私が猫又な旦那様の花嫁?~前世の夫婦といわれても記憶がないので、あやかしの血族向け家政婦はじめます~

千早 朔

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大旦那様と白藤

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「こちらでお待ちくださいませ」

 タキさんの言葉に、私は上座のルールを思い起こしながら、床の間から一番離れた席へと向かった。
 開かれた障子から見える美しい庭を、背にする形だ。
 と、すかさずタキさんが、

「床の間側をお使いくださいませ」

「え? ですがこちらは……」

「お待ちの間、大旦那様ご自慢の庭を楽しんでいてほしいとのことです」

 誰からの言伝かなんて、野暮なこと。

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 ぺこりと頭を下げてから、掛け軸側を空けて腰を下ろす。さすがにこちらは、マオに座ってもらいたい。
 タキさんは「お茶をお持ちいたします」と会釈すると、障子を閉めて、足音を立てずに去っていった。

 正面は障子だけではなく、縁側のガラス戸も開けているらしい。夕陽を反射した若々しい草木の香りが、ときおり鼻腔を掠める。
 ふ、と。薄く緊張の息を吐きだした。
 親父のほうが嫁として迎えようとしてくるから気を付けろと言ってた、マオの言葉を思い出す。

(本当に、楽しみにしてくれてたんだ)

 だというのに。
 現れたのが嫁になるどころか、どう言い訳をするかばかり考えている可愛げのない女で、申し訳ない。

「――少し、失礼するね」

「!」

 突然の声に、跳ねるようにして顔を上げる。
 見れば外から縁側に上がってくる、男性がひとり。黒交じりの灰色の髪を軽く流し、茶色の着物にグレーの羽織を重ねている。
 歳はタキさんよりも若い。五十後半から六十くらいだろうか。

「よっと」と立ち上がったその人の手元には、竹筒の花瓶と、そこに活けられた、白く小さな花弁の連なる房が美しい花。
 男性はにこりと優し気に目元を緩めると、

「飾らせてもらってもいいかな?」

「へ? あ、どうぞ!」

 涼やかだった床の間を指しているのだと理解して、私は何度も頷く。
 彼は「ありがとう」と笑み、いそいそと歩を進めた。

「つい花の手入れに夢中になっちゃって。驚かせて、申し訳ないね」

 私は「いえ」と会釈しながら、

「突然押しかけて来てしまったのは、私のほうです。お邪魔をしてしまい、申し訳ありません」

 頭を下げながら、この人はどなただろうかと考える。
 和服が随分と馴染んでいるし、タキさんと同じで、ここで働くひとりだろうか。庭師さんとか。
 さすがに大旦那様みずから、花の手入れはしないはず。
 床の間の前まで進んだ男性は「お邪魔だなんて。歓迎するよ」と膝を折った、刹那。

「おっと」

「!」

 よろけた拍子に、花瓶から水か数滴跳ねた。

「お着物、大丈夫ですか?」

 急いで鞄からハンカチを取り出し、その人の側へ。
 驚いたように目を丸めながらも頷いたのを確認してから、私は畳に跳ねた水にハンカチを押し当てた。

(畳を拭く時は、こすっちゃ駄目なんだよね)

 傷つけないように注意を払いながら、乾いた面を何度かに分けて、ポンポンと優しく叩いて水分を拭きとっていく。

「少量ですし、あとは自然乾燥でも問題ないかと思います」

「……畳の拭き方を知っているんだね」

「あ……祖母と住んでいた家に、畳があったので。小さい頃から、よく濡らしてしまっていたんです」

 たしかに、私くらいの年齢だと、そもそも畳に馴染みのない人も多いだろう。
 その人は「ふむ」と納得したように小さく呟いてから、

「ハンカチ、汚してしまってすまないね。クリーニング代を用意するから、少し待っていてくれるかな」

「いえ、私が勝手にしたことですし、ただの水濡れだけでしたから。お気になさらないでください」

 慌てて告げると、その人が「本当にいいのかい?」とどこかしょんぼりとした顔をする。

(なんだか、お茶目な人)

 思わず笑みを零しながら「はい」と頷くと、その人は「ありがとう」と嬉し気に目元を緩めた。
 すっと伸ばした指で、花瓶から垂れ下がる白い花に触れる。

「これ、何の花でしょう?」

 茶目っ気たっぷりな声に尋ねられ、私は「え、と」とどもりながらも急いで花に視線を向ける。
 その人は変わらずにこにこと優し気な笑みを浮かべていて、けして、正解を求めているわけではないのだと分かる。

(大旦那様が来られるまでひとりだからって、気を遣ってくれたのかな……)

 タキさんといい、ここの人たちは優しい。
 肩の力が抜けるのを感じながら、私は「そう、ですね……」と口を開いた。

 白は白でも、夢で見たあの花とは、まったく違う花。
 よくよく見れば目の前の白い花は茎ではなく、細い枝から垂れ下がり弧を描いている。
 根本から穂先にかけて、徐々に小さくなっていく蝶々に似た花弁。
 弓なりに弧を描くその姿には、見覚えがある。けれど。

「……藤、のように見えますが、その……色が」

「うんうん、そう。正解。これは白藤といってね。花言葉は歓迎、恋に酔う。それから……決して離れない。あの子とあなたに、似合いの花でしょう?」

「っ!」

 にこりと優美に笑んで、その人が花瓶の位置を整える。

(あの子、って)

 聞くまでもない、マオのことだ。
 なら、この人はまさか――。

(私の待っていた"大旦那様"!?)
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