兎と猛獣 ~ 月の綺麗な夜でした ~

真朱マロ

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後日譚・海に浮かぶ月を見る

エピローグ

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 宝月祭が終わってもラタンフェの街は賑わっていた。
 当初予定していた期間よりも長く、三か月間滞在していた部屋を引き払うため、ミントは荷造りをしていた。

 臨時で務めた治療院も二週間前に辞めて、純粋に観光も楽しんだし、祭りが終わった後の日常の港町の暮らしも体験した。
 ローも同じように宝月祭後も漁師たちと海に出ていたが、ミントと同じころに船を降りて、ミントと一緒に観光したり、今のように港街のリサーチに一人くり出すこともあった。
 仕事を辞めてからも街に出れば知り合いと顔を合わせるので、もうすぐ街を去る事を告げればたいそう惜しまれた。
 このまま住めば良いのに、と言ってもらえるのは幸せな事だ。

 確かに、良い街だった。
 とても賑やかで、開放的で、華やかな港街。
 だけど即決するには、ミントは知らない事が多すぎた。

 これまでは目立つ師匠の影に隠れて流れるように旅して、息をひそめるようにひっそりと暮らしていたので、目立たぬことは得意だった。
 僻地にいた時は僻地の暮らしに馴染むのも早かったし、港街にいれば港町ならではの生活を受け入れるのも早い。
 けれどそれは、根を張って葉を広げて花を咲かせるような、その地に根付くような暮らし方ではなかったから、ほんの少し欲が出たのだ。

 もう少し色々な地域を巡って、暮らす場所を決めたい。
 それは我儘な欲かもしれないけれど、ローも元が一か所に留まるような質ではないから、次の候補を上げて楽しんでいた。
 それでもこのラタンフェは、いつか暮らしても良いと思うほど、過ごしやすい街だった。

 開け放った窓から吹き込む風に、ミントは荷造りの手を止めて空を見る。
 宝月祭が終わってしばらくして、衝撃的な発表があったのを思い出す。
 アレクサンドル王子とロザリンデの、性急な婚約と二か月後の婚姻予定日は各国を揺らした。

 政略も兼ねての婚姻だと告知はされたが、国民は同時に流れた噂を信じていた。
 お忍びで宝月祭に訪れていた、悲運の白鳥姫ロザリンデと少年王子アレクサンドルの運命的な出会いとプロポーズに至った甘いロマンス。
 その物語が広がるにつれて、年下の少年の情熱に押し切られる美姫の演目が、各地で興行されている。

 かつてこの宿でコイバナを楽しんだロザリンデが、まさか、あの優しい悪魔みたいな第三王子と結婚することになるとは、ミントは想像もしていなかった。
 13歳の王子様のろくでもない策略を想像するのは、笑顔が綺麗な時ほど真っ黒な事を成す人物だと妙な確信があるからだ。
 これは絶対に誰かさんの陰謀の前段階だから、凶事が起こる予感がしてミントは怖くなったが、唯一どちらも知っているローは話相手には向かないので、ジッと黙って胸の奥にためている。

 先日ちょっとだけ顔を出したジルを話し相手にしようとしたら、悪魔王子と黒鳥姫だからお似合いだと青くなってブルブル震えていたので、何があったのか尋ねるのを止めた。
 このとき尋ねなかったから、アレクサンドル殿下とロザリンデ妃殿下の婚姻式が王位簒奪の現場となったのを、二か月後に知るのだがそれはまた別の話。
 世の中には、周到に罠を張り巡らした現王の首を落とす計画のように、聞かない方が良い事がいっぱいあるのだ。

 とにかく、お腹の中が真っ黒な王族はおっかないけど、良いニュースもあるとジルは言った。 
 市井を流れていた「神の手」を主治医として抱えることで、ミントへの悪感情を帳消しにする計画がすでに発動しているという。

 神の手が長く市井を放浪している間に、育てた医師や治癒師の数は数えきれないほどに多い。
 その功績を大きく打ち出して、数多の神の手の弟子たちを育てるきっかけになった愛弟子の存在も尊ぶように、意識改革をロザリンデが主体になってすでに始まっていた。

 たまたまミントが愛弟子の筆頭として名前が挙がっているだけで、神の手が育てた医療の担い手は数多い。
 神の手は気まぐれで気前がいいから、筋が良さそうだと思った人間をすぐに捕まえて、みっちり仕込む後継者教育を趣味にしているから、愛弟子と呼ばれる存在が今はワサワサと増えている最中だとか。
 今の体制の担い手はミントの存在をよく思っていないが、そのうち世代交代して神の手の養子で愛弟子であったその存在も、森の中にある一株のミントのようにまったく目立たなくなるだろうと、ジルは請け負った。

「とはいえ、今はまだ危ないっすからね。おっかない旦那と一緒にいなさい。それでも困ったときには、おにーちゃん助けてって叫べばすぐに飛んで行くっす」

 それだけ言ってジルは、養父の元に帰っていった。
 ローに見つかったら先日の海にドボンの件で半殺しにされそうだからと、ものすごい勢いで去ったので、おかしくなって笑ってしまった。
 逃げてもきっと次に会った時に絞められるから、先延ばしにしたらさらに痛い目に合いそうで、ちょっぴり気の毒にもなる。
 本人たちは否定するだろうが、なんだかんだ言いつつローもジルの存在を認めているし、二人は友人で仲良しなのだと思う。

 ラタンフェに来てからの生活を思い出し、知らずニコニコしながら荷造りが終わった頃。
 見計らったようにローが帰ってきた。

「支払いも終わらせたぜ。行くか?」
「うん。なんだか、あっという間だったね」
「まーな。ま、悪くねぇ街だったな」

 思い返すようなことを言いながらも、楽しげな表情はすでに次の街に気持ちが飛んでいるのがわかるので、ミントはクスクスと笑った。
 新しい事を始めるのはいつも少しだけ恐いけれど、ローが傍にいるだけで未来への希望のように心が浮き立つ。
 だから弾むようにローに駆け寄り、その腕にギュッと抱き着いた。

「ローさん。私、あなたが好きです」
「おう、そいつは良かった」

 少しだけ驚いた顔になったけれどすぐに快活に笑いだすから、ミントはふわりと幸福な気持ちになる。
 この人と一緒にいられるなら、どこに居ても、それだけで良い。

 そして二人手を取って、新たな街へと旅立つのだ。
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