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奥女中になる
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おようの家を、父の上役が突然に訪ねてきたものだから、母の声が妙に裏返った。
「あら、どうしましょう。ええ、うちの人はおります。どうぞお上がりになってくださいませ」
「いや、急にすまんな。斯波は非番であったゆえ、明日でも良いかと思ったのだが、早く知らせてやりたくてな」
夕餉がすんだ後のことだった。
おそらく客間に通したのだろう。
客間と言っても、玄関に一番近い部屋だ。
小さな屋敷なので、話し声は筒抜けである。
「これはこれは、佐久間さま」
父が、応対に出て行ったのがわかる。
「何かございましたか?」
訪問の理由が何も思い当たらないようだった。
父、斯波勝之進は御蔵方の役人だった。
佐久間は、組頭になる。
母が、おようが立っている台所に急いでやってきた。
客用の湯呑みを出し、お茶の用意をする。
「何かあったのでしょうか」
洗い物をしながら、母を振り返る。
「悪いことではなさそうよ。深刻そうなお顔ではなかったから」
声が聞こえないように小声で母が言った。
兄の勝太郎が、茶の間で寝そべって、草紙をめくっている。
お堅い内容ではないことは、時々ニヤニヤしていることでわかる。
「およう。ちょっとこっちに来てくれないか」
父がおようを呼んでいる。
母と兄までもが、同時におようを見た。
そして、兄がニヤニヤして言った。
「縁談かもな」
おようがお盆を持っていくのかと思ったら、それは母が持って、部屋まで二人で行った。
縁談なのだとしたら、母親も聞かなければ、という思いがあるようだ。
「かたじけのうござる」
上座に座った佐久間は、白髪混じりだが、背筋かピンと伸びていて、お茶を出す母に丁寧にお辞儀をした。
「末娘のようです」
父が紹介し、
「ようと申します」
と、手をついて頭を下げた。
斯波家は三人兄弟で、跡取りの兄の他に、すでに他家に嫁に行っている姉がいて、おようは次女だった。
「私もお聞きしてよろしいでしょうか」
と言ったのは母だ。
「もちろん。悪い話ではない」
と佐久間は安心させるように言って、おようを見た。
「お前さんかね、噂の綺麗好きは」
「はい・・・」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、愛想笑いを浮かべてうなずく。
「若いのに、感心なことだ」
行燈の仄暗い灯りしかないのに、佐久間は斯波家の部屋を見回した。
床の間を振り返って、黒い板を無遠慮に眺めている。
灯りが反射して黒光するのを見て、満足そうにうなずいた。
「なるほどなあ」
「我が家はみな、ようが綺麗にしてくれます。助かってはおるのですが、もうそろそろ嫁に出してやりたいものでして・・・」
父は、佐久間が縁談を持ってきたと思っているらしい。
こちらは乗り気だということを言いたいのだろう。
それもそうか、とおようは思う。
おようはもう十八だ。
いつ嫁に行ってもいい年頃なのに、良い縁がなく、決まるところまでいっていない。
おようを嫁に出さなければ、兄の嫁取りもままならないのだ。
父は少し焦り気味だ。
家事が得意なのだから、引く手数多かと思いきや、実際はその逆で、きつい女子に思われて、先方が尻込みしてしまう。
おようの掃除好きは、少し度を越していて、嫌味になるらしい。
すでに嫁に行っている友人たちには、遠慮のない言葉をかけられる。
「おようちゃんとは暮らせないわ。己の至らなさに毎日苛まれてしまうもの」
だからなのか、兄の嫁探しは、おようが家を出てからと暗黙の了解のようになっている。
(私って、そんなに変なのかしら)
およう自身は、いたって普通だと思っているのだが・・・。
縁談がなかなか決まらないのは、両親が娘の幸せを願って、きちんと相手を見極めているせいもある。
中には、下女か何かと勘違いしているのかと言いたくなるような酷い縁談もあって、貰ってくれるならどんな家でもいいということはない。
おようはそんな両親にとても感謝している。
「実は・・・申し訳ないが、縁談ではなくてな」
「違うのですか」
佐久間が、驚く両親ではなく、おようをじっと見た。
「お城に上がる気はないか」
「お城?」
おようは目を見張った。
「そうじゃ。奥に勤める気はないかね」
「奥・・・」
「奥に上がるということは・・・」
「そうじゃのう。一生奥で暮らすこともあれば、嫁すこともできる。お上のお目にとまり、お部屋さまとなる可能性もないとは言い切れぬ。どんな仕事も、お家を守るために欠かせない、大事なものだ。これはとても名誉なことである」
「・・・」
三人とも言葉を失っている。
「受けてみぬか」
おようは、胸がドキドキしてきた。
それは、佐久間が言った、お上の目にとまるかもという話を聞いたから、ではない。
おようの頭の中に浮かんだのは・・・。
(お城の中を、ピカピカに磨いてみたい)
斯波家とは比べ物にならない広い城中を、奥だけとはいえ、掃除ができるなんて、楽しそう。
これまで感じたことのない高揚感に、頬が上気したように熱くなってきた。
今まで縁談がうまくいかなかったのは、このためではないかとさえ思える。
膝の上で、拳をギュッと握った。
「はい! お受けいたします!」
両親の顔色を見ることなく、そう口走っていた。
「そうか。それは重畳」
佐久間が笑みを浮かべて何度もうなずいた。
「この話、進めても良いな」
母はまだ言葉が出ないようだったが、父は息を吐いて、手をついた。
「よろしくお願いいたします」
「あら、どうしましょう。ええ、うちの人はおります。どうぞお上がりになってくださいませ」
「いや、急にすまんな。斯波は非番であったゆえ、明日でも良いかと思ったのだが、早く知らせてやりたくてな」
夕餉がすんだ後のことだった。
おそらく客間に通したのだろう。
客間と言っても、玄関に一番近い部屋だ。
小さな屋敷なので、話し声は筒抜けである。
「これはこれは、佐久間さま」
父が、応対に出て行ったのがわかる。
「何かございましたか?」
訪問の理由が何も思い当たらないようだった。
父、斯波勝之進は御蔵方の役人だった。
佐久間は、組頭になる。
母が、おようが立っている台所に急いでやってきた。
客用の湯呑みを出し、お茶の用意をする。
「何かあったのでしょうか」
洗い物をしながら、母を振り返る。
「悪いことではなさそうよ。深刻そうなお顔ではなかったから」
声が聞こえないように小声で母が言った。
兄の勝太郎が、茶の間で寝そべって、草紙をめくっている。
お堅い内容ではないことは、時々ニヤニヤしていることでわかる。
「およう。ちょっとこっちに来てくれないか」
父がおようを呼んでいる。
母と兄までもが、同時におようを見た。
そして、兄がニヤニヤして言った。
「縁談かもな」
おようがお盆を持っていくのかと思ったら、それは母が持って、部屋まで二人で行った。
縁談なのだとしたら、母親も聞かなければ、という思いがあるようだ。
「かたじけのうござる」
上座に座った佐久間は、白髪混じりだが、背筋かピンと伸びていて、お茶を出す母に丁寧にお辞儀をした。
「末娘のようです」
父が紹介し、
「ようと申します」
と、手をついて頭を下げた。
斯波家は三人兄弟で、跡取りの兄の他に、すでに他家に嫁に行っている姉がいて、おようは次女だった。
「私もお聞きしてよろしいでしょうか」
と言ったのは母だ。
「もちろん。悪い話ではない」
と佐久間は安心させるように言って、おようを見た。
「お前さんかね、噂の綺麗好きは」
「はい・・・」
いきなり何を言い出すのかと思ったが、愛想笑いを浮かべてうなずく。
「若いのに、感心なことだ」
行燈の仄暗い灯りしかないのに、佐久間は斯波家の部屋を見回した。
床の間を振り返って、黒い板を無遠慮に眺めている。
灯りが反射して黒光するのを見て、満足そうにうなずいた。
「なるほどなあ」
「我が家はみな、ようが綺麗にしてくれます。助かってはおるのですが、もうそろそろ嫁に出してやりたいものでして・・・」
父は、佐久間が縁談を持ってきたと思っているらしい。
こちらは乗り気だということを言いたいのだろう。
それもそうか、とおようは思う。
おようはもう十八だ。
いつ嫁に行ってもいい年頃なのに、良い縁がなく、決まるところまでいっていない。
おようを嫁に出さなければ、兄の嫁取りもままならないのだ。
父は少し焦り気味だ。
家事が得意なのだから、引く手数多かと思いきや、実際はその逆で、きつい女子に思われて、先方が尻込みしてしまう。
おようの掃除好きは、少し度を越していて、嫌味になるらしい。
すでに嫁に行っている友人たちには、遠慮のない言葉をかけられる。
「おようちゃんとは暮らせないわ。己の至らなさに毎日苛まれてしまうもの」
だからなのか、兄の嫁探しは、おようが家を出てからと暗黙の了解のようになっている。
(私って、そんなに変なのかしら)
およう自身は、いたって普通だと思っているのだが・・・。
縁談がなかなか決まらないのは、両親が娘の幸せを願って、きちんと相手を見極めているせいもある。
中には、下女か何かと勘違いしているのかと言いたくなるような酷い縁談もあって、貰ってくれるならどんな家でもいいということはない。
おようはそんな両親にとても感謝している。
「実は・・・申し訳ないが、縁談ではなくてな」
「違うのですか」
佐久間が、驚く両親ではなく、おようをじっと見た。
「お城に上がる気はないか」
「お城?」
おようは目を見張った。
「そうじゃ。奥に勤める気はないかね」
「奥・・・」
「奥に上がるということは・・・」
「そうじゃのう。一生奥で暮らすこともあれば、嫁すこともできる。お上のお目にとまり、お部屋さまとなる可能性もないとは言い切れぬ。どんな仕事も、お家を守るために欠かせない、大事なものだ。これはとても名誉なことである」
「・・・」
三人とも言葉を失っている。
「受けてみぬか」
おようは、胸がドキドキしてきた。
それは、佐久間が言った、お上の目にとまるかもという話を聞いたから、ではない。
おようの頭の中に浮かんだのは・・・。
(お城の中を、ピカピカに磨いてみたい)
斯波家とは比べ物にならない広い城中を、奥だけとはいえ、掃除ができるなんて、楽しそう。
これまで感じたことのない高揚感に、頬が上気したように熱くなってきた。
今まで縁談がうまくいかなかったのは、このためではないかとさえ思える。
膝の上で、拳をギュッと握った。
「はい! お受けいたします!」
両親の顔色を見ることなく、そう口走っていた。
「そうか。それは重畳」
佐久間が笑みを浮かべて何度もうなずいた。
「この話、進めても良いな」
母はまだ言葉が出ないようだったが、父は息を吐いて、手をついた。
「よろしくお願いいたします」
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