君が奏でる部屋

K

文字の大きさ
65 / 151

65 ずっと言いたかった言葉

しおりを挟む

 僕は大学を卒業と同時に、……正確に言うと、もう少し早くに結婚して家を出た。

 久しぶりに父親が外で会わないかと言ってきた。久しぶりといっても、卒業してから数ヶ月もたっていない。

 僕は、父親が苦手だったわけではないが、あまり話さなかった。僕は音楽大学の講師になった。商社勤務の父親とはタイプも違うし、あまり共通の話題もないと思っていた。

 父親は、雰囲気のいい店に連れていってくれた。
「父親と食べて帰る。かおりを一人にしてごめん」
 妻にメールを送信した。


「何か用?」
 僕は単刀直入に聞いてみた。

「用はない。たまにはいいだろ?」
「はい」

 僕達はしばらく何も言わなかった。沈黙は気まずいものではなかったけれど、聞きたかったことを聞いてみた。

「お母さんとは、何で知り合ったの?」
「俺達?知らなかった?るり子も言わなかった?」

「はい」
 るり子というのは僕の母親の名前だ。

「……言いたくなければ、別に」
「いや、何も隠すことはない。るり子、綺麗だろ?」

 僕は返事に困った。母親は見た目が派手だ。明るくて真面目で優等生だけど、母親だと煩い。
「黙るなよ。るり子は綺麗だし、かおりは可愛い。俺達は好きな仕事をしている。最高だな」
「そうですね」
 僕は無理矢理答えた。


 父親は、楽しい話でも思い出すように、ゆっくり話してくれた。僕は初めて聞く話だった。


 入社してすぐ、上司の藤原さんが、るり子のピアノリサイタルに連れていってくれた。悦子さん……藤原さんの奥様も一緒だった。あの時も可愛らしくて綺麗な人だった。俺は、仕事で面倒を見てもらっている藤原さんにすごく憧れていた。藤原さんは俺より10才も年上だし、落ち着いていて、男としても余裕があるっていうのかな。奥様を大切にしている様子を間近で見て、ますます尊敬したんだ。悦子さんは絵が好きで、ピアノを弾くお友達……るり子と仲良くしている話を聞いて、人間として、こういう人達と一生お付き合いしたいなと思った。

 俺は、教養としてクラシックの名曲は割りと知っていると思っていた。それなのに、プログラムに知っている曲は一曲もなかった。所謂、有名な曲ばかりのプログラムだったら、俺はそんなに興味を唆られなかっただろう。国際コンクールのために用意した曲目だということは後で知った。……演奏前に解説を読んだ。るり子が書いたという、その文章も知的で良かった。演奏を聴くのが楽しみになったし、演奏を聴けば音楽への情熱に惹かれた。

 プログラムに掲載されていた、るり子の写真も綺麗だった。演奏後、楽屋を訪ねて藤原さんに紹介してもらった。肌の色とか、色っぽかったし、余所行きの写真よりずっと生き生きしていて綺麗だった。すぐに言った。

「素敵でした。付き合ってほしい。だめ?」
「……私は普段練習があるし、男性と……お付き合いしたことはありません。遊びなら、お付き合いできません」

 普通に断られた。断られたのは初めてだったけど、全然気にならなかった。

「真面目に言ってる。あなたの、解説文章も演奏も、音楽に対する姿勢も素敵だと思ったから。それに、友達思いのところも」
「……悦子のこと?」

「そう。お互いに、素敵なお友達なんでしょ?」
「……そうなの。そんな風に言ってくれるなんて……」

 るり子は初めて俺に微笑んでくれた。
 俺は、心から祈るように聞いた。

「連絡先を教えてください」
「……はい」



「まぁ、こんな感じ?」
「ふうん……て、ちょっと待って。入社してからって大学卒業してすぐ?22才?僕が生まれたのって、お父さんが23才の時でしょ?早すぎない?」

「あぁ、直ぐ出来たから。嬉しかったよ?そろそろ帰るか」
「お母さんの国際コンクールは?出られなかったの?怒ってなかった?」

「それは知らない。受けてないな。こんなイイコが授かったし、娘もできて、最高だよ」
「かおりは娘じゃない!」

「もう、本当の娘だ」
 僕は、今更ながら急に恥ずかしくなった。

「父親がそんなだったなんて、僕はかおりのお父さんに軽い男だと思われなかったか心配だ……」
「大丈夫!二人を見れば、何もしてなかったことくらいわかるさ」

 僕は絶句した。
 それなのに父親は平然と言う。

「かおりが高校卒業と同時に結婚するのも、早すぎるだろ?」
「僕はかおりが生まれた時から決めていたから、早いとは思っていない」

「俺も、自分が早いとは思っていない」
 僕は言い返すのをやめた。

 そして、何かを思い出したように父親は言った。
「かおりのお母さんの絵は見たか?」

「絵?」
「大学に飾ってあるらしい。機会があったら見てみたいと思っていた」

「もしかして、玄関に飾ってあった……あれが?今から行こうよ」
「大学にか?不審に思われないか?」

「普通にお願いすれば大丈夫だと思うけど」
「女子大なのに大胆だな。誰に似たんだか?」

 夜だったが、かおりの女子大の守衛さんには、学生の保護者で、玄関に飾ってある絵を見せてほしいと話すと、直ぐに案内してくれた。

 僕達は、かおりのお母さんが学生時代に描いたという絵を鑑賞した。

「僕は、午前中の自然の光の中で見た。もっと綺麗だった……夕焼けの中でも見てみたい」

 僕も父親も、美しいものが好きなんだ。
 代えられない価値観が同じだった。






「慎一、パパになるんだろ?おめでとう」

「ありがとう。僕も、お父さんみたいに格好いい父親になりたいと思っている」

 ようやく言えた。
 そう、ずっと言いたかった言葉だった。















しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【R18】幼馴染がイケメン過ぎる

ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。 幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。 幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。 関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。

最後の女

蒲公英
恋愛
若すぎる妻を娶ったおっさんと、おっさんに嫁いだ若すぎる妻。夫婦らしくなるまでを、あれこれと。

処理中です...