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藤原夫妻のエピソード
2 男として自信を持ちたい
しおりを挟む女性たちを見送ってしばらくしても、あまり食欲がわかなかった。
きっとそれは今だけのことで、時間が経てば食べたくなるだろうからと、自炊に必要な定番の食材をスーパーで買って帰宅した。自炊といっても、寮の小さなキッチンで作れる程度の簡単なものだ。
今日の仕事のような大失敗を繰り返さないよう、自分用の仕事のマニュアルをつくろうと思い立ち、夕食の後はそれに没頭した。
数日後。
帰宅すると、独身寮の留守番電話のボタンが点滅している。メッセージが入っているようだ。普段は使わない機能なので、誤って消去しないよう、慎重に再生した。
「もしもし、先日上野でお世話になりました、藤原さんの代理の……るり子です。藤原さんはお話するのが苦手なので私が代わりにお礼と伝言をお伝えしたく、お電話しました」
僕は驚いた。期待しないようにと思っていたが、それはやはり嬉しいものだった。あの綺麗な彼女は『藤原さん』と言うのか。メッセージの最後に、電話をかけてきた『るり子』というお友達の電話番号が録音されていた。
僕はそれを手帳に書き留め、仕事のことしか書かれていないスケジュール帳を広げた。三人でもいい。また会いたい。自分から誰かに……女性に好意を持つことも久しぶりだったし、こんな進展があったことに、内心喜びを隠せなかった。
僕は、書き留めた番号に電話をした。
これまでになかった自分の行動力に驚きつつ…………。
るり子というお友達の番号にかけると、母親らしき人が出た。自宅だろう。僕は会社名と自分の名を告げた。僕が就職した会社は世間的には有名な会社で、不審に思われずに済んだのは面倒がなくて便利だった。
母親は、娘から何かを聞いたことがあるのだろう。
「先だっては娘がお世話になりました。少々お待ちくださいませ」
と、不審者扱いされることなく繋いでくれた。
「もしもし、こんばんは。るり子です」
「こんばんは。メッセージ入れてくれてありがとう。よかったら今度、美術館に誘いたいんだけど、どうかな?」
「ありがとうございます。悦子は行ってもいいと言っていました。ただ、不安みたいで私も一緒にって言うんです。私も悦子が大人の方と一緒にお出かけするのはちょっと心配だし、でも私が行ったらお邪魔かもと思って……」
「邪魔じゃないよ。悦子さんもるり子さんも、僕が信用できるまで一緒に来てくれたらいい」
「ありがとうございます。悦子も安心すると思います。とてもおとなしい子で……」
「そうみたいだね。同級生なの?」
「はい、大学四年です」
「そうなのか。僕は気が利かないから、るり子さんがいてくれると、僕も安心だ」
それから今週末の土曜日に、ランチをして美術館に行ったり公園を散歩したりすることにした。
大学四年生とは、五つ年下か。さぞ僕はオジサンに見えることだろう。クローゼットの中を見回したが、スーツはともかく洋服なんてしばらく買っていない。極力ダサいと思われたくない。
翌日、会社の女子社員に勇気を出して聞いてみた。
「今度、年下の女性とランチに行くんだけど、僕に合いそうな洋服はどこで買ったらいいだろうか?」
「ええと、先輩だったら、新宿の◯◯◯が合いそう。◯◯◯◯もいいかも。頑張ってください、次期係長!」
「最後のはわからないけど、ありがとう。見に行ってみる」
見に行く時間はあるだろうか。とにかく土曜日に仕事に行く羽目にならないよう、頑張ることにした。
それからというもの、どうも女子社員に見られているような気がする、そんな場面が増えた。会議室に移動した時や、社員食堂に行けばお茶を持ってきてくれたり、周りの席が女子社員でいっぱいになったり、挨拶の仕方、視線……自意識過剰か。
「やっぱりよくみると格好いいよ!」
「背も高いし優しいし」
「次期係長らしいよ?」
「好きな人がいるんだって!」
「この会社にいるだけでも超優良物件だよね」
「こんなことならはやく捕まえておけばよかった~」
僕は場所を変えて仕事をした。空いている会議室で仕事をしていると、上司がきた。隠れていた訳ではないが、見張られていたのだろうか。
「オイ!お前、モテモテらしいじゃないか。独身寮を出るなら家族社宅の説明でもしようか?」
「おそれいります。社宅の話……伺いたいです」
「お?進展ありそうだな。実はな、品川の社宅が一つ空きそうなんだ。お前、結婚するかどうかはともかく、仮押さえするなら話通しておくよ。キャンセル料はかからないし、何なら一人で住んでくれても構わない。最近規則も厳しくなくなってきてるから」
「そうなんですか。じゃ、お願いします」
「ほう?思い切りのいい男だな。うん、あそこなら悪くない。奥さん喜ぶぞ」
「ありがとうございます」
わざと否定しなかった。そうなったらいいなと思ってしまった自分が気恥ずかしい。本当は心臓が高鳴っていたが、仕事の一環と思って穏やかな営業スマイルを通した。
現在の寮は独身向けのワンルームだが、かの家族社宅は外国からのお客様をホテル代わりに滞在させることもできる造りの高級仕様だと聞いたことがある。
僕のような者が普通に賃貸で借りられるような物件ではないし、噂では誰でも申し込める訳でもないらしい。上司から見ると僕もそういう年齢、よい社宅を紹介してもらえる段階になったと思っていいのだろうか。自信がついたような誇らしい気持ちだった。
僕は仕事先で時間を作っては、新宿で洋服を見たり、上野でランチができる場所を見に行ってみたりした。そして、彼女とお友達と三人でランチすることを想像した。いつか、二人でデートに行く日が来るのだろうか。そして、家族社宅のことも頭を掠めた。まだ彼女のことはよく知らない。あのおとなしい彼女と、もし家族になったらどんなに素敵だろうか……。
僕は改めて仕事に没頭した。
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