも学校始まって以来の秀才で、容姿端麗、スポーツ万能。
 それだけでもできすぎているのに、親が大きな会社の社長か財閥の総領なので当人もセレブらしい。

 御曹司という表現が、そのままあてはまる人も珍しい。
 すぐにモデルになれそうなほど華麗な女生徒や、流行に詳しそうな男子生徒に囲まれていて、日常も華やかだった。

 ただ。
 ハッキリ言って、いい噂はなかった。

 気分で適当な人付き合いをするとか、駅の近くにある高級マンションに自分名義の物件があるとか、それだけに女性関係もかなり派手だとか、特定の恋人はつくらないけど初体験したいと頼めば断られることはないとか、少し耳を疑う内容までささやかれている。

 私の家は駅から二〇分ほどの場所で中学が同じだったから「あの噂って本当?」と時々は友人に聞かれる。
 私にとっては芸能人と変わらないぐらい遠い人なので、答えようがないのだけど。

 いつも遠くから、偶然見かけるだけ。
 目の保養にはなるけど、あまりに存在が派手なので、縁がある訳もなかった。

 今日は珍しく、女の人を連れていないみたいだなぁなんて思いながら、その後ろ姿を見送った。
 不意に先輩が立ち止まった。

 その途端、怒声が響いた。
 階段の一番上に、フードの付いた黒い服を着ている、若い男の人が立っていた。
 真っ赤な顔をして、何やら先輩にまくしたてている。

 真正面に二人がいるので素通りすることもできず、私も思わず足を止めた。
 知香がどうのとか、お前が手を出したとか、殺してやるとか、男の人は興奮して叫び散らしているので、穏やかではない。

 修羅場?
 そんな単語が脳裏をかすめた。
 どうしよう?

 だけど、先輩はまるで興味がないらしい。
 チラッと興奮している様子に、軽く目を向けただけだった。

 そのまま相手にせず横を通り抜けようとしたら、男は先輩の襟首をつかんだ。
 あっと思った瞬間、男はそのまま階段下に先輩を突きとばした。

 まともに落ちてきた先輩は、そのまま私にぶつかった。
 突然だったから、避けることもできない。

 え? と思ったときには、私の身体も空に浮かんでいた。
 避けることも、何かにつかまることもできない。

 ふわっとしたのは一瞬だけだ。
 ものすごい音を立ててトランクと一緒に、私は階段の下まで転がり落ちた。

 悲鳴を上げることもできなかった。
 時間ごと、止まった気がした。
 何かが身体の下にいて、息が詰まる。

 思ったより痛くない?
 目を開けると、見たこともない綺麗な顔がすぐ側にあった。

 誰? 

 そんなふうに驚いたのは、一瞬だけだ。

 もしかして、先輩?

 初めて間近で見た。
 先輩の少し切れ長の眼は閉じられて、こめかみから一筋の血が流れおちた。
 私の頭をかばうようにきつく抱いて、気を失っていた。

 声をかけても返事がない。
 あんまり綺麗な青白い顔に、ひどく不安になってしまった。
 ちゃんと息をしているのを確かめて、携帯を取り出して救急車を呼んだ。

 幸い、私はケガをしていないようだった。
 それは先輩が護ってくれていたからだけど、抱きしめられた腕をほどこうにもきつくて、なかなか自由になれなかった。
 男の人なのに先輩は香水みたいないい匂いがするので、妙に緊張してしまった。

 やっと抜け出たら、今度は右手をつかまれた。
 痛いくらいに握られて、振りほどけない。
 無意識みたいだけど必死な感じで、どうしたらいいのか私はわからなくなった。
 ただなんとなく、落ちたはずみに壊れてしまった時計のかけらを、自由な左手で拾った。

 それから先は、嵐に似た展開だった。
 想定外の事態に、私は流されるしかなかった。

 警察もやってきて突き落とされたことを伝えたり、救急車に一緒に乗せられたり。
 病院について、診察を受けて、警察に事情説明をした。

 その間も先輩はずっと私の手をつかんでいるので、ずっと離れることはできなかった。

 病院の一室の中で、先輩に付き添うしかない。
 私自身はケガがなかったのに、すっかり困ってしまった。
 空港までの距離を考えると、飛行機にはもう間に合わないだろう。

 つい、ため息がこぼれた。
 出発日を変えても私の休みが短いので、今回は祖母の家で過ごす時間がなくなってしまう。

 ドイツはやっぱり、気軽な距離じゃないから。

 旅行に行けなくなったからとがっかりしている場合じゃないと、私は気を取り直した。
 今はとにかく私が飛行機に乗っていないことを祖母に知らせたり、搭乗時間にはまだ余裕があるのでチケットをキャンセルしたりと、色々と行動しなくてはいけない。

 だけど、先輩が手を離してくれない。
 もしもし、と声をかけてもピクリともしない。

 どうしよう?

 診察室の中で頭を悩ましているところに、スーツを着た三〇歳ぐらいの、これまたスマートで知的な紳士がやってきた。
 先輩とはタイプが違うけれど、同じぐらい綺麗な人だ。

 兄にしては年齢が離れているし、顔立ちが似ていないけど。
 先輩と同じで目の保養になると思っていたら、チラリと冷たい視線を向けられた。

「弁護士の榊と言います。冬真様の世話役もしています。失礼ですけど、冬真様との関係をお聞きしても?」

 ひんやりした眼差しと口調に、いつも先輩の周りにいる取り巻きの一人だと勘違いされているのに私は気付いた。
 どうやらこの榊さん、先輩の交際相手全般を快く思っていないらしい。

 その誤解に、なんだか驚いてしまった。
 確かに渡独するからコンタクトにしているし、少し改まった装いをしているけれど、私はお化粧もしていないしおしゃれでもない。
 先輩の周りにいるような、キラキラした人たちと間違われるとは意外だ。
 そういった華やかな雰囲気から、私はもっとも遠くにいると思う。

「あの、誤解しないでもらいたいんですけど、ただの通りすがりです。山本愛莉と言います。同じ高校に通っていますけど、先輩とは本当に今まで話したこともありませんから」
 きっぱりと否定したら、ひんやりした眼差しのまま榊さんは首をかしげた。
「調べればわかりますよ?」
 なんだか含みのある物言いだった。

 私は開き直って背筋を伸ばした。
 疑われるようなやましいことなど何もない。
 それにお世話係なら、先輩をお任せできる。
 私自身は自力で家族に連絡を入れたり、今日からどうするか考えたり、予定の変更に対応しなくてはいけないのだ。

「どうぞ、好きにしてください。そんなことよりも、コレ、どうにかなりませんか? 駅からずっと離れないんです」

 繋がった右手を持ちあげると、榊さんはジッと私と先輩を見つめた。
 真偽を確かめていると、ハッキリわかる眼差しだった。
 コレよばわりに少しは考えていたようだけど、おもむろに引き離そうとして、スッポンのような強力さにため息をついた。

「……無理そうですね。痛くありませんか?」

 先輩の手は、私の手首に食い込んでいた。
 きっと、明日は痣になっているだろう。

 でも、なぜか笑みがこぼれてしまう。

 かなり急な階段落ちだったのだ。
 私が奇跡的に無傷だったのは、先輩が全身で守ってくれたからだ。
 とっさに私の頭を抱きこんでくれて、おまけにクッションになってくれた。
 思い返してもあの一瞬のうちに、よくそんなことができたものだと感動する。

「痛いです。でも、駅ではかばってもらったので、私の被害は時計だけですから。あの、詳しいことは警察に話しましたけど……先輩の弁護士が到着したら、もう一度、一緒に詳しい話をしたいからと、待たれているはずです」
 簡単に事件の状況を説明すると「そうですか」と小さく呟いて、榊さんの眼差しが少し変わった。

「なるほど。それらしい人が外にいましたね」
 榊さんは先輩のことよりも、廊下にいた二人組を気にして腕を組んだ。
「冬真様は起きないでしょうが、呼びますね」

 そう言って私に軽く微笑むと、榊さんは警察官を招き入れた。
 榊さんを交えて、先程と同じくその時の状況を警察官に根掘り葉掘り問われて、私は思い出せる限りのことを話した。
 とはいえ、階段を上っていたら突き飛ばされただけなので、犯人の人相やほんの少しのやり取りぐらいしか覚えていないけど。

 こうやって話すのも、何度目だろう?

 相手の服装や髪形をできるだけ詳しく伝えようとしていると、榊さんがクスッと笑った。
 何も言わなかったけれど、私に向けられたのはなぜか好意的な微笑みだった。

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