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おまけ2
ホワイト・ライン 愛莉の事情 2
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西棟の直前で、愛莉はびっくりした。
廊下の先から冬真が走ってきて、あ、と思ったとたんに、飛びつくようにして抱きついてきたのだ。
キャーッと叫びかけたけれど、なんとか悲鳴をかみ殺す。
ギュウギュウと抱きしめられて、少々苦しかった。
あいかわらず、密着度の高い人だと思う。
腕を突っ張っても、力で負けて全然離れない。
一般女子よりは日常から剣道で鍛えているはずなのに、いつも太刀打ちできなくて悔しいと思う。
「あんまり遅いから迎えに来たけど……お腹すいた」
ふてくされたようにぼやくので、ごめんなさいと謝った。
「ん、別にいいけど。こっちおいで」
不意に身体を離すとチラリと周りを確かめて、誰も見ていないとわかるとフワッと冬真は笑った。
え? と不思議に思いながら一緒に歩きかけて、すぐに愛莉は上ずった声を上げた。
「せ、先輩! こ、こ、こ、こ……」
腰に手が!
腰に手が回っていますとかぼそい声に、悪びれなく冬真は笑った。
「え? 待ち過ぎて、寂しかったから。別に喰ったりしないし」
「た、食べるのはお弁当だけにしてください!」
知らず、力がこもった。
「そんな言い方はちょっと」
小さく愛莉が付け足すと、冬真はフフッとなげやりに笑った。
なぜか、遠くに視線を飛ばす。
非常に不本意そうな表情になっていた。
「言うぐらい許してほしいな~高校卒業までは絶対に手を出さないから。この前、榊に念書を書かされたからさ。こんないたいけで純粋な高校生相手に、あんな非道な条件つけるなんて! もう勘弁してほしいよな。これでも我慢強いのに」
いえ、どこをどうひいき目に見ても我慢強くありませんから。
百人に聞けば、百人がうなずくだろう。
もちろん口に出さず、心の中でひっそりと愛莉は答えた。
それにしても。
念書!
一体どんなペナルティがあるのか、気になるところだ。
冬真の表情から、そうとう嫌な内容に違いない。
非道な条件?
アレコレと考えかけて、愛莉はやめた。
なにしろ、用意したのが榊だ。
口に出せないような事柄しか、思い浮かばなかった。
優しげな表情を作っているけれど、中身が悪魔だから優しいのだ。
後でこっそり確認してみようかしらと思っていたら、スッと冬真は横にそれた。
西棟と東棟をつなぐ非常階段の裏にスルリと入り込み、冬真はあたりまえにハンカチを広げた。
どうぞと言われてためらったけれど、オズオズと愛莉はその上に座る。
確かにここなら人目にもつかないし、密室とさほど変わりがない。
階段裏なので、風通しが悪くて薄暗いのが難点だけど、パンダ状態よりはマシだった。
愛莉の横に冬真も並んで座ると、上靴とソックスを脱いで足の甲を確かめている。
いきなりだったので、びっくりして横から覗いた愛莉は目をしばたいた。
なぜか、足の甲が赤くなっている。
少々、痛そうだった。
「どうしたんですか? 物が落ちてきたとか?」
「ん? なんかよくわからないけど、ついさっき莉子たちに踏まれた」
莉子とは冬真のクラスメイトで、さっき愛莉と購買前で話をしていた少女たちの中にいた。
冬真と莉子はよく話しているので、愛莉は言葉を直接交わしたのはさっきが初めてでも、名前も顔も知っていた。
ついさっき?
と、いうことは愛莉と話をした直後だろう。
それにしても、冬真の足を踏んだ?
この赤み具合から、けっこうな勢いで踏んづけたに違いない。
なぜ?
さっきのやりとりについては冬真には黙っておくつもりだけど、関係があるのだろうか?
愛莉にはよくわからなかった。
頭が混乱しそうで、パチパチと忙しくまばたきする。
「真面目な話、いきなりだよ? 寄ってたかって数人がかりで踏みつけて、コレで許してあげる、とか言われて……で、何すんだよって聞いたら理由も言わずに、サッサと愛莉を迎えに行けってさ。ほんとに、訳わかんないだろ?」
う~んと悩む愛莉の前で、冬真はやってらんないと言いながら、再びソックスや上靴をはきなおした。
痛かったとぼやいたすぐ後にすぐに気持ちを切り替えたらしく、お腹すいた、と愛莉を見る。
「もう、ペコペコで死にそう」
早くお弁当! とご飯をねだる子供みたいな表情に、プッと愛莉は吹き出してしまった。
他の人がいると大人びたキリリとした顔をしているのに、愛莉と榊の前では聞き分けのない子供に戻るのがおかしかった。
ハイ、とうなずいてお弁当を渡す。
やった、と喜びながら、冬真は満足そうにお弁当を広げている。
その無邪気な横顔を見ながら、愛莉も自分のお弁当を膝の上に置いて食べ始めた。
校内の喧騒からも離れて、静かだった。
こうして肩を並べて二人きりになれるなんて、滅多にないことだった。
愛莉の自宅に家庭教師でくる時には家族がワサワサと現れるし、二人で出掛けてもやたらと注目を浴びる。
冬真の自宅で勉強をしに行っても、なぜか弟の宇宙が教科書を片手に乱入したり、榊から様子を伺う電話があったりと、ちょっぴり二人きりには遠かった。
今は、周囲の雑音もなくて静かだ。
こういうのは久しぶりかもしれないと、愛莉はホッと息を吐いた。
チラッと横を見れば本当にお腹がすいていたらしく、綺麗な箸の使い方が嘘のように冬真は夢中でお弁当をほおばっていた。
出会った頃は食事に興味ないと投げやりなことばっかり言っていた冬真も、最近は食べることも楽しそうだった。
おいしいよ、と絶妙なタイミングでお礼を言う冬真と目があって、愛莉は頬を染めた。
側にいるだけで、ほんのりと心が温もる。
嬉しい反面、愛莉は切なくなった。
いつまで、こんな時間が過ごせるだろう?
生まれも育ちも差がありすぎて、知れば知るほどため息しかこぼれない。
付き合っているはずなのに愛莉にとっての冬真は、すれ違うこともない芸能人とか、雲の上に住んでいるような人に似ている。
存在そのものに距離があると感じてしまう。
あまり考えないようにしているが、弁護士である榊が付き合い方も管理しているぐらい、普通の男女交際からはかけ離れた事象が控えていた。
ハッキリ言って、個人の付き合いだけでは収まらない。
貴女は厄介な人だと榊から言われたことがあるので、聡い愛莉は口に出されない部分にもそれなりに気がついていた。
おそらく、今は消極的容認をされているだけだ。
もしも、冬真の人生にこんな安っぽい恋など不必要だと判断されたら、あっさりとこの付き合った時間すらも消されてしまうのだろう。
それは愛莉にとって、悲しくて厳しい現実だった。
だって、冬真が愛莉と付き合うメリットは、家とか会社とか社会とか大局から見れば、何一つない。
愛莉自身の生活の要である共働きの両親と、改築ローンの途中の荒れ放題の自宅を振り返れば、なおさらだった。
ぼんやりと、冬真の端正な横顔を見つめてしまう。
こんなに近くにいるのに、と思う。
どうやっても近づけない人を追いかけているようで、不安にさいなまれてしまう。
明るい未来がまったく見えないのに、どうして冬真なんだろうと、何度も何度も自問自答していた。
幸せって、小さくてささやかな嬉しいことの積み重ねだと思うのに。
冬真は、そのささやかな積み重ねの似合わない人だから。
それでも、仕方ないのだ。
恋とはそういうもの。
人を、弱くも強くも、愚かにも賢くもする。
自分の気持ちに嘘をつけば、穏やかな未来が訪れても、きっと後悔するだろう。
前途多難だとわかっていても、後悔だけはしたくなかった。
だって、と思う。
相手のことがわからない不安だとか、焦燥とか、言葉にすれば切なくなるけれど。
理解し合うのが難しいのは、自分たちだけに限定されたことではないはず。
この世界にいる全ての人に、それは共通する事だから。
たまたま置かれた立場が違いすぎたから、その差を大きく感じるだけで、生きている限りは誰もが同じこと。
同じ場所にいて、同じ時間を過ごしていても、人が違えばそれぞれ別の人生を歩んでいる。
だからこそ心惹かれて、だからこそ不安になって、相手を理解するための行為が生まれる。
そのことさえ忘れずに歩み寄れば、きっとお互いの心に寄り添うことができるはずだから。
そんなふうに思いながら、そっと愛莉は自分の胸を押さえた。
周りの浮足立った状況に惑わされて、自分の気持ちを間違えてはいけない。
大切なことは、自分の胸の中で想いとして生きているのだから。
大丈夫、ここにある気持ちは揺らいでいない。
フワリ、と暖かいモノが包み込むように頬に触れた。
ハッとして目を向けると、不思議な顔をした冬真と目があった。
そのまま優しく頬をなでる冬真の手に、ドギマギしながらも愛莉は自分の手を添えた。
壊れ物を相手にしている感じで触れられて、ひかえめに頬ずりする。
「何かあった?」
問いかけられて、愛莉は「いいえ」と答えた。
そう、と冬真はうなずいた。
それでも、心配そうに見つめていた。
「俺に言えないこと?」
「いいえ」
愛莉は苦笑した。
そんな答えでは全く満足していない様子の冬真に、こういう時だけは鋭いんだからと思いながら、まっすぐに見つめ返した。
「冬真先輩のこと、信じてますから」
真摯な言葉と眼差しだった。
そのまっすぐさに、なぜだかいたたまれない気持ちになって、冬真は狼狽した。
信じてくれるのは嬉しい。
嬉しいけれど。
お弁当が美味しい話をしていたはずなのに、それまでの会話から全くつながらない。
俺はいったい何をしたんだろう?
心当たりが、あるようなないような。
本当にいえないようなことが何かあったのではないかと思考を巡らせかけたところで、自分の手に頬を寄せている愛莉が目を閉じていることに気付く。
祈りをささげているような、儚い表情だった。
なんだか消えてしまいそうで、不安になる
そっと愛莉の眼鏡を外すと、そのおでこに唇を寄せた。
そのまま軽くキスを落とす。
フワリと突然かかった吐息にビクリと身をすくめたけれど、軽く触れた唇に愛莉は真っ赤になって、それでも冬真に寄り添った。
互いの体温がフワリと近づいて、よかった、とゆるやかに実感する。
大丈夫だと、そのぬくもりは告げているようだった。
そのまま愛莉の頬に、冬真は自分の頬をくっつける。
暖かかった。
でもすぐに「恥かしい」と言って愛莉が身を離そうとするので、冬真はムッとした。
せっかく二人きりになれて、ふとわいた不安が消えたはずなのに。
手を出さないのと、悪戯しないのは別の問題だろう。
先日書いた念書の内容を頭の中で反復し、都合よく解釈する。
だから貴方という人は! などと頭の中で榊の説教する声が聞こえた気がするが、ここにはいないからただの幻聴にすぎないとスルーだ。
腰に手を回して愛莉を抱き寄せると、そのおでこや頬に軽く口づけを落とす。
うん、これなら本格的に手を出したことにはならないはず。
間断なくチュッチュッとたくさんのキスを顔じゅうに落とされ、愛莉はさすがにジタバタしてしまった。
「せ、先輩、ちょっと!」
「動くと、狙いがそれちゃう」
何の狙いですか! と抗議する声は、そのまま唇で塞がれた。
キャーッと叫ぶこともできず、愛莉はされるがままである。
頭に一気に血がのぼって、思考がショートしてしまった。
長い長いキスの後で。
離れる瞬間、ペロリと愛莉の唇をなめた。
「ごちそうさま」
満足そうに、フフン♪ と笑われて、愛莉は茫然自失だった。
キスだけでも慣れないのに……な、なめられた……刺激が強すぎます。
そんなふうに文句の一つも言いたかったけれど。
ぐったりとして、完全に腰が砕けていた。
「手を出してないから、大丈夫だよね♪」
サッと愛莉の眼鏡を元に戻して、冬真は一人でウンウンとうなずいていた。
違う! 絶対に違うはず!
心の中で愛莉は反論した。
それに。
私の同意はどこにあるんですか? と愛莉は心の中でホロホロと涙を流した。
好きな人と触れあえるのは嬉しいけれど。
なぜだろう?
冬真が相手だと目があっただけで、常識を越えた衝撃があるのに。
普通に頬に触れたり、キスをしたり、通常の男女交際には当然かもしれないけれど。
何かがあきらかに違っていた。
どうしてこんなにフェロモンの多い人なのかしら?
いやいや、それ以前に何でも自分のペースで進める事を、どうにかしてほしい。
愛莉がどうにかして「控えめな関わり」をお願いしようと言葉を探しているところで、キンコンと予鈴が鳴った。
「残念、時間切れ」
あっさりそう言って、冬真は立ち上がった。
当たり前に手を差し出されて、愛莉はその指が長くて骨っぽい綺麗な手を取った。
優しくひき寄せられて、愛莉は立ち上がるとそのまま軽く抱きしめられた。
また?
もしかしてまた好き放題されるのかと、つい身体を固くする。
「ちょっとだけ充電」
キュッとまわされた腕に力がこもって、愛莉もそっと抱き返した。
ちょっとだけ充電。
その言い方に、思わずクスリと笑ってしまった。
冬真らしいし、なんとなく今の状態にピッタリな台詞だった。
でも、すぐに正気に戻る。
次は体育だった。
腕を突っ張っても意味がないことは経験済みなので、冬真の顎に手をかけた。
グイグイと手を突っ張ると、冬真も首に負担がかかったのか、さすがに少し離れた。
「着替えがあるので、急ぎますから」
ああ~もうムードが、と冬真はぼやく。
すみませんと愛莉は頭を下げて、サッと荷物をまとめて一礼する。
「また、放課後に」
急ごうとする腕を引きとめ、校舎まで、と冬真は手をつなぐ。
「早く大人になりたいな」
愛莉の急ぎ足に合わせて歩きながら冬真がそんなふうにぼやくので、なぜですか?、と問い返した。
答えはなかった。
不思議に思って視線を向けると、無言で艶っぽく笑うので、足がもつれた。
フェロモンを惜しげもなく開放している。
非常に、心臓に負担がかかる微笑みだった。
「俺、何も言ってないよ?」
「そ、そうですね。別に、何も言ってないですよね!」
「大人になったら、誰にも遠慮しなくていいって、言いたかっただけだし」
遠慮って、どういう意味ですか!
頭がクラクラする。
せ、先輩~と、かぼそく愛莉は声を上げた。
クスクスと冬真は笑った。
「今、何を想像した?」
何かって、言える訳がない。
いや~っと恥かしさで愛莉は真っ赤になってしまう。
アハハッと声をあげて冬真は笑いだした。
「うん、それ、後で教えて? 大人になったら、ちゃんとしてあげる」
任せて! と力強くうなずきながらあでやかに微笑まれたものだから、シクシクと愛莉は心の中で涙を流した。
いじめっ子だ、と今更のように思う。
冬真はひたすら機嫌良くクスクスと笑っていた。
早く大人になりたいな~と空を見上げた冬真は、アッと声を上げる。
つられて愛莉も視線をあげて、フワリと視線を緩めた。
真っ青な空に、一筋の飛行機雲。
綺麗だった。
どこまでも透き通る空は、秋らしく高い。
ためらいも不安も、全て包みこんでとかしてしまう青さだ。
迷いなく描かれた白い一文字は、これからの未来を示すように光輝いていた。
※ 学校生活の様子を書きたくて、今までのイメージを持ちつつ三人称にできたらとチャレンジして、どっちつかずの文体になりました…文章力のなさを痛感しつつ、お話そのものは好きです。
廊下の先から冬真が走ってきて、あ、と思ったとたんに、飛びつくようにして抱きついてきたのだ。
キャーッと叫びかけたけれど、なんとか悲鳴をかみ殺す。
ギュウギュウと抱きしめられて、少々苦しかった。
あいかわらず、密着度の高い人だと思う。
腕を突っ張っても、力で負けて全然離れない。
一般女子よりは日常から剣道で鍛えているはずなのに、いつも太刀打ちできなくて悔しいと思う。
「あんまり遅いから迎えに来たけど……お腹すいた」
ふてくされたようにぼやくので、ごめんなさいと謝った。
「ん、別にいいけど。こっちおいで」
不意に身体を離すとチラリと周りを確かめて、誰も見ていないとわかるとフワッと冬真は笑った。
え? と不思議に思いながら一緒に歩きかけて、すぐに愛莉は上ずった声を上げた。
「せ、先輩! こ、こ、こ、こ……」
腰に手が!
腰に手が回っていますとかぼそい声に、悪びれなく冬真は笑った。
「え? 待ち過ぎて、寂しかったから。別に喰ったりしないし」
「た、食べるのはお弁当だけにしてください!」
知らず、力がこもった。
「そんな言い方はちょっと」
小さく愛莉が付け足すと、冬真はフフッとなげやりに笑った。
なぜか、遠くに視線を飛ばす。
非常に不本意そうな表情になっていた。
「言うぐらい許してほしいな~高校卒業までは絶対に手を出さないから。この前、榊に念書を書かされたからさ。こんないたいけで純粋な高校生相手に、あんな非道な条件つけるなんて! もう勘弁してほしいよな。これでも我慢強いのに」
いえ、どこをどうひいき目に見ても我慢強くありませんから。
百人に聞けば、百人がうなずくだろう。
もちろん口に出さず、心の中でひっそりと愛莉は答えた。
それにしても。
念書!
一体どんなペナルティがあるのか、気になるところだ。
冬真の表情から、そうとう嫌な内容に違いない。
非道な条件?
アレコレと考えかけて、愛莉はやめた。
なにしろ、用意したのが榊だ。
口に出せないような事柄しか、思い浮かばなかった。
優しげな表情を作っているけれど、中身が悪魔だから優しいのだ。
後でこっそり確認してみようかしらと思っていたら、スッと冬真は横にそれた。
西棟と東棟をつなぐ非常階段の裏にスルリと入り込み、冬真はあたりまえにハンカチを広げた。
どうぞと言われてためらったけれど、オズオズと愛莉はその上に座る。
確かにここなら人目にもつかないし、密室とさほど変わりがない。
階段裏なので、風通しが悪くて薄暗いのが難点だけど、パンダ状態よりはマシだった。
愛莉の横に冬真も並んで座ると、上靴とソックスを脱いで足の甲を確かめている。
いきなりだったので、びっくりして横から覗いた愛莉は目をしばたいた。
なぜか、足の甲が赤くなっている。
少々、痛そうだった。
「どうしたんですか? 物が落ちてきたとか?」
「ん? なんかよくわからないけど、ついさっき莉子たちに踏まれた」
莉子とは冬真のクラスメイトで、さっき愛莉と購買前で話をしていた少女たちの中にいた。
冬真と莉子はよく話しているので、愛莉は言葉を直接交わしたのはさっきが初めてでも、名前も顔も知っていた。
ついさっき?
と、いうことは愛莉と話をした直後だろう。
それにしても、冬真の足を踏んだ?
この赤み具合から、けっこうな勢いで踏んづけたに違いない。
なぜ?
さっきのやりとりについては冬真には黙っておくつもりだけど、関係があるのだろうか?
愛莉にはよくわからなかった。
頭が混乱しそうで、パチパチと忙しくまばたきする。
「真面目な話、いきなりだよ? 寄ってたかって数人がかりで踏みつけて、コレで許してあげる、とか言われて……で、何すんだよって聞いたら理由も言わずに、サッサと愛莉を迎えに行けってさ。ほんとに、訳わかんないだろ?」
う~んと悩む愛莉の前で、冬真はやってらんないと言いながら、再びソックスや上靴をはきなおした。
痛かったとぼやいたすぐ後にすぐに気持ちを切り替えたらしく、お腹すいた、と愛莉を見る。
「もう、ペコペコで死にそう」
早くお弁当! とご飯をねだる子供みたいな表情に、プッと愛莉は吹き出してしまった。
他の人がいると大人びたキリリとした顔をしているのに、愛莉と榊の前では聞き分けのない子供に戻るのがおかしかった。
ハイ、とうなずいてお弁当を渡す。
やった、と喜びながら、冬真は満足そうにお弁当を広げている。
その無邪気な横顔を見ながら、愛莉も自分のお弁当を膝の上に置いて食べ始めた。
校内の喧騒からも離れて、静かだった。
こうして肩を並べて二人きりになれるなんて、滅多にないことだった。
愛莉の自宅に家庭教師でくる時には家族がワサワサと現れるし、二人で出掛けてもやたらと注目を浴びる。
冬真の自宅で勉強をしに行っても、なぜか弟の宇宙が教科書を片手に乱入したり、榊から様子を伺う電話があったりと、ちょっぴり二人きりには遠かった。
今は、周囲の雑音もなくて静かだ。
こういうのは久しぶりかもしれないと、愛莉はホッと息を吐いた。
チラッと横を見れば本当にお腹がすいていたらしく、綺麗な箸の使い方が嘘のように冬真は夢中でお弁当をほおばっていた。
出会った頃は食事に興味ないと投げやりなことばっかり言っていた冬真も、最近は食べることも楽しそうだった。
おいしいよ、と絶妙なタイミングでお礼を言う冬真と目があって、愛莉は頬を染めた。
側にいるだけで、ほんのりと心が温もる。
嬉しい反面、愛莉は切なくなった。
いつまで、こんな時間が過ごせるだろう?
生まれも育ちも差がありすぎて、知れば知るほどため息しかこぼれない。
付き合っているはずなのに愛莉にとっての冬真は、すれ違うこともない芸能人とか、雲の上に住んでいるような人に似ている。
存在そのものに距離があると感じてしまう。
あまり考えないようにしているが、弁護士である榊が付き合い方も管理しているぐらい、普通の男女交際からはかけ離れた事象が控えていた。
ハッキリ言って、個人の付き合いだけでは収まらない。
貴女は厄介な人だと榊から言われたことがあるので、聡い愛莉は口に出されない部分にもそれなりに気がついていた。
おそらく、今は消極的容認をされているだけだ。
もしも、冬真の人生にこんな安っぽい恋など不必要だと判断されたら、あっさりとこの付き合った時間すらも消されてしまうのだろう。
それは愛莉にとって、悲しくて厳しい現実だった。
だって、冬真が愛莉と付き合うメリットは、家とか会社とか社会とか大局から見れば、何一つない。
愛莉自身の生活の要である共働きの両親と、改築ローンの途中の荒れ放題の自宅を振り返れば、なおさらだった。
ぼんやりと、冬真の端正な横顔を見つめてしまう。
こんなに近くにいるのに、と思う。
どうやっても近づけない人を追いかけているようで、不安にさいなまれてしまう。
明るい未来がまったく見えないのに、どうして冬真なんだろうと、何度も何度も自問自答していた。
幸せって、小さくてささやかな嬉しいことの積み重ねだと思うのに。
冬真は、そのささやかな積み重ねの似合わない人だから。
それでも、仕方ないのだ。
恋とはそういうもの。
人を、弱くも強くも、愚かにも賢くもする。
自分の気持ちに嘘をつけば、穏やかな未来が訪れても、きっと後悔するだろう。
前途多難だとわかっていても、後悔だけはしたくなかった。
だって、と思う。
相手のことがわからない不安だとか、焦燥とか、言葉にすれば切なくなるけれど。
理解し合うのが難しいのは、自分たちだけに限定されたことではないはず。
この世界にいる全ての人に、それは共通する事だから。
たまたま置かれた立場が違いすぎたから、その差を大きく感じるだけで、生きている限りは誰もが同じこと。
同じ場所にいて、同じ時間を過ごしていても、人が違えばそれぞれ別の人生を歩んでいる。
だからこそ心惹かれて、だからこそ不安になって、相手を理解するための行為が生まれる。
そのことさえ忘れずに歩み寄れば、きっとお互いの心に寄り添うことができるはずだから。
そんなふうに思いながら、そっと愛莉は自分の胸を押さえた。
周りの浮足立った状況に惑わされて、自分の気持ちを間違えてはいけない。
大切なことは、自分の胸の中で想いとして生きているのだから。
大丈夫、ここにある気持ちは揺らいでいない。
フワリ、と暖かいモノが包み込むように頬に触れた。
ハッとして目を向けると、不思議な顔をした冬真と目があった。
そのまま優しく頬をなでる冬真の手に、ドギマギしながらも愛莉は自分の手を添えた。
壊れ物を相手にしている感じで触れられて、ひかえめに頬ずりする。
「何かあった?」
問いかけられて、愛莉は「いいえ」と答えた。
そう、と冬真はうなずいた。
それでも、心配そうに見つめていた。
「俺に言えないこと?」
「いいえ」
愛莉は苦笑した。
そんな答えでは全く満足していない様子の冬真に、こういう時だけは鋭いんだからと思いながら、まっすぐに見つめ返した。
「冬真先輩のこと、信じてますから」
真摯な言葉と眼差しだった。
そのまっすぐさに、なぜだかいたたまれない気持ちになって、冬真は狼狽した。
信じてくれるのは嬉しい。
嬉しいけれど。
お弁当が美味しい話をしていたはずなのに、それまでの会話から全くつながらない。
俺はいったい何をしたんだろう?
心当たりが、あるようなないような。
本当にいえないようなことが何かあったのではないかと思考を巡らせかけたところで、自分の手に頬を寄せている愛莉が目を閉じていることに気付く。
祈りをささげているような、儚い表情だった。
なんだか消えてしまいそうで、不安になる
そっと愛莉の眼鏡を外すと、そのおでこに唇を寄せた。
そのまま軽くキスを落とす。
フワリと突然かかった吐息にビクリと身をすくめたけれど、軽く触れた唇に愛莉は真っ赤になって、それでも冬真に寄り添った。
互いの体温がフワリと近づいて、よかった、とゆるやかに実感する。
大丈夫だと、そのぬくもりは告げているようだった。
そのまま愛莉の頬に、冬真は自分の頬をくっつける。
暖かかった。
でもすぐに「恥かしい」と言って愛莉が身を離そうとするので、冬真はムッとした。
せっかく二人きりになれて、ふとわいた不安が消えたはずなのに。
手を出さないのと、悪戯しないのは別の問題だろう。
先日書いた念書の内容を頭の中で反復し、都合よく解釈する。
だから貴方という人は! などと頭の中で榊の説教する声が聞こえた気がするが、ここにはいないからただの幻聴にすぎないとスルーだ。
腰に手を回して愛莉を抱き寄せると、そのおでこや頬に軽く口づけを落とす。
うん、これなら本格的に手を出したことにはならないはず。
間断なくチュッチュッとたくさんのキスを顔じゅうに落とされ、愛莉はさすがにジタバタしてしまった。
「せ、先輩、ちょっと!」
「動くと、狙いがそれちゃう」
何の狙いですか! と抗議する声は、そのまま唇で塞がれた。
キャーッと叫ぶこともできず、愛莉はされるがままである。
頭に一気に血がのぼって、思考がショートしてしまった。
長い長いキスの後で。
離れる瞬間、ペロリと愛莉の唇をなめた。
「ごちそうさま」
満足そうに、フフン♪ と笑われて、愛莉は茫然自失だった。
キスだけでも慣れないのに……な、なめられた……刺激が強すぎます。
そんなふうに文句の一つも言いたかったけれど。
ぐったりとして、完全に腰が砕けていた。
「手を出してないから、大丈夫だよね♪」
サッと愛莉の眼鏡を元に戻して、冬真は一人でウンウンとうなずいていた。
違う! 絶対に違うはず!
心の中で愛莉は反論した。
それに。
私の同意はどこにあるんですか? と愛莉は心の中でホロホロと涙を流した。
好きな人と触れあえるのは嬉しいけれど。
なぜだろう?
冬真が相手だと目があっただけで、常識を越えた衝撃があるのに。
普通に頬に触れたり、キスをしたり、通常の男女交際には当然かもしれないけれど。
何かがあきらかに違っていた。
どうしてこんなにフェロモンの多い人なのかしら?
いやいや、それ以前に何でも自分のペースで進める事を、どうにかしてほしい。
愛莉がどうにかして「控えめな関わり」をお願いしようと言葉を探しているところで、キンコンと予鈴が鳴った。
「残念、時間切れ」
あっさりそう言って、冬真は立ち上がった。
当たり前に手を差し出されて、愛莉はその指が長くて骨っぽい綺麗な手を取った。
優しくひき寄せられて、愛莉は立ち上がるとそのまま軽く抱きしめられた。
また?
もしかしてまた好き放題されるのかと、つい身体を固くする。
「ちょっとだけ充電」
キュッとまわされた腕に力がこもって、愛莉もそっと抱き返した。
ちょっとだけ充電。
その言い方に、思わずクスリと笑ってしまった。
冬真らしいし、なんとなく今の状態にピッタリな台詞だった。
でも、すぐに正気に戻る。
次は体育だった。
腕を突っ張っても意味がないことは経験済みなので、冬真の顎に手をかけた。
グイグイと手を突っ張ると、冬真も首に負担がかかったのか、さすがに少し離れた。
「着替えがあるので、急ぎますから」
ああ~もうムードが、と冬真はぼやく。
すみませんと愛莉は頭を下げて、サッと荷物をまとめて一礼する。
「また、放課後に」
急ごうとする腕を引きとめ、校舎まで、と冬真は手をつなぐ。
「早く大人になりたいな」
愛莉の急ぎ足に合わせて歩きながら冬真がそんなふうにぼやくので、なぜですか?、と問い返した。
答えはなかった。
不思議に思って視線を向けると、無言で艶っぽく笑うので、足がもつれた。
フェロモンを惜しげもなく開放している。
非常に、心臓に負担がかかる微笑みだった。
「俺、何も言ってないよ?」
「そ、そうですね。別に、何も言ってないですよね!」
「大人になったら、誰にも遠慮しなくていいって、言いたかっただけだし」
遠慮って、どういう意味ですか!
頭がクラクラする。
せ、先輩~と、かぼそく愛莉は声を上げた。
クスクスと冬真は笑った。
「今、何を想像した?」
何かって、言える訳がない。
いや~っと恥かしさで愛莉は真っ赤になってしまう。
アハハッと声をあげて冬真は笑いだした。
「うん、それ、後で教えて? 大人になったら、ちゃんとしてあげる」
任せて! と力強くうなずきながらあでやかに微笑まれたものだから、シクシクと愛莉は心の中で涙を流した。
いじめっ子だ、と今更のように思う。
冬真はひたすら機嫌良くクスクスと笑っていた。
早く大人になりたいな~と空を見上げた冬真は、アッと声を上げる。
つられて愛莉も視線をあげて、フワリと視線を緩めた。
真っ青な空に、一筋の飛行機雲。
綺麗だった。
どこまでも透き通る空は、秋らしく高い。
ためらいも不安も、全て包みこんでとかしてしまう青さだ。
迷いなく描かれた白い一文字は、これからの未来を示すように光輝いていた。
※ 学校生活の様子を書きたくて、今までのイメージを持ちつつ三人称にできたらとチャレンジして、どっちつかずの文体になりました…文章力のなさを痛感しつつ、お話そのものは好きです。
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