兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

文字の大きさ
24 / 37
後日譚・海に浮かぶ月を見る

そのじゅういち 白くて黒い

しおりを挟む
 頼りなく揺れる波の不規則な感覚に、ロザリンデは意識を取り戻しつつあった。
 それでもまだ半分は夢の中であり、誘拐され袋詰めされたまま運ばれている。
 薬剤や毒には体を慣らしているので、誘拐犯たちが思うより覚醒が早いのだろう。

 攫われる理由については、ありすぎてわからない。
 なにしろロザリンデは海洋王国ドラクルの第一王女で、つい先日までフラメル国の正妃でもあったからだ。

 海路の確立。交易の利潤拡大。人為的な脅威の排除。
 様々な思惑を微笑みで隠し、国と国を結ぶ。
 それがロザリンデに与えられた役割で、齢15にして40歳年上の国王の元へと第二の正妃として嫁いだ王女としての使命だった。

 小娘と侮られぬように、相手に付け入る隙を与えぬように、ましてや身の内にドロドロと黒い闇を飼っていることなどおくびにも出さぬように心がける。
 美しい翼を広げ湖に舞い降りた白鳥のように、純粋に愛されなくてはならない。

 思惑通りに、優美でたおやかな肢体と穏やかで柔和な美貌は白鳥のようだと国王陛下に愛でられたが、ロザリンデよりも年上の義息たちの負の感情をあおることになった。
 故人である第一正妃が国内の高位貴族であったから、海洋王国との繋がりを持つ子が世継ぎとして最優先される可能性を恐れたのだ。
 ドラクルの魔女と侮蔑する単純さに、それがお前たちの望みなら叶えて差し上げるわと内心ほくそ笑みながら、頼りない風情で悲しげに目を伏せた日もある。

 もとより子を成さぬ契約を結び離縁が前提の婚姻であるから、国王も欲をかかずお飾りのまま愛でれば良かったのに、可能性という宝石の魅力には抗えなかったのだろう。
 避妊薬の使用で表向きは整合性を持たせたが、海運利潤に関してロザリンデの祖国に有利なものを引き出せた。
 最後には愛を口にするに至るから、恥じらう振りをして嘲笑を隠すのも大変だった。
 それはそれで祖国にとって新たな利益の可能性を生んだので、黒い笑みを隠し、優美な白鳥の仕草で受け入れた。
 それなのに。

―――おいたわしい、ロザリンデ様。

 初夜の後、同郷の若い治癒師がそう言って泣くものだから、ふと、自らも人間であったことを思い出した。
 醜く見苦しい在り方が自分自身だから、おいたわしいという言葉を激しく憎悪したが、同時に枯渇していた情愛が湧きあがり、この男が欲しいと思った。

 王族ほど不自由な生き物はいない。
 その身に与えられた特権を享受しながら、個としてはゴミ屑以下である。 
 ましてやロザリンデは、見てくれこそ美しいが、ただの怪物だ。
 御伽噺の悪魔の娘のように、白い鳥の皮をまとい欺く黒鳥の娘と同じなのだ。

 それでも稀に、本性を隠す息苦しさは感じる。
 自らの醜悪さに辟易しながら、窒息して溺死しかけた時。
 まっすぐな瞳が見苦しい表層を透かし、心の奥底に眠る宝石を見つけた時のように微笑むのだから、たちが悪い。
 醜いおのれの本性ごと認め受け入れ、あなたの在り方は美しくて愛しいと告げてくる相手を知ってしまえば、手放せるわけがない。

 ニィと唇が弧を描き、嘲笑を形作る。
 どれほど傷ついても、ロザリンデ自身にまで傷つけられても、想いを止められないのだから、恋とは本当に愚かで恐ろしいものだ。
 全てをしくみ、思い通りに誘導していると知っているはずでも、ダンテはダンテのまま変わらない。

 真っすぐで慈愛に満ちた、純粋な愛情に裏打ちされた献身の輝き。
 国からの資金提供は豊潤なのだから、意地を張らず手を付ければ良いだけで、ごっこ遊びの不自由さなど気にしなければ良いのに、生真面目な男は身を粉にしてロザリンデに尽くし、勝手に傷ついて、哀れにも許しを請う。
 痛々しいすべてに、ゾクゾクするほどの愛を感じる。
 彼の眼差しを独占するためだけに、ロザリンデは祖国からの要望も受け入れているとも知らないで、なんて哀れで愛しい男なのか。

 もう二度と、ロザリンデはダンテを手放せない。

 次の夫として、表面だけは清廉で美しい、醜悪で見苦しい怪物を見つけるだけだ。
 フラメル国で6年過ごしても、嫁いだ国には何の情もわかなかった。
 そもそも白鳥に見えたからと言って、芯から白い生き物だと信じる王が愚かなのだ。
 そして、最後の最後で国王故人を欺いて、思い通りに得た母国への土産も身の内にある。いっそ流れてしまえと思うときもあるのに、存外丈夫で生き強い。
 怪物を見つけさえすれば、フラメル国の王権を揺るがすものが腹の中に居るのだから、ロザリンデの身をダンテごと引き受けさせる勝算はあるのだ。

 ふと、一緒にいたティアは大丈夫だろうか? と思った。

 思い出せば、初めて港街ラタンフェにたどり着いた日。
 ロザリンデは路上喫茶で椅子に座って、果実水を飲みながらダンテを待っていた。
 治癒院に職を求めに行ったダンテと入れ違いに、建物の中からミントとその夫が出てきた。
 旅慣れている二人が視線を合わせるたび、恥じらうように頬を染める少女と、その瞬間に瞳の奥底まで確かめている男の様子が、あまりに自然で目を奪われてしまった。

 ロザリンデがどれほど望んでも手に入れる事の叶わない、幸福の形がそこにあった。
 あの娘の純真と献身にあふれる瞳の輝きは、ダンテの持つ輝きに似ていた。
 治癒の力は願いや祈りに似ているというから、同じ種類の人間なのだろう。
 そのうえ白銀の髪と緑の瞳という、ロザリンデと同じ色彩を持っていたのも良かった。

 ただ、治癒師らしい娘に惹かれている男は、ロザリンデと同じくまっとうに生きられない人間に違いない、と思った
 ロクな男ではないわ、と一瞬侮蔑が浮かんだが、自分はそれ以上に醜い生き物だ。
 高貴な者として美しくあでやかに清廉な姿は、性根とは真逆である。
 表の顔が美麗であればあるほど、自分自身の心根の歪みや醜さに辟易して、見苦しい化け物であると実感する。

 だから街頭で、彼らが店舗のおかみさんたちと交わす会話を漏れ聞いて、長期滞在用の宿の名を知り、ダンテを唆して同宿にしたのだ。
 夢のような夫婦ごっこの間に、夢そのものである普通のお友達も一緒に愛でて慈しみたかった。
 夢幻の白鳥として、つかの間の友との思い出を、一生の宝にするつもりだった。

 だから、今の状況は心底から不本意だった。
 最後の扉をくぐったのだろう。
 ようやくロザリンデを荷物のように運ぶ足が止まった。
 布袋越しに漏れ聞こえてくる言葉の訛りとその声に、攫った相手の予想がついた。

 許さなくてよ、フラメル国の愚か者ども。

 不意に身体が投げ出され、布袋から転げ落ちる。
 手を伸ばしたら届く場所で解放されたティアの姿に、見た範囲では怪我もなく無事を確認して内心で安堵する。

 怒りが燃え上がる。
 腹の底から、燃えるような憎悪がわきあがる。
 白く偽っていた翼が、本来の闇の色に染まる。

 激しく膨らむ剣呑な激情を押し隠し、布袋から解放されたロザリンデは、普段通りに微笑んだ。
 穏やかで嫋やかなその微笑みは、白鳥と呼ばれる王女にふさわしい高貴さと清廉さを漂わせていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

いなくなった伯爵令嬢の代わりとして育てられました。本物が見つかって今度は彼女の婚約者だった辺境伯様に嫁ぎます。

りつ
恋愛
~身代わり令嬢は強面辺境伯に溺愛される~ 行方不明になった伯爵家の娘によく似ていると孤児院から引き取られたマリア。孤独を抱えながら必死に伯爵夫妻の望む子どもを演じる。数年後、ようやく伯爵家での暮らしにも慣れてきた矢先、夫妻の本当の娘であるヒルデが見つかる。自分とは違う天真爛漫な性格をしたヒルデはあっという間に伯爵家に馴染み、マリアの婚約者もヒルデに惹かれてしまう……。

処理中です...