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化け狸の大旦那様

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「ご挨拶が遅れまして、申し訳ありませんでした……!」

 私は即座に低頭し、急いで名を告げる。すると、

「おや、怒らないんだね」

「……え?」

 穏やかな声の顔を上げると、その人は楽し気な顔で対面の席に膝を折って、

「あなたを一人にして、わざと名乗らずに"勘違い"させるような態度で接して。無礼だと怒って当然だろうに、あなたが謝ってしまった」

「す、すみません……」

「ほら、また。あなたが謝るべきことなど、なにひとつありゃしないのに。……なるほど。あの子が唯一無二の"嫁"だと、探し回るわけだ」

 その人の黒い目が、成長した幼子を見るように細む。

「あの子の養父の、狸絆りはんです。正直なところ、見つかるとは思ってもいなかったんだけれどね。探し始めて百年ちょっとで巡り合わせてくれるのなら、神も捨てたものではないかな」

(百年ちょっと……?)

 それは、前世の私達が生きていたのが百年前という意味だろうか。

(でも、いま"探し始めて"って……)

「それで、式は神前式、教会式、仏前式のどれがお好みかな? ゲストハウスやリゾートスタイルってのも素敵だねえ。今は様々な形があって面白いのなんの。ああ、費用は私がもつから、どーんとやってくださいな。ただちょっと、参列者には口出しさせてもらわないといけないのだけは、勘弁してくれるかな」

「式って、あの、そんな」

「家族になるんだ、遠慮は無用だよ。あの子の悲願が成就するのを、私をはじめとするこの家の者がみんな待ち望んでいたんだ。あ、その前に茉優さんのご両親にもご挨拶しないとだよね。うっかり、うっかり。確認しておきたいのだけれど、茉優さんのご両親には、私どもの素性は隠しておくかい? 少し前ならばともかく、今の時代にあやかしは馴染みがないものねえ」

「…………あやかし?」

 言われた通り、馴染みのない単語を確かめるようにして繰り返す。
 と、狸絆さんは「ええ」ときょとんとして、

「私どもはあやかし。私は化け狸、『つづみ商店』の店主です。あの子から、聞いてないかい?」

「…………」

 あやかし。化け狸。
 これまでの人生で人から言われたことのないような言葉に、思考がフリーズする。

(もしかして、からかわれているとか……?)

 でも、眼前の狸絆さんからはそんな雰囲気は感じ取れないし……。

「もしかして、はじめて知ったのかな?」

 私の反応から悟ったのだろう。
 気遣うように小首を傾げて訊ねてくる狸絆さんに、私は少しだけ躊躇してから、

「はい……。あの、大変失礼なことは承知しているのですが、その……本当の、話なんですよね?」

 僅かな可能性にかけて、ちらりと上目で伺いながら訊ねる。
 狸絆さんは「そうだねえ」と朗らかに頷いて、

「論より証拠、かな」

「へ?」

 途端、ぼぶんと白煙が立ち上がったかと思うと、狸絆さんの姿が消えた。
 違う、消えてなどいない。
 白煙の中から「よいしょ」と声がしたかと思うと、薄れゆく靄の中、机に前脚を乗せた獣――狸があられた。

「ほらね、かわいいでしょう?」

 ふんふんと黒くとがった鼻をひくつかせる、狸絆さんと同じ髪色のもっふりとした狸。
 絶妙なカーブを描いた小さな耳が、可愛さをアピールするようにぴこぴこと動く。

(か、かわいい……!)

 もふりたい。そんな衝動が湧き上がってくるのを、ぐっと耐える。
 だって見た目こそもふもふな狸だけれども、これは紛れもなく、ロマンスグレーなマオの養父であるあの狸絆さんなのだから。

「あ、あやかしといっても、姿は本当に狸さんなんですね」

「ん? ああ、実を言うと別の姿もあるのだけれどね。まあ、現世うつしよには向かないもんで、こちらで。私があやかしだという証明にはなったでしょう?」

「は、はい……! ありがとうございました。私のために、お手間をかけていただいて……」

「怖くはないかい?」

 訊ねられて、あ、と今更に思う。
 そうだった、愛らしい姿に気を取られていたけれど、そもそもは狸絆さんたちがあやかしだって話だった。
 自身の心を探るようにして、狸になった狸絆さんを真剣に見つめる。けど。

(な、なんだかもふーんっていう幻聴が聞こえるような……っ)

 怖くない。むしろ、可愛い。
 そしてもふもふが、もふもふが……っ!

「よかったら、撫でてみるかい?」

「え!? いいえそんな、恐れ多いことなど……!」

「元が元だから、本物の野生の狸と違って、感染症の心配もないからね。毛並みもこんなに美しいし、ほら、このしっぽなんて触ったらとても柔らかいと思わないかい?」

 ふりふりと振られる、もっふりとふくらんだしっぽ。
 気付けば狸絆さんはとてとてと私の横まで歩いてきて、ちょこんと背を向けておすわりをしてみせた。
 私を見上げるようにして、顔だけで振り返り、

「それとも、私では撫でるに値しないかな……?」

 まん丸なうるうるとした黒い目に見つめられてしまっては、もう、もう……!

「し、失礼させていただきます……っ!」

「うんうん、どうぞ」

 嬉し気に伸ばされた背中に、私はごくりと喉を鳴らして手を伸ばす。
 その時だった。スパン! と音を立て、襖が開かれる。

「仲良くしてくれんのはありがたいけどな、俺を差し置いて一気に距離を詰めすぎじゃないか?」

「! マオさん……っ!」

「待たせたな、茉優。どうだ? 色男だろ」

 にっと口角を吊り上げてみせるマオは、その髪と同じ白色の着物に藤色の羽織を羽織っている。
 ドキリと心臓が強く跳ねたのは、確かによく似合っているというのもあるけれど、それよりも。
 その姿が、夢の中で見た彼と同じだったから。

(本当に、あの夢で"繋がった"のは、マオだったんだ……)

 マオはつかつかと私の隣まで歩を進めてくると、右肩をぐいと引いて私を引き寄せる。

「マ、マオさん!?」

(顔が、胸元が、近い……っ!!)

「良い毛並みを撫でたいってなら、あんなタヌキ親父じゃなくて俺にしてくれ」

「へ!?」
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