君が奏でる部屋

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56 男の友情

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 かおりの入学式の翌日、僕は昼休みに平山を学食に呼び出して礼を言った。僕たちが二人一緒の時は、いつも目立たないように学食の隅の柱の陰の席で食べていた。女子達が来ると煩いからだ。平山はモテる。僕とは違って女の扱いも上手く、笑顔で捌いている。僕はわざわざ笑顔をつくったりしない。

「平山、昨日はありがとう。僕は全然わかっていなかった。みっともないところを見せたし、いろいろ気が回らなくて、助かったよ。花も……かおりはずっと見ていた。本当にありがとう」
「いえ。槇先輩って、本当に純粋なんですね」

「そう?かおりほどでは」
「それは……藤原さんほどではないにしても」

「そうかもな、平山は経験豊富そうだもんな」
「まぁ、22才でキス2回の人よりは……」

「まだ言うのか。……事実だったけど」
「えっ!本当に本当だったんですか!?」

「そんなに驚くことか?」
「驚きますよ」

「かおりが生まれた時から、かおりしか見てないし」
「そんなことをさらっと言えるのに、今まで何やってたんですか?」 

「だから入籍するまでキスしかしてないって」
「そうでしたね。……槇先輩、槇先生」

「『先輩』で構わないし『先輩』なくてもいいから『先生』はやめて」
「はい、先輩。……相談させていただいてもいいですか?」

「あぁ、もちろん」
「……僕、生徒に教えていく自信がないんです。将来はソリストになるつもりでいますが、しかし平山の家でぬくぬくとそれだけって訳にも……。先輩は小さい頃の藤原さんを教えた経験があると伺いました」

「そうだな。2才のかおりに教えていた時、僕は7才だった」
「経験豊富じゃないですか」

「変な言い方するなよ」
「子供って、すぐに出来ないでしょう?イライラしませんか?」

「大人だってすぐに出来ないし、僕だってすぐに出来ない。短気起こしてたら教えられない。僕は教授に結構反抗してたし、迷惑かけた。それに比べたら、生徒はかわいいよ。平山は頭がいいから自分が出来ない苦労をしていないんだろう?」
「……僕が槇先輩と知り合ったのは、先輩の反抗期の後なんですか?差し支えなければ、反抗しなくなったきっかけが……あったんですか?」

「きっかけね。かおりのことだ。……僕が反抗していたのは、成長期で、夜、身体中が痛くて眠れなくて、いつもイライラして、素直になれなかったんだ。教授が『慎一はそんなんじゃピアニストにもなれないし教師にもなれない』って言うから『僕にも生徒がいます!』って答えたら『今すぐ連れてこい』で、かおりを連れていったら教授が気に入って、即かおりのレッスンだよ。僕のことは見えなくなったようだった。僕がかおりに教えて、もう言うことがないくらいに仕上げてあった曲を。『愛の夢』だった。コンクールでは、すごく綺麗な音色で弾いたんだ。審査員特別賞をもらった。あれは、僕じゃなくて教授のおかげだ。負けたと思ったよ。あたりまえだけど。真剣になったのはそれからだ」
「その時、先輩はおいくつだったんですか?」

「僕が中3で、かおりが小5。教授は引き出し方がものすごく上手かった」
「そこまで持っていった先輩の手腕も相当ですよ」

 そんなこともあったな。

「ありがとう。……僕も今年は音大の女子は取らないでもらった。大人なのに手が小さい人には僕じゃない方がいいんじゃないかと。かおりと歳の近い女も遠慮したいしね……。平山も、最初は男だけにするとか、趣味の大人だけとか、できるよ、大丈夫。男は教えられないって女のピアノの先生は多いみたいだし。棲みわけられるんじゃないか?平山に習いたい人は絶対にいる。……それから、僕と2台ピアノやらない?」
「やります」

「じゃ、選曲しておくよ」
「曲は幾つかできています」

「そうなの?すごいな」
「作曲編曲法上級の授業を取っていたので、試作程度ですけど」

「それは作曲専攻のための授業で、ピアノ演奏科が履修できない科目だろう?」
「はい。単位はいらないと言って全て聴講させてもらいました」

「流石だな。今あるの?」 
「あります」

「時間ある?2台の部屋行く?」
「はい。行きます」

 1台のピアノを二人で弾く連弾もいいけれど、2台のピアノをそれぞれ一人ずつ弾いて完成させる曲は憧れる。何より、面白さが違う、弾き応えが違う。
 ピアノコンチェルトも2台ピアノで演奏されるが、それはソリストの役割とオーケストラの役割に分担される。2台ピアノは二人ともが主役で同等だ。実力も同じだとやりやすい。
 僕と平山だったら、体格、手の大きさ、得意な曲はもちろん曲の好みも解りあえる。習った先生が同じというのも最高だ。

 以前からずっとやりたいと思っていた。僕の進学、就職の問題、同じ年だが学年は一つ下になる平山に余計な面倒はかけられないと思っていたが、もう大丈夫だろう。
 大学で2台ピアノができる部屋を借りて、パソコンに入った楽譜を見せてもらった。

 ……平山も考えてくれていたのだろうか。僕たちが在籍したピアノ演奏科では履修できない、作曲専攻科のための作曲編曲法上級の授業を聴講して、曲を創っていた。

 もちろん、僕とやることが前提ではなく、自身の勉強のためだろう。だが、……僕がソリストオーディションで弾いたチャイコフスキーのコンチェルトを元にしてアレンジしたと思われる作品が一番大作で、平山が弾いたリストのコンチェルトを元にした作品がその次によく考えられ、練ってある、趣のある作品になっていた。
 他にもクラシックではなく、ポップス調の軽い感じの作品もあったし、バラードもあった。僕は楽曲の分析はしても、作曲する側からの勉強はしていない。それらの曲の複雑さと完成度の高さに、感動し、何も言えなくなった。

 遊びたかったわけではない。既存の作品でもいいから、平山とユニットを組んで演奏活動ができたらと考えていた。平山は女の子にモテるから、ファンが増えて、様々な層に広がったらすごいなと思った。

「……先輩?お気に召さなければ直しますので、気になる所をご指摘いただけますか?」
「いや、そんなこと……。全てが僕の想像以上だ。曲の好み、難易度も。それに……」
「畏れ入ります。それに?」

 僕はためらいがちに、平山がモテるが故に演奏以外の要素でも売れたりするかな、なんて邪なことを考えてしまったことを詫びた。

「……先輩、どれだけ純粋なんですか。申し訳ありませんが、僕だって、この顔の先輩とだったらって考えました」
「そうなのか?え?僕の顔?」

「すみませんが、正直それもメリットです。先輩、大学一年の前期試験の後の優秀者演奏会で既にたくさんのファンがいたじゃないですか!学外に公開されていましたし、僕は聴きに行きました。廊下で女子に騒がれて先生に怒られたところも見ました。覚えていませんか?あれが先輩のファンですよ……すみません。もちろん、演奏が素晴らしいからです」

 ……あぁ、そんなこともあったか。

「よく覚えているな」
「だから、僕から先輩をお誘いすることは失礼かと。でも、いつか先輩と2台ピアノがやりたくて、これを書きました。どうか、よろしくお願いします」

「ありがとう。平山は創ったんだから弾けるだろう。僕だけ練習が必要だ。少し期間をくれないか」
「この楽譜の通りでなくて構いません。初見でセッションして、そこから創りあげていけたら、僕はその方が嬉しいです」

「ありがとう。じゃ、テンポはこれでいい?」
 僕はすぐにカウントして、イントロダクションを掴んだ。左手で低音の四分音符を刻んだ。右手で二分音符の和音を重ねた。平山が後からフーガで旋律を歌い、華やかなオクターブの連打で第一主題に入った。

 僕たちは、時間を忘れて音を合わせた。僕はパソコンの楽譜に慣れていなかったし、平山は暗譜だったから、お互いに楽譜の通りではなかった。それでも、クラシックを学んだ者、同じ教授に教えを受けた者同士、お互いに尊敬する者同士が即興できたことに、わくわくしたし、感動した。

 チャイコフスキーの世界観、イメージ、音使い、もう一度コンチェルトをやり直したい。小品も勉強したい。ピアノ以外の楽曲への理解を深めたい。

 それから、かおりにも聴かせたい。ここでようやくかおりのことを思い出した。

 そこへ、館内アナウンスが入った。

「まもなく閉館です。五分後に消灯します。ご注意下さい」

「やばい!」
「いきなり電気落ちるんだっけ?」

 僕たちは、急いでパソコンとピアノを片付けて外に出た。

 言葉が要らなかった。

「じゃあ、また」
「ありがとうございました」







 僕たちは閉館の9時までさらった。連絡もせずに遅くなった。

 家に帰ると、かおりは練習していた。僕は声をかけずにソファに横になり、ピアノの練習をするかおりを見つめた。

 ずっとかおりを見つめていたら、かおりが手を止めて僕を見た。甘えたそうな目をしている。かおりはわかりやすい。僕は横になったまま笑って、両手を広げてかおりに言った。

「疲れているから、いいよ?」
 かおりは戸惑った様子を見せた。

「……疲れているから?いいの?……疲れていたらだめなのでは……」
「ごめん、言葉が足りなかったな。僕が疲れているから、かおりを抱きしめて充電したいんだ。来て」

 かおりはにこっとして、僕のところにパタパタと走って来た。

 練習が充実して、かおりを抱きしめて、最高の気分だった。
 こんな日が、ずっと続くといい。












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