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第4会話 よくわからん立ち仕事のためだけに机を買うと思うかね
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今日も高野はいつもの調子でこう話しかけるのである。
「安住さん」
そして向かいの席に座る安住は、決まってこう言うのだ。
「なんだ、終わったか?」
「終わったら苦労しないですよね~」
「そうだなあ」
深夜の暗いオフィスに残っているのは安住と高野だけ。しんと静まり返ったオフィスではキーボードとマウスの音しかしない。だから、時折外を通りかかる車が地面を引っ掻く音を立てるとそれが妙に響いているような気がして仕方が無く、そしてその度に、限界を迎えた高野は気が立って、バタバタとその辺りを走り回りたくなるのである。
「ああああ!」
高野は叫びながら立ち上がった。
「なんだ」
安住はそう聞いたが高野は返事をしない。
高野は立ち上がった勢いのまま、そして欲求のままにオフィスの中を走り出した。
高野の革靴がタイルカーペットを踏むと、トットットットッ、と小気味よい足音が鳴る。
トットットットットットットット……
テーブルの横を通り、植木の横を抜け、窓際を走り、椅子の背もたれと背もたれの間を抜け、複合機の前を通り、そして戻る。
近くなったり、次第に遠くなったり、はたまた近くなったりする足音を安住は聞いた。
高野は何周か走り回り、座席に戻って椅子の背もたれに勢いよく倒れ込んだ。手をだらりと後ろに垂らし、鼻で空気を吸い、口でフーと長い息を吐いた。
高野が鳴らしていた足音が消えると、オフィスの中はより一層静けさを増したような気がした。
しばしの沈黙の後、また話が始まる。
「安住さん」
「なんだ」
「最近の社会人は立って仕事するらしいですよ」
「立ってか」
「はい。お腹くらいの高さのテーブルがあって、そこにパソコン置いて椅子無しで作業ができるってやつです」
「ああ、なんかネットで見たな」
「スタンディングワークって言うらしいんですよ」
「立ち仕事っつってな」
「国内外問わず色んな有名企業や大企業でもやってるらしいんですよ」
「そうなんだなあ」
高野はいくつか布石を打ち、そして聞いてみた。
「うちはやらないんですか」
「やらないだろうな」
打てど響かぬ。布石をいくら打ったところで、残念ながら無駄なこともある。
「えーどうして!」
言いながら高野は再び勢いよく立ち上がる。
「立つのって良いことづくめなんですよ! いいですか? そうやってずーっと座りっぱなしだと血管が圧迫されて、下半身の血流が滞って悪くなるんです。そうやって血の巡りが悪くなると、腰は痛くなり、足先は冷え、身体はみるみる太り、生活習慣病になり、あとはあの~……ナントカ症候群にもなるし、もうとにかく悪いことだらけなんですよ! ほんとに!」
「ナントカ症候群ってなんだよ」
「ずっと座ってるとなるアレです。なんだっけえーっと……、乗り物の……」
「エコノミー症候群か?」
「それ! それですよ! デスクワークが増えたこの現代においてこれは見逃せない問題のはずです。ね、どうですか? マジで!」
「そうか。まあそれはそうだな」
安住は腰に手を当て、回したりくねらせたりしている。
「安住さんも腰痛いでしょ! ほら!」
「無理」
「えぇ~」
安住の一刀両断を食らい、高野はテーブルに手をついてそのまましゃがみこんだ。
「安住課長様が上に何とか言ってくださいよ~」
高野は手をパタパタしてテーブルを打つ。しかしその小さな抗議も実ることはない。
「無理無理、無理でーす」
「なんでですか~」
「なんでってか? それは簡単な話だ」
安住は二太刀目を放つ。
「うちが大企業じゃないから」
「ぐふっ」
高野は頬に当たるテーブルの冷たさをしみじみと感じた。
「まあ大企業じゃなくてもやってるところはやってると思うけどな。ただな、社員をこき使ってゴリゴリ深夜のサビ残させるような会社が、よくわからん立ち仕事のためだけに机を買うと思うかね高野平社員君」
「よくわからんって今僕が説明したじゃないですか~」
「よくわからんってのは俺の言葉じゃないぞ。上の話だ上の。お立ち台の上でこの会社を牛耳ってるお偉い様の皆々様にそんな話をしたところで、通る話じゃないってことだよ」
「社員のたった一つの願いも受け入れてくれないんですかこの社会は」
「社会ってのはみんなの諦めで出来てんだよ」
「皆の屍の上に立っていると」
「そうだ」
「はあ~腹立つ~」
高野はデスクからずるずると滑り落ち、ついには床に寝転ぶ体勢になった。
「まあ軽く言うだけ言ってはみるけどな。99.999%無理だから諦めろ」
「え~ヤダヤダヤダヤダ立ちたい立ちたい立ちたい立ちたい」
高野は活発な赤子のように手足を振り回す。安住からはテーブルで死角になっていて見えていないものの、憐れむ目で高野を見た。
「そんなに立ちたいか」
「はい」
「よし分かった! 高野」
「おお!」
安住は言った。
「廊下に立ってなさい」
高野はハアと息を吐き、立ち上がってそのまま扉から出ていった。
安住が一人になったまま、数分が経った。
また扉が開く。入ってきたのは高野だ。
高野は、安住にこう聞いた。
「コンビニ行きますけど何かいります?」
「コーヒー頼む」
「ブラックですよね?」
「うん」
「はーい」
遊びもほどほどに、残業はまだ続く。
「安住さん」
そして向かいの席に座る安住は、決まってこう言うのだ。
「なんだ、終わったか?」
「終わったら苦労しないですよね~」
「そうだなあ」
深夜の暗いオフィスに残っているのは安住と高野だけ。しんと静まり返ったオフィスではキーボードとマウスの音しかしない。だから、時折外を通りかかる車が地面を引っ掻く音を立てるとそれが妙に響いているような気がして仕方が無く、そしてその度に、限界を迎えた高野は気が立って、バタバタとその辺りを走り回りたくなるのである。
「ああああ!」
高野は叫びながら立ち上がった。
「なんだ」
安住はそう聞いたが高野は返事をしない。
高野は立ち上がった勢いのまま、そして欲求のままにオフィスの中を走り出した。
高野の革靴がタイルカーペットを踏むと、トットットットッ、と小気味よい足音が鳴る。
トットットットットットットット……
テーブルの横を通り、植木の横を抜け、窓際を走り、椅子の背もたれと背もたれの間を抜け、複合機の前を通り、そして戻る。
近くなったり、次第に遠くなったり、はたまた近くなったりする足音を安住は聞いた。
高野は何周か走り回り、座席に戻って椅子の背もたれに勢いよく倒れ込んだ。手をだらりと後ろに垂らし、鼻で空気を吸い、口でフーと長い息を吐いた。
高野が鳴らしていた足音が消えると、オフィスの中はより一層静けさを増したような気がした。
しばしの沈黙の後、また話が始まる。
「安住さん」
「なんだ」
「最近の社会人は立って仕事するらしいですよ」
「立ってか」
「はい。お腹くらいの高さのテーブルがあって、そこにパソコン置いて椅子無しで作業ができるってやつです」
「ああ、なんかネットで見たな」
「スタンディングワークって言うらしいんですよ」
「立ち仕事っつってな」
「国内外問わず色んな有名企業や大企業でもやってるらしいんですよ」
「そうなんだなあ」
高野はいくつか布石を打ち、そして聞いてみた。
「うちはやらないんですか」
「やらないだろうな」
打てど響かぬ。布石をいくら打ったところで、残念ながら無駄なこともある。
「えーどうして!」
言いながら高野は再び勢いよく立ち上がる。
「立つのって良いことづくめなんですよ! いいですか? そうやってずーっと座りっぱなしだと血管が圧迫されて、下半身の血流が滞って悪くなるんです。そうやって血の巡りが悪くなると、腰は痛くなり、足先は冷え、身体はみるみる太り、生活習慣病になり、あとはあの~……ナントカ症候群にもなるし、もうとにかく悪いことだらけなんですよ! ほんとに!」
「ナントカ症候群ってなんだよ」
「ずっと座ってるとなるアレです。なんだっけえーっと……、乗り物の……」
「エコノミー症候群か?」
「それ! それですよ! デスクワークが増えたこの現代においてこれは見逃せない問題のはずです。ね、どうですか? マジで!」
「そうか。まあそれはそうだな」
安住は腰に手を当て、回したりくねらせたりしている。
「安住さんも腰痛いでしょ! ほら!」
「無理」
「えぇ~」
安住の一刀両断を食らい、高野はテーブルに手をついてそのまましゃがみこんだ。
「安住課長様が上に何とか言ってくださいよ~」
高野は手をパタパタしてテーブルを打つ。しかしその小さな抗議も実ることはない。
「無理無理、無理でーす」
「なんでですか~」
「なんでってか? それは簡単な話だ」
安住は二太刀目を放つ。
「うちが大企業じゃないから」
「ぐふっ」
高野は頬に当たるテーブルの冷たさをしみじみと感じた。
「まあ大企業じゃなくてもやってるところはやってると思うけどな。ただな、社員をこき使ってゴリゴリ深夜のサビ残させるような会社が、よくわからん立ち仕事のためだけに机を買うと思うかね高野平社員君」
「よくわからんって今僕が説明したじゃないですか~」
「よくわからんってのは俺の言葉じゃないぞ。上の話だ上の。お立ち台の上でこの会社を牛耳ってるお偉い様の皆々様にそんな話をしたところで、通る話じゃないってことだよ」
「社員のたった一つの願いも受け入れてくれないんですかこの社会は」
「社会ってのはみんなの諦めで出来てんだよ」
「皆の屍の上に立っていると」
「そうだ」
「はあ~腹立つ~」
高野はデスクからずるずると滑り落ち、ついには床に寝転ぶ体勢になった。
「まあ軽く言うだけ言ってはみるけどな。99.999%無理だから諦めろ」
「え~ヤダヤダヤダヤダ立ちたい立ちたい立ちたい立ちたい」
高野は活発な赤子のように手足を振り回す。安住からはテーブルで死角になっていて見えていないものの、憐れむ目で高野を見た。
「そんなに立ちたいか」
「はい」
「よし分かった! 高野」
「おお!」
安住は言った。
「廊下に立ってなさい」
高野はハアと息を吐き、立ち上がってそのまま扉から出ていった。
安住が一人になったまま、数分が経った。
また扉が開く。入ってきたのは高野だ。
高野は、安住にこう聞いた。
「コンビニ行きますけど何かいります?」
「コーヒー頼む」
「ブラックですよね?」
「うん」
「はーい」
遊びもほどほどに、残業はまだ続く。
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