青い鳥  ~ロクデナシの彼と生真面目な彼女(仮

真朱マロ

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初恋の部:愛莉

儚い時間2

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 朝、目が覚めると先輩の腕の中だった。
 壊れ物のように、ソッと腕をまわされていた。
 スウスウと規則正しい寝息に、再び泣きたくなったけど、私はそっと身を起こした。

 珍しく先輩は、気持ち良さそうに寝たままだった。
 その安心しきった寝顔に、ごめんなさいと小さく謝った。

 感情があふれる前に、私はシャワーを浴びに動いた。
 昨日のことは夢ではない証みたいに、身体の奥深くがうずいていた。
 まだ先輩が身体の中にいるみたいで、歩くのが少し辛かった。

 バスルームの鏡から見返してくる私は、迷子のような顔をしていた。
 行き場を失って、泣きだしそうだ。

 これではいけないと、冷水のシャワーで身を清めた。
 降り注ぐ冷たい水は、身体の中に残っていた熱を消していく。

 それでも。
 赤い花びらのような先輩の口づけの痕が、冷え切った身体にいくつも浮き上がっていた。
 残された昨日の余韻が生々しくて、めまいがする。

 この生活を夢や幻にすることは難しい。

 深呼吸をひとつして、顔をあげる。
 襟元のつまったシャツやジーンズに、いつもの自分に戻った気がした。

 そして、榊さんに電話をした。
 朝早い電話でも、榊さんは当たり前に対応してくれた。
 今日の診察で、先輩の目が見えても見えなくても監視役を終わりにしてほしいと申し込んだら、わかりましたとあっさり承諾してくれた。
 きっと不審に思っただろうに、何も事情を聞かなかった。
 ご褒美代わりに欲しい物を榊さんに問われて、先輩に別れの挨拶をしたくないと、私は初めて我儘を言った。

「それなら診察の迎えの時に、内緒で荷物を運びましょう」

 不自然ではない消え方も提案されて、私はホッとした。
 電話を切ってすぐに、先輩の家の短縮から私の携帯ナンバーを消去した。

 なんだか、ひどいことをしていると落ち込んでしまった。
 それでも機械的に朝食をつくり、荷物をまとめて玄関先に置いて、まだ時間があったから少しだけ居間のソファーで泣いた。
 先輩のくれたたくさんの言葉や、抱き締める腕や、体内をかき乱した激しい熱や、その全てが全身に焼き付いていた。

 でも、私のことなんて、先輩は今夜にも忘れてしまうだろう。

 昨日の夜、私の知らないたくさんの愛し方を恥ずかしいぐらいしてくれたけど、本当に知りたかったキスだけは、一度もしなかった。
 そっと指先で私の唇をなぞり、切なげにため息をついただけだ。

「キス、好きな人としたいんだよね」

 自分に確かめているのか、私に確かめているのか、よくわからない呟きだった。
 それだけに気持ちが沈んだ。

 ふと部屋にある時計を見て、先輩を起こそうと立ち上がった。
 寝室の前まで行くと、とっくに起きていたのか切羽詰まったように先輩が叫んでいた。

「アイリーン、どこ!」

 その必死さに、足がすくんだ。
 黙ったままこの人の前から姿を消すのだと思うと、自分の卑怯さが痛くてたまらなかった。

 それでも、息を深く吸うと何もなかった顔を装った。
 大丈夫。見えない先輩には、私の表情なんてわからない。
 できるだけ明るく、いつもの調子で声をかける。

「はい? 起きたんですか?」
 あんまり何気ない声をつくったからか、先輩は深々とため息をついて、頭を抱えた。
「アイリーン……脅かすなよ」
 出て行ったのかと思ったとひどく取り乱した様子に、私は気付かぬふりで軽く笑った。

「あんまり気持ち良さそうだったから、つい。でも、そろそろ起こそうと思っていました。今日は午前中に診察がありますよ?」

 シャワーを浴びましょうとうながした。
 しばらく呆然としていたけど、先輩はしぶしぶ立ち上がった。
 何も着ていないので私は思わず目をそらして、用意していたバスローブを渡した。

 先輩はとても遠くて、まぶしい。
 私には遠すぎて、惹かれても辛いばかりだ。

 華やかで綺麗な人は、遠くで見てるだけでいい。
 そう自分に言い聞かせる。

 二人とも無口なままで、いつもの調子で朝食を食べた。
 私は普段通りに、部屋を片付けたり乱れていたシーツを洗濯した。

 全て終えて居間のソファーに戻ると、先輩はすっかりすねていた。
 それでも気を取り直したのか、先輩は他の女の人と同じように、私の肩を抱こうとした。

 私はその腕から逃げて、定位置に座った。
 これから消えることを黙っているので、触れられると声をあげて泣きそうだった。

 だけど先輩は、お気に召さなかったらしい。

「なんか、あっさりしてるよね」
 棘のある声だった。
「そりゃ急にベタベタされたらうっとうしいけど、まったくの無反応も反則だろ」

 どこか投げやりで、どうでもいいやとすぐに横を向く。
 何も信じていない顔と、やりきれない口調だった。

「どうせ、他の女と同じように、俺のこともここを出たとたんに忘れるんだから」
「どうしてそう決めつけるの?」

 私は、そう弾き返すことしかできなかった。
 忘れないし、どうでもいいなんて思えない。
 そう口に出せない私は憶病だった。

 何もかも正直にぶちまけたい気持ちを必死で押さえながら、膝の上で両手を握りしめる。
 先輩は責められると思っていなかったのか、傷ついた顔をした。

「本当は清々してるんだろ? 勝手に帰れば?」

 お前なんかいらないと凍えた声。
 本音じゃないとわかっている。
 消えると決めたから喜べばいいはずなのに、きつい非難の声に抑えが弾けた。

 それなら、どうすればいいのだろう?
 嘘でもこのままずっとここにいると言って、あなたなしでは生きていけないと言って、泣いてすがれば気がすむのだろうか?

「そう思っているのは、冬真君でしょう?」

 でも、私のことなんてどうでもいいと言うと、先輩はひどく動揺した。
 そのどうしようもない態度にじれて、私はまくしたてるように今まで感じていたことを責めてしまった。
 自分から他人に背を向けて、その場限りの付き合いをして……自分を嫌っているから、他人も愛せないままで。
 そんなの、哀しすぎる。

 大人なんて自分勝手だと傷ついている先輩に、このままではあなたも一緒だと、私はひどい言葉を吐いた。
 両親のことを嫌うのも信頼しないのも勝手だけど、彼らの金銭的な援助なしでは今日の食事にも困る、何もできないただの子供なのに。

 幸せだって自分で探す努力をしないと、青い鳥みたいに近くにいる事すら気付けない。

 感情のまま、思いつく限りの言葉を叩きつけた。
 先輩はひどく狼狽していた。

 その時、榊さんが来た。
 ああ、と私はため息をこぼした。

 夢の終わりを告げる、チャイムの音だ。
 結局私は、先輩に優しくしてあげられなかった。
 二人きりの最後の会話が、これで終わるなんて心が痛かった。

 振り返ると、先輩はソファーに身体を埋めていた。
 行き場のないその表情に、かける言葉もなかった。

 押し黙ったままの先輩を一人残して、私は玄関に出た。
 榊さんの連れてきた運転手に、私はトランクを渡した。
 申し合わせているのか、運転手は荷物を持って先に降りて行った。

 その背中をぼんやり見送っていたら、榊さんの視線に気づいた。
 珍しく、言葉を探しているようだった。

 その感情の見えない瞳に、大事なことを思い出した。
 先輩の部屋の鍵や例の小切手が入った封筒を、榊さんに渡す。

 私と別れてから見てくださいと頼んだ。
 わかりましたとうなずくと、ようやく榊さんは微笑んだ。

 なにもかもを理解している顔だったから、私も同じように笑い返すことしかできなかった。
 言葉にしなくても、私の気持ちまで見透かしているようだった。

 それが少し恥ずかしかったけれど。
 コレでいいんだと示すように、テキパキと動く。

 グズグズしている追いたてるようにして、先輩を診察に連れだした。
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